白銀殿下と疎まれオメガの契約婚

野良猫のらん

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第四話 古狐の息子

 男手が一人分加わったくらいで、離宮の掃除がたったの一日で終わったりはしない。侍女たちが掃除すべき場所の優先順位を決めていたので、リュシアンはまずそれに耳を傾けた。
 
「優先すべき場所は、なんと言ってもリュシアン様がご使用になられる場所でございます。リュシアン様のご寝室を始めとした、室内はもう清掃を済ませました。ですが、部屋と部屋を繋ぐ廊下などはもう最低限の体裁を整えただけで……この有様です」
 
 エマは廊下の窓の桟を、指ですっと一撫でした。埃が指の腹に付着している。たしかに清掃は足りていないようだ。
 しかし、リュシアンは他のことが気にかかった。
 
「待ってください、つまりは皆さんのお部屋などは後回しにされているということですよね?」
「わたくしどものところなんて、後回しにされて当然でございます。もちろん、自室は自分たちの手でとうの昔に整え終わっております。ですから、どうかお気になさらず」
「でも……」
 
 なおも釈然としないでいると、エマが言った。
 
「それにほら、リュシアン様が立ち入る場所はエドゥアール殿下もいらっしゃる可能性がありますでしょう? その際に汚れていたら、わたくしどもが罰を受けてしまいます」
 
 罰を受けるとまで言われると、これ以上は言えなかった。冷酷なエドゥアールのことだ、侍女たちに罰を与えても不思議ではない。
 
「それならば仕方がないですね。この辺りを掃除していくことにしましょうか」
 
 リュシアンを含めた六人は、清掃を開始した。
 リュシアンは慣れた手つきで雑巾を絞り、肩から力を入れて、力強く壁や床などを拭いていった。
 薄汚れていた離宮が、少しずつ光を取り戻していく。
 
「リュシアン様。これからお菓子作りをされるのでしたら、この辺でお掃除は切り上げてはどうでしょうか」
 
 少し疲れを感じ始めたころ、エマが声をかけてきた。
 離宮全体には遠く及ばないが、廊下の一部がすっかり綺麗になっていた。
 区切るには、ちょうどいい頃合いだろう。エマはいいタイミングで声をかけてくれた。
 
「それでは、今度は皆で厨房に向かいましょうか」
「はい!」
 
 侍女たちに案内され、リュシアンは厨房へと向かった。
 
 離宮に閉じ込められて唯一幸いだったのは、食事の贅沢はいくらでもしていいことだった。贅沢な食事自体には興味はないが、いくらでも砂糖を使ってよいとの許可が出ていた。修道院では滅多にできなかった菓子作りが、ここではいくらでもできる。
 
 リュシアンは目を輝かせて、菓子作りに取りかかった。
 たっぷりのバターとたっぷりの砂糖、それから卵と小麦粉を皆で混ぜ合わせる。バターを塗った長方形の型に生地を流し込んだら、オーブンで焼く。
 
「甘い匂いがしてまいりましたわね」
 
 完成が近づくと、菓子の焼ける匂いに皆でそわそわとした。
 オーブンから菓子を取り出すと、串を刺して中が生焼けでないか確かめた。串に生地はついていない。
 バターケーキの完成だ。
 
 人数分の紅茶を淹れ、ケーキを切り分け、そのまま厨房でお茶会を始めることにした。貴人の間に移動してはと提案したのだが、それは流石に侍女としての領分を越えていると断られてしまった。
 
「まあ、美味しい!」
 
 ケーキを口にした侍女が、喜びの声を上げた。
 リュシアンもまた、焼き立てのケーキの味に顔を綻ばせた。孤児院の子供たちを思い出す。砂糖を手に入れた際は、こうして子供たちに菓子を振る舞ったものだ。
 
「幽閉されたというのに、こんなに心安らぐ時間が持てるとは思いませんでした」
 
 リュシアンはしみじみと呟いた。
 
「あら、それはわたくしどもの台詞ですわよ。ほほほ」
 
 エマの返しに、侍女たちもまたこの離宮に囚われた仲間なのだと感じた。彼女らと協力すれば、幸せな生活を送っていくことも可能なのではないか。
 
「これは一体、どういうことだ」
 
 突如として厨房に響き渡った声に、びくりと身体が跳ねた。
 侍女たちは、一斉に顔を青褪めさせて立ち上がった。リュシアンもフォークから手を離すと、椅子から立ち上がった。
 
 振り向けば、白銀の王太子エドゥアールがそこにいた。
 彼は鋭くリュシアンたちを睨んでいる。
 
「殿下が御渡りになるとは知らず、出迎えもなく申し訳ございません!」
 
 侍女全員が頭を下げた。
 
「面を上げよ。それはお前たちのせいではない。あえて知らせなかったのだ」
「あえて知らせなかった……?」
 
 コツコツ、と靴音を立ててエドゥアールが目の前まで歩んでくる。
 
「そうだとも。貴様が悪だくみをしていないか、抜き打ちで確かめるためにな」
 
 エドゥアールは頭上から言い放った。
 
 悪だくみだなんて。オメガだというだけで、悪いことを企んでいると疑われなくてはならないのか。それに、そんなことを確かめるためだけにわざわざ離宮にやってくるなんて、この王太子は暇人に違いない。
 わざわざ本人に「悪だくみをしていないか」なんて言い放つなんて、牽制のつもりだろうか。悪だくみをしても、不意に見にくるぞ。貴様の悪事は露見するぞ。そう言いたいのだ。 
 悪事なんて、企んでいるわけがない。リュシアンは冷たい視線を睨み返した。
 
「早速侍女らに取り入って、優雅にお茶会か? そのケーキはどこから仕入れた?」
 
 オメガがお茶会をすることすら、不満だというのか。
 
「殿下、このケーキはリュシアン様とわたくしどもで一緒に作ったのです。リュシアン様はわたくしたちと一緒に掃除までしてくださいました、決して怠けていたわけではありません!」
 
 若い侍女の一人が、果敢にも庇ってくれた。
 
「は……リュシアンが? ケーキ作りや掃除を?」
 
 彼は、長い睫毛が縁取る瞳をぱちくりと瞬かせた。
 侍女たちはうんうんと頷き合っている。
 
「馬鹿な、古狐の息子がなぜそんなことを……?」
 
 呆然とした彼の呟きが、はっきりと耳に届いた。
 
 ――古狐の息子とは、自分のことだろうか。つまり、父のことを古狐と呼んだのか?
 あの父が古狐とは、とリュシアンは父の姿を思い浮かべる。ひょっこり細長い身体で金色のツリ目を光らせる様が、言われてみればいかにも狐っぽく感じられる。
 リュシアンはちょっと愉快な気分になってしまった。なかなか言うじゃないか、この王太子。
 
「これからお二人で時間を過ごされるのでしたら、夫婦の間へご案内いたします」
「いや、いい。今は様子を見に来ただけだ。今晩また来る」
 
 エマの問いに、エドゥアールは首を横に振った。
 
「かしこまりました、お待ちしております」
 
 自分は待ってないけどな、と思いながらエドゥアールが去っていくのを見送った。
 エドゥアールが、ちらりとリュシアンを振り返った。その視線は雄弁に「お前を見張っているぞ」と言っている気がした。

 
 宣言通り、エドゥアールは晩に再び訪れた。
 
 夫婦の間にリュシアンを連れ込むと……義務的に抱いた。初夜と何一つ変わらず。
 初夜と同じように、行為の後は一言も会話を交わさずに去っていくつもりなのだろう。そう思っていたら、なんと意外なことにエドゥアールは寝台に横たわるリュシアンに声をかけてきた。ただし、労わりの言葉などではなかった。
 
「変わった手練手管で侍女は篭絡したようだが、私は騙されたりなどしないからな」
「は?」
 
 淑やかにしていないといけないのに、敵意に満ちた言葉に思わず眉根に皺を寄せた。
 せっかく人が嫌なことを我慢して契約をまっとうしてやろうとしているのに、どうしていちいち嫌味を言われないといけないのか。
 
 リュシアンはこれ以上我慢ならなかった。
 裸を隠す毛布が落ちて胸がはだけるのも厭わず、上体を起こして彼を睨んだ。
 
「わたしの何がそんなに気に食わないんだ。オメガがそんなに嫌いか? そんなに疎ましいか?」
「え……」
 
 エドゥアールはまるでリュシアンが口を開くなんて予想もしていなかったとばかりに、目を見開いた。
 
「そんなに文句を言うのだったら、最初からオメガと契約婚などしなければよかったじゃないか」
 
 リュシアンの怒りの言葉に、それまでずっと無表情だったエドゥアールが、ついとわずかばかり眉根に皺を寄せた。
 
「私は別に文句を言っているわけではない。文句などあったとしても、それを主張していい立場にない」
 
 銀青色の瞳が、下を向く。自分の手を見つめているようだ。目が伏せられると、銀色の睫毛の長さが際立った。
 
「立場?」
 
 王太子なんて地位にいて、何を言うのかとリュシアンは片眉を上げた。
 
「貴様は勘違いしているようだが、王や王太子は偉い人間であるべきではない。むしろ、一番下の立場……王は民の従僕であるべきなのだ」
 
 意外な言葉に、リュシアンは目を瞬かせた。
 
「王は民のために、己を殺して働かなければならない。民の幸せを一番に考え、己の幸福を追求などしてはならない。それは王になる王太子もまた同じだ」
 
 エドゥアールには、エドゥアールなりの信念が存在するようだ。ただの嫌味な男ではなかったのだ。
 
「だから契約婚も大人しくすると?」
「そうだ。いい王太子たらんとするならば、周囲の人間の言うことに素直に従うべきだ。現国王たる父の言葉は、もっとも重要なものの一つだ」
 
 銀青色の瞳はバルコニーから差し込む月光を受けて、それこそ本物の月のように輝いていた。エドゥアールは、本気でいい王太子であろうとしているのだろう。
 
「ふうん、そうか」
 
 彼はいい王太子として、オメガの相手は嫌だと思いながらも使命を果たすために抱いているのだろう。
 
「でも、王様ってのが他人の言いなりになっていればできるような、簡単な仕事だとは思わないけれどな」
「何だと?」
 
 リュシアンの言葉に、エドゥアールの視線がこちらを向いた。その際にはだけたままの胸が目に付いたのか、すぐに視線が逸れていった。
 
「さっさと服を着ろ」
 
 エドゥアールは寝台から抜け出すと、リュシアンの衣服を放って寄越した。リュシアンは受け取り損ね、顔に衣服がぼすんと当たった。
 衣服を顔から取り払ったときには、もうエドゥアールは夫婦の間から消えていた。
 
「どうせなら、優しく渡してくれればいいのに……」
 
 ぶつくさと文句を言いながら、肌着に袖を通した。夜遅くでエマたちには悪いが、湯を沸かしてもらってさっさと風呂に入ろう。
 
 その後リュシアンは侍女たちが湯を運ぶのを手伝おうとして、エマにこっぴどく叱られて寝台の中で大人しくしていたのだった。
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