白銀殿下と疎まれオメガの契約婚

野良猫のらん

文字の大きさ
23 / 26

第二十三話 リュシアンの望み

 ベルンハルトは、執務室から出て廊下を進んでいる。召使いたちは横抱きで運ばれているリュシアンを目撃しても、黙って道を空けるだけだ。何もかも承知なのだろう。
 
「キミを手に入れられて、本当に幸運だった!」
 
 ベルンハルトは、嬉しそうに声を弾ませた。
 
「帝国ではオメガは差別されない。そのせいか帝国のオメガは弁えていなくて、生意気なんだ。本当は卑しい身のくせに。それに引き替え、王国のオメガはいい。大人しくて淑やかで、アルファを立てることをわかっている。特にキミは一番美しかった。だから、キミを手に入れたかったんだ」
 
 ベルンハルトの言葉に、オメガを差別しない国の人間だからって、オメガを差別しないわけではないと知った。ベルンハルト個人は、猛烈な差別意識を持っている。
 
「今は王太子に洗脳されているようだね。でも帝国に移り住みさえすれば、すぐにボクに感謝してボクを好きになるサ」
 
 帝国がどんなに素晴らしい国だとしても、この男に伴侶になれば幸せには暮らせないだろう。リュシアンは確信した。
 
「……たしかに、王国は酷い国だ」
 
 運ばれながら、リュシアンは口を開いた。
 
「けれども、エドゥアールは素晴らしい人なんだ。エドゥアールは、この国をよくしようとしている。お前なんかとは、大違いなんだ。それに俺は大人しくもないし、淑やかでもない。お前の理想とは大違いだ、ざまーみろ!」
 
 ベルンハルトを睨みつけながらの一言に、彼は表情を失くした。
 
「そう……せっかく優しくしてあげようと思っていたのに、やめるよ」
 
 睨みつけているうちに彼の泊まっている部屋に辿り着いたようで、リュシアンは乱暴に寝台の上に投げられた。
 それからベルンハルトは、部屋の外に出て行った。
 
「誰か、早く鞭を持ってこい!」
 
 彼が命じているのが聞こえた。
 普通は貴族がわざわざ部屋の外まで行って召使いを呼んだりはしないが、今はヒート中のリュシアンがいる。アルファの独占欲は、ヒート中のオメガのフェロモンをなるべく他人に晒したくなくなるものだと聞いた。
 
 この隙に、逃げ出さなければ。
 リュシアンはイヤリングを掴むと、宝玉に触れた。
 
『エド、助けてくれ! 父の屋敷に囚われた!』
 
 リュシアンは小声で叫んだ。
 
『リュシー⁉ な』
 
 エドゥアールの声が一瞬聞こえてきたが、ブツリと途中で途切れてしまった。
 宝玉を確かめると、すっかり透明になって全ての魔力が切れてしまっていた。
 
 もうエドゥアールには頼れない。そもそも外国にいる彼が、自分を助けられるはずがない。最初から自分一人で、この窮地を脱しなければならないのだ。
 
 諦めるつもりは毛頭ない。ベルンハルトと番になるなんて、絶対に嫌だ。
 
 リュシアンはもう一度身体を起こそうとした。まるで高熱を出したときのように、身体が怠い。全身が熱くて、身体が疼いて欲を慰めたくなる。駄目だ、絶対にあの男に痴態を見せてなるものか。
 正気に戻れさえすれば、簡単に逃げ出せるだろうに。
 
 彼が贈ってくれたイヤリングの先端が、鈍く光る。それから、自分の白い腕が目に入った。
 
 そうだ、覚悟を決めよう。
 
 リュシアンは大きく息を吸って――イヤリングの先端を、自分の腕に突き立てた。
 
「ぐッううぅ……ッ!」
 
 先端が肌を突き破り血が流れ出たが、声を出さぬよう歯を食い縛った。ベルンハルトに悲鳴を聞かれてはならないからだ。
 鋭い先端で傷口を広げると、出血量が増えて脂汗がどっと出た。ぼたぼたと垂れた血が寝台を汚したが、どうでもいい。
 
 一時的にでもヒートを鎮めるためだったら、何だってしてやる。リュシアンは必死の形相で歯を食い縛り、傷を広げた。
 
 血がいくらか抜けると、すっと頭の中が涼しくなるのを感じた。今なら動けそうだ。
 リュシアンは腕から血を垂れ流しながら、立ち上がった。そして窓をそっと開けた。
 
 どうせ逃げられまいと高を括っていたのだろう、部屋は一階にあった。リュシアンは多少よろけながらも、易々と窓から外に出ることに成功した。
 
 リュシアンは走り出した。
 

 リュシアンは、王城を目指して貴族街を走っていた。
 否、走るというほどの速度にはなっていない。息も絶え絶えに、身を捩りながら、なんとか歩いているだけだ。
 
 ヒート中のオメガが、道行く人に助けを求めることなどできない。むしろ、気づかれないようにしなければならないくらいだ。
 夏至祭の前日だ、人通りは多い。けれども屋台や広場を避ければ、むしろ人けが少ないくらいで、人目を避けるのは簡単だった。
 
 ぽつ、ぽつ、と身体に雨の雫を感じた。雨は瞬く間に本降りになった。リュシアンは天に感謝した。地面に着いた血痕を、洗い流してくれるかもしれない。周囲に振り撒いているであろうフェロモンも、雨で消えてくれるだろうか。
 
 雨に濡れ、寒さが衣服の内側に染み込んでくる。強い寒気を感じて、ぶるりと身体が震えた。頭がくらくらとしてきた。血を流しすぎたのかもしれない
 このままでは、城に辿り着く前に倒れてしまう。そうなれば、ベルンハルトに捕まってしまう。せめてその前に自害すべきだろうか。
 
「――いや」
 
 生きたい。
 
 生きて、幸せになりたい。
 自分で自分の行く先を決めるのが、望みだったじゃないか。
 
「俺は絶対に、諦めたりしない!」
 
 自らを鼓舞するために、声に出して呟いた。
 
「あっ」
 
 途端に、剥がれかけた石畳に躓いた。無様に顔を地面に打ち付け、雨水で身体の正面が濡れた。
 
 手の平に感じる石畳が、氷のように冷たい。腕に力を籠めて立ち上がろうとしたが、できなかった。血が足りないのか、それとももうこれ以上ヒートを誤魔化せないのか。
 
 もうこれ以上動けない。悔しさに歯噛みした。
 
「見つけたぞ。手こずらせやがって!」
「ぐ……ッ!」
 
 いきなり、髪をむんずと掴まれた。鋭い痛みが頭皮に走る。
 振り返ることはできないが、声で分かる。ベルンハルトに見つかってしまったのだ。
 
 恐怖と絶望に心臓が凍る。
 
「このボクから逃げるなんてな。鞭打ちだけで済ませてやろうと思っていたのに、もう容赦はしないからな。帝国に連れ帰ったら、お前は部下たちにくれてやる。強制的にヒートにさせたまま昼夜を問わず奉仕させてやる、果たして身体が保つかな」
 
 ベルンハルトが耳元で笑う。語られた悍ましい未来に、涙が零れた。
 手の平から、イヤリングが落ちる。イヤリングは地面に落ちて、みじめに濡れた。
 
「エド……」
 
 愛しい人の名前が、口から零れ落ちた。
 無理に決まっているのに、会いたい気持ちが止め処なく湧いてきた。
 
 ――エドゥアール。助けて。
 
「リュシアン――ッ!」
 
 彼の声が、耳に飛び込んできた。
 幻聴ではない。イヤリングから聞こえた声でもない。前方から聞こえてきた。
 
「ぐわっ⁉」
 
 リュシアンの髪を掴んでいた手が放され、リュシアンは地面に倒れ込んだ。
 
 芋虫のようにもたもたと体勢を反転させて振り返ると、そこにエドゥアールがいた。心から望んでいた彼が、まるで夢のように。
 
 ――どうして彼がここに? 外国にいるのでは?
 
「リュシーから離れろ」
 
 エドゥアールは剣を抜いて、ベルンハルトに突きつけていた。視線は剣よりも鋭くベルンハルトを射抜いている。こんなにも険しい顔をしている彼は、初めて目にした。
 
 よく見れば、ベルンハルトは腕から血を流していた。今、エドゥアールに切りつけられたのだろう。
 
「リュシーだって? 随分親しげに呼ぶじゃないか」
 
 ベルンハルトは、不遜にも王太子に向かってタメ口を利いた。
 
「知っているぞ。お前ら王族は、そのオメガの存在を公表できない。だからボクを罰することはできないんだ! むしろいきなりボクを切りつけてきたって、訴えてやるからな! 外交問題になるぞ!」
 
 ベルンハルトの言葉に、リュシアンは顔を青くさせた。どうしよう、自分のせいでエドゥアールが不利な立場に追いやられてしまう。
 
 しかしエドゥアールは表情一つ変えない。彼はリュシアンを守るように間に立ちはだかると、言い放った。
 
「リュシアンは私の伴侶だ。王太子妃を害して、外交問題になるのはそちらの方だ」
 
 伴侶。王太子妃。信じられない言葉が聞こえた。
 ベルンハルトもまた、エドゥアールの言葉に表情を失くした。
 
「馬鹿な、王国ではオメガは差別されていて、何をしてもいいはずじゃ……」
 
 ベルンハルトは動揺し、足を震えさせ出した。今にも、踵を返して逃げてしまいそうな雰囲気だ。
 
「罪人が逃げるぞ、捕らえろ!」
「ひいい!」
 
 リュシアンはエドゥアールの姿しか見えていなかったが、気がつけば数名の騎士が傍にいた。騎士たちは突撃し、あっという間にベルンハルトを捕らえた。
 
「ドゥ・ファルギエール家にも騎士が向かっている。大公もまもなく捕らえられるだろう」
 
 エドゥアールが言い放った言葉を聞いて、ベルンハルトは絶望の表情を浮かべた。
 帝国語で何かを喚き散らすベルンハルトを、騎士たちは引っ立てていった。
 
 そんな彼らを見送りながら、全身から力が抜けるのを感じた。これで全て終わったのだ。
感想 3

あなたにおすすめの小説

捨てられた生贄オメガ、魔王城で極上の『巣作り』始めます!~不眠症の魔王様、私のクッションで爆睡して溺愛モードに突入~

水凪しおん
BL
「役立たずのオメガ」として冷遇され、血も涙もない魔王への生贄として捨てられたリノ。 死を覚悟して連れてこられた魔王城は、寒くて硬くて、居住性最悪のブラック環境だった!? 「こんなところで寝られるか!」 極限状態で発動したオメガ特有の『巣作り本能』と、神業レベルの裁縫スキルが火を噴く! ゴミ同然の布切れをフカフカのクッションに、冷たい石床を極上のラグマットにリフォーム。 すると、不眠症で常にイライラしていた魔王ザルドリスが、リノの作った「巣」のあまりの快適さに陥落してしまい……? 「……貴様、私を堕落させる気か」 (※いいえ、ただ快適に寝たいだけです) 殺されるどころか、魔王様に気に入られ、気付けば城中がリノの虜に。 捨てられた生贄オメガが、裁縫一つで魔王城を「世界一のマイホーム」に変える、ほのぼの逆転溺愛ファンタジー!

【WEB版】監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】

古森きり
BL
【書籍化決定しました!】 詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります! たくさんの閲覧、お気に入り、しおり、感想ありがとうございました! アルファポリス様の規約に従い発売日にURL登録に変更、こちらは引き下げ削除させていただきます。 政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。 男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。 自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。 行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。 冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。 カクヨムに書き溜め。 小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。

すべてはあなたを守るため

高菜あやめ
BL
【天然超絶美形な王太子×妾のフリした護衛】 Y国の次期国王セレスタン王太子殿下の妾になるため、はるばるX国からやってきたロキ。だが妾とは表向きの姿で、その正体はY国政府の依頼で派遣された『雇われ』護衛だ。戴冠式を一か月後に控え、殿下をあらゆる刺客から守りぬかなくてはならない。しかしこの任務、殿下に素性を知られないことが条件で、そのため武器も取り上げられ、丸腰で護衛をするとか無茶な注文をされる。ロキははたして殿下を守りぬけるのか……愛情深い王太子殿下とポンコツ護衛のほのぼの切ないラブコメディです

幽閉王子は最強皇子に包まれる

皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。 表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。

僕を振った奴がストーカー気味に口説いてきて面倒臭いので早く追い返したい。執着されても城に戻りたくなんてないんです!

迷路を跳ぶ狐
BL
 社交界での立ち回りが苦手で、夜会でも失敗ばかりの僕は、一族から罵倒され、軽んじられて生きてきた。このまま誰からも愛されたりしないんだと思っていたのに、突然、ろくに顔も合わせてくれない公爵家の宰相様と婚約することになってしまう。  だけど、婚約なんて名ばかりで、会話を交わすことはなく、同じ王城にいるはずなのに、顔も合わせない。  それでも、公爵家の役に立ちたくて頑張ったつもりだった。夜遅くまで魔法のことを学び、必要な魔法も身につけ、正式に婚約が発表される日を楽しみにしていた。  けれど、ある日僕は、公爵家と王家を害そうとしているのではないかと疑われてしまう。  否定しても誰も聞いてくれない。それが原因で婚約するという話もなくなり、僕は幽閉されることが決まる。  ほとんど話したことすらない、僕の婚約者になるはずだった宰相様は、これまでどおり、ろくに言葉も交わさないまま、「婚約は考え直すことになった」とだけ告げて去って行った。  寂しいと言えば寂しかった。彼に相応しくなりたくて、頑張ってきたつもりだったから。だけど、仕方ないんだ……  全てを諦めて、王都からは遠い、幽閉の砦に連れてこられた僕は、そこで新たな生活を始める。食事を用意したり、荒れ果てた砦を修復したりして、結構楽しく暮らせていると思っていたのに、その後も貴族たちの争いに巻き込まれるし、何度も宰相様にも会うことになってしまう。何なんだ……僕はここが気に入っているし、のんびり暮らしたいだけなんです! 僕に構ってないで諦めてください! *残酷な描写があり、攻め(宰相)が受け以外に非道なことをしたりしますが、受けには優しいです。

シナリオ回避失敗して投獄された悪役令息は隊長様に抱かれました

無味無臭(不定期更新)
BL
悪役令嬢の道連れで従兄弟だった僕まで投獄されることになった。 前世持ちだが結局役に立たなかった。 そもそもシナリオに抗うなど無理なことだったのだ。 そんなことを思いながら収監された牢屋で眠りについた。 目を覚ますと僕は見知らぬ人に抱かれていた。 …あれ? 僕に風俗墜ちシナリオありましたっけ?

オメガなのにムキムキに成長したんだが?

未知 道
BL
オメガという存在は、庇護欲が湧く容姿に成長する。 なのに俺は背が高くてムキムキに育ってしまい、周囲のアルファから『間違っても手を出したくない』と言われたこともある。 お見合いパーティーにも行ったが、あまりに容姿重視なアルファ達に「ざっけんじゃねー!! ヤルことばかりのくそアルファ共がぁああーーー!!」とキレて帰り、幼なじみの和紗に愚痴を聞いてもらう始末。 発情期が近いからと、帰りに寄った病院で判明した事実に、衝撃と怒りが込み上げて――。 ※攻めがけっこうなクズです。でも本人はそれに気が付いていないし、むしろ正当なことだと思っています。 同意なく薬を服用させる描写がありますので、不快になる方はブラウザバックをお願いします。