誰からも愛されないオレが『神の許嫁』だった話

野良猫のらん

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第十八話

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「よォ、主神サマ。この度はお目覚めお慶び申し上げます」
 
 応接間にはすでに客人がいて、長椅子に腰かけていた。偉そうに長い足を組んでいる。
 
「ひっ!」
 
 客人の外見に、ウエルは思わず山神の背中に隠れた。
 客人の男は、燃えていたからだ。生きたまま燃えているのに、ちっとも苦しむそぶりがない。男が座っている長椅子が燃える様子もない。
 
「大丈夫だよウエル、ここならば炎の影響はないからね。ここはすべてウエルと調和するようにできている。空気も温度も、すべてウエルの生存にもっとも適したものになるようになっているんだよ」
 
 初耳だ。道理で山の頂上なのに快適なわけだ、とウエルは納得した。
 
「カトグ、君は私が創ったときから変わらないね」
 
 山神が呼びかけた。
 
「カトグ……? カトグってもしかして、カトグ神?」
「そうだよ」
 
 山神はウエルの問いを肯定した。
 
 カトグ神は、炎を司る神。山神やヤルト神と同様、人々に信仰されている神の一柱だ。炎を司るだけあって、性格は苛烈で神々の中でもっとも近寄りがたいとされている。
 ウエルは恐怖を抱いたが、山神がすぐ隣にいるのだから大丈夫なはずだ。
 それにしてもヤルトはこれをともし火扱いしたのか、と密かに驚く。
 
「主神サマも寝ている間に衰えてねェようで何より。それが、例の?」
 
 カトグが、ウエルを顎でしゃくって指し示した。彼の興味が自分に向いたことに怯え、ウエルはびくりと身を震わせた。
 
「そうだよ。私の許嫁だ。可愛らしいだろう?」
 
 山神は横にどくと、自慢そうにウエルの姿を彼に見せた。
 
「へェ、近くで見せてもらっても?」
「いいよ」
 
 ウエルが怯えていることに気がついていないのか、山神はカトグが近くに寄る許可を出してしまった。
 
 カトグは長椅子から立ち上がり、ゆっくりとこちらに近づいてくる。燃え盛る男が寄ってきて、ウエルはビクビクとする。
 炎が近づいてくるのに、熱さを感じない。この屋敷の中ならば、影響はないと山神は言っていた。屋敷の外でこの神と出くわしていたら、炎の熱さに焼かれていたのだろうか。想像すると恐ろしさは止まらなかった。
 
「ふーん?」
 
 カトグが間近からウエルをじろじろと見下ろす。山神ほどではないが、カトグも相当に背が高い。
 
「へーえ、従順そうな子じゃないか。可愛いな」
「ひゃ!」
 
 大きな手が伸びてきたかと思うと、ウエルの頭を乱暴にガシガシと撫でた。手も燃えていたが、炎がウエルの髪や頭を燃やしてしまうことはなかった。
 カトグは、ウエルにニカリと笑みを見せた。いきなり頭に触れてくるなんて、無礼な奴め。でも悪気はないのかもしれない。
 ウエルの警戒心が薄れたときだった。
 
「よしよし、主神サマのをたくさん咥えて悦ばせてあげるんだぞ」
「え?」
 
 何を言われたのか、分からなかった。
 
「カトグ!」
 
 一瞬でカトグが部屋の端まで吹き飛ばされたのを見て、やっと理解した。不快なことを言われたのだと。
 
「ウエルはそういうのではない!」
 
 これほど怒りを露わにしている山神を初めて目にした。美しい顔が視線だけで射殺さんばかりに、鋭くカトグを睨みつけている。
 吹き飛ばされて壁にぶつかったカトグは、ゆっくりと身体を起こした。
 
「あれェ、もしかしてそういうのまだでした? 奥手なのは駄目ですよ主神サマ、人の子はすぐ……」
「黙れ!」
 
 カトグは再び吹き飛ばされた。
 最初は山神が彼を殴ったのかと思ったが、違う。見えないなにかがカトグを打ちのめしている。
 山神が神としての権能を攻撃に使用するのを初めて目にした。声を荒げるのも。
 
「今すぐ出ていけ。君がそんな口を利くとは思っていなかった」
「予想外だったのだとすれば、それは主神サマが変わられたからですよ」
 
 睨まれても、カトグはヘラヘラとしている。
 
「出ていけ!」
「はいはい」
 
 そのまま応接間を出ていくのかと思えば、カトグは最後に入口の近くに控えていたヤルトに視線を投げた。
 
「……オマエ、主神サマに変な気は起こすなよ?」
 
 ヤルトはなにも言わず、笑みを張りつけたままカトグの視線を受け止めた。
 
「ふん」
 
 カトグが荒い足取りで部屋から去っていった。
 
「大丈夫かいウエル、カトグはもうここからいなくなったよ」
 
 ここからというのは、屋敷からという意味だろう。
 ウエルはほっとして力が抜けた。不快な言葉をかけられたのも怖かったが、なにより目の前で神同士の諍いが起こったのが恐怖だった。
 
「ごめんねウエル、カトグがあんなことを言うとは思わなかった。ウエル……?」
 
 震えているウエルの顔を、山神が心配そうに覗きこむ。
 
「ご主人さま、ウエルさまは今の出来事に動揺なされているご様子です。少しの間、お部屋でおひとりでお休みいただくのがいいかと」
 
 ヤルトの提案に、ウエルはほっとした。
 カトグだけではなく、山神のことも少し恐ろしかったから。少しだけ距離を置きたい。
 そんなウエルの気持ちを、ヤルトは見抜いてくれたのだろう。感謝しなければ。


 寝間着に着替えさせられ、ウエルは寝台に潜り込んだ。
 さっきの光景がありありと脳裏で再生される。ウエルは寝台の中で震えた。
 咥えて悦ばせる、だなんて。下品な言葉を口にしたカトグの笑顔をありありと思い出してしまう。
 
 奴の笑顔は、ただ単にウエルを淫乱扱いしていたのではない。愛玩動物扱いしていた。カトグの口調はまるで、飼っている犬に芸を要求するようなものだった。家畜や犬猫のように見られていたから、気安く頭を撫でられたのだ。
 
 忘れていた。彼らは神で、自分はただの人間だ。
 彼らにとって自分は尊重すべき対等な存在ではない。下等生物だ。
 当たり前だ、神と人が対等なわけがない。自分はそんな当たり前のことも忘れていた。だって彼らは不思議な力でなんでもできて、人間などよりもずっと強い。ウエルを対等扱いしてくれる理由などあるだろうか?
 
 山神は怒ってくれたが、それがウエルが下等生物扱いされたことに対する怒りだったかは分からない。
 山神に愛されていると最近では確信していたが、それが犬や猫に向けるような愛情なのだとしたら……。
 
「……」
 
 すべてが虚しい。
 自分は山神の特別な存在でもなんでもないのかもしれない。
 ウエルは寝台の中でふて寝した。
 
「ウエル……体調はどう?」
 
 しばらくして、山神の優しい声が聞こえてきた。
 目を開いて見えた彼の表情は、ごく穏やかなものだった。ウエルを案じて、眉をわずかに下げている。
 カトグと対立していたときの怒りの面影がなくて、ウエルは安堵した。
 
「うん、よくなった」
 
 答えながら上体を起こし、ウエルは寝台の横にいる彼と向き合った。
 
「そっか、よかった」
 
 彼がほっと胸を撫で下ろしたように見えた。
 
「ウエル、改めて謝るよ。カトグを君に近づかせたりして。私が守るべきだったのに、怖い思いをさせてしまったね」
 
 本当に反省しているのだろう、彼は痛切な表情で謝罪の言葉を口にした。
 
「たしかに、怖かった。次からはオレの意思を確認してくれ」
 
 ウエルは鼻を鳴らす。
 
「次なんてないよ、安心して。もう誰にも会わせないから」
 
 彼は誓う。
 誰にも会わせないだなんて。その言葉も、大切なペットを家の奥に仕舞い込んでおく感覚で言っているのか。
 どうしようもなく、苦い思いが顔に出てしまった。
 
「ウエル……? なんだか浮かない顔をしているね。どうしたんだい、まだ怖いことがあるのかな?」
「……なんでもない」
 
 思いを隠せない。
 自分はこんなにも表情を取り繕うのが苦手だったろうか。
 山跳びをしていた頃は、いつも不愛想な不機嫌顔の仮面を張りつけていた。
 山神と一緒にいて、表情が緩むようになり、ときおり笑顔が零れるようになって……自分はすっかり仮面の被り方を忘れてしまった。
 
「なんでもなくないよウエル、悲しそうな顔をしている」
 
 人の心が分からない彼にすら、見破られてしまっている。
 
「ウエル」
 
 彼がウエルの手を優しく握った。
 
「どうか君の恐れていること、不安なこと、心配なことをすべて私に話してくれないか? 君に寄り添いたいんだ」
 
 蒼い瞳が、真剣にウエルを見つめていた。
 信じていいのだろうか。
 世界を創り、大地を創るほどの力を持った神が対等に愛してくれているなんて。そんな幻想ゆめを信じていいのだろうか。
 
「私を信じてくれ」
 
 心を読んだかのように、彼が誓った。
 どちらにせよ、この悩みを胸の内に抱え続けているなど無理だと思った。
 なら、いまぶつけてしまおう。
 
「オレは人間で、山神は神なんだよな……」
「そうだね」
 
 山神は頷いて、静かに続きを促した。
 
「なのに、人間であるオレを許嫁にするなんて……馬鹿らしいと思ったことはないのか?」
「馬鹿らしいだなんて」
「人間が犬猫を飼う感覚で、お前はオレを飼ってるだけじゃないのか……?」
 
 似つかわしくないか細い声だった。
 もし、彼が肯定したら……。不安で胸が締めつけられる。
 揺れる瞳で、彼を見つめ返した。
 
「ウエル……!」
 
 次の瞬間、ぎゅっと抱き締められた。
 決して潰さないように加減するように、けれども力強く。抱擁された。
 
「カトグの言葉を聞いて不安になってしまったんだね。ごめんね。本当に会わせるべきではなかった」
 
 声音から強い後悔の念を感じた。
 
「ウエル。違う。絶対に君は犬猫なんかではない。私の、愛するひとだ」
 
 身体を離すと、彼はウエルを見据えた。
 ウエルを見つめる蒼い瞳から、たしかに何かを感じた。これが愛なのだろうか。
 
「私は真剣に君を愛しているよ。君を尊重するつもりだ。私の力不足で嫌なことをしてしまうときもあるかもしれないけれど……今日みたいに。でも、この気持ちに偽りはない」
 
 彼の言葉は誓いめいて聞こえた。
 本当に真剣に愛してくれているのだ。こんなに愛してくれるひとが、他にいるだろうか。
 自分がいろんな人の愛を受けて育ってきたのだと、気がついた今だからだろうか。
 彼の言葉はすっと胸の内に入ってきた。
 
「……ほんとに、本気で、オレなんかを愛してるんだ」
「そうだよ、ウエル」
 
 彼は優しく肯定した。
 
「真剣に、愛している。ウエルは私の特別だ。代わりなどどこにもいない」
 
 彼の言葉を聞いて、ウエルの瞳からぽろりと透明な粒が零れ出した。
 
「ウエル、それは嬉し泣きかい……? ウエルも私のことが好きだから、泣いてくれているの?」
「う、うるさい!」
 
 白い指が優しく伝い落ちる粒を拭う。
 蒼い眼差しが愛おしげにウエルに視線を降り注いでいる。
 山神は、口を開いた。
 
「ねえ、ウエル。ウエルがいつまでも信じていられるように、私の一番特別なものをあげようか」
「特別なもの……?」
 
 ぱち、ぱち。瞬きをする。
 
 初めは何もほしくなかった。何かを要求することなんて知らなかった。
 それが一緒にご飯を食べてほしいと拗ね、退屈だとワガママを言い、文字を教えろなんて駄々をこねるようになっていた。
 いつの間にか、いろんなものをほしがれるようになっていた。
 
 特別なものとやらが何かは分からない。
 けれど、ほしいと思った。
 
「うん。一番特別がほしい」
 
 ウエルは、はっきりと願った。
 
「わかった。ウエルには、私の名前を教えてあげよう」
 
 山神の名前。心臓が大きく鼓動した。
 山神の名は、誰にも口にしてはならないとされている。だから、誰も山神の名を知らない。
 
「ヤルトもカトグも、誰も知らない。君だけが知ることになる名だ」
 
 胸の内が熱くなる。
 彼は本当に特別なものをくれようとしている。
 
「私の名は、ハオハトだ」
「ハオハト……」
 
 大事に大事に仕舞い込むように、そっと呟く。
 
「そうだよ」
「これからは、ハオハトって呼んでも?」
「いいんだよ。ウエルが私の特別なんだからね」
 
 彼の特別。その事実がどうしようもなく嬉しくて、眦から滴が零れ出てくるのを止められなかった。
 
「うん。ハオハト、オレのハオハト」
 
 愛おしい名を、何度も口にした。
 これまで生きてきてよかったと、心から思えた。
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