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番外編 ロベール視点 幼き日の約束 前編

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「お兄さま?」

 真っ白の生き物が私のことを見上げている。
 紅くて大きな瞳をまん丸にさせているのは私の六歳の弟、アントワーヌだった。
 とびきり可愛らしい彼のことを抱き締めて頭を撫でてあげたいところだが、そうはいかない事情がある。

「アン。今日の家庭教師の勉強をサボったそうじゃないか。一体どうしてだ」

 ともすれば少女と見間違えるほど美しい、月光を織って糸にしたような髪をサラサラとさせているこの美少年は見た目にそぐわず結構な悪戯っ子だった。
 なんでも勉強の時間に部屋にいずにどこかに逃げ出していたらしい。

「だってぇ……」

 アンは唇を尖らせてそっぽを向いてしまう。
 困ったものだ。

 アンは私の言うことならばある程度聞くので、彼に勉強をサボるように説得する係を私が仰せつかったのだった。

 通常異母兄弟はあまり仲がよくないものだ。
 違う母親に育てられる、継承権を争い合うライバルだからだ。

 だが例外的に私とアンは何故だが良好な仲を築いていた。
 どうしてだろう。理由は分からなかったが、アンはしょっちゅう私の後ろについてきたがったし、私もこの綺麗な弟に懐かれているのは気分が悪くはなかった。

「理由を話してくれないか、アン。そうじゃないと私も何も分からない。家庭教師に何か嫌なことされたのか?」

 この綺麗で可愛い弟がどうして勉強を受けようとしないのか聞き出さなければならない。なるべく優しく問いかけた。

「いやなことは、されてないけど……」
「じゃあ勉強が難しいのか?」
「むずかしいけど……」

 彼が顔を曇らせながらもじもじとする。

「なるほど、じゃあ私がアンに勉強を教えてあげよう。それで家庭教師の勉強に追い付くようにしよう、な?」
「お兄さまがおしえてくれるの?」
「ああ」
「やったー!」

 アンは顔をパッと輝かせた。
 良かった。アンの喜びのためならばなんでもやってあげたくなる。

 アンの勉強道具を私たちの世話をしてくれている爺やが用意してくれた。
 机に向かってアンに勉強を教えることにする。

「アンはどこまで勉強ができるんだ? 文字は読めるようになったか?」
「ううん、よめない……おしえてお兄さま」

 貴族の子息が六歳にもなって文字も読めないとは前途多難だ。
 アンはそこまで遊び惚けていたのだろうか?
 叱らなければとも思うが、今は素直に私に教えを乞うているのだから不問としよう。
 何より私を見上げる紅い瞳は丹念に磨いた宝玉の表面のようにつやつやと潤んでいる。
 こんなアンを𠮟れない。

「よしアン、まず母音がどれか分かるか?」
「ぼいんってなあに? ぼくわかんない」
「そうかなるほど。まず母音というのはだな……」

 私は蝋版を開く。

「いいかアン、よく見てなさい……」

 アンに見えるように蝋版に母音となる六文字をゆっくりと書いていった。

「この六文字が母音だ。この母音の発音はそれぞれ……」

 勉強をサボって抜け出していたという報告が嘘のように思えるくらいにアンは楽しそうに目を輝かせて、実に素直に私の授業を聞いてくれたのだった。

「お兄さまがぼくのかてーきょーしだったらよかったのに」

 アンは最後にそう漏らしたのだった。
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