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温泉と故郷と泣き叫ぶ豆
記憶の……
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エリックは無防備なアリカの髪を梳く。旅の間でも念入りに手入れをしているのかするりとした感触は変わらない。日焼けすると嘆きながらフードをかぶって御者台に座っていたが、肌はまだ白いと言える。
立ち上がりかけて服のすそを握っていた彼女の手に気がつく。その手を外し、指先に口づけを落とす。
ふわりと広がる守護を確認して、エリックは立ち上がった。彼女が目覚める前に済ませておくことがある。
以前、ここに来たことがある。そのときの出来事を思い出していた。記憶が無くなっていたというわけではなく、目隠しをされるようにそこを思い出さないようにさせられていただけだった。ずっとそこにあったと言わんばかりの記憶は少しばかり苦い。
ある意味後悔しかないが、既に過ぎたことだ。今から改変はできない。それはそれで抱えていくべきだろう。
色々思い出した中で放置できないことがあった。あの時は魔道具が起動していたが、破壊し損ねている。一部の破損では奇妙にねじ曲がって動くかもしれない。きちんと処理しないと今後も被害者を出しそうだった。
あるいは、安心できない。
強制的に寝かしたアリカには悪いと思う。しかし、エリックには付き合わせるつもりはない。危険であるということもあるし、余計な刺激を与えたくなかった。
アリカは一度この世界に来て、その時の記憶を喪失している。思い出せないように封じたわけではなく、抹消されていた。だから、思い出すことはない。
それでも不安にはなる。
なぜ、記憶を失ったのか、ということにまつわることは知らないほうがいい。ただ、異界に来て異界間の都合で忘れたとその程度で済ませて欲しい。
辛く逃げてしまいたいような子供時代などすっかり忘れていたほうが、いいと。
アリカは勝手に決めないでほしいと怒るかもしれないが、それよりもいなくなってしまうかもしれない。
愕然として離婚しますと言いだす可能性のほうが高かった。それは避けたい。
「昔のことなんて、もういいだろ」
アリカにとっては十年近く前のことだ。忘れていてもいいはずだ。
今度は穏やかな眠りだ。彼女の頬をそっと撫でるとへにょりと笑う。気を許して甘えたような表情を見るのは今では特権だと知っている。
子供だった彼女は臆病さを大人びた態度で隠していた。大人を観察して、どの程度なら許されるか測って近寄るようなところがあるように思えた。
エリックにだけは甘えるような態度でいたのは、支配下にあるから絶対裏切らないと信用出来たということだろう。
アリカの頭をそっと撫でて、部屋の外に出た。
入口の近くにあるロビーにオーナーはいた。二番目に良い部屋は雨漏りと言っていたが、実際は魔道具の不調ということで閉鎖している。
近くを通ったときに妙な音が聞こえたと指摘すれば、オーナーは微かに顔をしかめた。ここだけの話ですがと前置きして、魔道具が不調であること、魔導師に修理依頼をしたものの忙しいと後回しにされている話を聞いた。
おそらく、あちこちの魔導協会で同じことが起きているに違いない。
アリカの手紙は冬明けにまとめて送られた。休みの途中でも返事が来てきりがないと諦めた結果だが、その影響で今頃手紙の中身の検証に忙しいだろう。しばらくは魔道具の新作は作られないだろうし、修理も皆で押し付け合う状況が想像できる。
今は都合がよいのでエリックは魔導師でもあるからと魔道具の修理を申し出た。
ステラ師匠が公爵令嬢かつ、魔導師であったということは有名だ。今も現役であることも。そのため公爵家の使用人には何人かは魔導師がいると嘘の説明をしている。
最初は胡散臭そうな表情で見ていたオーナーも今は、信用したようで少し申し訳なさそうな表情だった。
弟子として公爵家とその領地にちょっとだけ暮らしたことがあるため試されるような質問にも淀みなく答えたことで信用したらしい。
「別の仕事を頼んで申し訳ないですね」
「問題がないのを確認するのも仕事だ。気にしないでくれ」
その部屋は錠が下ろされていた。
「では、よろしくお願いします」
オーナーは鍵を開けてそそくさと部屋の前を去った。少し青ざめていたところを見れば、何か知っているのかもしれない。
重い扉を押すと見えたのは書斎に見えた。黒檀のように黒い家具と書棚が部屋を重苦しく見せている。その奥に寝室と浴室があった。
事前に調べたことによればここは元々のこの屋敷の主人が住んでいた部屋らしい。
この屋敷はかつて、魔導師が住んでいた。それが借金を残して消え、借金の形に屋敷は差し押さえられ現在は宿となっている。
王族用の部屋は元々何もなかった大部屋を改装しているので、当時の原型はない。
「……まだ残ってる」
アリカの気配に似た神威の欠片。
ツイ様と呼ばれる異界の神の一部がやってきた残滓だ。
室内を見回せば、壁紙に似せて作られた呪式が刻まれていた。一部不自然に切れているが、大部分は稼働している。
ある魔導師が夢想した。
皆の良い夢を繋げれば幸せになれるかもしれないと。そこの楽園ができるかもしれないと。
実際は、不自然に繋ぎ合わされた不気味な夢になった。奇妙に居心地の良い、悪夢。
エリックは修理する気はない。修復に失敗したと嘘をつくことにして破壊するつもりだった。前に壊すべきだったが、記憶を封じられたせいで処理が半端で放置されていた。ここの魔道具の影響がここ最近というなら必要な魔素が溜まらず稼働していなかったのだろう。
あるいは、知っていて使っていたか。あれは普通に良い夢を見るためにも使えはする。
一人でも、悪夢を夢想しなければ、ひどい目にあうことは少ない。
かつてのエリックとアリカは、似たような願望を持っていた。彼にしてみれば、突きつけられてようやく気がついたもの。
「……ん?」
エリックは呪式を声に出さずに構築し、気がついた。饒舌に語るこのリズムに覚えがある。特徴的な構成の仕方は。
気がついたときには睡魔が襲ってきた。
本当に、なにを考えているんだか。
エリックはかつてこれを作った魔法使いに文句を言いたい。
この癖は眠り姫を作った魔法使いに違いない。
「……の眷属たる……の名のもとに命ずる。名を名乗れ」
凛とした声が暴いた名を彼はずいぶんと忘れていた。エリック、そう呼ばれていたのは両親が亡くなるよりも少し前まで。その次は今も呼ばれるディレイと言われるようになった。
どうしてと聞けば、困ったように名を隠す習慣があるのと言われた。
そんなことも、忘れていた。
エリックの名を奪った少女は出来てしまったことに唖然としていた。悪気はないのです、悪気はと言い訳がましかったが、ぼそりぼそりと自分の事情を話始めた。
異界に行きやすい性質をもっていて、あちこちに出入りしていたこと。いつもはすぐに帰れるので、しばらく厄介になりたいこと。支配下に置いたので、害することはできなくなっているので捨てるのも無理と。
あははと困ったように笑っていた。
ごめんなさいとすぐに謝罪していたが、うなだれた子供をどうにかしようとも思わなかった。
ただ、拾った理由とどう説明するのか頭が痛かった。エリックは一時的に単独行動をしていたにすぎない。用事が終われば、元の仕事に戻らねばならない。それは子供が同行できる状況ではない。
エリックはもっともらし言いわけを考えて放り投げた。どう考えても真っ当な言いわけにならない。もっともらしいほうが怪しく聞こえてくる。にじみ出る誘拐事件臭と少女から指摘されるほどだった。
諦めて普通の子供ではなく、魔導師であり、魔法の暴発によりどこかから飛ばされてきた、らしいと強引に押し通した。間違いではない。この世界ではないということを黙っていた程度だ。
この説明は魔導師を知らないものほどあっさり納得し、知るものには怪訝そうな顔をされてしまった。
それでも近くの魔導協会の支部までと約束して、連れていけたのは良かった。
エリックは、兄弟弟子に女性も多かったので世話はそれなりに理解している。しかし、それが許されたのは成人前でさらに近い年であったからだ。さすがにこの年で女の子の世話はできない。
幸い、ある程度は自分で出来るのでそれほど女性の手が必要ではなかったが、全く不要でもない。
人懐っこい性格の少女はすぐに馴染んだように見えた。エリックからすれば異常に思えた。このくらいの子供が異界にやってきて普通に生活するよりも、親や故郷を恋しがるほうが普通だと感じる。
それをエリックが指摘すれば、少し困ったように、いつものことなのでと彼女は笑った。なんでもないことだと言い張るが、やはり強がりに見えた。
一人で何とかしなくちゃいけないんですとにこりと笑うのが痛々しかった。
それはいつかの自分と重なって見えたのは、仕方がない。頼れる誰かがいればと思ったこともあった。
エリックにとって頼れる誰かやってきたのは、とても遅かったけれど確かに手は差し伸べられた。
ここにいる間だけでもと手を差し出したのは正しかったのかわからない。
ただ、少しだけ、辛さを吐き出すようになった。
彼女にとってその力は重荷でありながら、そう言うことが許されない状況でだったらしい。遠からず神域で仕えることになっていて、ある程度育つまでしか人の世にいることができないと。
祝福されているというけれど、呪いみたい。
ちょっと逃げちゃいたいんです。
なんて冗談です、ちゃんとしますと笑うから。
立ち上がりかけて服のすそを握っていた彼女の手に気がつく。その手を外し、指先に口づけを落とす。
ふわりと広がる守護を確認して、エリックは立ち上がった。彼女が目覚める前に済ませておくことがある。
以前、ここに来たことがある。そのときの出来事を思い出していた。記憶が無くなっていたというわけではなく、目隠しをされるようにそこを思い出さないようにさせられていただけだった。ずっとそこにあったと言わんばかりの記憶は少しばかり苦い。
ある意味後悔しかないが、既に過ぎたことだ。今から改変はできない。それはそれで抱えていくべきだろう。
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あるいは、安心できない。
強制的に寝かしたアリカには悪いと思う。しかし、エリックには付き合わせるつもりはない。危険であるということもあるし、余計な刺激を与えたくなかった。
アリカは一度この世界に来て、その時の記憶を喪失している。思い出せないように封じたわけではなく、抹消されていた。だから、思い出すことはない。
それでも不安にはなる。
なぜ、記憶を失ったのか、ということにまつわることは知らないほうがいい。ただ、異界に来て異界間の都合で忘れたとその程度で済ませて欲しい。
辛く逃げてしまいたいような子供時代などすっかり忘れていたほうが、いいと。
アリカは勝手に決めないでほしいと怒るかもしれないが、それよりもいなくなってしまうかもしれない。
愕然として離婚しますと言いだす可能性のほうが高かった。それは避けたい。
「昔のことなんて、もういいだろ」
アリカにとっては十年近く前のことだ。忘れていてもいいはずだ。
今度は穏やかな眠りだ。彼女の頬をそっと撫でるとへにょりと笑う。気を許して甘えたような表情を見るのは今では特権だと知っている。
子供だった彼女は臆病さを大人びた態度で隠していた。大人を観察して、どの程度なら許されるか測って近寄るようなところがあるように思えた。
エリックにだけは甘えるような態度でいたのは、支配下にあるから絶対裏切らないと信用出来たということだろう。
アリカの頭をそっと撫でて、部屋の外に出た。
入口の近くにあるロビーにオーナーはいた。二番目に良い部屋は雨漏りと言っていたが、実際は魔道具の不調ということで閉鎖している。
近くを通ったときに妙な音が聞こえたと指摘すれば、オーナーは微かに顔をしかめた。ここだけの話ですがと前置きして、魔道具が不調であること、魔導師に修理依頼をしたものの忙しいと後回しにされている話を聞いた。
おそらく、あちこちの魔導協会で同じことが起きているに違いない。
アリカの手紙は冬明けにまとめて送られた。休みの途中でも返事が来てきりがないと諦めた結果だが、その影響で今頃手紙の中身の検証に忙しいだろう。しばらくは魔道具の新作は作られないだろうし、修理も皆で押し付け合う状況が想像できる。
今は都合がよいのでエリックは魔導師でもあるからと魔道具の修理を申し出た。
ステラ師匠が公爵令嬢かつ、魔導師であったということは有名だ。今も現役であることも。そのため公爵家の使用人には何人かは魔導師がいると嘘の説明をしている。
最初は胡散臭そうな表情で見ていたオーナーも今は、信用したようで少し申し訳なさそうな表情だった。
弟子として公爵家とその領地にちょっとだけ暮らしたことがあるため試されるような質問にも淀みなく答えたことで信用したらしい。
「別の仕事を頼んで申し訳ないですね」
「問題がないのを確認するのも仕事だ。気にしないでくれ」
その部屋は錠が下ろされていた。
「では、よろしくお願いします」
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重い扉を押すと見えたのは書斎に見えた。黒檀のように黒い家具と書棚が部屋を重苦しく見せている。その奥に寝室と浴室があった。
事前に調べたことによればここは元々のこの屋敷の主人が住んでいた部屋らしい。
この屋敷はかつて、魔導師が住んでいた。それが借金を残して消え、借金の形に屋敷は差し押さえられ現在は宿となっている。
王族用の部屋は元々何もなかった大部屋を改装しているので、当時の原型はない。
「……まだ残ってる」
アリカの気配に似た神威の欠片。
ツイ様と呼ばれる異界の神の一部がやってきた残滓だ。
室内を見回せば、壁紙に似せて作られた呪式が刻まれていた。一部不自然に切れているが、大部分は稼働している。
ある魔導師が夢想した。
皆の良い夢を繋げれば幸せになれるかもしれないと。そこの楽園ができるかもしれないと。
実際は、不自然に繋ぎ合わされた不気味な夢になった。奇妙に居心地の良い、悪夢。
エリックは修理する気はない。修復に失敗したと嘘をつくことにして破壊するつもりだった。前に壊すべきだったが、記憶を封じられたせいで処理が半端で放置されていた。ここの魔道具の影響がここ最近というなら必要な魔素が溜まらず稼働していなかったのだろう。
あるいは、知っていて使っていたか。あれは普通に良い夢を見るためにも使えはする。
一人でも、悪夢を夢想しなければ、ひどい目にあうことは少ない。
かつてのエリックとアリカは、似たような願望を持っていた。彼にしてみれば、突きつけられてようやく気がついたもの。
「……ん?」
エリックは呪式を声に出さずに構築し、気がついた。饒舌に語るこのリズムに覚えがある。特徴的な構成の仕方は。
気がついたときには睡魔が襲ってきた。
本当に、なにを考えているんだか。
エリックはかつてこれを作った魔法使いに文句を言いたい。
この癖は眠り姫を作った魔法使いに違いない。
「……の眷属たる……の名のもとに命ずる。名を名乗れ」
凛とした声が暴いた名を彼はずいぶんと忘れていた。エリック、そう呼ばれていたのは両親が亡くなるよりも少し前まで。その次は今も呼ばれるディレイと言われるようになった。
どうしてと聞けば、困ったように名を隠す習慣があるのと言われた。
そんなことも、忘れていた。
エリックの名を奪った少女は出来てしまったことに唖然としていた。悪気はないのです、悪気はと言い訳がましかったが、ぼそりぼそりと自分の事情を話始めた。
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あははと困ったように笑っていた。
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ただ、拾った理由とどう説明するのか頭が痛かった。エリックは一時的に単独行動をしていたにすぎない。用事が終われば、元の仕事に戻らねばならない。それは子供が同行できる状況ではない。
エリックはもっともらし言いわけを考えて放り投げた。どう考えても真っ当な言いわけにならない。もっともらしいほうが怪しく聞こえてくる。にじみ出る誘拐事件臭と少女から指摘されるほどだった。
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この説明は魔導師を知らないものほどあっさり納得し、知るものには怪訝そうな顔をされてしまった。
それでも近くの魔導協会の支部までと約束して、連れていけたのは良かった。
エリックは、兄弟弟子に女性も多かったので世話はそれなりに理解している。しかし、それが許されたのは成人前でさらに近い年であったからだ。さすがにこの年で女の子の世話はできない。
幸い、ある程度は自分で出来るのでそれほど女性の手が必要ではなかったが、全く不要でもない。
人懐っこい性格の少女はすぐに馴染んだように見えた。エリックからすれば異常に思えた。このくらいの子供が異界にやってきて普通に生活するよりも、親や故郷を恋しがるほうが普通だと感じる。
それをエリックが指摘すれば、少し困ったように、いつものことなのでと彼女は笑った。なんでもないことだと言い張るが、やはり強がりに見えた。
一人で何とかしなくちゃいけないんですとにこりと笑うのが痛々しかった。
それはいつかの自分と重なって見えたのは、仕方がない。頼れる誰かがいればと思ったこともあった。
エリックにとって頼れる誰かやってきたのは、とても遅かったけれど確かに手は差し伸べられた。
ここにいる間だけでもと手を差し出したのは正しかったのかわからない。
ただ、少しだけ、辛さを吐き出すようになった。
彼女にとってその力は重荷でありながら、そう言うことが許されない状況でだったらしい。遠からず神域で仕えることになっていて、ある程度育つまでしか人の世にいることができないと。
祝福されているというけれど、呪いみたい。
ちょっと逃げちゃいたいんです。
なんて冗談です、ちゃんとしますと笑うから。
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第一章:アカデミー&聖女覚醒編
第二章:勇者パーティ結成&魔王討伐軍北上編
第三章:帰郷&魔将・魔王決戦編
※「小説家になろう」にも掲載(異世界転生・恋愛12位)
※ アルファポリス完結ファンタジー8位。応援ありがとうございます。
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