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その後
君を待つ
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その日、セレステは窓辺に椅子を引き寄せ、ずっと外──正確には中庭──を見つめていた。そこは玄関へのアプローチとなっている。
今日、彼から来ると連絡があったのだ。到着を待たないはずがない。
朝からそこに張り付いているセレステに、アスールは半ば呆れ返って苦笑する。
「セス。少しこちらに来てお茶でも飲まないか? 少しくらい離れても、彼を見逃しはしないよ」
「…あと少しだけ」
ちらとも振り返らず、一心に窓辺から外を覗くセレステに、アスールは誘う事は諦めたよう。小さなため息が聞こえたが、気づかない振りをした。
自分でも子ども地味た行動だと思っている。
でも、嬉しくて。待ち遠しくて。
孤児院で去っていくソルを見ていた時とは違うのだ。
「あ…」
門の向こうに車が止まり、窓越しに警備員と言葉を交わした後、門が開き入って来る。
ここからは見えないが、ソルに間違いなかった。他に訪ねて来るものなどいないのだ。
「見てくる──」
「セス? ここで待っていれば─…」
アスールの言葉を最後まで聞かずに、階下へと階段を駆けおりる。丁度、執事が玄関扉を開けた所だった。
「ソル!」
手摺から乗り出すようにして声をかければ、赤毛の頭が不意にあげられた。
「セス!」
鳶色の瞳がセレステを捉えて、にこりと笑む。
ああ。ソルだ──。
あれから三ヶ月程。
もの好きな鳥がようやく訪れた。
会いに行くと連絡があったのは、一週間ほど前。今か今かと心待ちにし。
久しぶりに見たソルは、以前よりも日に焼けた様。その傍らに、当然の様に立つ男もまた、健康的な印象を受けた。
アレクシス──。
こちらを見上げる視線からは、感情を読み取る事は出来ない。ソルが声をかけた事で視線が逸らされた。ソルを見つめる視線は優しい。
相変わらず、だな──。
二人の間に隙間風が吹くことはない様だった。
セレステの案内でニ階にある応接間へと向かう。
+++
「ソル。元気そうだ…」
応接間に入って直ぐ、椅子に座るのも惜しむようにソルの向いに立ち、二の腕に手をかける。
「セスも。──って、『セレステ』でいいのか?」
セレステは笑むと。
「今更、昔の名前で何て呼ばなくていいよ。…捨てた名前だ」
カエルラ、なんて。
呼ばれていた頃の記憶は無いに等しい。それより、『セレステ』で育って来た時間の方が長いのだ。
「…じゃあ、改めて、セス。元気そうで何よりだ。…ずっと心配だった」
ソルが軽く肩に手を置いてきた。その手に自分の手を重ねると。
「…大丈夫だよ。アスールもいたしね。でも、本音はソルに会いたくて…。ただ、会いには行けないからさ。来てくれて良かった」
途中、やや後方に控えているアレクに目を向けたが、やはりそこから何も読み取る事は出来ない。青いガラス玉の様な瞳がこちらに向けられているだけだ。
「アレクは死亡した事になっているけれど、何処に目があるか分からない。ある程度は用心しないといけなくて…。これでも、早く出て来られた方なんだ」
「うん。そうだね。──アレクも、ありがとう…。セスを連れて来てくれて」
そこでようやくアレクの目に感情の揺らぎが見えた気がした。
「ソルたっての願いだったからな。出来る限り早く来られる様、力を尽くした。──元気そうで良かった」
そこでアレクが手を差し出す。セレステも右手を差し出し握り返した。
力強い手。やはり、幾分、アレクも日に焼けた気がする。
そこでアスールが声をかけた。
「さあ。立ち話はこれくらいにして、こちらでお茶でもどうぞ」
+++
アスールが、皆をテラスのテーブルへと案内する。
質のいい木製のテーブルの上には、白磁のティーセットと共に、サンドイッチやスコーン、小ぶりなケーキが並べられていた。
緑の間から溢れる日差しに、それらが揺れているように見える。
ソルとアレクは隣りあって座り、セレステはその向かいに座った。アスールも給仕を終えてセレステの隣ヘ座る。
「日に焼けた様に見えるけど…。何かしているの?」
ソルはこうして見ると、明らかに日焼けしていた。赤毛に焼けた素肌がとても健康的に見える。
ソルは後ろ髪をかき上げつつ。
「ああ…、うん。農作業とか土地の探査とか…。色々やることがあるんだ。人手が少ないから、一日中、外に出っ放しでさ。日射しはそこまで強くは無いんだけど、光線の具合で焼けやすいみたいで──」
「皆、作業してるの?」
「してる。ザインなんか率先して動いてるよ。嫌がるゼストスの尻を叩いてさ。ゼストスは探査の方が好きみたいだけど…」
「ゼストスは…どうしてる?」
一度は関係も持った。彼も巻き込んでしまったうちの一人で。ずっと気にはなっていた。
「元気だよ。セスによろしくってさ。お互い、幸せを見つけようって言ってた」
「そうか…」
幸せを──。
ゼストスは、もう見つけたのだろう。
日に焼けたソルに目を向けた。彼を中心に楽しくゆったりとした、幸福に満ちた時間が過ぎているのだろう。
僕も見つけたよ。
アスールとここで穏やかな日々を過ごし、ようやく呼吸をしだした気がする。
人として、幸せに生きる道を。
「そう言えば、彼──ユラナスは? 来ていないの?」
自分のもう一人の兄だ。
あれ以来、会ってもいない。会った所で話すことは何もないのだろうが。
「いるよ。車で待ってるって言って聞かなくて…。いいよ。呼んでくる。会いたいだろ?」
ソルが気を効かせ呼びに行こうとするが。
「いいよ。会いたくないのなら、無理に呼んで来なくても──」
「そんな事ないんだ。あれでいて、結構気にしているんだから。ちょっと待ってて!」
先程までのセレステのようだった。話し途中で階下へと姿を消してしまう。
「いいのに…」
そう呟けば、アレクは笑って。
「ソルはあれから、ユラナスの事をだいぶ理解してな。私より詳しいくらいだ」
それを許すほど、ソルに気を許していると言うことでもある。
アスールが給仕に代わって、皆にお茶を足して行った。すっきりとした、でも品のある香りが漂う。
茶葉はアレクが差し入れた物だった。
母が愛飲していたもの。僅かだが取ってあった物が見つかったのだという。今はその茶葉も科学を駆使して製造中なのだとか。
科学肥料や農薬を使わない、自然の力を活かした栽培方法ありなのだという。
食物も同じ要領で自家栽培しているらしい。
まるで、今までの生き方とは違う。
「…全て、失敗に終わって良かった」
あの時、成功していれば、今ある幸せを手にする事は出来なかった。
「そうだな…」
セレステの呟きにアレクが笑みを浮かべて同意した。
+++
少し開いていた扉の向こうから、廊下で話すソルの声が聞こえて来る。
「──だからさ、会うだけ。こんにちは、だけでもいいんだから──いいや。だって、次にいつ会えるか分からないだろ? 絶対、後悔するから会って挨拶くらい──ユラナス!」
最後は口調もキツくなっていた。子どもを叱る親の様だ。思わず苦笑を漏らすと、そこで扉が開く。
「ほら、ユラナス──」
背を押される様にして、ユラナスが部屋に入って来る。以前より短く刈られた髪が、まるで別人の様に見せていた。同じく日に焼けている。
視線が集まったのを見て、気まずそうに目を逸らすと。
「…すみません。歓談中に」
「気にするな。私もそのつもりで連れて来たんだ。今更、側付など必要ないからな?」
「アレク様…」
「様も必要ない──そう、何度も言っているんだがな。セレステ、もう一人の兄だ。ろくにお互い挨拶もしていないだろう?」
そこでユラナスと初めてまともに目があった。灰銀色の瞳がセレステを捉える。
似ていると言えばそんな気もするが──。
「こう見ると、アレクより似てるね? 二人とも父親似なのか?」
「…私は父と似ていますが──」
ユラナスは視線を落した。不義の結果、産まれた事もある。その存在が気に入らないのだろうか。
しかし、ユラナスは再び視線を上げると。
「──いえ。確かにセレステも似ています。父に…」
真っ直ぐ見つめてきた。
「そうなんだ? やっぱり、兄弟なんだな。…いいなぁ。俺はひとりっ子だし」
ソルはアレクの傍らに座り直すと、背もたれに寄りかかり羨ましげにそう口にした。
すると直ぐにアレクが。
「ソルには私がいる。それに、皆、家族同然だ。血の繋がりばかりが重要ではない」
やや身を乗り出し、ソルの手首を掴むと、真剣な眼差しでそう告げる。ソルは少し面食らった様にアレクを見返し。
「あ、ああ。──うん。そうだな。皆がいる…」
照れ臭そうに笑んで見せたが。そこへ畳み掛けるように、ユラナスが。
「私も──アレクと同じです。あなたを他人だとは思っていません。あなたが少しでもそう感じているなら、直ぐにでも態度を改めます」
「いいって! ごめん。余計なこと言った…。別に寂しいとかじゃなく、単純にそう思っただけなんだ…。俺はちっとも寂しくないし、皆がいてくれるから、ずっと幸せだよ」
困った様に口にしたあと、気恥ずかしそうに俯く。セレステは笑むと。
「ソルには兄も弟も──全部、揃ってる。僕はソルを大切に思ってる。──とてもね。特別な存在だ。ユラナス同様、一度も他人だと思った事はないよ。…一度もね」
ずっと、恋人になりたいと、そう思っていたのだ。自分は抱かれる事しかなかったが、抱きたいと思ったのはソルだけで。
手に入れたいと何度思ったか──。
それはアレクの手前、口にはしなかった。それに、アスールもいる。要らぬ火種は生みたくない。
しかし、言わんとすることに勘づいたアレクが、更にソルを自分の方へ引き寄せると。
「ただし…ソルのパートナーは、今後、一生私一人だ。どんなに家族が増えてもな」
こちらにチラと向けられた視線が厳しい。
まったく。
アレクの独占欲は異常だと思っている。実の弟だろうと容赦ない。
「わかってる…。ほら、アレクそんな顔するなよ。もう、あんな事は言わない。機嫌直せって」
ソルはそっとアレクの頬に手を触れさせた。それでようやくアレクも落ち着く。
「そうしよう」
+++
その後も互いの近況を報告しあい、和やかな時間が過ぎて行った。
ソルが一旦、席を外し戻って来ると、セレステを中心に、アレクとユラナスが何事か話している。
静かに語り合う様子に、兄弟水入らずを邪魔したくなくて、少し離れた所に足を止めてその様子を眺めた。
三人の上には、木漏れ日が降り注いでいる。アレクとセスの金糸や、ユラナスの白銀の髪が風にそよぎ、時折それが光って見えた。
誰にも邪魔させたくない時間だ。
そうしていると、アスールが声をかけて来た。
「彼らがこうして穏やかに話せる時が来て良かったよ」
ポットを手にしている。紅茶を交換に来たらしい。アスールも手元の動きを止めて、テラスに目を向けている。
「そうですね。…あの──セスのこと、これからもよろしくお願いします」
「ずっと、大切にしていくよ。…未だに君の事が一番らしいが、それごと、セレステが好きなんだ。…愛している」
そのストレートな告白に、ソルは嬉しくなった。
「良かった。セスは素直じゃない。俺への思いとはまた違った意味で、アスールの事が大切なはずです。保証します」
「ああ。そうかな? そう願うよ…。君が──セスに目を向けなくて良かった。そうしたら勝ち目がなかったよ」
「…そんなこと。俺がセスに持つのは兄弟に対するそれに近い…。きっと、もっと昔に思いを告白されても、応えられなかったと思います…」
アスールは一度、目を伏せ小さく笑うと。
「そう言う事にしておこう。…ああ、アレクがこちらを気にしてる。行こうか?」
換えの紅茶を手にしたアスールと共に三人の待つテラスへと戻って行った。
もし、アレクと会う前。あの孤児院からの旅立ちの時。セレステから想いを告白されていたならどうなっていたのか。
──それは、誰も分からない。
けれど。それでも、アレクに会ったなら俺は──。
こちらに目を向けているアレクを見つめ返す。
きっと、この存在に強く惹かれただろう。
+++
とうとう時間が来て、別れの時刻となった。
「ソル…」
セレステの呼び掛けに、ソルが笑みを浮かべる。
気を利かせたのか、アレクとユラナスは先に階下へと降りて行った。勿論、声があがれば直ぐに駆けつけられる場所にいるのだろう。アスールも一緒だ。
「また、来るよ。そんな顔するなって」
「……」
別れたくない。帰したくない。このまま、君を連れ去ってしまいたい。
それが出来ないなら、せめて──。
手を伸ばし、ソルの手首を掴み引き寄せた。予期していなかった行動に、ソルの目が見開かれる。
キスしたい。
「…セス?」
小首をかしげたソルに、思いとどまる。
もし、ここで手を出せば、きっと次はない。幾らソルが黙っていても、アレクなら気がつく。
すると、ああとソルは笑って、ひょいとセスの首に手を掛け自分は伸びをすると、唇の端にそっとキスを落した。
「──昔、してた挨拶のキスだ。これくらいなら、いいだろ?…またな?」
「──…」
正直、驚いた。声も出せないくらい。
ソルは身体を離すと踵を返す。セレステはクッと手を握り締めたあと。
「ソル! 待ってる──…! ずっと…」
すると、ソルは振り返って。
「わかってる。また直ぐ来るって」
笑顔が弾ける。
まるで、光の塊だった。
きっと。当分、この思いを消す事は出来ないだろう。
アレクやアスールに悪いとは思いつつも。
大好きだ。僕の──ソル。
+++
帰途についた艦の中で、アレクは外を映すスクリーンの前に立ちながら。
「あいつはまだ君に思いを残しているようだな?」
「そうか? アスールもいるし…。きっと、自分の本心に気づいていないだけだよ」
傍らに立つソルはアレクを見上げそう答える。アレクは納得がいかない表情を見せたが。
「…だといいが。まあ、そう言う事にしておこう」
スクリーンには緑の大地が広がって見えた。惑星セグンドだ。
「…家に帰ろう。皆が──家族が待ってる」
「うん」
アレクの腕に手を絡めると、肩にそっと頭を預けた。
緑の向こうには、温かで穏やかな日々が待っている。
ー了ー
今日、彼から来ると連絡があったのだ。到着を待たないはずがない。
朝からそこに張り付いているセレステに、アスールは半ば呆れ返って苦笑する。
「セス。少しこちらに来てお茶でも飲まないか? 少しくらい離れても、彼を見逃しはしないよ」
「…あと少しだけ」
ちらとも振り返らず、一心に窓辺から外を覗くセレステに、アスールは誘う事は諦めたよう。小さなため息が聞こえたが、気づかない振りをした。
自分でも子ども地味た行動だと思っている。
でも、嬉しくて。待ち遠しくて。
孤児院で去っていくソルを見ていた時とは違うのだ。
「あ…」
門の向こうに車が止まり、窓越しに警備員と言葉を交わした後、門が開き入って来る。
ここからは見えないが、ソルに間違いなかった。他に訪ねて来るものなどいないのだ。
「見てくる──」
「セス? ここで待っていれば─…」
アスールの言葉を最後まで聞かずに、階下へと階段を駆けおりる。丁度、執事が玄関扉を開けた所だった。
「ソル!」
手摺から乗り出すようにして声をかければ、赤毛の頭が不意にあげられた。
「セス!」
鳶色の瞳がセレステを捉えて、にこりと笑む。
ああ。ソルだ──。
あれから三ヶ月程。
もの好きな鳥がようやく訪れた。
会いに行くと連絡があったのは、一週間ほど前。今か今かと心待ちにし。
久しぶりに見たソルは、以前よりも日に焼けた様。その傍らに、当然の様に立つ男もまた、健康的な印象を受けた。
アレクシス──。
こちらを見上げる視線からは、感情を読み取る事は出来ない。ソルが声をかけた事で視線が逸らされた。ソルを見つめる視線は優しい。
相変わらず、だな──。
二人の間に隙間風が吹くことはない様だった。
セレステの案内でニ階にある応接間へと向かう。
+++
「ソル。元気そうだ…」
応接間に入って直ぐ、椅子に座るのも惜しむようにソルの向いに立ち、二の腕に手をかける。
「セスも。──って、『セレステ』でいいのか?」
セレステは笑むと。
「今更、昔の名前で何て呼ばなくていいよ。…捨てた名前だ」
カエルラ、なんて。
呼ばれていた頃の記憶は無いに等しい。それより、『セレステ』で育って来た時間の方が長いのだ。
「…じゃあ、改めて、セス。元気そうで何よりだ。…ずっと心配だった」
ソルが軽く肩に手を置いてきた。その手に自分の手を重ねると。
「…大丈夫だよ。アスールもいたしね。でも、本音はソルに会いたくて…。ただ、会いには行けないからさ。来てくれて良かった」
途中、やや後方に控えているアレクに目を向けたが、やはりそこから何も読み取る事は出来ない。青いガラス玉の様な瞳がこちらに向けられているだけだ。
「アレクは死亡した事になっているけれど、何処に目があるか分からない。ある程度は用心しないといけなくて…。これでも、早く出て来られた方なんだ」
「うん。そうだね。──アレクも、ありがとう…。セスを連れて来てくれて」
そこでようやくアレクの目に感情の揺らぎが見えた気がした。
「ソルたっての願いだったからな。出来る限り早く来られる様、力を尽くした。──元気そうで良かった」
そこでアレクが手を差し出す。セレステも右手を差し出し握り返した。
力強い手。やはり、幾分、アレクも日に焼けた気がする。
そこでアスールが声をかけた。
「さあ。立ち話はこれくらいにして、こちらでお茶でもどうぞ」
+++
アスールが、皆をテラスのテーブルへと案内する。
質のいい木製のテーブルの上には、白磁のティーセットと共に、サンドイッチやスコーン、小ぶりなケーキが並べられていた。
緑の間から溢れる日差しに、それらが揺れているように見える。
ソルとアレクは隣りあって座り、セレステはその向かいに座った。アスールも給仕を終えてセレステの隣ヘ座る。
「日に焼けた様に見えるけど…。何かしているの?」
ソルはこうして見ると、明らかに日焼けしていた。赤毛に焼けた素肌がとても健康的に見える。
ソルは後ろ髪をかき上げつつ。
「ああ…、うん。農作業とか土地の探査とか…。色々やることがあるんだ。人手が少ないから、一日中、外に出っ放しでさ。日射しはそこまで強くは無いんだけど、光線の具合で焼けやすいみたいで──」
「皆、作業してるの?」
「してる。ザインなんか率先して動いてるよ。嫌がるゼストスの尻を叩いてさ。ゼストスは探査の方が好きみたいだけど…」
「ゼストスは…どうしてる?」
一度は関係も持った。彼も巻き込んでしまったうちの一人で。ずっと気にはなっていた。
「元気だよ。セスによろしくってさ。お互い、幸せを見つけようって言ってた」
「そうか…」
幸せを──。
ゼストスは、もう見つけたのだろう。
日に焼けたソルに目を向けた。彼を中心に楽しくゆったりとした、幸福に満ちた時間が過ぎているのだろう。
僕も見つけたよ。
アスールとここで穏やかな日々を過ごし、ようやく呼吸をしだした気がする。
人として、幸せに生きる道を。
「そう言えば、彼──ユラナスは? 来ていないの?」
自分のもう一人の兄だ。
あれ以来、会ってもいない。会った所で話すことは何もないのだろうが。
「いるよ。車で待ってるって言って聞かなくて…。いいよ。呼んでくる。会いたいだろ?」
ソルが気を効かせ呼びに行こうとするが。
「いいよ。会いたくないのなら、無理に呼んで来なくても──」
「そんな事ないんだ。あれでいて、結構気にしているんだから。ちょっと待ってて!」
先程までのセレステのようだった。話し途中で階下へと姿を消してしまう。
「いいのに…」
そう呟けば、アレクは笑って。
「ソルはあれから、ユラナスの事をだいぶ理解してな。私より詳しいくらいだ」
それを許すほど、ソルに気を許していると言うことでもある。
アスールが給仕に代わって、皆にお茶を足して行った。すっきりとした、でも品のある香りが漂う。
茶葉はアレクが差し入れた物だった。
母が愛飲していたもの。僅かだが取ってあった物が見つかったのだという。今はその茶葉も科学を駆使して製造中なのだとか。
科学肥料や農薬を使わない、自然の力を活かした栽培方法ありなのだという。
食物も同じ要領で自家栽培しているらしい。
まるで、今までの生き方とは違う。
「…全て、失敗に終わって良かった」
あの時、成功していれば、今ある幸せを手にする事は出来なかった。
「そうだな…」
セレステの呟きにアレクが笑みを浮かべて同意した。
+++
少し開いていた扉の向こうから、廊下で話すソルの声が聞こえて来る。
「──だからさ、会うだけ。こんにちは、だけでもいいんだから──いいや。だって、次にいつ会えるか分からないだろ? 絶対、後悔するから会って挨拶くらい──ユラナス!」
最後は口調もキツくなっていた。子どもを叱る親の様だ。思わず苦笑を漏らすと、そこで扉が開く。
「ほら、ユラナス──」
背を押される様にして、ユラナスが部屋に入って来る。以前より短く刈られた髪が、まるで別人の様に見せていた。同じく日に焼けている。
視線が集まったのを見て、気まずそうに目を逸らすと。
「…すみません。歓談中に」
「気にするな。私もそのつもりで連れて来たんだ。今更、側付など必要ないからな?」
「アレク様…」
「様も必要ない──そう、何度も言っているんだがな。セレステ、もう一人の兄だ。ろくにお互い挨拶もしていないだろう?」
そこでユラナスと初めてまともに目があった。灰銀色の瞳がセレステを捉える。
似ていると言えばそんな気もするが──。
「こう見ると、アレクより似てるね? 二人とも父親似なのか?」
「…私は父と似ていますが──」
ユラナスは視線を落した。不義の結果、産まれた事もある。その存在が気に入らないのだろうか。
しかし、ユラナスは再び視線を上げると。
「──いえ。確かにセレステも似ています。父に…」
真っ直ぐ見つめてきた。
「そうなんだ? やっぱり、兄弟なんだな。…いいなぁ。俺はひとりっ子だし」
ソルはアレクの傍らに座り直すと、背もたれに寄りかかり羨ましげにそう口にした。
すると直ぐにアレクが。
「ソルには私がいる。それに、皆、家族同然だ。血の繋がりばかりが重要ではない」
やや身を乗り出し、ソルの手首を掴むと、真剣な眼差しでそう告げる。ソルは少し面食らった様にアレクを見返し。
「あ、ああ。──うん。そうだな。皆がいる…」
照れ臭そうに笑んで見せたが。そこへ畳み掛けるように、ユラナスが。
「私も──アレクと同じです。あなたを他人だとは思っていません。あなたが少しでもそう感じているなら、直ぐにでも態度を改めます」
「いいって! ごめん。余計なこと言った…。別に寂しいとかじゃなく、単純にそう思っただけなんだ…。俺はちっとも寂しくないし、皆がいてくれるから、ずっと幸せだよ」
困った様に口にしたあと、気恥ずかしそうに俯く。セレステは笑むと。
「ソルには兄も弟も──全部、揃ってる。僕はソルを大切に思ってる。──とてもね。特別な存在だ。ユラナス同様、一度も他人だと思った事はないよ。…一度もね」
ずっと、恋人になりたいと、そう思っていたのだ。自分は抱かれる事しかなかったが、抱きたいと思ったのはソルだけで。
手に入れたいと何度思ったか──。
それはアレクの手前、口にはしなかった。それに、アスールもいる。要らぬ火種は生みたくない。
しかし、言わんとすることに勘づいたアレクが、更にソルを自分の方へ引き寄せると。
「ただし…ソルのパートナーは、今後、一生私一人だ。どんなに家族が増えてもな」
こちらにチラと向けられた視線が厳しい。
まったく。
アレクの独占欲は異常だと思っている。実の弟だろうと容赦ない。
「わかってる…。ほら、アレクそんな顔するなよ。もう、あんな事は言わない。機嫌直せって」
ソルはそっとアレクの頬に手を触れさせた。それでようやくアレクも落ち着く。
「そうしよう」
+++
その後も互いの近況を報告しあい、和やかな時間が過ぎて行った。
ソルが一旦、席を外し戻って来ると、セレステを中心に、アレクとユラナスが何事か話している。
静かに語り合う様子に、兄弟水入らずを邪魔したくなくて、少し離れた所に足を止めてその様子を眺めた。
三人の上には、木漏れ日が降り注いでいる。アレクとセスの金糸や、ユラナスの白銀の髪が風にそよぎ、時折それが光って見えた。
誰にも邪魔させたくない時間だ。
そうしていると、アスールが声をかけて来た。
「彼らがこうして穏やかに話せる時が来て良かったよ」
ポットを手にしている。紅茶を交換に来たらしい。アスールも手元の動きを止めて、テラスに目を向けている。
「そうですね。…あの──セスのこと、これからもよろしくお願いします」
「ずっと、大切にしていくよ。…未だに君の事が一番らしいが、それごと、セレステが好きなんだ。…愛している」
そのストレートな告白に、ソルは嬉しくなった。
「良かった。セスは素直じゃない。俺への思いとはまた違った意味で、アスールの事が大切なはずです。保証します」
「ああ。そうかな? そう願うよ…。君が──セスに目を向けなくて良かった。そうしたら勝ち目がなかったよ」
「…そんなこと。俺がセスに持つのは兄弟に対するそれに近い…。きっと、もっと昔に思いを告白されても、応えられなかったと思います…」
アスールは一度、目を伏せ小さく笑うと。
「そう言う事にしておこう。…ああ、アレクがこちらを気にしてる。行こうか?」
換えの紅茶を手にしたアスールと共に三人の待つテラスへと戻って行った。
もし、アレクと会う前。あの孤児院からの旅立ちの時。セレステから想いを告白されていたならどうなっていたのか。
──それは、誰も分からない。
けれど。それでも、アレクに会ったなら俺は──。
こちらに目を向けているアレクを見つめ返す。
きっと、この存在に強く惹かれただろう。
+++
とうとう時間が来て、別れの時刻となった。
「ソル…」
セレステの呼び掛けに、ソルが笑みを浮かべる。
気を利かせたのか、アレクとユラナスは先に階下へと降りて行った。勿論、声があがれば直ぐに駆けつけられる場所にいるのだろう。アスールも一緒だ。
「また、来るよ。そんな顔するなって」
「……」
別れたくない。帰したくない。このまま、君を連れ去ってしまいたい。
それが出来ないなら、せめて──。
手を伸ばし、ソルの手首を掴み引き寄せた。予期していなかった行動に、ソルの目が見開かれる。
キスしたい。
「…セス?」
小首をかしげたソルに、思いとどまる。
もし、ここで手を出せば、きっと次はない。幾らソルが黙っていても、アレクなら気がつく。
すると、ああとソルは笑って、ひょいとセスの首に手を掛け自分は伸びをすると、唇の端にそっとキスを落した。
「──昔、してた挨拶のキスだ。これくらいなら、いいだろ?…またな?」
「──…」
正直、驚いた。声も出せないくらい。
ソルは身体を離すと踵を返す。セレステはクッと手を握り締めたあと。
「ソル! 待ってる──…! ずっと…」
すると、ソルは振り返って。
「わかってる。また直ぐ来るって」
笑顔が弾ける。
まるで、光の塊だった。
きっと。当分、この思いを消す事は出来ないだろう。
アレクやアスールに悪いとは思いつつも。
大好きだ。僕の──ソル。
+++
帰途についた艦の中で、アレクは外を映すスクリーンの前に立ちながら。
「あいつはまだ君に思いを残しているようだな?」
「そうか? アスールもいるし…。きっと、自分の本心に気づいていないだけだよ」
傍らに立つソルはアレクを見上げそう答える。アレクは納得がいかない表情を見せたが。
「…だといいが。まあ、そう言う事にしておこう」
スクリーンには緑の大地が広がって見えた。惑星セグンドだ。
「…家に帰ろう。皆が──家族が待ってる」
「うん」
アレクの腕に手を絡めると、肩にそっと頭を預けた。
緑の向こうには、温かで穏やかな日々が待っている。
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