カーマン・ライン

マン太

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その後

君を待つ

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 その日、セレステは窓辺に椅子を引き寄せ、ずっと外──正確には中庭──を見つめていた。そこは玄関へのアプローチとなっている。
 今日、彼から来ると連絡があったのだ。到着を待たないはずがない。
 朝からそこに張り付いているセレステに、アスールは半ば呆れ返って苦笑する。

「セス。少しこちらに来てお茶でも飲まないか? 少しくらい離れても、彼を見逃しはしないよ」

「…あと少しだけ」

 ちらとも振り返らず、一心に窓辺から外を覗くセレステに、アスールは誘う事は諦めたよう。小さなため息が聞こえたが、気づかない振りをした。
 自分でも子ども地味た行動だと思っている。

 でも、嬉しくて。待ち遠しくて。

 孤児院で去っていくソルを見ていた時とは違うのだ。

「あ…」

 門の向こうに車が止まり、窓越しに警備員と言葉を交わした後、門が開き入って来る。
 ここからは見えないが、ソルに間違いなかった。他に訪ねて来るものなどいないのだ。

「見てくる──」

「セス? ここで待っていれば─…」

 アスールの言葉を最後まで聞かずに、階下へと階段を駆けおりる。丁度、執事が玄関扉を開けた所だった。

「ソル!」

 手摺から乗り出すようにして声をかければ、赤毛の頭が不意にあげられた。

「セス!」

 鳶色の瞳がセレステを捉えて、にこりと笑む。

 ああ。ソルだ──。

 あれから三ヶ月程。
 もの好きな鳥がようやく訪れた。
 会いに行くと連絡があったのは、一週間ほど前。今か今かと心待ちにし。
 久しぶりに見たソルは、以前よりも日に焼けた様。その傍らに、当然の様に立つ男もまた、健康的な印象を受けた。

 アレクシス──。

 こちらを見上げる視線からは、感情を読み取る事は出来ない。ソルが声をかけた事で視線が逸らされた。ソルを見つめる視線は優しい。

 相変わらず、だな──。

 二人の間に隙間風が吹くことはない様だった。
 セレステの案内でニ階にある応接間へと向かう。

+++

「ソル。元気そうだ…」

 応接間に入って直ぐ、椅子に座るのも惜しむようにソルの向いに立ち、二の腕に手をかける。

「セスも。──って、『セレステ』でいいのか?」
 
 セレステは笑むと。

「今更、昔の名前で何て呼ばなくていいよ。…捨てた名前だ」

 カエルラ、なんて。

 呼ばれていた頃の記憶は無いに等しい。それより、『セレステ』で育って来た時間の方が長いのだ。
 
「…じゃあ、改めて、セス。元気そうで何よりだ。…ずっと心配だった」

 ソルが軽く肩に手を置いてきた。その手に自分の手を重ねると。

「…大丈夫だよ。アスールもいたしね。でも、本音はソルに会いたくて…。ただ、会いには行けないからさ。来てくれて良かった」

 途中、やや後方に控えているアレクに目を向けたが、やはりそこから何も読み取る事は出来ない。青いガラス玉の様な瞳がこちらに向けられているだけだ。

「アレクは死亡した事になっているけれど、何処に目があるか分からない。ある程度は用心しないといけなくて…。これでも、早く出て来られた方なんだ」

「うん。そうだね。──アレクも、ありがとう…。セスを連れて来てくれて」

 そこでようやくアレクの目に感情の揺らぎが見えた気がした。

「ソルたっての願いだったからな。出来る限り早く来られる様、力を尽くした。──元気そうで良かった」

 そこでアレクが手を差し出す。セレステも右手を差し出し握り返した。
 力強い手。やはり、幾分、アレクも日に焼けた気がする。
 そこでアスールが声をかけた。

「さあ。立ち話はこれくらいにして、こちらでお茶でもどうぞ」

+++

 アスールが、皆をテラスのテーブルへと案内する。
 質のいい木製のテーブルの上には、白磁のティーセットと共に、サンドイッチやスコーン、小ぶりなケーキが並べられていた。
 緑の間から溢れる日差しに、それらが揺れているように見える。
 ソルとアレクは隣りあって座り、セレステはその向かいに座った。アスールも給仕を終えてセレステの隣ヘ座る。
 
「日に焼けた様に見えるけど…。何かしているの?」

 ソルはこうして見ると、明らかに日焼けしていた。赤毛に焼けた素肌がとても健康的に見える。
 ソルは後ろ髪をかき上げつつ。

「ああ…、うん。農作業とか土地の探査とか…。色々やることがあるんだ。人手が少ないから、一日中、外に出っ放しでさ。日射しはそこまで強くは無いんだけど、光線の具合で焼けやすいみたいで──」

「皆、作業してるの?」

「してる。ザインなんか率先して動いてるよ。嫌がるゼストスの尻を叩いてさ。ゼストスは探査の方が好きみたいだけど…」

「ゼストスは…どうしてる?」

 一度は関係も持った。彼も巻き込んでしまったうちの一人で。ずっと気にはなっていた。

「元気だよ。セスによろしくってさ。お互い、幸せを見つけようって言ってた」

「そうか…」

 幸せを──。

 ゼストスは、もう見つけたのだろう。
 日に焼けたソルに目を向けた。彼を中心に楽しくゆったりとした、幸福に満ちた時間が過ぎているのだろう。

 僕も見つけたよ。

 アスールとここで穏やかな日々を過ごし、ようやく呼吸をしだした気がする。
 
 人として、幸せに生きる道を。

「そう言えば、彼──ユラナスは? 来ていないの?」

 自分のもう一人の兄だ。
 あれ以来、会ってもいない。会った所で話すことは何もないのだろうが。

「いるよ。車で待ってるって言って聞かなくて…。いいよ。呼んでくる。会いたいだろ?」

 ソルが気を効かせ呼びに行こうとするが。

「いいよ。会いたくないのなら、無理に呼んで来なくても──」

「そんな事ないんだ。あれでいて、結構気にしているんだから。ちょっと待ってて!」

 先程までのセレステのようだった。話し途中で階下へと姿を消してしまう。

「いいのに…」

 そう呟けば、アレクは笑って。

「ソルはあれから、ユラナスの事をだいぶ理解してな。私より詳しいくらいだ」

 それを許すほど、ソルに気を許していると言うことでもある。
 アスールが給仕に代わって、皆にお茶を足して行った。すっきりとした、でも品のある香りが漂う。
 茶葉はアレクが差し入れた物だった。
 母が愛飲していたもの。僅かだが取ってあった物が見つかったのだという。今はその茶葉も科学を駆使して製造中なのだとか。
 科学肥料や農薬を使わない、自然の力を活かした栽培方法ありなのだという。
 食物も同じ要領で自家栽培しているらしい。
 まるで、今までの生き方とは違う。

「…全て、失敗に終わって良かった」

 あの時、成功していれば、今ある幸せを手にする事は出来なかった。

「そうだな…」

 セレステの呟きにアレクが笑みを浮かべて同意した。

+++

 少し開いていた扉の向こうから、廊下で話すソルの声が聞こえて来る。

「──だからさ、会うだけ。こんにちは、だけでもいいんだから──いいや。だって、次にいつ会えるか分からないだろ? 絶対、後悔するから会って挨拶くらい──ユラナス!」

 最後は口調もキツくなっていた。子どもを叱る親の様だ。思わず苦笑を漏らすと、そこで扉が開く。

「ほら、ユラナス──」

 背を押される様にして、ユラナスが部屋に入って来る。以前より短く刈られた髪が、まるで別人の様に見せていた。同じく日に焼けている。
 視線が集まったのを見て、気まずそうに目を逸らすと。

「…すみません。歓談中に」

「気にするな。私もそのつもりで連れて来たんだ。今更、側付など必要ないからな?」

「アレク様…」

「様も必要ない──そう、何度も言っているんだがな。セレステ、もう一人の兄だ。ろくにお互い挨拶もしていないだろう?」

 そこでユラナスと初めてまともに目があった。灰銀色の瞳がセレステを捉える。
 似ていると言えばそんな気もするが──。

「こう見ると、アレクより似てるね? 二人とも父親似なのか?」

「…私は父と似ていますが──」

 ユラナスは視線を落した。不義の結果、産まれた事もある。その存在が気に入らないのだろうか。
 しかし、ユラナスは再び視線を上げると。

「──いえ。確かにセレステも似ています。父に…」

 真っ直ぐ見つめてきた。

「そうなんだ? やっぱり、兄弟なんだな。…いいなぁ。俺はひとりっ子だし」

 ソルはアレクの傍らに座り直すと、背もたれに寄りかかり羨ましげにそう口にした。
 すると直ぐにアレクが。

「ソルには私がいる。それに、皆、家族同然だ。血の繋がりばかりが重要ではない」

 やや身を乗り出し、ソルの手首を掴むと、真剣な眼差しでそう告げる。ソルは少し面食らった様にアレクを見返し。

「あ、ああ。──うん。そうだな。皆がいる…」

 照れ臭そうに笑んで見せたが。そこへ畳み掛けるように、ユラナスが。

「私も──アレクと同じです。あなたを他人だとは思っていません。あなたが少しでもそう感じているなら、直ぐにでも態度を改めます」

「いいって! ごめん。余計なこと言った…。別に寂しいとかじゃなく、単純にそう思っただけなんだ…。俺はちっとも寂しくないし、皆がいてくれるから、ずっと幸せだよ」

 困った様に口にしたあと、気恥ずかしそうに俯く。セレステは笑むと。

「ソルには兄も弟も──全部、揃ってる。僕はソルを大切に思ってる。──とてもね。特別な存在だ。ユラナス同様、一度も他人だと思った事はないよ。…一度もね」

 ずっと、恋人になりたいと、そう思っていたのだ。自分は抱かれる事しかなかったが、抱きたいと思ったのはソルだけで。

 手に入れたいと何度思ったか──。

 それはアレクの手前、口にはしなかった。それに、アスールもいる。要らぬ火種は生みたくない。
 しかし、言わんとすることに勘づいたアレクが、更にソルを自分の方へ引き寄せると。

「ただし…ソルのパートナーは、今後、一生私一人だ。どんなに家族が増えてもな」

 こちらにチラと向けられた視線が厳しい。

 まったく。

 アレクの独占欲は異常だと思っている。実の弟だろうと容赦ない。

「わかってる…。ほら、アレクそんな顔するなよ。もう、あんな事は言わない。機嫌直せって」

 ソルはそっとアレクの頬に手を触れさせた。それでようやくアレクも落ち着く。

「そうしよう」

+++

 その後も互いの近況を報告しあい、和やかな時間が過ぎて行った。

 ソルが一旦、席を外し戻って来ると、セレステを中心に、アレクとユラナスが何事か話している。
 静かに語り合う様子に、兄弟水入らずを邪魔したくなくて、少し離れた所に足を止めてその様子を眺めた。
 三人の上には、木漏れ日が降り注いでいる。アレクとセスの金糸や、ユラナスの白銀の髪が風にそよぎ、時折それが光って見えた。
 誰にも邪魔させたくない時間だ。
 そうしていると、アスールが声をかけて来た。

「彼らがこうして穏やかに話せる時が来て良かったよ」

 ポットを手にしている。紅茶を交換に来たらしい。アスールも手元の動きを止めて、テラスに目を向けている。

「そうですね。…あの──セスのこと、これからもよろしくお願いします」

「ずっと、大切にしていくよ。…未だに君の事が一番らしいが、それごと、セレステが好きなんだ。…愛している」

 そのストレートな告白に、ソルは嬉しくなった。

「良かった。セスは素直じゃない。俺への思いとはまた違った意味で、アスールの事が大切なはずです。保証します」

「ああ。そうかな? そう願うよ…。君が──セスに目を向けなくて良かった。そうしたら勝ち目がなかったよ」

「…そんなこと。俺がセスに持つのは兄弟に対するそれに近い…。きっと、もっと昔に思いを告白されても、応えられなかったと思います…」

 アスールは一度、目を伏せ小さく笑うと。

「そう言う事にしておこう。…ああ、アレクがこちらを気にしてる。行こうか?」

 換えの紅茶を手にしたアスールと共に三人の待つテラスへと戻って行った。

 もし、アレクと会う前。あの孤児院からの旅立ちの時。セレステから想いを告白されていたならどうなっていたのか。
 ──それは、誰も分からない。

 けれど。それでも、アレクに会ったなら俺は──。

 こちらに目を向けているアレクを見つめ返す。

 きっと、この存在に強く惹かれただろう。

+++

 とうとう時間が来て、別れの時刻となった。

「ソル…」

 セレステの呼び掛けに、ソルが笑みを浮かべる。
 気を利かせたのか、アレクとユラナスは先に階下へと降りて行った。勿論、声があがれば直ぐに駆けつけられる場所にいるのだろう。アスールも一緒だ。

「また、来るよ。そんな顔するなって」

「……」

 別れたくない。帰したくない。このまま、君を連れ去ってしまいたい。

 それが出来ないなら、せめて──。

 手を伸ばし、ソルの手首を掴み引き寄せた。予期していなかった行動に、ソルの目が見開かれる。

 キスしたい。

「…セス?」

 小首をかしげたソルに、思いとどまる。
 もし、ここで手を出せば、きっと次はない。幾らソルが黙っていても、アレクなら気がつく。
 すると、ああとソルは笑って、ひょいとセスの首に手を掛け自分は伸びをすると、唇の端にそっとキスを落した。

「──昔、してた挨拶のキスだ。これくらいなら、いいだろ?…またな?」

「──…」

 正直、驚いた。声も出せないくらい。
 ソルは身体を離すと踵を返す。セレステはクッと手を握り締めたあと。

「ソル! 待ってる──…! ずっと…」

 すると、ソルは振り返って。

「わかってる。また直ぐ来るって」

 笑顔が弾ける。
 まるで、光の塊だった。

 きっと。当分、この思いを消す事は出来ないだろう。
 アレクやアスールに悪いとは思いつつも。

 大好きだ。僕の──ソル。

+++

 帰途についた艦の中で、アレクは外を映すスクリーンの前に立ちながら。

「あいつはまだ君に思いを残しているようだな?」

「そうか? アスールもいるし…。きっと、自分の本心に気づいていないだけだよ」

 傍らに立つソルはアレクを見上げそう答える。アレクは納得がいかない表情を見せたが。

「…だといいが。まあ、そう言う事にしておこう」
 
 スクリーンには緑の大地が広がって見えた。惑星セグンドだ。

「…家に帰ろう。皆が──家族が待ってる」

「うん」

 アレクの腕に手を絡めると、肩にそっと頭を預けた。
 緑の向こうには、温かで穏やかな日々が待っている。


ー了ー
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