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第四章
22.記憶
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目の端に白い円状の小さなが映った。
あれは──。
判然としない意識の中、記憶の中にその存在を見つける。
アスールが…。──僕に。
気が付くと灌木に囲まれた荒れ地に蹲っていた。裸の素肌に風が冷たい。
けれど、膝をついた地面は温かかった。なぜ、温かいのか。濡れた心地がするのはなぜか。
「…アスール…?」
傍らに横たわるのはアスールだった。
眉間にしわを寄せ苦痛を耐えている。温かいのはアスールの血だ。右腕が無残な姿を晒している。口に残る血の味。
アスールの──。
それが何か思い当たって、
「っ…、う、ぐっ…」
一気に口にしたものを吐き出す。呼吸が荒い。身体が冷える。吐きながらそこに蹲った。
僕は──とうとう。
「シ、ア…」
「アスール?」
動く左腕が伸ばされ、傍らに蹲るシアンの頬に触れてきた。笑みを浮かべてシアンを見つめる。
「…良かった…。もとに、戻った…」
「ぼ、僕は──こんな、つもりは──。君に助けを求めるつもりで…。君といる間は、自分を取り戻せていた…。途中、兵士に追われ気がついたら…。すまない…」
すると、アスールは何とか半身を起こし、肩から落ちていたローブを残された左手で引き寄せ、シアンの身体にかけた。血で濡れたためずしりと重い。
「…シアン、様。いいんです。行き場がないなら、一緒に行きましょう…。俺が、シアン様を、守ります…」
「無理だ…。だって僕は──っ」
アスールは首をゆっくり振ると。
「…こうして、あなたは…もとに戻れた…。ずっと、そのままでいられることも…きっとできます。心を、強くもてばきっと…。俺が手伝います。だから──っ」
右の肩を支えるようにして身体をかがめる。出血がひどかった。
このままでは。
「いたぞ! あそこだ!」
その声に顔を上げる。新手の兵だった。
「シアン様! 今は…逃げて、下さい…!」
アスールの叫ぶような声に、シアンは飛ぶようにその場を去った。
✢✢✢
アスールの右腕の怪我は酷かった。
悪ければ腕が落ちるだろうし、残っても動かす事は不可能だろう。
剣が持てない。
アスールがどれほどこの剣の腕を頼りにしてきたか知っているだけに辛い。
が。今はそれより、出血が問題だった。
元々毒で弱っていたところへ、この大怪我だ。普段から鍛えているアスールだからもっているようなもの。
全てシアンによるものだ。
アスールを襲った魔獣が去った後、すぐに助け出されたが、呼吸が弱く手当てした後もそれは変わらなかった。今も頼りない息が僅かに漏れるばかり。
警備が薄い訳ではなかった。ルベルの人となりは置いておいても、腕はかなりたつ。その点は安心して任せられたのだが。
「手強いな…」
シアンはやはりただの魔獣ではないらしい。
不思議なのはどうしてここに現れたかだ。ここに軍が駐留しているのは知っていたはず。なのにわざわざ危険を冒してここに現れる理由が分からなかった。単に兵を襲う為だけに現れたとは思えない。
アスールは何か知っているのだろうか。
「…、…?」
そうこうしていれば、閉ざされていた睫毛が震え薄っすらとアスールが目を開いた。カリマは脈を取るため表に出されていた左手を軽く握る。ひんやりと冷たい。
「アスール、気づいたか」
視線を彷徨わせたあと、
「カ…リマ…、シアンさまは…?」
いつかと同じ。真っ先にそれを尋ねるのかとカリマは内心苦く思いながらも。
「逃げて行った様だ。辺りを見回っているが姿はない」
「…カリマ。シアン様は、元に戻れる。頼むから、手を…出さないで欲しい…」
カリマは目を見開いた。
弱った身体でたどたどしくそう口にする。普段なら叶えてやる所だがそう言うわけには行かなかった。
「…今回の襲撃でもかなりの人数がやられた。一命は取り留めたとは言えルベルもその中に含まれる。それに、お前もだ。アスール。…もう、右腕は使えない。そんな状態にしたシアンを許せと言うのか?」
何もかも、シアンは奪っていく。アスールは天井を見つめたまま、
「都合がいい…」
「アスール?」
「これで、ここにいる理由はなくなった…。剣が…使え無ければ、俺なんて…」
「そんな言い方はするな。剣は使えなくとも、いくらでも道はある」
しかしアスールは口元に僅かな笑みを浮かべ軽く首を振ると、
「いいんだ。これで…」
「アスール…」
「シアン様は…俺に助けを求めて来たんだ…。俺なら、シアン様をもとに戻せる…」
「助けを…?」
アスールは頷く。
「俺が回復したら、シアン様を連れて、何処か遠くへ行く。森の奥深く…。いや、もっと遠く、誰も人が来ない場所に…。そのうちきっと、魔物に打ち勝てる…。だから、シアン様を討たないでくれ」
ひたとこちらを見つめてくる。これでシアンがここへ来た理由は分かった。
だが。
「…どうしてそこまで、シアンを庇う? お前の大切にしていたものを奪って行ったんだぞ?」
王もその家族も。城を守る兵士たちも。
あの惨劇は跡を見ただけのカリマも忘れることはできない。
アスールはカリマの言葉に、一旦目を閉じると再び開き。
「その、大切なものには…シアン様も含まれる…」
「アスール」
「もう、何も…失いたく、ないんだ…」
カリマは思わず、その手を強く握り。
「それなら、俺はどうなる? 俺もまた、シアンよってさらに大切なものを奪われることになる。…アスールを、失いたくはないと言ったはずだ」
絞り出すようにそう口にして、アスールを見つめる。
「カリマ…」
「…俺は──アスールが好きだ」
カリマの告白に、アスールは目を大きく見開いたあと、その瞳が潤んだかの様に見えた。しかし、視線を落とし微かに笑むと。
「…もともと、俺じゃだめだろ? エクレール家は何代と続く貴族の家系だ。王家とのかかわりも深い…。カリマはその家長だ…。いくらカリマが思いを向けてくれても、初めから答えは出ている…。セリオンと同じだ。俺は──応えられない。カリマだって、分かっているはずだ」
「忘れろと…?」
「カリマは──いい友人だ。これからも、この先もずっと…」
アスールは目を閉じる。セリオンから聞いた、嫌いだと告白した時のアスールと、今同じ顔をしているのだろう。カリマは何も言えなかった。
「やっぱり、疲れたみたいだ…。少し、眠りたい…」
「…すまない。無理をさせた。──今はよく休め」
握りしめていた手をそっと離す。
「シアン様を、頼む…」
立ち去りかけた背に声がかかる。目を閉じたアスールを振り返った。
そこまで思うのか…。
あくまでシアンの無事を願うアスールに、カリマは沈黙するしかなかった。
もし、シアンを生かしたまま捕えられたなら、もとに戻すことができたなら。アスールはシアンと共に、カリマの知らぬ地へ旅立つのだろうか。
ずっと、アスールを見つめてきた。
それが、終わろうとしている。
アスールを得るためなら、家督も何もかも、捨てていいと思っていた。優秀なものなど幾らでも出てくる。血統が大切なのではない。
アスールが応じるなら。──いや。応じなくとも俺は。
アスールの言葉を背に、カリマは天幕を出た。
✢✢✢
天幕を出ると、冷えた風が身体に吹き付ける。
アスールの本心はあの通りなのか。
うぬぼれるつもりはないが、アスールが自分を拒まなかったのは、心底受け入れられないわけではないと感じていた。
アスールはあるはずの本心を隠してしまう。昔からそうだった。
幼い頃、剣術を習いたいと口にしたのが最初で最後。環境や性質がそうさせるのか、以来アスールの本心を聞いた試しがない。
不審に思い尋ねても、本人はそれが本心だと笑うが、言った後、何処か淋しげな目をしていた。
カリマは背後を振り返る。
これ以上、衰弱したアスールを問いただす事は出来なかった。
とにかく、今はよく休ませて少しでも回復することが先決で。医師もこれ以上、動かすのは良くないと言っていた。
元々弱っていた所にこの出血。傷口が炎症しかけてもいる。それが回復しなければ腕は切らねばならないだろう。
本当なら設備も王宮付きの医師も揃う王都に移したいのだが、今は動かすのも危ない。
シアンの件、どうするか。
今回の襲撃がアスールに会いに来た為と言うのなら、また現れる可能性はある。
とにかく警備を見直さなければならないだろう。ルベルを中心に今後の対策を早急に練るべきだ。
アスールの眠る天幕を出た後、すぐに主だった者を集める。
「捕獲、か」
ルベルが一言もらした。
寝台の上に腰を下ろしたルベルは顎に手をあてる。左肩から腹部にかけて巻かれた包帯が痛々しい。
だが、ルベルの目はそれに反して強い光を放っていた。周囲には主だった部下が集っている。その集団を見守る様に、背後に腕を組んだカリマが控えていた。
その後、王都から指令が下った。セリオンからの返答は、生かせ、だった。
それも当然だろう。起こした罪は重罪といえ、王族であり兄なのだ。生かしたまま捕え、話を聞く。処分はそれからだった。
だが、ここの連中が簡単に言うことを聞くか。
ここの兵士は互いの繋がりが強い。似たような志、立場の者が多いせいだろう。厳しい環境の中、まるで家族の様に支え合っている。
その仲間の多くがやられたのだ。陣内では次こそはと息巻いているものばかりだ。生かしたままと言っても、実際、事が起こればどうなるか分からない。
皆一様に訝しむ顔をする。魔獣を殺さないとはどういう事か。前王ガラノス等を襲った魔獣だととうに知れている。理解出来ないだろう。
「王からの勅命だ。思う所はそれぞれ多分にあるだろうが、背くことは許されない」
カリマの言葉に、皆がざわつくが、ルベルがそれを制すると。
「──とにかく、今は次の襲撃に備えるのが優先だ。だが、こっちも命懸けだ。間際で手加減出来ねぇ事もあるだろう。その時は、捕獲なんて悠長な事は言っていられねぇ。いいか?」
そう言ってカリマを見てくる。それは仕方ないだろう。カリマは小さく頷くと。
「命が優先だ。手加減が無理なら致し方ない。何かあれば俺が全ての責任を負う」
流石にセリオンも、全員を犠牲にしてまでいかせとは言わないだろう。
「そうか。さすが隊長だな。さて、ここからが肝心だ。警備についてだが──」
警備の方針については地の利に詳しいルベルに任せてある。
地図を広げ説明に入った。先に計画は聞いてあった。勿論、剣で闇雲に向かっていく訳では無い。相手の出方は分かったのだ。鋭い刃から身を守り、相手の動きを封じる手立てを模索していた。
身体は鋼の様な体毛で覆われている。刃が突き立てられるのは、それらに覆われていない目や口だ。
そこを狙い弱らせ動きを封じると言う。ただ、的は小さく動きは素早い。あっと思った時には食われている。そのつもりで構えていても、相手の気づくのが早く風の様な速さでなぎ倒される。
「一斉にかかるしかねぇだろう。それも、次々にだ。奴に隙を与えねぇ。奴の攻撃の間には間がある。俺たちをよく観察してから飛びかかってんだ。奴だってやられたくはないんだろう。その間を狙う。そうすりゃ、深手は負わせなくとも、動きくらい封じられるだろう」
元々そこまで広い陣ではない。
ぐるっと囲み、何処か襲撃を受ければそこへ兵を厚くする。
初めに受けるものは囮になってしまうが、一撃を交わすため、よく狙われる首筋や頭の装備を厚くした。動き辛くはなるが、ひとかみで殺られる事は防げる。
一通り説明を終えると、ルベルはカリマを振り返って、
「けど、どうしてここを狙った? そりゃあ、彼奴等は人間を見れば襲ってくるが、わざわざ探してはやって来ねぇのが普通だ。それがどうして──」
「今はそれに答えている暇はない。とにかく今は準備を進めろ」
カリマはその視線を受け止める。ルベルは何かしら気づいたのだろう。
✢✢✢
案の定、皆が三々轟々散った後、カリマの元に歩み寄って、
「あの魔獣、アスールの命は取らなかったんだってな。他の奴らは俺以外、半ば全滅だ。一撃で仕留めて生かそうと言う気がまるでない」
「何がいいたい」
「奴はアスールを狙ったのか? ──いや、用があったのか…。見てた奴がいてな。こいつは単に腰が抜けて動けなかっただけなんだが、アスールが声をかけると襲うのを止めたってな。そのうち、魔獣は人の姿をとった──。金色の髪をしたそいつは、初めは女かと思ったが、よくよく見れば男だったらしい」
「……」
カリマはルベルの鋭い視線を受け流す。
「そいつには口止めはしてある。他の奴らが見たって言う白い人影は、女じゃなく男だってな。しかも、アスールを知ってる風がある…。隊長。あんたも知っているんだろ? 奴が何者なのか…」
「聞いたところで、どうする? 手を緩めるか?」
「それは無理だな。生かしたまま捕えたいと聞いた時点で、どうかしてると思った。皆、憤ってる。上の奴らは何も知らないのさ。奴は手強い。実際、手加減なんて余裕無いと思うがな」
カリマは逡巡した。言った所で状況は変わらないだろうが、知れば抑止力になるだろうか。
「ルベル、ここだけの話だ。…あれは──第三王子だ」
「──なん、だって…?」
「第三王子、シアン様だ。魔獣に連れ去られ行方不明とされたが、ああして生きておられた。王らを襲ったのもシアン様だ。──だが、それだけに生きて捕えたい。勝手に斬っていい相手ではない。生かして捕え、王都まで運ぶ。王命だ。そこで詮議にかけ処分を仰ぐのが正当な道だ」
「…なんだよ、それは…」
「信じがたいが俺も見た。間違いない。シアン様はアスールに助けを求めて来た。アスールはシアン様と親しかった…。だから、命を取ろうとはしなかったのだろう」
シアンとの接触は何としても避けたかった。アスールはかなり弱っている。今動かせば命の危険もあった。
「なんで助けを求めに来たんだ?」
「…アスールがいれば、人でいられるらしい」
「ふーん…」
ルベルは考え込むと、
「…じゃあ、奴がまたアスールに会いに来る可能性があるってことか?」
カリマはルベルを睨みつける。
「アスールを囮に使うのは許可しない」
「いいや。囮じゃねぇよ。ただアスールの周辺を監視していれば、奴を捕まえることもできるかもしれねぇだろ? …仲間を何人も失ったんだ。せめてそいつを捕まえねぇと治まらねぇ…。別にアスールには言わなくてもいいだろ? 周りの警備を固くするだけだ」
「…また来るとは限らない。アスールの周囲だけでなく、まずは野営地の周囲の警備を硬くしろ」
「分かってるって。今度こそ奴を捕まえてやる。何度も言うが勢い余ってやっちまっても文句は無しだぞ」
「…生かす努力はしろ」
「フン。まあ、頭には入れとくさ」
それだけ言い残すと、ルベルは去っていった。
かなりの重傷だったはずだが、幾分顔色が優れない位で、平素と変わりなかった。元々が強いのだろう。
これで警備は厚くなった。シアンは思うように現れるのか。警戒して姿を現さない可能性もある。アスールの怪我の具合は分かっているだろうから、回復し自分を探しに来るのを待つかもしれない。
アスールを行かせるつもりはない。
それだけは決めていた。何がそうさせたにせよ、シアンの所業は許されるものではない。何より、ずっと見守り思いを向けてきたアスールをそんなシアンに渡す気はなかった。
なんにしても、当分は気が抜けなかった。
あれは──。
判然としない意識の中、記憶の中にその存在を見つける。
アスールが…。──僕に。
気が付くと灌木に囲まれた荒れ地に蹲っていた。裸の素肌に風が冷たい。
けれど、膝をついた地面は温かかった。なぜ、温かいのか。濡れた心地がするのはなぜか。
「…アスール…?」
傍らに横たわるのはアスールだった。
眉間にしわを寄せ苦痛を耐えている。温かいのはアスールの血だ。右腕が無残な姿を晒している。口に残る血の味。
アスールの──。
それが何か思い当たって、
「っ…、う、ぐっ…」
一気に口にしたものを吐き出す。呼吸が荒い。身体が冷える。吐きながらそこに蹲った。
僕は──とうとう。
「シ、ア…」
「アスール?」
動く左腕が伸ばされ、傍らに蹲るシアンの頬に触れてきた。笑みを浮かべてシアンを見つめる。
「…良かった…。もとに、戻った…」
「ぼ、僕は──こんな、つもりは──。君に助けを求めるつもりで…。君といる間は、自分を取り戻せていた…。途中、兵士に追われ気がついたら…。すまない…」
すると、アスールは何とか半身を起こし、肩から落ちていたローブを残された左手で引き寄せ、シアンの身体にかけた。血で濡れたためずしりと重い。
「…シアン、様。いいんです。行き場がないなら、一緒に行きましょう…。俺が、シアン様を、守ります…」
「無理だ…。だって僕は──っ」
アスールは首をゆっくり振ると。
「…こうして、あなたは…もとに戻れた…。ずっと、そのままでいられることも…きっとできます。心を、強くもてばきっと…。俺が手伝います。だから──っ」
右の肩を支えるようにして身体をかがめる。出血がひどかった。
このままでは。
「いたぞ! あそこだ!」
その声に顔を上げる。新手の兵だった。
「シアン様! 今は…逃げて、下さい…!」
アスールの叫ぶような声に、シアンは飛ぶようにその場を去った。
✢✢✢
アスールの右腕の怪我は酷かった。
悪ければ腕が落ちるだろうし、残っても動かす事は不可能だろう。
剣が持てない。
アスールがどれほどこの剣の腕を頼りにしてきたか知っているだけに辛い。
が。今はそれより、出血が問題だった。
元々毒で弱っていたところへ、この大怪我だ。普段から鍛えているアスールだからもっているようなもの。
全てシアンによるものだ。
アスールを襲った魔獣が去った後、すぐに助け出されたが、呼吸が弱く手当てした後もそれは変わらなかった。今も頼りない息が僅かに漏れるばかり。
警備が薄い訳ではなかった。ルベルの人となりは置いておいても、腕はかなりたつ。その点は安心して任せられたのだが。
「手強いな…」
シアンはやはりただの魔獣ではないらしい。
不思議なのはどうしてここに現れたかだ。ここに軍が駐留しているのは知っていたはず。なのにわざわざ危険を冒してここに現れる理由が分からなかった。単に兵を襲う為だけに現れたとは思えない。
アスールは何か知っているのだろうか。
「…、…?」
そうこうしていれば、閉ざされていた睫毛が震え薄っすらとアスールが目を開いた。カリマは脈を取るため表に出されていた左手を軽く握る。ひんやりと冷たい。
「アスール、気づいたか」
視線を彷徨わせたあと、
「カ…リマ…、シアンさまは…?」
いつかと同じ。真っ先にそれを尋ねるのかとカリマは内心苦く思いながらも。
「逃げて行った様だ。辺りを見回っているが姿はない」
「…カリマ。シアン様は、元に戻れる。頼むから、手を…出さないで欲しい…」
カリマは目を見開いた。
弱った身体でたどたどしくそう口にする。普段なら叶えてやる所だがそう言うわけには行かなかった。
「…今回の襲撃でもかなりの人数がやられた。一命は取り留めたとは言えルベルもその中に含まれる。それに、お前もだ。アスール。…もう、右腕は使えない。そんな状態にしたシアンを許せと言うのか?」
何もかも、シアンは奪っていく。アスールは天井を見つめたまま、
「都合がいい…」
「アスール?」
「これで、ここにいる理由はなくなった…。剣が…使え無ければ、俺なんて…」
「そんな言い方はするな。剣は使えなくとも、いくらでも道はある」
しかしアスールは口元に僅かな笑みを浮かべ軽く首を振ると、
「いいんだ。これで…」
「アスール…」
「シアン様は…俺に助けを求めて来たんだ…。俺なら、シアン様をもとに戻せる…」
「助けを…?」
アスールは頷く。
「俺が回復したら、シアン様を連れて、何処か遠くへ行く。森の奥深く…。いや、もっと遠く、誰も人が来ない場所に…。そのうちきっと、魔物に打ち勝てる…。だから、シアン様を討たないでくれ」
ひたとこちらを見つめてくる。これでシアンがここへ来た理由は分かった。
だが。
「…どうしてそこまで、シアンを庇う? お前の大切にしていたものを奪って行ったんだぞ?」
王もその家族も。城を守る兵士たちも。
あの惨劇は跡を見ただけのカリマも忘れることはできない。
アスールはカリマの言葉に、一旦目を閉じると再び開き。
「その、大切なものには…シアン様も含まれる…」
「アスール」
「もう、何も…失いたく、ないんだ…」
カリマは思わず、その手を強く握り。
「それなら、俺はどうなる? 俺もまた、シアンよってさらに大切なものを奪われることになる。…アスールを、失いたくはないと言ったはずだ」
絞り出すようにそう口にして、アスールを見つめる。
「カリマ…」
「…俺は──アスールが好きだ」
カリマの告白に、アスールは目を大きく見開いたあと、その瞳が潤んだかの様に見えた。しかし、視線を落とし微かに笑むと。
「…もともと、俺じゃだめだろ? エクレール家は何代と続く貴族の家系だ。王家とのかかわりも深い…。カリマはその家長だ…。いくらカリマが思いを向けてくれても、初めから答えは出ている…。セリオンと同じだ。俺は──応えられない。カリマだって、分かっているはずだ」
「忘れろと…?」
「カリマは──いい友人だ。これからも、この先もずっと…」
アスールは目を閉じる。セリオンから聞いた、嫌いだと告白した時のアスールと、今同じ顔をしているのだろう。カリマは何も言えなかった。
「やっぱり、疲れたみたいだ…。少し、眠りたい…」
「…すまない。無理をさせた。──今はよく休め」
握りしめていた手をそっと離す。
「シアン様を、頼む…」
立ち去りかけた背に声がかかる。目を閉じたアスールを振り返った。
そこまで思うのか…。
あくまでシアンの無事を願うアスールに、カリマは沈黙するしかなかった。
もし、シアンを生かしたまま捕えられたなら、もとに戻すことができたなら。アスールはシアンと共に、カリマの知らぬ地へ旅立つのだろうか。
ずっと、アスールを見つめてきた。
それが、終わろうとしている。
アスールを得るためなら、家督も何もかも、捨てていいと思っていた。優秀なものなど幾らでも出てくる。血統が大切なのではない。
アスールが応じるなら。──いや。応じなくとも俺は。
アスールの言葉を背に、カリマは天幕を出た。
✢✢✢
天幕を出ると、冷えた風が身体に吹き付ける。
アスールの本心はあの通りなのか。
うぬぼれるつもりはないが、アスールが自分を拒まなかったのは、心底受け入れられないわけではないと感じていた。
アスールはあるはずの本心を隠してしまう。昔からそうだった。
幼い頃、剣術を習いたいと口にしたのが最初で最後。環境や性質がそうさせるのか、以来アスールの本心を聞いた試しがない。
不審に思い尋ねても、本人はそれが本心だと笑うが、言った後、何処か淋しげな目をしていた。
カリマは背後を振り返る。
これ以上、衰弱したアスールを問いただす事は出来なかった。
とにかく、今はよく休ませて少しでも回復することが先決で。医師もこれ以上、動かすのは良くないと言っていた。
元々弱っていた所にこの出血。傷口が炎症しかけてもいる。それが回復しなければ腕は切らねばならないだろう。
本当なら設備も王宮付きの医師も揃う王都に移したいのだが、今は動かすのも危ない。
シアンの件、どうするか。
今回の襲撃がアスールに会いに来た為と言うのなら、また現れる可能性はある。
とにかく警備を見直さなければならないだろう。ルベルを中心に今後の対策を早急に練るべきだ。
アスールの眠る天幕を出た後、すぐに主だった者を集める。
「捕獲、か」
ルベルが一言もらした。
寝台の上に腰を下ろしたルベルは顎に手をあてる。左肩から腹部にかけて巻かれた包帯が痛々しい。
だが、ルベルの目はそれに反して強い光を放っていた。周囲には主だった部下が集っている。その集団を見守る様に、背後に腕を組んだカリマが控えていた。
その後、王都から指令が下った。セリオンからの返答は、生かせ、だった。
それも当然だろう。起こした罪は重罪といえ、王族であり兄なのだ。生かしたまま捕え、話を聞く。処分はそれからだった。
だが、ここの連中が簡単に言うことを聞くか。
ここの兵士は互いの繋がりが強い。似たような志、立場の者が多いせいだろう。厳しい環境の中、まるで家族の様に支え合っている。
その仲間の多くがやられたのだ。陣内では次こそはと息巻いているものばかりだ。生かしたままと言っても、実際、事が起こればどうなるか分からない。
皆一様に訝しむ顔をする。魔獣を殺さないとはどういう事か。前王ガラノス等を襲った魔獣だととうに知れている。理解出来ないだろう。
「王からの勅命だ。思う所はそれぞれ多分にあるだろうが、背くことは許されない」
カリマの言葉に、皆がざわつくが、ルベルがそれを制すると。
「──とにかく、今は次の襲撃に備えるのが優先だ。だが、こっちも命懸けだ。間際で手加減出来ねぇ事もあるだろう。その時は、捕獲なんて悠長な事は言っていられねぇ。いいか?」
そう言ってカリマを見てくる。それは仕方ないだろう。カリマは小さく頷くと。
「命が優先だ。手加減が無理なら致し方ない。何かあれば俺が全ての責任を負う」
流石にセリオンも、全員を犠牲にしてまでいかせとは言わないだろう。
「そうか。さすが隊長だな。さて、ここからが肝心だ。警備についてだが──」
警備の方針については地の利に詳しいルベルに任せてある。
地図を広げ説明に入った。先に計画は聞いてあった。勿論、剣で闇雲に向かっていく訳では無い。相手の出方は分かったのだ。鋭い刃から身を守り、相手の動きを封じる手立てを模索していた。
身体は鋼の様な体毛で覆われている。刃が突き立てられるのは、それらに覆われていない目や口だ。
そこを狙い弱らせ動きを封じると言う。ただ、的は小さく動きは素早い。あっと思った時には食われている。そのつもりで構えていても、相手の気づくのが早く風の様な速さでなぎ倒される。
「一斉にかかるしかねぇだろう。それも、次々にだ。奴に隙を与えねぇ。奴の攻撃の間には間がある。俺たちをよく観察してから飛びかかってんだ。奴だってやられたくはないんだろう。その間を狙う。そうすりゃ、深手は負わせなくとも、動きくらい封じられるだろう」
元々そこまで広い陣ではない。
ぐるっと囲み、何処か襲撃を受ければそこへ兵を厚くする。
初めに受けるものは囮になってしまうが、一撃を交わすため、よく狙われる首筋や頭の装備を厚くした。動き辛くはなるが、ひとかみで殺られる事は防げる。
一通り説明を終えると、ルベルはカリマを振り返って、
「けど、どうしてここを狙った? そりゃあ、彼奴等は人間を見れば襲ってくるが、わざわざ探してはやって来ねぇのが普通だ。それがどうして──」
「今はそれに答えている暇はない。とにかく今は準備を進めろ」
カリマはその視線を受け止める。ルベルは何かしら気づいたのだろう。
✢✢✢
案の定、皆が三々轟々散った後、カリマの元に歩み寄って、
「あの魔獣、アスールの命は取らなかったんだってな。他の奴らは俺以外、半ば全滅だ。一撃で仕留めて生かそうと言う気がまるでない」
「何がいいたい」
「奴はアスールを狙ったのか? ──いや、用があったのか…。見てた奴がいてな。こいつは単に腰が抜けて動けなかっただけなんだが、アスールが声をかけると襲うのを止めたってな。そのうち、魔獣は人の姿をとった──。金色の髪をしたそいつは、初めは女かと思ったが、よくよく見れば男だったらしい」
「……」
カリマはルベルの鋭い視線を受け流す。
「そいつには口止めはしてある。他の奴らが見たって言う白い人影は、女じゃなく男だってな。しかも、アスールを知ってる風がある…。隊長。あんたも知っているんだろ? 奴が何者なのか…」
「聞いたところで、どうする? 手を緩めるか?」
「それは無理だな。生かしたまま捕えたいと聞いた時点で、どうかしてると思った。皆、憤ってる。上の奴らは何も知らないのさ。奴は手強い。実際、手加減なんて余裕無いと思うがな」
カリマは逡巡した。言った所で状況は変わらないだろうが、知れば抑止力になるだろうか。
「ルベル、ここだけの話だ。…あれは──第三王子だ」
「──なん、だって…?」
「第三王子、シアン様だ。魔獣に連れ去られ行方不明とされたが、ああして生きておられた。王らを襲ったのもシアン様だ。──だが、それだけに生きて捕えたい。勝手に斬っていい相手ではない。生かして捕え、王都まで運ぶ。王命だ。そこで詮議にかけ処分を仰ぐのが正当な道だ」
「…なんだよ、それは…」
「信じがたいが俺も見た。間違いない。シアン様はアスールに助けを求めて来た。アスールはシアン様と親しかった…。だから、命を取ろうとはしなかったのだろう」
シアンとの接触は何としても避けたかった。アスールはかなり弱っている。今動かせば命の危険もあった。
「なんで助けを求めに来たんだ?」
「…アスールがいれば、人でいられるらしい」
「ふーん…」
ルベルは考え込むと、
「…じゃあ、奴がまたアスールに会いに来る可能性があるってことか?」
カリマはルベルを睨みつける。
「アスールを囮に使うのは許可しない」
「いいや。囮じゃねぇよ。ただアスールの周辺を監視していれば、奴を捕まえることもできるかもしれねぇだろ? …仲間を何人も失ったんだ。せめてそいつを捕まえねぇと治まらねぇ…。別にアスールには言わなくてもいいだろ? 周りの警備を固くするだけだ」
「…また来るとは限らない。アスールの周囲だけでなく、まずは野営地の周囲の警備を硬くしろ」
「分かってるって。今度こそ奴を捕まえてやる。何度も言うが勢い余ってやっちまっても文句は無しだぞ」
「…生かす努力はしろ」
「フン。まあ、頭には入れとくさ」
それだけ言い残すと、ルベルは去っていった。
かなりの重傷だったはずだが、幾分顔色が優れない位で、平素と変わりなかった。元々が強いのだろう。
これで警備は厚くなった。シアンは思うように現れるのか。警戒して姿を現さない可能性もある。アスールの怪我の具合は分かっているだろうから、回復し自分を探しに来るのを待つかもしれない。
アスールを行かせるつもりはない。
それだけは決めていた。何がそうさせたにせよ、シアンの所業は許されるものではない。何より、ずっと見守り思いを向けてきたアスールをそんなシアンに渡す気はなかった。
なんにしても、当分は気が抜けなかった。
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