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第四章
23.望み
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アスールに会いたい。
このまま一人、森の奥深くに隠れるのが一番なのは分かっている。そうすれば、人を襲うことはないだろう。けれど、耳元で潜んだ魔物が囁くのだ。
もっと殺れ、もっと壊せと。
その声に抗うには、アスールが必要だった。
彼だけが僕を止められる…。
森に分け入って、足を止めた。ここまで来れば追っては来られない。
アスールも言った。二人でどこかへ行こうと。アスールもその気でいてくれるのだ。
なら。
シアンは今来た道を振り返る。
きっと警戒されているだろう。先ほどの様に訪れれば攻撃を受けるのは目に見えている。シアンとて不死身ではない。自らの回復の力が及ばなければ命を落とす。
それでもいいのでは、以前はそう思っていた。けれど、アスールの言葉に光を見た。
アスールは一言も自分を責めなかった。
僕は人に戻りたい。せめて、アスールと二人、ひそやかに生きていけるなら──。
自分の犯した罪を負いながらも、アスールと共に人として、生きたかった。
✢✢✢
火の爆ぜる音で目を覚ました。
うっすらと目を開けると、天幕に淡い光が揺れている。カリマが先ほど来て、ストーブに薪を足していったのだが、すっかり寝入っていてアスールは気付かなかった。
身体が重い。右腕の感覚は殆どなかった。痺れたように感じるだけ。
それに寒い。とても。
これだけ暖かくされているのに、震えている。もしかして、自分はもう長くないのかもしれない。そう思った。吐く呼吸も浅く弱い。
こんな僻地で終わるのか。
そんな未来もあるのかもしれないと、ここへ志願した時に思ったが、実際そうなると思うと、寂しくも感じた。
セリオン達は、もう、婚儀は終えただろうか。
さぞ美しい王と王妃だったに違いない。こんな自分を好いていると言ってくれた人。
そんなふうに思ってくれる人間など、二度と現れないと思っていた。思っていたのに、身近にもうひとりいたのだ。
カリマ──。
カリマの事は尊敬もしていた。
自分の目指す姿そのもので。強くて冷静。頼りになる背中。それに追いつけないまでも、振り落とされないよう、後につづいた。
必死に食らいついてきた相手に思いを向けられ、嬉しくないはずがない。
嬉しくないはずはないが──応えられない。
応えられるわけがない。そんな資格もない。
俺は身寄りもない、何の身分もない人間だ。
そんな自分がカリマのように、高貴な身分をもつものの思いを、受け入れられるわけがない。
セリオンと一緒だ。
せめて友としてなら許されるかもしれない。けれど、それ以上望むのは間違っている。
応える前から決まっていた。本来なら並び立つことなど許される立場ではないのに。
もともと、ずっと三人でいられるはずがないと思っていた。今回の様な別れ方をするとは予想もしなかったが、いつかは来ると思っていた。状況が変わればおのずと袂を分かつと。
告白されて、終わるなんてな…。
二度も同じ思いを味わうとも思っていなかった。セリオンを失い、カリマもまた失う。
幸せだった日々にあったものが、すべて失われていく。
シアンもどうなるか。
この状態ではシアンと再び会えるかも怪しい。だがもし、身体が回復し動けるようになって、シアンと共に行くなら、二度とカリマ達に会うことはないだろう。
アスールにとって、シアンは特別な存在だった。セリオンやカリマとはまた違う場所にいる。シアンに対しては、記憶にも朧な母親の影を重ねていたのかもしれない。
シアンは優しかった。
城に来たばかりのころ、王宮での生活やしきたりに慣れないアスールに、手間もいとわず丁寧に教えてくれた。おかげでその後の生活は随分楽になったのだ。
会いに行けば必ずねぎらいお茶を出し、つたない話しにじっと耳を傾け笑ってくれる。そのどこかはかなくも見える笑みが、とても綺麗に見えて。宝物の一つだった。
だから、王や王子らに手を下したと知っても、動揺し、なぜと悲しくはあっても、責める気にはなれなかった。
あのシアンが無辜の人々に、しかも大切な家族に手を下すはずがないのだ。
どうあってもあり得ない。何かがあったはず──。
自身の思いとは別の力が働いたからに他ならない。
魔物に乗っ取られた、そう知って納得できた。シアンの所為ではないのだ。だから責める気は起きなかった。
どうやら、シアンは正気に返ることができるらしい。アスールが傍にいれば、その暴走を止められる。魔のささやきに打ち勝てる。
それを知って、一緒に行かない手はなかった。
まともに日の下を歩けないだろうシアン。
それなら、俺も共に歩むことができる…。
きらきらと輝く場所に立つのなら、アスールの居場所はないのだから。
せめて、シアン様を救いたい…。けれど、寒い。とても寒いんだ…。
カリマが何かあったら使えと、呼び鈴を枕元に置いて行った。これを使えば誰かしら駆けつけるようになっている。
カリマ…。そこに、いるのか?
✢✢✢
カリマは残り少なくなった薪を取りに行っていた。
薪を置いた場所はすぐそこだ。それくらいなら誰かと交代せずともいいだろう。
カリマはできるだけ、アスールの眠る天幕に控えていた。どうしても離れなければならないときは、警備を他のものに任せたが、後は傍にいた。そうしたかったのだ。
アスールの容態はあまり芳しくはない。
先ほども顔色が優れなかった。毛布を足し、薪を増やしたがすっかり身体が冷え切っている。やはり弱っていた所での出血が響いているのだろう。
失くしたくはない。
しかし、自分は無力で。ただ見ている事しかできなかった。自分の身体を分け与えることができるなら、幾らでも与えると言うのに。
夜空には星が輝く。空気は澄んでいる様で、一つ一つがはっきりと見ることができた。
カリマはアスールとまだ知り合う前、近くの丘に登って、彼のいる孤児院を眺めたことがある。
父の用向きで近隣の村へ行った帰りだった。
すっかり日が暮れ、孤児院の窓からはほんのりとした明かりがこぼれている。
この丘の上には大樹があって、それが目印となっていた。ここからは孤児院が良く見える。
あの、灯りのどこかに『弟』がいるのだ。カリマはひとり密かに笑みをこぼした。心の中が温かくなる。
いつか、彼と会う日がくるだろうか。
そう思って見上げた空には今と同じように星が瞬いていた。
懐かしい記憶だ。あのころからずっとアスールは心の中に棲んでいる。
例え、セリオンと結ばれようとこの思いは消えることはないものだった。そのセリオンとは不幸な形で別れることとなり。
いや。アスールが言うなら、正しい道に戻っただけだ。
そして、アスールは自分も拒絶した。
そうなるだろうと予測はできていた。けれど、拒絶されてもやはり諦めると言う選択はない。
アスールがどうしてもシアンと行くと言うなら、ついて行こうと思った。
二人きりでは何かあったとき対処できないだろう。
これでは王命に背くことになるのだろうが、セリオンなら事情を知れば、無理に追う事はしないはず。家のこともセリオンに託せば悪いようにしないだろう。何より傍らにはリノンが控えているのだ。
アスールはカリマを追い返そうとするだろうが、耳を貸すつもりはなかった。
自分にとって、大切にすべきものはすでに決まっている。
だから、どうか命を繋いで欲しい。
✢✢✢
薪を一抱え持つと、再び踵を返しアスールの眠る天幕へと戻った。
たいして時間はかかっていない。が、中に入ってすぐ異変に気が付いた。
誰かがアスールの傍らに膝をつき顔を覗き込んでいるのだ。こちらからはその背しか見えない。身につけたものから、ここの兵士と知れたが。
「誰だ? そこで何をしている?」
体格から交代で入ってもらう兵士とも違っていた。細身で身につけた鎧が浮いている。
ふと、こちらに僅かに振り返った瞬間、兜の下から金色の髪がこぼれた。
「──シアン、様?」
「…そうだ」
薪を放るとすぐに剣の柄に手をかけた。
緊張が走る。まだ変化はしていない。人の姿なら対応できるかもしれない。
いつか、人の姿をしていても追いつけなかったことは覚えていた。だが、攻撃は人型なら知れている。
「──アスールから離れてください。シアン様。大人しくしていれば危害は加えません」
「ふふ…。そうだよね? それが正しい反応だ。僕を捕縛しろと命令がでたんだろう? 当然だ…」
「わかっているなら、このまま大人しく拘束されてください。陛下に、セリオンに全て話し、自分の犯した罪を償ってください」
「…前ならそうしていただろう。けれど、アスールに会って、変わった。僕は──生きたいんだ。アスールとなら、それが叶う」
「シアン様…」
「君は知らない事だろうが、僕はずっと鬱屈した日々を送っていた。兄や弟らはあんなに光の下を楽しそうに走り回っているのに、僕は閉じ込められたまま…。いつか、普通に生きたいと望むようになったんだ。その隙を魔につかれた…」
シアンは眠ったままのアスールに目を向ける。顔色は酷く悪い。
「魔は僕の中に潜んだ、僅かな黒い感情を増幅させ、父や母、兄弟を襲わせた…。あの時は嫉妬と怒りと憎しみと、それしかなかったよ。我に返った時は──もう、取り返しがつかなかった…。そのままどうやって城を飛び出したのかさえ覚えていない。気が付けばここまで来ていた。ここが…僕の中に潜む魔物の生まれた場所なのだろう」
シアンは言い終わると、胸元に手を置いた。カリマはシアンの一挙手一投足を見逃さない様に集中する。
「──それで、アスールを連れ出すつもりで? 彼は動かすことも危うい。すべてあなたの所為でそうなった。分かっているのですか?」
「…分かっている。なにもかも、僕が奪った…。けれど、僕なら彼を生かすことができる」
「生かす?」
「今も──腕の怪我を癒した所だ。魔獣になってから、回復させる力がついたんだよ。自身の傷をいやすためだろうが、それが他人にも使える。アスールにも…。ただ、一度にすべてとはいかない。流石に体力を削られる。今も腕の回復がやっとだ。すべて癒すにはもっと時間が必要なんだ。僕と逃げて、そこで時間をかけて癒す──」
見れば毛布の外に出された腕の包帯は解かれ、あれほどひどかった傷がただの白い跡として残っているのみだった。腕もうっ血した紫だったのが、ごく普通の色に戻っている。
確かに回復した様だった。それに目を奪われながらも。
「…だから、連れ出すのを見逃せと?」
「だって、ここでは無理だろう? 僕が敵だと知れている。すでに目撃もされた。そいつらが、仲間を滅ぼした僕を許すとは思えない」
「…アスールは行かせません。癒すと言うなら、王都へ一緒に向かってください。そこでセリオンに全て告白し、許可を得てください。今の私にはあなたに許可する権限がない」
シアンは首を振ると。
「だめだ。それじゃあ、間に合わない。…アスールは弱っている。せめてこれだけでも回復させないと。僕の責任だ。カリマだって、アスールを失いたくはないだろう?」
「連れ去って、回復させて、そのあと、また戻ってくるとでも? あなたはアスールと共に逃げるつもりでしょう?」
「…そうだ。人として生きたい。アスールとなら…それが、叶えられる…」
「王や、王子たちを手にかけた、その償いは?」
シアンは目を伏せ、唇を噛みしめた後。
「そうだ。僕は皆の未来を奪った…。勝手だと言うだろう。──けど、僕は…兄弟たちと同じように、生きたい。頼む。見逃してくれ──」
カリマが次の言葉を継ごうとしたとき、天幕を乱暴にはぐるものがいた。
「おい、隊長! すぐそこで仲間がひとりやられた──」
入ってきたのはルベルだ。シアンを認めて驚きの表情になる。
「お前──奴か? 仲間をやった──」
言いながら腰に帯びていた剣をとると、外に向けて、
「おい! ここに奴がいる! 逃がすな!」
「ルベル! 待て! アスールがいる――」
言う間に、シアンはアスールを抱き上げ、肩へと担いでしまう。以前のシアンならできなかっただろう。一度、カリマを振り返った後、シアンは天幕を飛び出した。
「シアン様!」
このまま一人、森の奥深くに隠れるのが一番なのは分かっている。そうすれば、人を襲うことはないだろう。けれど、耳元で潜んだ魔物が囁くのだ。
もっと殺れ、もっと壊せと。
その声に抗うには、アスールが必要だった。
彼だけが僕を止められる…。
森に分け入って、足を止めた。ここまで来れば追っては来られない。
アスールも言った。二人でどこかへ行こうと。アスールもその気でいてくれるのだ。
なら。
シアンは今来た道を振り返る。
きっと警戒されているだろう。先ほどの様に訪れれば攻撃を受けるのは目に見えている。シアンとて不死身ではない。自らの回復の力が及ばなければ命を落とす。
それでもいいのでは、以前はそう思っていた。けれど、アスールの言葉に光を見た。
アスールは一言も自分を責めなかった。
僕は人に戻りたい。せめて、アスールと二人、ひそやかに生きていけるなら──。
自分の犯した罪を負いながらも、アスールと共に人として、生きたかった。
✢✢✢
火の爆ぜる音で目を覚ました。
うっすらと目を開けると、天幕に淡い光が揺れている。カリマが先ほど来て、ストーブに薪を足していったのだが、すっかり寝入っていてアスールは気付かなかった。
身体が重い。右腕の感覚は殆どなかった。痺れたように感じるだけ。
それに寒い。とても。
これだけ暖かくされているのに、震えている。もしかして、自分はもう長くないのかもしれない。そう思った。吐く呼吸も浅く弱い。
こんな僻地で終わるのか。
そんな未来もあるのかもしれないと、ここへ志願した時に思ったが、実際そうなると思うと、寂しくも感じた。
セリオン達は、もう、婚儀は終えただろうか。
さぞ美しい王と王妃だったに違いない。こんな自分を好いていると言ってくれた人。
そんなふうに思ってくれる人間など、二度と現れないと思っていた。思っていたのに、身近にもうひとりいたのだ。
カリマ──。
カリマの事は尊敬もしていた。
自分の目指す姿そのもので。強くて冷静。頼りになる背中。それに追いつけないまでも、振り落とされないよう、後につづいた。
必死に食らいついてきた相手に思いを向けられ、嬉しくないはずがない。
嬉しくないはずはないが──応えられない。
応えられるわけがない。そんな資格もない。
俺は身寄りもない、何の身分もない人間だ。
そんな自分がカリマのように、高貴な身分をもつものの思いを、受け入れられるわけがない。
セリオンと一緒だ。
せめて友としてなら許されるかもしれない。けれど、それ以上望むのは間違っている。
応える前から決まっていた。本来なら並び立つことなど許される立場ではないのに。
もともと、ずっと三人でいられるはずがないと思っていた。今回の様な別れ方をするとは予想もしなかったが、いつかは来ると思っていた。状況が変わればおのずと袂を分かつと。
告白されて、終わるなんてな…。
二度も同じ思いを味わうとも思っていなかった。セリオンを失い、カリマもまた失う。
幸せだった日々にあったものが、すべて失われていく。
シアンもどうなるか。
この状態ではシアンと再び会えるかも怪しい。だがもし、身体が回復し動けるようになって、シアンと共に行くなら、二度とカリマ達に会うことはないだろう。
アスールにとって、シアンは特別な存在だった。セリオンやカリマとはまた違う場所にいる。シアンに対しては、記憶にも朧な母親の影を重ねていたのかもしれない。
シアンは優しかった。
城に来たばかりのころ、王宮での生活やしきたりに慣れないアスールに、手間もいとわず丁寧に教えてくれた。おかげでその後の生活は随分楽になったのだ。
会いに行けば必ずねぎらいお茶を出し、つたない話しにじっと耳を傾け笑ってくれる。そのどこかはかなくも見える笑みが、とても綺麗に見えて。宝物の一つだった。
だから、王や王子らに手を下したと知っても、動揺し、なぜと悲しくはあっても、責める気にはなれなかった。
あのシアンが無辜の人々に、しかも大切な家族に手を下すはずがないのだ。
どうあってもあり得ない。何かがあったはず──。
自身の思いとは別の力が働いたからに他ならない。
魔物に乗っ取られた、そう知って納得できた。シアンの所為ではないのだ。だから責める気は起きなかった。
どうやら、シアンは正気に返ることができるらしい。アスールが傍にいれば、その暴走を止められる。魔のささやきに打ち勝てる。
それを知って、一緒に行かない手はなかった。
まともに日の下を歩けないだろうシアン。
それなら、俺も共に歩むことができる…。
きらきらと輝く場所に立つのなら、アスールの居場所はないのだから。
せめて、シアン様を救いたい…。けれど、寒い。とても寒いんだ…。
カリマが何かあったら使えと、呼び鈴を枕元に置いて行った。これを使えば誰かしら駆けつけるようになっている。
カリマ…。そこに、いるのか?
✢✢✢
カリマは残り少なくなった薪を取りに行っていた。
薪を置いた場所はすぐそこだ。それくらいなら誰かと交代せずともいいだろう。
カリマはできるだけ、アスールの眠る天幕に控えていた。どうしても離れなければならないときは、警備を他のものに任せたが、後は傍にいた。そうしたかったのだ。
アスールの容態はあまり芳しくはない。
先ほども顔色が優れなかった。毛布を足し、薪を増やしたがすっかり身体が冷え切っている。やはり弱っていた所での出血が響いているのだろう。
失くしたくはない。
しかし、自分は無力で。ただ見ている事しかできなかった。自分の身体を分け与えることができるなら、幾らでも与えると言うのに。
夜空には星が輝く。空気は澄んでいる様で、一つ一つがはっきりと見ることができた。
カリマはアスールとまだ知り合う前、近くの丘に登って、彼のいる孤児院を眺めたことがある。
父の用向きで近隣の村へ行った帰りだった。
すっかり日が暮れ、孤児院の窓からはほんのりとした明かりがこぼれている。
この丘の上には大樹があって、それが目印となっていた。ここからは孤児院が良く見える。
あの、灯りのどこかに『弟』がいるのだ。カリマはひとり密かに笑みをこぼした。心の中が温かくなる。
いつか、彼と会う日がくるだろうか。
そう思って見上げた空には今と同じように星が瞬いていた。
懐かしい記憶だ。あのころからずっとアスールは心の中に棲んでいる。
例え、セリオンと結ばれようとこの思いは消えることはないものだった。そのセリオンとは不幸な形で別れることとなり。
いや。アスールが言うなら、正しい道に戻っただけだ。
そして、アスールは自分も拒絶した。
そうなるだろうと予測はできていた。けれど、拒絶されてもやはり諦めると言う選択はない。
アスールがどうしてもシアンと行くと言うなら、ついて行こうと思った。
二人きりでは何かあったとき対処できないだろう。
これでは王命に背くことになるのだろうが、セリオンなら事情を知れば、無理に追う事はしないはず。家のこともセリオンに託せば悪いようにしないだろう。何より傍らにはリノンが控えているのだ。
アスールはカリマを追い返そうとするだろうが、耳を貸すつもりはなかった。
自分にとって、大切にすべきものはすでに決まっている。
だから、どうか命を繋いで欲しい。
✢✢✢
薪を一抱え持つと、再び踵を返しアスールの眠る天幕へと戻った。
たいして時間はかかっていない。が、中に入ってすぐ異変に気が付いた。
誰かがアスールの傍らに膝をつき顔を覗き込んでいるのだ。こちらからはその背しか見えない。身につけたものから、ここの兵士と知れたが。
「誰だ? そこで何をしている?」
体格から交代で入ってもらう兵士とも違っていた。細身で身につけた鎧が浮いている。
ふと、こちらに僅かに振り返った瞬間、兜の下から金色の髪がこぼれた。
「──シアン、様?」
「…そうだ」
薪を放るとすぐに剣の柄に手をかけた。
緊張が走る。まだ変化はしていない。人の姿なら対応できるかもしれない。
いつか、人の姿をしていても追いつけなかったことは覚えていた。だが、攻撃は人型なら知れている。
「──アスールから離れてください。シアン様。大人しくしていれば危害は加えません」
「ふふ…。そうだよね? それが正しい反応だ。僕を捕縛しろと命令がでたんだろう? 当然だ…」
「わかっているなら、このまま大人しく拘束されてください。陛下に、セリオンに全て話し、自分の犯した罪を償ってください」
「…前ならそうしていただろう。けれど、アスールに会って、変わった。僕は──生きたいんだ。アスールとなら、それが叶う」
「シアン様…」
「君は知らない事だろうが、僕はずっと鬱屈した日々を送っていた。兄や弟らはあんなに光の下を楽しそうに走り回っているのに、僕は閉じ込められたまま…。いつか、普通に生きたいと望むようになったんだ。その隙を魔につかれた…」
シアンは眠ったままのアスールに目を向ける。顔色は酷く悪い。
「魔は僕の中に潜んだ、僅かな黒い感情を増幅させ、父や母、兄弟を襲わせた…。あの時は嫉妬と怒りと憎しみと、それしかなかったよ。我に返った時は──もう、取り返しがつかなかった…。そのままどうやって城を飛び出したのかさえ覚えていない。気が付けばここまで来ていた。ここが…僕の中に潜む魔物の生まれた場所なのだろう」
シアンは言い終わると、胸元に手を置いた。カリマはシアンの一挙手一投足を見逃さない様に集中する。
「──それで、アスールを連れ出すつもりで? 彼は動かすことも危うい。すべてあなたの所為でそうなった。分かっているのですか?」
「…分かっている。なにもかも、僕が奪った…。けれど、僕なら彼を生かすことができる」
「生かす?」
「今も──腕の怪我を癒した所だ。魔獣になってから、回復させる力がついたんだよ。自身の傷をいやすためだろうが、それが他人にも使える。アスールにも…。ただ、一度にすべてとはいかない。流石に体力を削られる。今も腕の回復がやっとだ。すべて癒すにはもっと時間が必要なんだ。僕と逃げて、そこで時間をかけて癒す──」
見れば毛布の外に出された腕の包帯は解かれ、あれほどひどかった傷がただの白い跡として残っているのみだった。腕もうっ血した紫だったのが、ごく普通の色に戻っている。
確かに回復した様だった。それに目を奪われながらも。
「…だから、連れ出すのを見逃せと?」
「だって、ここでは無理だろう? 僕が敵だと知れている。すでに目撃もされた。そいつらが、仲間を滅ぼした僕を許すとは思えない」
「…アスールは行かせません。癒すと言うなら、王都へ一緒に向かってください。そこでセリオンに全て告白し、許可を得てください。今の私にはあなたに許可する権限がない」
シアンは首を振ると。
「だめだ。それじゃあ、間に合わない。…アスールは弱っている。せめてこれだけでも回復させないと。僕の責任だ。カリマだって、アスールを失いたくはないだろう?」
「連れ去って、回復させて、そのあと、また戻ってくるとでも? あなたはアスールと共に逃げるつもりでしょう?」
「…そうだ。人として生きたい。アスールとなら…それが、叶えられる…」
「王や、王子たちを手にかけた、その償いは?」
シアンは目を伏せ、唇を噛みしめた後。
「そうだ。僕は皆の未来を奪った…。勝手だと言うだろう。──けど、僕は…兄弟たちと同じように、生きたい。頼む。見逃してくれ──」
カリマが次の言葉を継ごうとしたとき、天幕を乱暴にはぐるものがいた。
「おい、隊長! すぐそこで仲間がひとりやられた──」
入ってきたのはルベルだ。シアンを認めて驚きの表情になる。
「お前──奴か? 仲間をやった──」
言いながら腰に帯びていた剣をとると、外に向けて、
「おい! ここに奴がいる! 逃がすな!」
「ルベル! 待て! アスールがいる――」
言う間に、シアンはアスールを抱き上げ、肩へと担いでしまう。以前のシアンならできなかっただろう。一度、カリマを振り返った後、シアンは天幕を飛び出した。
「シアン様!」
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