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第三章 再会
第十五話 ヴェスパ
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ガラス張りの部屋を出ると、周囲を石壁で囲まれた薄暗い廊下に出た。その先に下りの廊下が続く。温室は城と繋がっているらしい。
それを下りきった先、重い扉を開けると天井の高い広い空間があった。
白い大理石の壁に囲まれたその中央には、一段高くなった所に同じく大理石で出来た台が備え付けてあり、その上に透明な珠が置かれていた。
見れば小さな子供の頭程の水晶の様だった。
壁に開けられた明かり取りの窓から差し込む日の光に、キラキラと輝いて見える。
フォンセはそこへ向かって造られた階段を上がり、台に置かれた水晶を見下ろすようにして立った。
勿論、手を引かれたソアレもその傍らに立つことになる。
「君は身近なものの生死を感じ取れるらしいね? でも、これはそれ以上、未来を見せる力がある──。遥かな昔、神との対話にも使われた貴重な石なんだよ。でも──、魔力がある者にしかそれを覗くことができない。だから、僕は扱える…。これで君の未来も覗くことができるだろう。──見たいかい?」
ソアレは促されるまま、小さく頷いていた。
見てみたい。それがどんな未来を指し示すのか──。
それを知れば、正しい道を選ぶことができる。
「見たい…」
するとフォンセは優しく笑んで。
「分かった。見せてあげよう──」
そう言うと、背後からソアレを抱くようにして、水晶に手を翳した。
それまでただの透明な石だったそれが、たちまち白く曇りはじめ、そのうちどす黒い煙の様なものが中で回り始めた。その煙がなぜか珠から出て来てソアレを取り囲んでいく。
そう、錯覚したのかもしれない。
けれど、気が付けばそこに水晶はなく、真っ暗な闇が目の前にあった。
「ソアレ。先を見てごらん──」
耳元でフォンセの声がする。
その声に促されるまま、視線を先へと伸ばせば、微かな光が見えてきた。
しかし、それは明るい日の光ではなく、揺らぐ炎の色だった。その炎はあっという間にソアレの目の前を赤く染め上げる。
人々が逃げ惑う姿。その背後にカルドとアステールを襲ったものと同じくらい、巨大なモンスターが徘徊していた。
口に咥えられたもの、踏みつぶされ形を失くしたもの。目を覆いたくなる様な惨状だ。
あ──っ……。
目を背けたかったが、なぜかそうすることができなかった。そんなソアレの震える肩を背後からフォンセが抱きすくめる。
「可愛いソアレ。これが、君の望む未来だよ──」
ドォンと大砲が鳴るような音が聞こえた。
はっとして周囲を見回すと、地面に見た姿があった。
赤い燃えるような髪が、炎の起こす風に揺れている。褐色の瞳をしっかりと開いているのに、地面に伏したままピクリとも動かない。その身体の下には血だまりができている。
ヴェント──?!
その傍らにはカルドが兄を庇う様に倒れていた。しかし、その右足は爆撃で吹き飛ばされたのか膝から先がない。
あ。ああ……。
「ほら。君の大切な人が──」
促され向けた視線の先に、仰向けに倒れる姿があった。体の左半分をモンスターに持っていかれたのか、跡形もない。
それでも、それが誰であるかすぐに分かった。銀色の髪が、風に揺らぐ。
アステール……。
声が出なかった。アステールの残された右手には剣が握られたまま。
嫌だ──。こんな──こんな事があって──いいはずが……。
「これが、君の望む未来だ。──この先、王都奪還を望むなら、ね」
フォンセが崩れるソアレの身体を抱き留める。涙も嗚咽も止まらない。血の匂いがここまで漂ってくる。
それは、アステールの……。
「──ソアレ」
耳元で聞こえたはっきりとした声音に、我に返る。
気が付けばそこは、今さっきまでいた水晶の間だった。
頬には涙が伝い、動悸が激しくなっている。血や煙の臭いがまだ残っている気がした。
「大丈夫かい? かなり──、ショックが強かったようだけれど…」
ソアレはなんとか呼吸を整えながら、自分を抱き留めるフォンセを見上げる。
「今、のは──?」
思った以上に弱々しい声になる。フォンセは深く息を吐き出すと。
「あれが、未来だよ…。今のまま突き進めばああなる…」
「嘘だ…。だって、あんな──」
「嘘じゃない──。といっても、それはこのまま突き進まない限り証明できないけれどね。でも、そうなってからでは──遅いでしょ?」
ヴェントもカルドも、アステールも……。
あんな惨い……。
唐突に吐き気に襲われ、思わず口元を押さえた。
「ああ、ソアレ。──可愛そうな、ソアレ…。大丈夫だ。私が付いている…」
そう言って背中をさすってくれる。吐きはしなかったが胃液が喉元まで競り上がってきて気分が悪くなった。
「あ、れは──現実に起こること…だと?」
「…そうだね。水晶は事実しか見せない。それをどう解釈するかは見る側に寄るけれど。あれはどう見ても戦の後。──これから先を見せているとしか思えない…」
「そ、んな…」
蒼白になるソアレを、フォンセは優しく抱きしめる。
「彼らを残酷な運命から逃がすためには、君が進まなければいい…。それだけの事だ」
「進まない…?」
「簡単だろう? 君が王として立たなければ、彼らは助かる──。王国は焼かれることもモンスターに侵される事もない。元々君は王として立つことを望んではいなかっただろ? 今後、彼らとは関わってはいけない。君はここでずっと僕と暮らせばいいんだよ…」
背後から頬にキスが落とされる。それはとても冷たい口づけだった。
+++
漸くアステールらがフォンセの屋敷へ到着したのはその二日後。
其の頃には親衛隊長のグランツも到着していた。
アステールからは初日こそ連絡があったものの、その後途絶えていた。こちらから入れても、読んではいる様だが返信はなかった。
到着早々、挨拶もそこそこに白髪の執事へソアレについて尋ねれば。
「少々お待ちいただけますか?」
そう言って、どこか奥へと下がっていった。
居間で待たされること半時。漸く執事が戻ってきた。そこにソアレの姿はない。アステールはすぐに問い正す。
「ソアレはどこに? 体調が悪いのか?」
「いいえ。ただ──お会いになりたくないとおっしゃられまして…」
執事の言葉にヴェントが声を荒げる。
「はぁ? 何言ってんだよ? 俺たちはあいつの家臣だぜ? 会いたくないも何も、主人の顔を拝むのは当然だろ? てか、本気でそんなこと言ってんのか?」
するとそこへフォンセが入ってきた。手に花束を抱え、それを鼻先へ寄せながら。
「ああ、漸く到着したね? 何も問題はなかったかな?」
「フォンセ様。ソアレに会わせて頂けませんか?」
アステールが抑えた声音そう口にすれば、フォンセはふわりと笑んで。
「…ソアレは会いたくないと言っているのだけれど…。確かにそれは主人としていけない態度だね。分かったよ──。連れてくるからここで待っていて」
執事に何事か言いつけた後、フォンセは退出した。手にして来た花束をテーブルに置いたまま。
「ソアレ、いったい何だってんだ? てか、会いたくないって、本気で言っていると思うか?」
ヴェントは不審顔だ。カルドも首をかしげる。
「ソアレ、俺たちと離れる前はそんなこと一言も…。何かあったのかな?」
「そうだな──。本気で言っているのだとしたら、心変わりを起こすような何かがあったとしか…」
アステールは僅かに花びらの散った薄紫の花に目を落とす。そこから凛とした爽やかな香りが漂う。ハーヴに似た香りだ。それはどこかで見覚えがあった。
どこで見たのかと記憶を手繰り寄せていれば、外で用事を済ませ終えたグランツが合流した。ブリエの姿もある。
「どうした? 一体何があった?」
皆の重苦しい空気にグランツはいぶかしむが。
「ソアレが会いたくないと言ってるんだ」
「会いたくない?」
ヴェントの言葉にグランツは驚きの声を上げた。
「いったい、またどうして──」
「今、フォンセ様が呼びに行っている。直に来るだろう…」
アステールはそこで問い正すしかないと思っていた。
一体、この数日で何があったのか──。
会いたくないなどと、今までのソアレからは想像もつかない言葉だ。よほどの事がない限り、そんな言葉は口にしないだろう。
俺にも──会いたくないのか?
思わず手を握り締めていた。
確かに数日前、自分と離れたくないとそう口にしていたのはソアレだ。それがどうして。
「お待たせしたね。まだ、体調がすぐれなくて──。手短にお願いできるかな?」
フォンセのそんな言葉とともに現れたのは、腕に抱えられたソアレの姿だった。
白いガウンを身に纏い、酷くやつれた顔をしている。その顔色も冴えない。それに、こちらをまともに見ようともしなかった。
フォンセはそんなソアレを、皆から離れた椅子へそっと下ろし座らせる。
ソアレは高い背もたれに身体を預け、ぐったりとしたまま。その目に気力が見られない。
「…一体、何が?」
アステールの絞り出すような声に、フォンセは笑むと。
「何も。──そうだよね? ソアレ」
肩に手を乗せソアレに優しい声をかける。すると、こくりと頷いて見せた。
まるで生気のない表情に、アステールの眉間に皺が寄る。
「ソアレに──なんかしたのか? 助けるとかなんとか言ってたが──」
ヴェントが凄むと、フォンセは首を振り。
「いいや──。僕は彼に治療を施しただけ…。ただ、その間に彼の考えが変わっただけだよ。──そうそう。ソアレはもう、ここから動かない」
「は? 何を言って──」
流石にグランツも黙っていられなかったらしい。一歩前に出てフォンセと向き合う。
「今言った通り。ソアレはもう立たない。君たちの王はもういないんだ。彼はここで僕と一生暮らす──」
皆がその言葉に激高する前、その胸倉を掴んだのはアステールだった。
「──おや。珍しい。君がそんな態度をとるなんて…」
「ソアレに何をした? ──言え」
フォンセは不敵に笑うと。
「君は誰に向かってそんな態度を取っているんだい? 僕はここの領主だよ。もう少し、分をわきまえたらどうかな。頭が冷えるまで別室にいてもらおうか。──こいつを連れ出せ」
低い声音で指示すると、直ぐに護衛が現れてアステールの腕を取り、フォンセから引き離すと、部屋から引きずる様に連れ出した。
その間も、アステールは刺すような視線をフォンセに向けていた。
それを見送った後、フォンセは笑むと。
「彼にはしばらく地下にいてもらうよ。冷静になるまでね──。君たちも同じ目に会いたくなければ、大人しくしていてくれ。それから──充分休んだらどこへでも行ってくれたまえ。欲しいものは全て用意させるから、執事に言ってくれ。では──」
そう言って、ソアレを再び抱き上げると部屋を出ていこうとする。
「待てよ! ソアレと話をさせろよ! なんで一言も話さねぇ。──ソアレ!」
フォンセにではなく、ソアレに詰め寄ろうとしたヴェントを護衛が取り押さえる。
ソアレはそんなヴェントに一瞥をくれようともしない。まるで声など聞こえていない様だった。
「ソアレ…」
カルドは小さく呟くと、フォンセに抱かれ去って行くソアレの横顔を見つめる。それからキュッと唇を噛み締めた。
+++
「一体、何がどうなってる? ソアレのあの状態はなんだ? あれじゃまるっきり別人だ──」
ヴェントは用意された部屋にグランツらと戻ると、深々とため息を付き、どっかとソファに座り込む。
グランツも同じく向かいのソファに座ると顔をしかめ。
「確かにおかしいが…。薬を盛られた様にも見えない。あれは、一応正気ではあるだろう…」
確かにフォンセの言葉にはしっかり反応を見せていた。薬で意識を奪われているならそんな反応は示さないだろう。
「何かあいつに吹き込まれたのか? でも、あいつだってソアレが王都を奪還するのを望んでいたんじゃ──」
「どうだろうな? 奴はもともと、王国の出じゃない。詳しくは分からないが、前領主は流れ者の女を妻にしたそうだからな? それほど、王国に忠誠心がある訳でもないだろう。それに、やはり王妃を好いていたというのは本当だったようだな?」
「…くそ」
ヴェントは分厚い絨毯を蹴りつける。
フォンセの態度は大切な甥を誰にも渡したくないと、そう示していた。危険な目になど合わせたくないと。血のつながりはないとは言え、やはり愛した人の子どもだ。執着があるのだろう。
「王妃様に生き写しだからな。手放したくなるのもあるのだろうが…。ソアレの王として立たないというのは──納得できんな…」
グランツは顎に手を当て思案顔だ。と、傍らに控えていたブリエが一歩進み出て。
「隊長。私は今から王子の居場所を探ろうと思います。よろしいでしょうか?」
「ああ。丁度頼もうと思っていた所だ。──夜には報告できるか?」
「はい」
「よし。充分注意して行ってこい」
「──は」
軽く頭を下げ、きっちり眉の上で揃えられた前髪を揺らしブリエは部屋を退出した。グランツは一つ息を吐き出すと。
「王子の居所を掴んだら、直ぐに助けだす。長引かせるのは良くないからな。フォンセ様にはソアレの事は諦めて、明日には立つとでも言って油断させておくさ。──信用するとは思わないがな」
「上手くいくと思うか? 結構、厳重なようだが…」
ヴェントが訝しんで問えばグランツは。
「やるしかないだろう。フォンセ様と事を構えることにはなるが。──幾ら王として立つことを渋っていたとはいえ、こうも態度を変えるのは納得ができない。ソアレ王子としっかり話したい所だが、あの様子では話す機会もないからな。──と、なると連れ去るしかないだろう?」
「相変わらず、強引だな?」
ヴェントは肩をすくめて見せたが。
「王都を奪還して、国を取り戻す。──それがせめてものレーゲンへの償いだ。レーゲンが守ってきた王国を取り戻したい。それには、ソアレに立ち上がってもらわねばな。王子以外にいない」
「確かに。だが──ソアレが本心でそう口にしていたらどうする?」
「…納得が行くまで話を聞く。それだけだ」
「納得が行けば、ソアレを王として立てるのを諦めるのか?」
するとグランツは何処か遠い目つきになって。
「そうだな…。それは考えていなかったが…。最終的にはソアレの意思を尊重する。で──俺個人でレーゲンの敵を討つだろうな…」
「そうか…。もしそうなったら、俺も手伝うぜ? 少しは役に立つだろ」
「よろしく頼んだ」
グランツは口元にどこか寂しげな笑みを浮かべ、ヴェントの肩に手を置くと、色々と下準備があるからと宛がわれた部屋へと戻っていった。
「…ねぇ、兄さん」
それまで黙ってやり取りを聞いていたカルドは不安げな表情をヴェントに向けてきた。
「なんだ? 顔色が悪いな…。お前も今のうちに休んどけよ。疲れただろ?」
「俺は別に──。ただ、ちょっと気になって...」
「何がだ?」
カルドは躊躇ったあと、口を開くと。
「ソアレ。ずっと震えてた。…まるで俺たちが怖いみたいで。だから、目も合わせなかったのかなって…」
「なんで怖いんだよ?」
ヴェントは顔をしかめる。
「分からない…。けど、あれだけ強いソアレが怖がるって、相当の何かがあったんだと思う。それに気付いたから、アステールはあんなに怒ったんだ…。何かされたって…」
ヴェントは息を吐き出すと。
「…俺たちが怖いって。なんだよ。それ──」
日が落ち始めた外の景色に目を向けた。
+++
あれは──正気の目だった。
アステールには自分の意志でそうしているのが分かった。ただ、怯えているだけだとも。
しかし、何がそんなにソアレを怖がらせているのかが分からない。
きっと、あのフォンセが何かをしたはず。ソアレが臆するような何かを。
「おい。もう出ていいぞ」
見張りの男が地下牢の分厚い鉄製の格子の向こうからそう告げた。
冷たいコンクリから立ち上がると、開けられたドアから外に出る。
手首は後ろ手に拘束されたままだ。銃を突きつけられたが、それ程悪いことをしたとは思っていない。逆にその銃をフォンセに突きつけたいくらいだった。
ふと横から風を感じてそちらに顔を向けた。薄暗い廊下がその先に続き、大きな扉見える。ぼんやりとした照明の中に、衛兵が二人浮かんで見えた。
「──あれは?」
するとむっつりとしたまま護衛が淡々と告げる。
「講堂だ。フォンセ様の許可無しには入れない」
それだけ言うともう話すつもりはないのか、口を閉ざしてしまった。
講堂、か。こんな地下に一体何の為に?
不思議には思ったが、今は探る時間もない。
「おい。こっちだ」
衛兵に追い立てられる様にして、その場を後にした。
階上に戻ると、ヴェントらのいる部屋に連れていかれ、そこで漸く拘束を解かれた。すると脇から執事が姿を現し。
「夕食の用意ができました。先ほどの居間へお集まり下さい」
「ソアレは?」
すかさずアステールが問うと。
「ソアレ様は別室にてお取りになります。──では」
要件だけ伝えると、執事は去っていく。
ここの執事と言うことは、ソアレの母、エストレアも知っているのだろうか。
だとすれば、その息子のソアレを危険な目に合わせたくないと思うのは、フォンセのみではないのかもしれない。
アステールが自由になった手首をさすりながらそんなことを考えていると、ヴェントがからかうような表情を見せ。
「よう。お前の激高する姿を見るのは初めてだな?」
「すまない。次は冷静でいる──。グランツは?」
「今は別室だ。夕食には顔を出すだろう。──折を見てソアレを連れ出す予定だ。また後で打ち合わせる」
「…そうか」
アステールはソアレの気力を失くしが目が気になって仕方なかった。
あの目をもとに戻すことはできるのか。いや。しなければならない。自分の為だけではなく、王都奪還の為にも──。
フォンセが施した何かを解かなければ、レーゲンに向ける顔がない。
何としても、ソアレを救い出す。
アステールは拳を握り締めた。
+++
夕食はいたって静かなものだった。
グランツも顔を出したが、部下のブリエは顔を見せなかった。
ヴェントもカルドもまるで人形の様に押し黙って、黙々と出された食事を口に運んでいる。
今もどこかでソアレは食事をしているのだろうか?
その傍らにはフォンセがいるのだろう。フォンセの前では少しはくつろいで見せているのか。胸の奥がチリリと傷む。
馬鹿だな。嫉妬とは──。
自分自身の胸の内を笑う。今はそんな事を考えている場合ではないと言うのに。
思いが通じあった途端、これだ。
しかし、あの様子ではその思いの行方もどうなるかわからない。ただ、互いにたった数日で終わるような気持ちでは無い筈だ。
ソアレに何があろうと、俺の気持ちは変わらない。
ソアレもそうであって欲しいと、願わずにはいられなかった。
夕食が終わる頃、フォンセが姿を現した。
既に今後の予定は執事からフォンセに伝えられている。フォンセは空いた席へ腰を据えると。
「執事から聞いたけど──、ソアレの事は諦めるって?」
皆が食後のコーヒーを飲み終わり、立ち去りかけた頃だった。グランツはちらと目配せすると。
「ええ。そのつもりです。──やはり、ソアレ王子と面会はできませんか?」
「無理だね。もう、ソアレの話は終わっているもの」
「分かりました。──では」
それだけ言うと、グランツは部屋を後にする。ヴェントはカルドを伴うようにして、席を立った。そのヴェントにフォンセは視線を向けると。
「君、かなり強いよね? さっきのグランツ隊長と二人がかりで来れば、僕なんてひとたまりもないけれど。そうはしないの?」
「俺たちは明日、ここを立つ。あんたはここでソアレと一緒に暮らせるんだ。──それで充分だろ」
凄むヴェントにフォンセは笑うと。
「…ああ、そうだね。くれぐれも、諦めた振りをした元臣下にソアレを拐われないよう、気を付けるよ。特にソアレの身の回りは厳重にするつもりだ…」
その目は鋭く光る。フォンセにはお見通しの様だったが、グランツもヴェントも引くつもりはないだろう。
アステールもそれは同じだった。どんな手を使っても、ソアレを取り戻し、話さねばならない。
ヴェントはそんなフォンセを一瞥し、部屋を去って行った。アステールもそれに続くよう立ち上がれば。
「──ねぇ。君って、ソアレと出来てるの?」
「貴方に話すつもりはない」
冷たく言い返すアステールに、フォンセは物憂げな視線をよこすと。
「ソアレの反応を見れば、ものに出来ては──いない様だけど…。ソアレは君を思っているね。とても強く──。だから、幾ら僕に対して身体は開いても心は開いてはくれない…」
その言葉にアステールは憤りを見せるでもなく。
「やり方はどうであれ、貴方はソアレを大切に思っている…。そんな貴方が本人の同意なく無理やり抱くとは思えない。嘘をつくならもっと増しな嘘をつくといい…」
フォンセは薄く笑む。
「…君には通じない、か。同じ穴の狢だものね?」
「貴方がソアレを手放さないのはソアレの為を思ってなのか? 単なる私欲ではないのか?」
アステールが鋭い視線を向けると、フォンセは鼻先で笑い。
「君がそれを言うの? ソアレの本当の思いも知らない癖に──。彼の望みがなにか知ってる? 王都奪還なんて、本気で願っていると?」
「…他に何がある」
「ああ。可愛そうなソアレ──」
大袈裟な身振りで天を仰ぐと、アステールに鋭い視線を投げかけ。
「いいよ。教えてあげよう。君はソアレの特別だったからね?」
「まだ、何も終わってはいない…」
「どうだろう? ──ソアレの中では終わっているんじゃないのかな? 君たちと関わる事をソアレは望んでいないから…」
フォンセはすっと席を立ち、花瓶にさされた花に手をかけた。あの、薄紫の花がその指の中で揺れる。
それで思い出した。
あれは、エストレア様のお好きだった花だ──。
確か名前をアイテールと言ったか。フォンセが城の至る所に飾るのはその所為か。
「彼の望みは、君たちが生きること。──自らの命も厭わず、王都奪還等と叫ぶ君たちとは真逆だね?」
「……!」
流石にアステールも動揺を隠せなかった。フォンセは薄く笑むと。
「ソアレはもう、君たちのもとには戻らない。王など望んでいない。あくまで君たちを気遣って、そう口にしただけ。──君はソアレの何を見ていた? ずっと側にいただけかな? ソアレを今の様に追い詰めたのは僕じゃない。君たちだよ」
アステールは手を握りしめ、フォンセを見返す。憤りの治まらないアステールの様子にフォンセは満足したように笑むと。
「──じゃあね。無駄な足掻きなど止めて、大人しくテネーブルの傘下にでも下るといい…」
フォンセはそれだけ言い残すと、踵を返し部屋を出ていった。
それを下りきった先、重い扉を開けると天井の高い広い空間があった。
白い大理石の壁に囲まれたその中央には、一段高くなった所に同じく大理石で出来た台が備え付けてあり、その上に透明な珠が置かれていた。
見れば小さな子供の頭程の水晶の様だった。
壁に開けられた明かり取りの窓から差し込む日の光に、キラキラと輝いて見える。
フォンセはそこへ向かって造られた階段を上がり、台に置かれた水晶を見下ろすようにして立った。
勿論、手を引かれたソアレもその傍らに立つことになる。
「君は身近なものの生死を感じ取れるらしいね? でも、これはそれ以上、未来を見せる力がある──。遥かな昔、神との対話にも使われた貴重な石なんだよ。でも──、魔力がある者にしかそれを覗くことができない。だから、僕は扱える…。これで君の未来も覗くことができるだろう。──見たいかい?」
ソアレは促されるまま、小さく頷いていた。
見てみたい。それがどんな未来を指し示すのか──。
それを知れば、正しい道を選ぶことができる。
「見たい…」
するとフォンセは優しく笑んで。
「分かった。見せてあげよう──」
そう言うと、背後からソアレを抱くようにして、水晶に手を翳した。
それまでただの透明な石だったそれが、たちまち白く曇りはじめ、そのうちどす黒い煙の様なものが中で回り始めた。その煙がなぜか珠から出て来てソアレを取り囲んでいく。
そう、錯覚したのかもしれない。
けれど、気が付けばそこに水晶はなく、真っ暗な闇が目の前にあった。
「ソアレ。先を見てごらん──」
耳元でフォンセの声がする。
その声に促されるまま、視線を先へと伸ばせば、微かな光が見えてきた。
しかし、それは明るい日の光ではなく、揺らぐ炎の色だった。その炎はあっという間にソアレの目の前を赤く染め上げる。
人々が逃げ惑う姿。その背後にカルドとアステールを襲ったものと同じくらい、巨大なモンスターが徘徊していた。
口に咥えられたもの、踏みつぶされ形を失くしたもの。目を覆いたくなる様な惨状だ。
あ──っ……。
目を背けたかったが、なぜかそうすることができなかった。そんなソアレの震える肩を背後からフォンセが抱きすくめる。
「可愛いソアレ。これが、君の望む未来だよ──」
ドォンと大砲が鳴るような音が聞こえた。
はっとして周囲を見回すと、地面に見た姿があった。
赤い燃えるような髪が、炎の起こす風に揺れている。褐色の瞳をしっかりと開いているのに、地面に伏したままピクリとも動かない。その身体の下には血だまりができている。
ヴェント──?!
その傍らにはカルドが兄を庇う様に倒れていた。しかし、その右足は爆撃で吹き飛ばされたのか膝から先がない。
あ。ああ……。
「ほら。君の大切な人が──」
促され向けた視線の先に、仰向けに倒れる姿があった。体の左半分をモンスターに持っていかれたのか、跡形もない。
それでも、それが誰であるかすぐに分かった。銀色の髪が、風に揺らぐ。
アステール……。
声が出なかった。アステールの残された右手には剣が握られたまま。
嫌だ──。こんな──こんな事があって──いいはずが……。
「これが、君の望む未来だ。──この先、王都奪還を望むなら、ね」
フォンセが崩れるソアレの身体を抱き留める。涙も嗚咽も止まらない。血の匂いがここまで漂ってくる。
それは、アステールの……。
「──ソアレ」
耳元で聞こえたはっきりとした声音に、我に返る。
気が付けばそこは、今さっきまでいた水晶の間だった。
頬には涙が伝い、動悸が激しくなっている。血や煙の臭いがまだ残っている気がした。
「大丈夫かい? かなり──、ショックが強かったようだけれど…」
ソアレはなんとか呼吸を整えながら、自分を抱き留めるフォンセを見上げる。
「今、のは──?」
思った以上に弱々しい声になる。フォンセは深く息を吐き出すと。
「あれが、未来だよ…。今のまま突き進めばああなる…」
「嘘だ…。だって、あんな──」
「嘘じゃない──。といっても、それはこのまま突き進まない限り証明できないけれどね。でも、そうなってからでは──遅いでしょ?」
ヴェントもカルドも、アステールも……。
あんな惨い……。
唐突に吐き気に襲われ、思わず口元を押さえた。
「ああ、ソアレ。──可愛そうな、ソアレ…。大丈夫だ。私が付いている…」
そう言って背中をさすってくれる。吐きはしなかったが胃液が喉元まで競り上がってきて気分が悪くなった。
「あ、れは──現実に起こること…だと?」
「…そうだね。水晶は事実しか見せない。それをどう解釈するかは見る側に寄るけれど。あれはどう見ても戦の後。──これから先を見せているとしか思えない…」
「そ、んな…」
蒼白になるソアレを、フォンセは優しく抱きしめる。
「彼らを残酷な運命から逃がすためには、君が進まなければいい…。それだけの事だ」
「進まない…?」
「簡単だろう? 君が王として立たなければ、彼らは助かる──。王国は焼かれることもモンスターに侵される事もない。元々君は王として立つことを望んではいなかっただろ? 今後、彼らとは関わってはいけない。君はここでずっと僕と暮らせばいいんだよ…」
背後から頬にキスが落とされる。それはとても冷たい口づけだった。
+++
漸くアステールらがフォンセの屋敷へ到着したのはその二日後。
其の頃には親衛隊長のグランツも到着していた。
アステールからは初日こそ連絡があったものの、その後途絶えていた。こちらから入れても、読んではいる様だが返信はなかった。
到着早々、挨拶もそこそこに白髪の執事へソアレについて尋ねれば。
「少々お待ちいただけますか?」
そう言って、どこか奥へと下がっていった。
居間で待たされること半時。漸く執事が戻ってきた。そこにソアレの姿はない。アステールはすぐに問い正す。
「ソアレはどこに? 体調が悪いのか?」
「いいえ。ただ──お会いになりたくないとおっしゃられまして…」
執事の言葉にヴェントが声を荒げる。
「はぁ? 何言ってんだよ? 俺たちはあいつの家臣だぜ? 会いたくないも何も、主人の顔を拝むのは当然だろ? てか、本気でそんなこと言ってんのか?」
するとそこへフォンセが入ってきた。手に花束を抱え、それを鼻先へ寄せながら。
「ああ、漸く到着したね? 何も問題はなかったかな?」
「フォンセ様。ソアレに会わせて頂けませんか?」
アステールが抑えた声音そう口にすれば、フォンセはふわりと笑んで。
「…ソアレは会いたくないと言っているのだけれど…。確かにそれは主人としていけない態度だね。分かったよ──。連れてくるからここで待っていて」
執事に何事か言いつけた後、フォンセは退出した。手にして来た花束をテーブルに置いたまま。
「ソアレ、いったい何だってんだ? てか、会いたくないって、本気で言っていると思うか?」
ヴェントは不審顔だ。カルドも首をかしげる。
「ソアレ、俺たちと離れる前はそんなこと一言も…。何かあったのかな?」
「そうだな──。本気で言っているのだとしたら、心変わりを起こすような何かがあったとしか…」
アステールは僅かに花びらの散った薄紫の花に目を落とす。そこから凛とした爽やかな香りが漂う。ハーヴに似た香りだ。それはどこかで見覚えがあった。
どこで見たのかと記憶を手繰り寄せていれば、外で用事を済ませ終えたグランツが合流した。ブリエの姿もある。
「どうした? 一体何があった?」
皆の重苦しい空気にグランツはいぶかしむが。
「ソアレが会いたくないと言ってるんだ」
「会いたくない?」
ヴェントの言葉にグランツは驚きの声を上げた。
「いったい、またどうして──」
「今、フォンセ様が呼びに行っている。直に来るだろう…」
アステールはそこで問い正すしかないと思っていた。
一体、この数日で何があったのか──。
会いたくないなどと、今までのソアレからは想像もつかない言葉だ。よほどの事がない限り、そんな言葉は口にしないだろう。
俺にも──会いたくないのか?
思わず手を握り締めていた。
確かに数日前、自分と離れたくないとそう口にしていたのはソアレだ。それがどうして。
「お待たせしたね。まだ、体調がすぐれなくて──。手短にお願いできるかな?」
フォンセのそんな言葉とともに現れたのは、腕に抱えられたソアレの姿だった。
白いガウンを身に纏い、酷くやつれた顔をしている。その顔色も冴えない。それに、こちらをまともに見ようともしなかった。
フォンセはそんなソアレを、皆から離れた椅子へそっと下ろし座らせる。
ソアレは高い背もたれに身体を預け、ぐったりとしたまま。その目に気力が見られない。
「…一体、何が?」
アステールの絞り出すような声に、フォンセは笑むと。
「何も。──そうだよね? ソアレ」
肩に手を乗せソアレに優しい声をかける。すると、こくりと頷いて見せた。
まるで生気のない表情に、アステールの眉間に皺が寄る。
「ソアレに──なんかしたのか? 助けるとかなんとか言ってたが──」
ヴェントが凄むと、フォンセは首を振り。
「いいや──。僕は彼に治療を施しただけ…。ただ、その間に彼の考えが変わっただけだよ。──そうそう。ソアレはもう、ここから動かない」
「は? 何を言って──」
流石にグランツも黙っていられなかったらしい。一歩前に出てフォンセと向き合う。
「今言った通り。ソアレはもう立たない。君たちの王はもういないんだ。彼はここで僕と一生暮らす──」
皆がその言葉に激高する前、その胸倉を掴んだのはアステールだった。
「──おや。珍しい。君がそんな態度をとるなんて…」
「ソアレに何をした? ──言え」
フォンセは不敵に笑うと。
「君は誰に向かってそんな態度を取っているんだい? 僕はここの領主だよ。もう少し、分をわきまえたらどうかな。頭が冷えるまで別室にいてもらおうか。──こいつを連れ出せ」
低い声音で指示すると、直ぐに護衛が現れてアステールの腕を取り、フォンセから引き離すと、部屋から引きずる様に連れ出した。
その間も、アステールは刺すような視線をフォンセに向けていた。
それを見送った後、フォンセは笑むと。
「彼にはしばらく地下にいてもらうよ。冷静になるまでね──。君たちも同じ目に会いたくなければ、大人しくしていてくれ。それから──充分休んだらどこへでも行ってくれたまえ。欲しいものは全て用意させるから、執事に言ってくれ。では──」
そう言って、ソアレを再び抱き上げると部屋を出ていこうとする。
「待てよ! ソアレと話をさせろよ! なんで一言も話さねぇ。──ソアレ!」
フォンセにではなく、ソアレに詰め寄ろうとしたヴェントを護衛が取り押さえる。
ソアレはそんなヴェントに一瞥をくれようともしない。まるで声など聞こえていない様だった。
「ソアレ…」
カルドは小さく呟くと、フォンセに抱かれ去って行くソアレの横顔を見つめる。それからキュッと唇を噛み締めた。
+++
「一体、何がどうなってる? ソアレのあの状態はなんだ? あれじゃまるっきり別人だ──」
ヴェントは用意された部屋にグランツらと戻ると、深々とため息を付き、どっかとソファに座り込む。
グランツも同じく向かいのソファに座ると顔をしかめ。
「確かにおかしいが…。薬を盛られた様にも見えない。あれは、一応正気ではあるだろう…」
確かにフォンセの言葉にはしっかり反応を見せていた。薬で意識を奪われているならそんな反応は示さないだろう。
「何かあいつに吹き込まれたのか? でも、あいつだってソアレが王都を奪還するのを望んでいたんじゃ──」
「どうだろうな? 奴はもともと、王国の出じゃない。詳しくは分からないが、前領主は流れ者の女を妻にしたそうだからな? それほど、王国に忠誠心がある訳でもないだろう。それに、やはり王妃を好いていたというのは本当だったようだな?」
「…くそ」
ヴェントは分厚い絨毯を蹴りつける。
フォンセの態度は大切な甥を誰にも渡したくないと、そう示していた。危険な目になど合わせたくないと。血のつながりはないとは言え、やはり愛した人の子どもだ。執着があるのだろう。
「王妃様に生き写しだからな。手放したくなるのもあるのだろうが…。ソアレの王として立たないというのは──納得できんな…」
グランツは顎に手を当て思案顔だ。と、傍らに控えていたブリエが一歩進み出て。
「隊長。私は今から王子の居場所を探ろうと思います。よろしいでしょうか?」
「ああ。丁度頼もうと思っていた所だ。──夜には報告できるか?」
「はい」
「よし。充分注意して行ってこい」
「──は」
軽く頭を下げ、きっちり眉の上で揃えられた前髪を揺らしブリエは部屋を退出した。グランツは一つ息を吐き出すと。
「王子の居所を掴んだら、直ぐに助けだす。長引かせるのは良くないからな。フォンセ様にはソアレの事は諦めて、明日には立つとでも言って油断させておくさ。──信用するとは思わないがな」
「上手くいくと思うか? 結構、厳重なようだが…」
ヴェントが訝しんで問えばグランツは。
「やるしかないだろう。フォンセ様と事を構えることにはなるが。──幾ら王として立つことを渋っていたとはいえ、こうも態度を変えるのは納得ができない。ソアレ王子としっかり話したい所だが、あの様子では話す機会もないからな。──と、なると連れ去るしかないだろう?」
「相変わらず、強引だな?」
ヴェントは肩をすくめて見せたが。
「王都を奪還して、国を取り戻す。──それがせめてものレーゲンへの償いだ。レーゲンが守ってきた王国を取り戻したい。それには、ソアレに立ち上がってもらわねばな。王子以外にいない」
「確かに。だが──ソアレが本心でそう口にしていたらどうする?」
「…納得が行くまで話を聞く。それだけだ」
「納得が行けば、ソアレを王として立てるのを諦めるのか?」
するとグランツは何処か遠い目つきになって。
「そうだな…。それは考えていなかったが…。最終的にはソアレの意思を尊重する。で──俺個人でレーゲンの敵を討つだろうな…」
「そうか…。もしそうなったら、俺も手伝うぜ? 少しは役に立つだろ」
「よろしく頼んだ」
グランツは口元にどこか寂しげな笑みを浮かべ、ヴェントの肩に手を置くと、色々と下準備があるからと宛がわれた部屋へと戻っていった。
「…ねぇ、兄さん」
それまで黙ってやり取りを聞いていたカルドは不安げな表情をヴェントに向けてきた。
「なんだ? 顔色が悪いな…。お前も今のうちに休んどけよ。疲れただろ?」
「俺は別に──。ただ、ちょっと気になって...」
「何がだ?」
カルドは躊躇ったあと、口を開くと。
「ソアレ。ずっと震えてた。…まるで俺たちが怖いみたいで。だから、目も合わせなかったのかなって…」
「なんで怖いんだよ?」
ヴェントは顔をしかめる。
「分からない…。けど、あれだけ強いソアレが怖がるって、相当の何かがあったんだと思う。それに気付いたから、アステールはあんなに怒ったんだ…。何かされたって…」
ヴェントは息を吐き出すと。
「…俺たちが怖いって。なんだよ。それ──」
日が落ち始めた外の景色に目を向けた。
+++
あれは──正気の目だった。
アステールには自分の意志でそうしているのが分かった。ただ、怯えているだけだとも。
しかし、何がそんなにソアレを怖がらせているのかが分からない。
きっと、あのフォンセが何かをしたはず。ソアレが臆するような何かを。
「おい。もう出ていいぞ」
見張りの男が地下牢の分厚い鉄製の格子の向こうからそう告げた。
冷たいコンクリから立ち上がると、開けられたドアから外に出る。
手首は後ろ手に拘束されたままだ。銃を突きつけられたが、それ程悪いことをしたとは思っていない。逆にその銃をフォンセに突きつけたいくらいだった。
ふと横から風を感じてそちらに顔を向けた。薄暗い廊下がその先に続き、大きな扉見える。ぼんやりとした照明の中に、衛兵が二人浮かんで見えた。
「──あれは?」
するとむっつりとしたまま護衛が淡々と告げる。
「講堂だ。フォンセ様の許可無しには入れない」
それだけ言うともう話すつもりはないのか、口を閉ざしてしまった。
講堂、か。こんな地下に一体何の為に?
不思議には思ったが、今は探る時間もない。
「おい。こっちだ」
衛兵に追い立てられる様にして、その場を後にした。
階上に戻ると、ヴェントらのいる部屋に連れていかれ、そこで漸く拘束を解かれた。すると脇から執事が姿を現し。
「夕食の用意ができました。先ほどの居間へお集まり下さい」
「ソアレは?」
すかさずアステールが問うと。
「ソアレ様は別室にてお取りになります。──では」
要件だけ伝えると、執事は去っていく。
ここの執事と言うことは、ソアレの母、エストレアも知っているのだろうか。
だとすれば、その息子のソアレを危険な目に合わせたくないと思うのは、フォンセのみではないのかもしれない。
アステールが自由になった手首をさすりながらそんなことを考えていると、ヴェントがからかうような表情を見せ。
「よう。お前の激高する姿を見るのは初めてだな?」
「すまない。次は冷静でいる──。グランツは?」
「今は別室だ。夕食には顔を出すだろう。──折を見てソアレを連れ出す予定だ。また後で打ち合わせる」
「…そうか」
アステールはソアレの気力を失くしが目が気になって仕方なかった。
あの目をもとに戻すことはできるのか。いや。しなければならない。自分の為だけではなく、王都奪還の為にも──。
フォンセが施した何かを解かなければ、レーゲンに向ける顔がない。
何としても、ソアレを救い出す。
アステールは拳を握り締めた。
+++
夕食はいたって静かなものだった。
グランツも顔を出したが、部下のブリエは顔を見せなかった。
ヴェントもカルドもまるで人形の様に押し黙って、黙々と出された食事を口に運んでいる。
今もどこかでソアレは食事をしているのだろうか?
その傍らにはフォンセがいるのだろう。フォンセの前では少しはくつろいで見せているのか。胸の奥がチリリと傷む。
馬鹿だな。嫉妬とは──。
自分自身の胸の内を笑う。今はそんな事を考えている場合ではないと言うのに。
思いが通じあった途端、これだ。
しかし、あの様子ではその思いの行方もどうなるかわからない。ただ、互いにたった数日で終わるような気持ちでは無い筈だ。
ソアレに何があろうと、俺の気持ちは変わらない。
ソアレもそうであって欲しいと、願わずにはいられなかった。
夕食が終わる頃、フォンセが姿を現した。
既に今後の予定は執事からフォンセに伝えられている。フォンセは空いた席へ腰を据えると。
「執事から聞いたけど──、ソアレの事は諦めるって?」
皆が食後のコーヒーを飲み終わり、立ち去りかけた頃だった。グランツはちらと目配せすると。
「ええ。そのつもりです。──やはり、ソアレ王子と面会はできませんか?」
「無理だね。もう、ソアレの話は終わっているもの」
「分かりました。──では」
それだけ言うと、グランツは部屋を後にする。ヴェントはカルドを伴うようにして、席を立った。そのヴェントにフォンセは視線を向けると。
「君、かなり強いよね? さっきのグランツ隊長と二人がかりで来れば、僕なんてひとたまりもないけれど。そうはしないの?」
「俺たちは明日、ここを立つ。あんたはここでソアレと一緒に暮らせるんだ。──それで充分だろ」
凄むヴェントにフォンセは笑うと。
「…ああ、そうだね。くれぐれも、諦めた振りをした元臣下にソアレを拐われないよう、気を付けるよ。特にソアレの身の回りは厳重にするつもりだ…」
その目は鋭く光る。フォンセにはお見通しの様だったが、グランツもヴェントも引くつもりはないだろう。
アステールもそれは同じだった。どんな手を使っても、ソアレを取り戻し、話さねばならない。
ヴェントはそんなフォンセを一瞥し、部屋を去って行った。アステールもそれに続くよう立ち上がれば。
「──ねぇ。君って、ソアレと出来てるの?」
「貴方に話すつもりはない」
冷たく言い返すアステールに、フォンセは物憂げな視線をよこすと。
「ソアレの反応を見れば、ものに出来ては──いない様だけど…。ソアレは君を思っているね。とても強く──。だから、幾ら僕に対して身体は開いても心は開いてはくれない…」
その言葉にアステールは憤りを見せるでもなく。
「やり方はどうであれ、貴方はソアレを大切に思っている…。そんな貴方が本人の同意なく無理やり抱くとは思えない。嘘をつくならもっと増しな嘘をつくといい…」
フォンセは薄く笑む。
「…君には通じない、か。同じ穴の狢だものね?」
「貴方がソアレを手放さないのはソアレの為を思ってなのか? 単なる私欲ではないのか?」
アステールが鋭い視線を向けると、フォンセは鼻先で笑い。
「君がそれを言うの? ソアレの本当の思いも知らない癖に──。彼の望みがなにか知ってる? 王都奪還なんて、本気で願っていると?」
「…他に何がある」
「ああ。可愛そうなソアレ──」
大袈裟な身振りで天を仰ぐと、アステールに鋭い視線を投げかけ。
「いいよ。教えてあげよう。君はソアレの特別だったからね?」
「まだ、何も終わってはいない…」
「どうだろう? ──ソアレの中では終わっているんじゃないのかな? 君たちと関わる事をソアレは望んでいないから…」
フォンセはすっと席を立ち、花瓶にさされた花に手をかけた。あの、薄紫の花がその指の中で揺れる。
それで思い出した。
あれは、エストレア様のお好きだった花だ──。
確か名前をアイテールと言ったか。フォンセが城の至る所に飾るのはその所為か。
「彼の望みは、君たちが生きること。──自らの命も厭わず、王都奪還等と叫ぶ君たちとは真逆だね?」
「……!」
流石にアステールも動揺を隠せなかった。フォンセは薄く笑むと。
「ソアレはもう、君たちのもとには戻らない。王など望んでいない。あくまで君たちを気遣って、そう口にしただけ。──君はソアレの何を見ていた? ずっと側にいただけかな? ソアレを今の様に追い詰めたのは僕じゃない。君たちだよ」
アステールは手を握りしめ、フォンセを見返す。憤りの治まらないアステールの様子にフォンセは満足したように笑むと。
「──じゃあね。無駄な足掻きなど止めて、大人しくテネーブルの傘下にでも下るといい…」
フォンセはそれだけ言い残すと、踵を返し部屋を出ていった。
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