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第三章 再会
第十七話 記憶
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鋭い牙と爪が襲いかかる。
モンスターの攻撃を避けるため、腕を翳した際に、ノブを掴んでいた手の力が緩んだ。
その瞬間を逃さず、ソアレは直ぐにドアを開け、アステールを中へと引き込こむ。
内側に引かれ身体が後ろに倒れ込むのと入れ替わりに、人影がアステールの前に躍り出た。
ソアレ!?
気がつけば目の前にソアレの背中があった。それは、いつかと同じ景色で。幼い頃のそれとダブる。モンスターの鋭い牙がソアレに迫った。
あの時も守れなかった。
また、今度も──。
「ソアレ──!」
しかし、ソアレに襲いかかったモンスターは、直前で何かにぶつかって跳ね返され、その衝撃に呻き声をあげ後退した。
何…?
「アステ!」
その隙にぐいと腕を引かれ、ドアが閉められたと同時、モンスターが扉に体当たりしてきた。しかし、強化ガラスのそれはびくともしない。ソアレは鍵をかけると。
「アステ、奥に──!」
アステールの腕を取って中へと急ぐ。モンスターは諦め切れず、周囲をうろつき出したが、そこまでだった。
もう一つ、ドアを抜けるとそこは直ぐに寝室となっていた。緑に囲まれたベッドには、先ほどまで寝ていたであろう窪んだ跡が残っている。
そこまで来ると、ソアレはアステールの腕を離した。
「…ソアレ。お前、さっき魔法を──?」
アステールは傍らのソアレを見つめる。
「分からない。なんで、あいつが弾かれたのか──。俺は、ただ、アステを守りたくて…」
ソアレは自分の掌を見つめたまま微かに震えている。
ソアレ…。
アステールは何も言わずに、その肩を抱いた。それで、ソアレの震えが少しづつ治まっていく。懐かしい黒髪に口づけて。
「…ソアレ。ここを出よう。迎えに来た」
「アステ…」
ピクリと肩が揺れて、漸くその瞳がはっきりと開かれると、アステールを見上げてきた。
「ソアレ。今は何も言わず、俺についてきてくれ。──頼む」
すると、ソアレはアステールの胸を押し返し、ゆるゆると首を振って見せた。
「…だめだ。俺は──行けない…」
その態度にアステールは唇を噛みしめる。
「ここでは話してはいられない。出てから──」
「だめだ! ──すまない…。けど、俺はもう、決めたから…。ヴェント達にも、そう伝えてくれ。俺は──行かないって…」
アステールは逃げるソアレの両肩を掴みその顔を覗き込む。
「ソアレ。どうしてそう決めた? それは自分の意志でか?」
ソアレは視線を逸らし俯く。
「…そうだ。自分で決めた…」
「それは──俺たちの為に、そう決めたのか?」
「!」
はっとするようにして、ソアレが顔を上げた。蒼い瞳が揺れる。
「ソアレ…。フォンセに何を言われた?」
「別に…っ」
「お前はきちんと自分の意思を持っている。一度決めた事は何があっても貫き通してきただろう? そのお前が意思を曲げるなんて、相当な事があったからに違いない。──お前が…王位も王都奪還も望んでいないとフォンセから聞いた」
「…そ、れは──」
「嘘はつかなくていい。お前の気持ちを理解せず、考えを押し付けてすまなかった…。しかし、だからと言って、俺たちになんの説明もなしに突然、行動も共にしないなど以前のお前ならあり得ない…。今までのお前なら分かり合えなくとも、きちんと説明したはずだ。それが──。何かあったと思っても不思議ではないだろう? ソアレ…。何があった? 俺に嘘をつかないでくれ…」
頬に手を伸ばし触れる。寒さだけではなく、再びその身体が震え出す。
乱れたガウンの下には下着さえ身に着けていない。
ここでフォンセにされていただろうことを思うと、フォンセに対する憤りと、何もできなかった自分自身を情けなく思う。
これ以上、ソアレに辛い思いをさせたくはない──。
それには、ソアレを追い詰めた原因を知ることが先決だった。
アステールはもう一方の手もソアレの頬に添え、視線をしっかりと合わせると。
「頼む。俺を信じてくれ…」
何かが、ソアレを不安に陥れている。
目を覗き込んだまま、そっと口づける。
震える唇が愛おしくて仕方ない。包み込むように触れて、ゆっくりと離す。
ソアレは一旦、閉じた目を開き、悲しい眼差しでアステールの目を見つめていたが、根負けしたかのように視線だけ落とすと。
「…フォンセに──見せられたんだ」
「何を?」
「先が見通せる石で──。多分、これから先、起こる事を…」
アステールは震える声でそう告げるソアレの頬を包み込むようにして、顔を上向かせる。
「それは──どんな?」
「このまま突き進めば…ヴェントもカルドも。──アステも…。皆……。」
その先は口にしたなかったが、予想がついた。ソアレをここまで追い込むのは皆の『死』以外にないだろう。
「あれが…未来だというなら、俺は──あんな未来、いらない…! 王位も王都も父親の敵を討ち取ることも、全て諦める…」
「ソアレ…」
「俺は──アステを失くした未来を受け入れる事は出来ない…」
涙が頬を伝う。そこへもそっとキスを落とすと、アステールは深い海の色を見つめ。
「ソアレ。そんなものを信じるな。俺を信じろ」
「アステ…?」
「未来は今この瞬間の行動で幾らでも変えることができる。ソアレが見た未来も真実かもしれないが、今はまた違う未来が描かれているかもしれない。全ては決まってなどいない。ソアレが見た未来など、俺が変えて見せる。だから、俺を信じでついてきてくれ」
「……」
「お前が王位を望まなくてもいい。王都など必要ないなら、それでもいい。ただ、お前をフォンセのもとへ置くことだけはできない。全て捨てるというなら、俺だけは捨てるな。俺はお前が望むなら何処へなりと行く。…お前と共にいたい。ソアレ、ここから出よう」
「アステ…、でも、皆はそれを望んで──」
「お前と生きられるなら、皆の恨みを買おうが、どんな世界になろうが構わない。お前を連れてどこかへ逃げる。お前と──離れてなど生きられない…!」
ぐいとその体を引き寄せ抱きしめる。
「ソアレ、俺にはお前だけあればいい。だから、俺を捨てるな…」
「んな──こと…」
ぎゅっとその細い腕がアステールを抱き返してくる。そうしてアステールの胸元に額をこすりつけると。
「…捨てるわけない…。離れたくない。俺は──アステと、ずっと一緒にいたい…」
「ソアレ──」
顔を起こして、その瞳を覗き込もうとすれば、にわかに温室の内側が騒がしくなった。
と、端末にブリエからの連絡が入っていた。そこには、ヴェント達が行動を起こしたとある。それへソアレを確保したと返した。
「ソアレ、ひとまずここは出よう」
「でも正面は──」
外には先ほどのモンスターが徘徊していた。衛兵も戻ってきているだろう。
「大丈夫だ。隠し通路がある」
「隠しって、あの石のある広間の?」
「いや。もう一つある、エストレア様の部屋へと通じる道だ。ブリエが大体の位置は探ってくれた。内側からなら容易に開く筈だ。多分この先に分岐がある。ヴェント達が講堂の入口で気を引いている間に、そちらから脱出する。ソアレ、こちらへ──」
それはあらかじめグランツとブリエと共に決めてい置いたことだった。
アステールが無事、ソアレを確保できたなら、残された通路を使って脱出すると。
着ていたジャケットを脱いで、ソアレのガウンの上から羽織らせると、軽々と腕に抱え上げ、ブリエが送ってきたデータをもとに通路を出口に向かって進んだ。
講堂に向かう道の途中にその分岐はあった。
同じく暗い長い通路が上へと階段状に続く。用意したライトを点け、ソアレを抱えたまま階段を上がった。
「アステ、俺歩ける──」
「ダメだ。お前は素足だろう? ケガをする。ここには何があるか分からないからな」
部屋に出たらすぐにこの屋敷を出る予定だった。その手筈は整えてある。
ヴェントとグランツの心配はしていなかった。こういった場面には慣れているし、二人とも一人で一個中隊は壊滅させるだけの力がある。
問題は、すんなりと屋敷から無事に出られるかだが──。
エストレアの居室から階下までの間、ソアレを連れ、どう逃げるか。
途中で邪魔が入るのは目に見えている。
なにより、フォンセがいる──。
ただの人ではない事は分かっている。魔力が使えるとあれば、どんな手を使ってくるかわからない。
攻撃に特化していなければ、容易いが。
フォンセが魔法で攻撃に出た場合、火器で対抗できないだろう。
通路を上階まで駆けあがり、部屋へ通じる扉の前まで来ると、一旦、ソアレを下におろし背中に納めていた銃を手にする。
「アステ…」
「ブリエ達は皆、グランツ達の応援に向かっている。屋敷の中では援護がない。俺とお前だけだ。ここから先は抱えていくことができない。──走れるか?」
「誰に向かって言ってんだよ? てか、これって前と同じだな。城から逃げ出したさ。あの時より、俺も少しは動ける。俺の事は気にすんな」
先ほどとは打って変わって、力強い光が瞳に宿っていた。以前と変わらない調子にアステールは笑みを浮かべる。
「…良かった。もとのお前に戻ったな?」
頬に触れるとくすぐったそうに首をすくめて見せ。
「あんな情けない俺ばっかじゃないってとこ、見せないとな?」
「…情けなくなどない。どれも大切なお前に変わりない。──行くぞ。これを持て」
アステールはソアレにもう一つ銃を手渡し、自分の銃を構えると扉を押した。その言葉にソアレの頬は朱に染まる。
「お前って、すっげぇたらしだろ?」
ソアレの呟きに苦笑を漏らしつつ、意識を外へと向けた。
扉を開けた先には繊細な設えの机と椅子。立ち並ぶ本の数々。窓から差し込む月光。
それから──。
「ああ。やっと来たね。二人でお楽しみだったのかと思ったよ」
「フォンセ…」
扉を開けた先にはフォンセ一人がそこに立っていた。護衛の者は連れていない様子。
アステールは鋭い視線を向ける。
これなら切り抜けられるか?
ソアレを背に庇い、銃口をフォンセに向ける。
「通してもらう…」
「物騒だね。でも、ソアレは置いて行ってよ。…その約束だ」
フォンセが不意に右手を掲げた。
そこへ白い光の塊が現れる。バチバチと爆ぜるそれは電撃にも似ている様だった。
「なぜ、僕が一人でここにいるのか、分かるよね? ほかに必要ないからだよ」
言い終わると同時、その光が手から放たれ、アステールの肩先を掠めた。
避けはしたが、余りに早くそれが精一杯だ。直ぐに続けざま、フォンセの肩目掛け銃弾を放ったが、全てその光に吸い込まれるように防がれ消えていった。
やはり、厳しいか──。
「ソアレ、ドアに向かって走れ」
「嫌だ。お前を置いていけない」
「そんな事を言っている場合じゃない。魔法の攻撃に火器は効かない。いいから走れ!」
「ふふ。ソアレ。いい子だ。アステールを生かしたいなら、こちらへ来るんだ。それで全て丸く収まる。君に──自由を与えすぎたかな? 次は少し拘束させてもらうよ…。まあ──、もう、僕と君とは切っても切り離せない繋がりができてしまっているのだけれど…」
「俺は──戻らない」
フォンセを見つめてそう返す。
「アステと一緒に行くと決めた」
その手がアステールの着ているシャツを掴む。
ソアレ──。
銃を構えたまま、アステールは目を細める。
「フォンセ。俺は──あの時、見せたれた未来を信じた。けれど、アステールがそれを変えて見せると言ってくれた。…今はそれを信じる」
「信じるって。あの未来が真実なのに?」
フォンセの手にはあの光がまた集まってきていた。それから庇う様にソアレはアステールの前に立つと。
「俺は──逃げれば、皆を救えると信じた。けれど、きっと逃げても皆は俺を置いて先へ進む。そうすれば、結局待ち受けている未来は同じなのかもしれない…。だったら、皆と進んで、少しでも違う未来を描けるよう、あがくつもりだ。…でも、俺は俺を守ろうとしてくれたフォンセを嫌いにはなれない。現に俺を生かしてもくれた…。このまま──、優しいフォンセでいてくれないか?」
ソアレの身体から白い燐光の様なものが見えた気がした。
気のせいだろうか?
アステールは目を凝らすようにしてその背を見つめる。
ソアレを守るため、その前へ出なければならないのだが、身体が固まったように動かない。
まさか──。いや、やはりこれは。先ほどと同じだ──。
アステールはソアレの背中を見つめる。
「フォンセ。俺はあなたと戦いたくない。…なぜかわからないけれど、そうしては行けない気がするんだ…。俺の中に、時々知らない記憶が流れてきて…。その中にフォンセもいる気がしてならない。ずっと前から知っている気がして…。それはここにいるアステも、それからヴェントもカルドも。皆同じだ。おかしなことを言っていると思うだろうけれど…。でも、止めたいからこんなこと言っているんじゃない。戦いたくはないんだ…」
フォンセはただ押し黙って、ソアレをじっと見つめている。
その表情はどこか驚きにも似た色が浮かんでいた。
「その──一度死んで、フォンセの中に取り込まれた時。とても心地よくて幸せだった。貴方の中が優しかったから…。フォンセ、俺を思うならここを通してくれないか。そして、王都へ向かうことを許してほしい」
「ソアレ…」
アステールは思わず声を漏らしていた。
あれほど、抵抗を示していたのに。王都を目指すというのか。
「…ほんっと。僕もたいがいだな…」
フォンセの右手から光の塊が消えた。首を振って苦笑を漏らす。
「僕は君が好きだよ。…いや。好きという言葉では括れないな。もっと、深く君を思っている…。けれど、君はすでに思う人を見つけてしまった。今回もね…」
「フォンセ?」
ソアレが首を傾げれば。
「いいんだ。これは知らなくてもいいこと。まあ、いつか機会があれば話してもいいけれど。今はやめておこう。ただ、確かに君が見た記憶は君のもので、そこに僕がいたのも事実だ。そして──」
ふいと視線がアステールに向けられたが、それ以上はなにも口にしなかった。
「いいよ…。君のその思いに免じてここを通してあげる。ただし──、一度きりだ。次もし、同じことがあれば僕は二度と君を手放さない。誰を──思っていようとね」
「──」
言葉の最後、アステールに視線が向けられる。
アステールはその視線に、正面から向きあう。互いに譲る気はなかった。
「ありがとう。フォンセ…。でも、きっと次はない。…それに、俺はフォンセを嫌いな訳じゃない。それだけは分かってくれ…」
「…ああ。分かっているよ」
手を下ろしたフォンセは腕を組むと、アステールから視線をそらし、そんなソアレを見返す。
「一応、知っておいて欲しかっただけだよ。…さあ、行くといい。出発の準備は整っているんだろう?」
アステールがそれに答える。
「全て整っている。フォンセ。今は礼を言う」
「ふん。今はありがたく受け取っておこうか」
アステールはソアレの背に手を回し、部屋を出るように促す。
「フォンセ…。ありがとう」
部屋を出る間際、一度だけ振り返ってソアレは礼を口にした。フォンセは片手をあげてそれに答えたのみだった。
+++
廊下に出ると足早に階下へと向かう。
その間、誰にも会うことはなかった。フォンセによって何か指示が出されているのだろうか。
「ソアレ、ひとつ、聞きたいことがある…」
「なに?」
「さっきも…お前は魔法を使ったか?」
「魔法? どうしてだ?」
ソアレはきょとんとして見せる。アステールはその様子に嘘がないのを見て取ったのか。
「…一瞬、身体が動かなくなった。フォンセがやったことではない。お前が前に進み出た途端、動かなくなった。何かお前が力を使ったのかと思ったのだが…」
するとソアレは考え込む様に視線を落とし。
「確か…アステールを守ろうとは思ったけれど…。特にそれ以上何も思ってはいなかった。何かそんな力があるのかな…?」
「分からない。だが、それがあるかどうか、試してみてもいいだろうな。お前の持つ力はまだ未知だ。魔法の訓練も半ばだったからな? 攻撃に特化していないことは確かだが…」
するとソアレは笑って見せ。
「アステールを守れる力なら、いいのにな? そしたら──」
っと、そこでふと目の前に見たことのない場面がフラッシュバックした。
『神よ! 私に──力を──!』
叫ぶような声と同時に、光の渦が辺りを取り巻いた。
周囲にある何もかもを呑み尽くしていく。
叫んでいるのは──俺?
「…ソアレ?」
「あ…」
気が付けばアステ―ルが立ち止まってソアレを見下ろしていた。
「あ…これ、なんだ…」
「ソアレ? これとは──」
「さっき、フォンセに言ったろ? 知らない記憶が入り込んでくるって。今もまた──。これって、何なんだろう? 何か今回のテネーブルの反乱と関係があるんだろうか?」
「分からないが…。今度それも整理してみよう。いったいどんな人物ができてて、どんな場面だったのか。つなぎ合わせれば何か意味が掴めるかもしれない」
「…ん。そうする…」
どこか思いだすことに恐怖を覚えないでもなかったが、今はそれを口にはしなかった。
それは今の記憶ではないのだから、今の自分とは関係がないはず。そう思うことで心を落ち着かせた。
「さあ、ここを出よう──」
アステールが重い屋敷のドアを押し開けて、外の新鮮な空気を漸く吸い込むことができた。
+++
フォンセはエストレアの居室から、用意された車に乗って今まさに出ていこうとするソアレとアステールを見下ろしていた。
記憶が蘇り始めているのか──。
それが吉と出るのか凶と出るのか。
しかし、今の自分を作り出したのはその記憶にある過去の自分だ。
ソアレにはそれがどう影響するのか。
次会う時が楽しみだね。──僕はもう、君を逃すつもりがないのだよ。けれど、君の熱意に免じて今だけ君を自由にしてあげよう。
「そう──。今だけはね」
フォンセは冷ややかな視線を去っていく車に向けた。
モンスターの攻撃を避けるため、腕を翳した際に、ノブを掴んでいた手の力が緩んだ。
その瞬間を逃さず、ソアレは直ぐにドアを開け、アステールを中へと引き込こむ。
内側に引かれ身体が後ろに倒れ込むのと入れ替わりに、人影がアステールの前に躍り出た。
ソアレ!?
気がつけば目の前にソアレの背中があった。それは、いつかと同じ景色で。幼い頃のそれとダブる。モンスターの鋭い牙がソアレに迫った。
あの時も守れなかった。
また、今度も──。
「ソアレ──!」
しかし、ソアレに襲いかかったモンスターは、直前で何かにぶつかって跳ね返され、その衝撃に呻き声をあげ後退した。
何…?
「アステ!」
その隙にぐいと腕を引かれ、ドアが閉められたと同時、モンスターが扉に体当たりしてきた。しかし、強化ガラスのそれはびくともしない。ソアレは鍵をかけると。
「アステ、奥に──!」
アステールの腕を取って中へと急ぐ。モンスターは諦め切れず、周囲をうろつき出したが、そこまでだった。
もう一つ、ドアを抜けるとそこは直ぐに寝室となっていた。緑に囲まれたベッドには、先ほどまで寝ていたであろう窪んだ跡が残っている。
そこまで来ると、ソアレはアステールの腕を離した。
「…ソアレ。お前、さっき魔法を──?」
アステールは傍らのソアレを見つめる。
「分からない。なんで、あいつが弾かれたのか──。俺は、ただ、アステを守りたくて…」
ソアレは自分の掌を見つめたまま微かに震えている。
ソアレ…。
アステールは何も言わずに、その肩を抱いた。それで、ソアレの震えが少しづつ治まっていく。懐かしい黒髪に口づけて。
「…ソアレ。ここを出よう。迎えに来た」
「アステ…」
ピクリと肩が揺れて、漸くその瞳がはっきりと開かれると、アステールを見上げてきた。
「ソアレ。今は何も言わず、俺についてきてくれ。──頼む」
すると、ソアレはアステールの胸を押し返し、ゆるゆると首を振って見せた。
「…だめだ。俺は──行けない…」
その態度にアステールは唇を噛みしめる。
「ここでは話してはいられない。出てから──」
「だめだ! ──すまない…。けど、俺はもう、決めたから…。ヴェント達にも、そう伝えてくれ。俺は──行かないって…」
アステールは逃げるソアレの両肩を掴みその顔を覗き込む。
「ソアレ。どうしてそう決めた? それは自分の意志でか?」
ソアレは視線を逸らし俯く。
「…そうだ。自分で決めた…」
「それは──俺たちの為に、そう決めたのか?」
「!」
はっとするようにして、ソアレが顔を上げた。蒼い瞳が揺れる。
「ソアレ…。フォンセに何を言われた?」
「別に…っ」
「お前はきちんと自分の意思を持っている。一度決めた事は何があっても貫き通してきただろう? そのお前が意思を曲げるなんて、相当な事があったからに違いない。──お前が…王位も王都奪還も望んでいないとフォンセから聞いた」
「…そ、れは──」
「嘘はつかなくていい。お前の気持ちを理解せず、考えを押し付けてすまなかった…。しかし、だからと言って、俺たちになんの説明もなしに突然、行動も共にしないなど以前のお前ならあり得ない…。今までのお前なら分かり合えなくとも、きちんと説明したはずだ。それが──。何かあったと思っても不思議ではないだろう? ソアレ…。何があった? 俺に嘘をつかないでくれ…」
頬に手を伸ばし触れる。寒さだけではなく、再びその身体が震え出す。
乱れたガウンの下には下着さえ身に着けていない。
ここでフォンセにされていただろうことを思うと、フォンセに対する憤りと、何もできなかった自分自身を情けなく思う。
これ以上、ソアレに辛い思いをさせたくはない──。
それには、ソアレを追い詰めた原因を知ることが先決だった。
アステールはもう一方の手もソアレの頬に添え、視線をしっかりと合わせると。
「頼む。俺を信じてくれ…」
何かが、ソアレを不安に陥れている。
目を覗き込んだまま、そっと口づける。
震える唇が愛おしくて仕方ない。包み込むように触れて、ゆっくりと離す。
ソアレは一旦、閉じた目を開き、悲しい眼差しでアステールの目を見つめていたが、根負けしたかのように視線だけ落とすと。
「…フォンセに──見せられたんだ」
「何を?」
「先が見通せる石で──。多分、これから先、起こる事を…」
アステールは震える声でそう告げるソアレの頬を包み込むようにして、顔を上向かせる。
「それは──どんな?」
「このまま突き進めば…ヴェントもカルドも。──アステも…。皆……。」
その先は口にしたなかったが、予想がついた。ソアレをここまで追い込むのは皆の『死』以外にないだろう。
「あれが…未来だというなら、俺は──あんな未来、いらない…! 王位も王都も父親の敵を討ち取ることも、全て諦める…」
「ソアレ…」
「俺は──アステを失くした未来を受け入れる事は出来ない…」
涙が頬を伝う。そこへもそっとキスを落とすと、アステールは深い海の色を見つめ。
「ソアレ。そんなものを信じるな。俺を信じろ」
「アステ…?」
「未来は今この瞬間の行動で幾らでも変えることができる。ソアレが見た未来も真実かもしれないが、今はまた違う未来が描かれているかもしれない。全ては決まってなどいない。ソアレが見た未来など、俺が変えて見せる。だから、俺を信じでついてきてくれ」
「……」
「お前が王位を望まなくてもいい。王都など必要ないなら、それでもいい。ただ、お前をフォンセのもとへ置くことだけはできない。全て捨てるというなら、俺だけは捨てるな。俺はお前が望むなら何処へなりと行く。…お前と共にいたい。ソアレ、ここから出よう」
「アステ…、でも、皆はそれを望んで──」
「お前と生きられるなら、皆の恨みを買おうが、どんな世界になろうが構わない。お前を連れてどこかへ逃げる。お前と──離れてなど生きられない…!」
ぐいとその体を引き寄せ抱きしめる。
「ソアレ、俺にはお前だけあればいい。だから、俺を捨てるな…」
「んな──こと…」
ぎゅっとその細い腕がアステールを抱き返してくる。そうしてアステールの胸元に額をこすりつけると。
「…捨てるわけない…。離れたくない。俺は──アステと、ずっと一緒にいたい…」
「ソアレ──」
顔を起こして、その瞳を覗き込もうとすれば、にわかに温室の内側が騒がしくなった。
と、端末にブリエからの連絡が入っていた。そこには、ヴェント達が行動を起こしたとある。それへソアレを確保したと返した。
「ソアレ、ひとまずここは出よう」
「でも正面は──」
外には先ほどのモンスターが徘徊していた。衛兵も戻ってきているだろう。
「大丈夫だ。隠し通路がある」
「隠しって、あの石のある広間の?」
「いや。もう一つある、エストレア様の部屋へと通じる道だ。ブリエが大体の位置は探ってくれた。内側からなら容易に開く筈だ。多分この先に分岐がある。ヴェント達が講堂の入口で気を引いている間に、そちらから脱出する。ソアレ、こちらへ──」
それはあらかじめグランツとブリエと共に決めてい置いたことだった。
アステールが無事、ソアレを確保できたなら、残された通路を使って脱出すると。
着ていたジャケットを脱いで、ソアレのガウンの上から羽織らせると、軽々と腕に抱え上げ、ブリエが送ってきたデータをもとに通路を出口に向かって進んだ。
講堂に向かう道の途中にその分岐はあった。
同じく暗い長い通路が上へと階段状に続く。用意したライトを点け、ソアレを抱えたまま階段を上がった。
「アステ、俺歩ける──」
「ダメだ。お前は素足だろう? ケガをする。ここには何があるか分からないからな」
部屋に出たらすぐにこの屋敷を出る予定だった。その手筈は整えてある。
ヴェントとグランツの心配はしていなかった。こういった場面には慣れているし、二人とも一人で一個中隊は壊滅させるだけの力がある。
問題は、すんなりと屋敷から無事に出られるかだが──。
エストレアの居室から階下までの間、ソアレを連れ、どう逃げるか。
途中で邪魔が入るのは目に見えている。
なにより、フォンセがいる──。
ただの人ではない事は分かっている。魔力が使えるとあれば、どんな手を使ってくるかわからない。
攻撃に特化していなければ、容易いが。
フォンセが魔法で攻撃に出た場合、火器で対抗できないだろう。
通路を上階まで駆けあがり、部屋へ通じる扉の前まで来ると、一旦、ソアレを下におろし背中に納めていた銃を手にする。
「アステ…」
「ブリエ達は皆、グランツ達の応援に向かっている。屋敷の中では援護がない。俺とお前だけだ。ここから先は抱えていくことができない。──走れるか?」
「誰に向かって言ってんだよ? てか、これって前と同じだな。城から逃げ出したさ。あの時より、俺も少しは動ける。俺の事は気にすんな」
先ほどとは打って変わって、力強い光が瞳に宿っていた。以前と変わらない調子にアステールは笑みを浮かべる。
「…良かった。もとのお前に戻ったな?」
頬に触れるとくすぐったそうに首をすくめて見せ。
「あんな情けない俺ばっかじゃないってとこ、見せないとな?」
「…情けなくなどない。どれも大切なお前に変わりない。──行くぞ。これを持て」
アステールはソアレにもう一つ銃を手渡し、自分の銃を構えると扉を押した。その言葉にソアレの頬は朱に染まる。
「お前って、すっげぇたらしだろ?」
ソアレの呟きに苦笑を漏らしつつ、意識を外へと向けた。
扉を開けた先には繊細な設えの机と椅子。立ち並ぶ本の数々。窓から差し込む月光。
それから──。
「ああ。やっと来たね。二人でお楽しみだったのかと思ったよ」
「フォンセ…」
扉を開けた先にはフォンセ一人がそこに立っていた。護衛の者は連れていない様子。
アステールは鋭い視線を向ける。
これなら切り抜けられるか?
ソアレを背に庇い、銃口をフォンセに向ける。
「通してもらう…」
「物騒だね。でも、ソアレは置いて行ってよ。…その約束だ」
フォンセが不意に右手を掲げた。
そこへ白い光の塊が現れる。バチバチと爆ぜるそれは電撃にも似ている様だった。
「なぜ、僕が一人でここにいるのか、分かるよね? ほかに必要ないからだよ」
言い終わると同時、その光が手から放たれ、アステールの肩先を掠めた。
避けはしたが、余りに早くそれが精一杯だ。直ぐに続けざま、フォンセの肩目掛け銃弾を放ったが、全てその光に吸い込まれるように防がれ消えていった。
やはり、厳しいか──。
「ソアレ、ドアに向かって走れ」
「嫌だ。お前を置いていけない」
「そんな事を言っている場合じゃない。魔法の攻撃に火器は効かない。いいから走れ!」
「ふふ。ソアレ。いい子だ。アステールを生かしたいなら、こちらへ来るんだ。それで全て丸く収まる。君に──自由を与えすぎたかな? 次は少し拘束させてもらうよ…。まあ──、もう、僕と君とは切っても切り離せない繋がりができてしまっているのだけれど…」
「俺は──戻らない」
フォンセを見つめてそう返す。
「アステと一緒に行くと決めた」
その手がアステールの着ているシャツを掴む。
ソアレ──。
銃を構えたまま、アステールは目を細める。
「フォンセ。俺は──あの時、見せたれた未来を信じた。けれど、アステールがそれを変えて見せると言ってくれた。…今はそれを信じる」
「信じるって。あの未来が真実なのに?」
フォンセの手にはあの光がまた集まってきていた。それから庇う様にソアレはアステールの前に立つと。
「俺は──逃げれば、皆を救えると信じた。けれど、きっと逃げても皆は俺を置いて先へ進む。そうすれば、結局待ち受けている未来は同じなのかもしれない…。だったら、皆と進んで、少しでも違う未来を描けるよう、あがくつもりだ。…でも、俺は俺を守ろうとしてくれたフォンセを嫌いにはなれない。現に俺を生かしてもくれた…。このまま──、優しいフォンセでいてくれないか?」
ソアレの身体から白い燐光の様なものが見えた気がした。
気のせいだろうか?
アステールは目を凝らすようにしてその背を見つめる。
ソアレを守るため、その前へ出なければならないのだが、身体が固まったように動かない。
まさか──。いや、やはりこれは。先ほどと同じだ──。
アステールはソアレの背中を見つめる。
「フォンセ。俺はあなたと戦いたくない。…なぜかわからないけれど、そうしては行けない気がするんだ…。俺の中に、時々知らない記憶が流れてきて…。その中にフォンセもいる気がしてならない。ずっと前から知っている気がして…。それはここにいるアステも、それからヴェントもカルドも。皆同じだ。おかしなことを言っていると思うだろうけれど…。でも、止めたいからこんなこと言っているんじゃない。戦いたくはないんだ…」
フォンセはただ押し黙って、ソアレをじっと見つめている。
その表情はどこか驚きにも似た色が浮かんでいた。
「その──一度死んで、フォンセの中に取り込まれた時。とても心地よくて幸せだった。貴方の中が優しかったから…。フォンセ、俺を思うならここを通してくれないか。そして、王都へ向かうことを許してほしい」
「ソアレ…」
アステールは思わず声を漏らしていた。
あれほど、抵抗を示していたのに。王都を目指すというのか。
「…ほんっと。僕もたいがいだな…」
フォンセの右手から光の塊が消えた。首を振って苦笑を漏らす。
「僕は君が好きだよ。…いや。好きという言葉では括れないな。もっと、深く君を思っている…。けれど、君はすでに思う人を見つけてしまった。今回もね…」
「フォンセ?」
ソアレが首を傾げれば。
「いいんだ。これは知らなくてもいいこと。まあ、いつか機会があれば話してもいいけれど。今はやめておこう。ただ、確かに君が見た記憶は君のもので、そこに僕がいたのも事実だ。そして──」
ふいと視線がアステールに向けられたが、それ以上はなにも口にしなかった。
「いいよ…。君のその思いに免じてここを通してあげる。ただし──、一度きりだ。次もし、同じことがあれば僕は二度と君を手放さない。誰を──思っていようとね」
「──」
言葉の最後、アステールに視線が向けられる。
アステールはその視線に、正面から向きあう。互いに譲る気はなかった。
「ありがとう。フォンセ…。でも、きっと次はない。…それに、俺はフォンセを嫌いな訳じゃない。それだけは分かってくれ…」
「…ああ。分かっているよ」
手を下ろしたフォンセは腕を組むと、アステールから視線をそらし、そんなソアレを見返す。
「一応、知っておいて欲しかっただけだよ。…さあ、行くといい。出発の準備は整っているんだろう?」
アステールがそれに答える。
「全て整っている。フォンセ。今は礼を言う」
「ふん。今はありがたく受け取っておこうか」
アステールはソアレの背に手を回し、部屋を出るように促す。
「フォンセ…。ありがとう」
部屋を出る間際、一度だけ振り返ってソアレは礼を口にした。フォンセは片手をあげてそれに答えたのみだった。
+++
廊下に出ると足早に階下へと向かう。
その間、誰にも会うことはなかった。フォンセによって何か指示が出されているのだろうか。
「ソアレ、ひとつ、聞きたいことがある…」
「なに?」
「さっきも…お前は魔法を使ったか?」
「魔法? どうしてだ?」
ソアレはきょとんとして見せる。アステールはその様子に嘘がないのを見て取ったのか。
「…一瞬、身体が動かなくなった。フォンセがやったことではない。お前が前に進み出た途端、動かなくなった。何かお前が力を使ったのかと思ったのだが…」
するとソアレは考え込む様に視線を落とし。
「確か…アステールを守ろうとは思ったけれど…。特にそれ以上何も思ってはいなかった。何かそんな力があるのかな…?」
「分からない。だが、それがあるかどうか、試してみてもいいだろうな。お前の持つ力はまだ未知だ。魔法の訓練も半ばだったからな? 攻撃に特化していないことは確かだが…」
するとソアレは笑って見せ。
「アステールを守れる力なら、いいのにな? そしたら──」
っと、そこでふと目の前に見たことのない場面がフラッシュバックした。
『神よ! 私に──力を──!』
叫ぶような声と同時に、光の渦が辺りを取り巻いた。
周囲にある何もかもを呑み尽くしていく。
叫んでいるのは──俺?
「…ソアレ?」
「あ…」
気が付けばアステ―ルが立ち止まってソアレを見下ろしていた。
「あ…これ、なんだ…」
「ソアレ? これとは──」
「さっき、フォンセに言ったろ? 知らない記憶が入り込んでくるって。今もまた──。これって、何なんだろう? 何か今回のテネーブルの反乱と関係があるんだろうか?」
「分からないが…。今度それも整理してみよう。いったいどんな人物ができてて、どんな場面だったのか。つなぎ合わせれば何か意味が掴めるかもしれない」
「…ん。そうする…」
どこか思いだすことに恐怖を覚えないでもなかったが、今はそれを口にはしなかった。
それは今の記憶ではないのだから、今の自分とは関係がないはず。そう思うことで心を落ち着かせた。
「さあ、ここを出よう──」
アステールが重い屋敷のドアを押し開けて、外の新鮮な空気を漸く吸い込むことができた。
+++
フォンセはエストレアの居室から、用意された車に乗って今まさに出ていこうとするソアレとアステールを見下ろしていた。
記憶が蘇り始めているのか──。
それが吉と出るのか凶と出るのか。
しかし、今の自分を作り出したのはその記憶にある過去の自分だ。
ソアレにはそれがどう影響するのか。
次会う時が楽しみだね。──僕はもう、君を逃すつもりがないのだよ。けれど、君の熱意に免じて今だけ君を自由にしてあげよう。
「そう──。今だけはね」
フォンセは冷ややかな視線を去っていく車に向けた。
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