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12.傍ら
真琴と話した後、岳は亜貴と交代して大和の側についた。けれど、直ぐにでもここを出なければならない。
早ければ早いほどいい。
古山はその方が喜ぶ。自分の思惑が上手く行ったと思わせて気分良くさせてやるのだ。
今後の行動の為にも──。
当分はここへは帰って来られない。
亜貴には、詳しくは真琴に聞けとだけ伝えた。亜貴は察したのか、何も言わずに頷いて部屋を出て行く。
部屋には眠る大和が残された。
大和──。
傍らに座って、そっとその前髪をかき上げた。きっと、揺り動かせば起きるだろう。薬の効果はそろそろ切れる筈だ。
ソバカスの浮いた頬。既に日焼けしている。山に行ったときに焼けたのだろう。お蔭で頬の傷も薄く目立たない。
あの時の様に、大和を無くす訳じゃない。
頬に傷を負った時も、腹部を刺された時も、岳の前から消えた時も。
大和がいなくなる恐怖に怯えた。
でも、今回は違う。
大和は皆の元にいる。真琴も亜貴も。祐二も昇も。牧や藤もいた。他にも沢山。
安全な場所にいて守られている。
だから、安心してここへ置いていける──。
「必ず、戻るから…」
露わになった額へキスを落とす。
大和を起すつもりはなかった。起こして会話を交わせば、離れ難くなる。
岳は持っていた端末を懐から取り出すと、サイドボード、ルームランプの下に置いた。それは、あのカワウソのぬいぐるみの前だ。
大事なものは、全てここへ置いて行く。
俺はずっと、お前の傍にいる──。
眠る大和の唇に口づけた。そっと優しく。その温もりを胸に刻むように味わって。
「じゃあな。大和。ちょっと──行ってくる…」
最後に頬の傷跡にキスを落として、岳はその場を離れた。
+++
目が覚めると、ベッドの傍らに岳の姿はなかった。
カーテンの隙間から、朝の柔らかな日差しが零れてきている。
ベッド脇にあるルームライトの下には、例の奴──くたびれたコツメカワウソのぬいぐるみ──が鎮座していた。そして、岳の端末も。
自宅の寝室だ。
俺と岳の眠るこの部屋は、亜貴と真琴がいる棟の離れになっている。通路を渡った先にある二階建ての棟で、一階は客間兼居間、二階を寝室に使っていた。
ただ、一階は殆ど使っていない。起きれば直に隣の棟のリビングに向かうからだ。生活の場は寝室以外、全て母屋になっている。
その寝室の窓の外。鳥のさえずる声がして賑やかなのに対して、部屋の中はシンと静まり返っていた。
ベッドには人の横になった跡がない。シーツは岳の居るはずの場所だけピンと張られたまま。
今までどんなに帰りが遅くとも、傍らにいた気配はあったのに。
薄っすらと記憶にある岳は、自分を見下ろし、頭を撫でてくれていた。
どこに──いったんだ?
眠りもせずに。
乱れた様子もなく、冷たいままの隣に寂しさを覚えつつ、思考を廻らせていれば、軽いノックの後、部屋のドアが開いた。
「ああ、目が覚めたか。良かった…」
真琴が顔を覗かせる。
「真琴さん…。岳は?」
真琴なら知っているはずと、開口一番、そう問えば、真琴はふっと笑って俺の傍ら、ベッドサイドに腰掛けると。
「大和は…。本当に岳のことで頭がいっぱいだな?」
「って、だって、それは──っ」
指摘されて頬が熱くなる。
確かに寝ても覚めても頭の何処かに岳がいて。いつも、思考の端々で顔を出す。
小さい岳と二人、勝手に頭の中で会話している感じだ。そう言うわけで、俺の中で岳が占める割合はかなり高い。
しかし、真琴は首を振ると。
「いいんだ。当たり前だ。…からかってすまなかった。岳の事は心配しなくていい…。それより、大和、体調は? 気分は悪くないか?」
「…ううん? どこも。よく寝たから──って、俺、いつ家に帰ってきたんだ? 記憶がない…」
「それなんだが──起きたら聞こうと思っていたんだ。昨日は祐二君と別れた後、どうした? スーパーに寄ったとは聞いたが…」
「ああ! そうそう。帰りに大希に会って、それで──」
言いかけて止まる。
そう。あの後。大希に会って、日帰り温泉に入りに行って。帰りに送ってもらって──。
楽しい時間の後。その後の記憶がぽっかりと抜け落ちてない。気が付けばここにいた。
酔っていたわけでもないのに記憶がないとは。あまりの抜け落ち加減に、大希に会ったのが夢の中の出来事の様にさえ思える。
大希が眠りこけて起きない俺をここまで連れてきてくれたのか?
でも、それなら真琴がそう言うはず。
うむむ…と答えに詰まった俺に、真琴は深いため息を漏らすと。
「やはり、浅倉くんが絡んでいたか…。彼から貰ったものを何か口にしたか?」
「…大希が余ったからって、水筒に入ったハーブティーくれて、それを飲んだ…」
「それだな…。多分、そこに睡眠作用のある薬が入っていたんだろう」
「睡眠作用? 薬?」
真琴の言葉にキョトンとする。まるでドラマの世界だ。しかも刑事物か推理もの。そこにサスペンス風味が交じる。
首を傾げる俺に、真琴は真剣な眼差しでこちらに向き直ると。
「大和は薬で眠らされていたんだ。その後の記憶がなくて当然だ」
「どうしてそんな──」
「岳からも話していいと言われたから言うが、岳は古山組の組長に勧誘されていたんだ。自身の組に入れと──」
「は?! なんだよ、それ──」
寝耳に水だ。岳から何も聞いていない。
「以前からそんな話はあったそうだ。だが、取り合わないでいたらしい。俺たちにも大和にも、知らせる必要はないと思ったんだろう。──が、なびかない岳に業を煮やした古山が強硬手段に出た。大和を攫ってホテルに連れ込んだんだ」
「ホテル…」
あの時、岳が俺を見下ろしていたのはホテルだったのか。
「手引をしたのは…浅倉君だろう。アパートにも帰っていないそうだ。今回はそれだけですんだが…。もし、組に入らなければどうなるか。──脅しだな」
脅し──。
クッと手を握りしめる。卑怯なやり口に怒りがこみ上げた。その手引きをしたのが大希。
岳を陥れる為に、大希は俺を利用したのだ。俺に近づいたのは、その為だったのか。
でも、どうして?
ヤクザの一員だったのか。古山と繋がっていたのか──?
大希とヤクザ。ピンと来ない。
それにあの時。意識を一瞬取り戻した俺の目に映ったのは、泣いている大希だった。
何か、他に理由があるんじゃないのか?
そう思えた。
俺といた時の大希が、全て偽りだったとは思えないのだ。自分の耳で直接、大希に会って真実を聞きたい。
「それで──岳は?」
「今、古山の所にいる」
その言葉に一瞬耳を疑った。頭の中が真っ白になるとはこのことか。ガンと殴られた様なショックを受けた。
「…なんだよ、それ…」
「これ以上、大切な者を危険には晒せないからな。一時、古山の元へ下ったんだ。俺だって同じ立場に立ったらそうするだろう。…大和が責任を感じる必要はない」
俺の性格を察した真琴がそう声をかけて来るが。
「うん…」
そう返事はしたものの、まるっきり責任がない訳では無い。古山らにその隙を与えたのは自分なのだ。
「こうなった以上、下手に動くのは良くない」
「真琴さん…?」
「岳に考えがあるそうだ。心配かも知れないが、今は大人しくしているしかない。特に大和は岳の弱点と知られている。行動は慎重にな?」
「…わかった…。でも、それで岳は──戻れるのか?」
「岳はあちらに戻るつもりは毛頭ない。時間は必要だが、古山と同じ手を使うと言っていたな」
「同じ手?」
すると真琴は笑んでみせ。
「古山の性格だ。奴は欲深い。それを利用すると言っていた」
「上手く…行くのか?」
「大丈夫だ。岳はひとりきりで立ち向かう訳じゃない。協力者もいる」
真琴はふっと笑むと、ポンと頭に手を置いてきた。
「兎に角、岳を信じて待つことだ。…勝手に動くなと、これは岳からの伝言だ。…あと。『幾ら寂しくても、俺や亜貴にくっつくな』だとさ」
「っ?! そ、んなのしねぇって!」
「ま、ここに岳はいない。ハグくらいならいつでもできる。遠慮なく言ってくれ」
「真琴さんっ」
きっと睨めば、真琴は苦笑しつつ。
「冗談だ。…だが、不安や寂しさはあるだろう。いつでも付き合う。だから、ためるなよ?」
つい、無理をして自分を押し込んでしまう俺を分かって、そんな言葉をかけてくれたのだろう。
「…ありがと」
気遣いに心が温まる思いがした。思わず顔を伏せると、もう一度今度はクシャリと頭を撫でてきた。
「大丈夫だ。岳はちゃんとお前の隣に帰ってくる」
「うん…。だな」
不覚にも真琴の言葉に涙が出そうになった。
+++
それから、一週間と三日。岳はずっと家を出たまま帰って来なかった。
俺のベッドの隣はいつも空いたまま。
一週間はそれでも我慢したが、三日目。とうとう独り寝に耐え切れず、皆の集まるリビングのソファを自分のベッドとした。
もう、誰もいない傍らに耐えられなかったのだ。いつ目覚めても隣は冷たいまま。へこみもしない枕に、段々と寂しさがつのり。
毛布と布団を引っ張って来て、良く岳と寛いだソファに身を沈める。ちなみにソファからは布団が半分、ずり落ちているが気にしない。
しかし夜中、水を飲みに来たらしい真琴に咎められた。それはそうだろう。
「大和…。こんな所で。風邪をひく」
「ん…。でも、やだ…。戻りたくない…」
布団に潜り込みながら返事を返せば、深いため息が頭上でした。
分かっている。こんな所で寝るなんて、休まらないし身体によくない。
けれど、駄目なのだ。目が覚めて、隣にいない事実を突きつけられるたび、胸が苦しくなって眠れなくなる。
今まで、どんなに岳と居られる時間が短くなろうとも、ここへ帰ってくると分かっていたから我慢できた。
けれど、そうでなくなった今。いつ岳は帰ってくるのかもわからない。それに耐えきれなくなったのだ。
誰もいないベッドにいるより、もともと一人でいられるソファを選択したのだが。
真琴は再びため息を漏らすと仕方ないと言った具合に。
「…大和。俺の部屋で寝るといい」
「真琴さん…?」
「岳にはくぎを刺されたが、こんな大和を放っては置けない。…俺の為に、一緒に寝てくれないか?」
「でも…」
岳以外の人間と、それが例え真琴でも、今の俺はうんとは頷けず。すると真琴は笑って。
「子どものころに戻ったと思えばいい。大和だって母親と眠った事もあるだろう? 家族なら別に問題はない。こんなところで寝かしていることを知れば、岳だって心配になるだろう。帰ってきて大和がダメージを受けて居たら岳も、もっと自分を責めることになる。頼むから一緒に部屋で寝てくれないか?」
「…真琴さん」
「このままじゃ、俺も心配で寝て居られない。…だめか?」
そこまで頼み込まれれば、否とは言えない。俺は渋々真琴の後についていった。
真琴の部屋に布団を敷くのは今からでは手間になるし、フローリングの床は冷たい。結局、一緒のベッドに眠ることになった。
少し前まで真琴が寝ていたベッドの中へお邪魔する。岳とは違う香りだが、知っている香りで安心した。
初めはどうなることかと思ったが、やはり人の気配がすぐ側にあると落ち着くらしい。
「ごめんな。迷惑かけて…」
自分の枕を整えつつ、眉を八の字にして誤れば。真琴は苦笑して。
「これを知ったら岳の怒る顔が見えるようだが、ソファに一人寝かせておくのを思えばな? それに、俺は別に苦でもない。大和とならよろこんでだ」
「…んだよ。それ」
ぷうと頬を膨らますと、真琴は笑った。
「さあ、もう寝よう」
言われて横になると、ベッドサイドのライトが消され、窓からの光のみになる。
「おやすみ。大和」
「おやすみ…。真琴さん」
声とともに、スタンドライトが消される。真琴は大和に背を向ける様にして眠りについた。気を使ってくれたのだろう。
俺は布団の中の温もりに、すぐに眠りに落ちてしまった。
それは久しぶりの深い眠りだった。
+++
それ以降。真琴の部屋と亜貴の部屋を日替わりで行き来することとなった。
次の日、それを知った亜貴が『俺も大和と寝る! 絶対そうする!』と食い下がったのだ。
真琴はやれやれと言った具合だったが、真琴が良くて亜貴がダメな理由がない。
結局、亜貴も参加する事になった。
二人には迷惑をかけて申し訳なかったのだけれど、岳ではないにしても、人の温もりに慣れてしまった俺には、それが無いことが苦痛で。
背中合わせではあっても、隣に誰かいてくれることが嬉しかった。
「亜貴、お前落ち着いて寝れないんじゃねぇのか?」
その夜は亜貴の日。
先にベッドへ入った亜貴の傍らへ滑り込む。亜貴からは何故かミルクのような香りがした。
さっき飲んだホットミルクのせいか?
亜貴に気づかれないよう、こっそりクンクンする。どんな高級な香りより、その香りの方がなんとなく、亜貴にあっている気がした。
「そんな事ないよ。大和なら平気。ほら──」
そう言うと腕を伸ばしてギュッと抱きついて来る。
「こーらっ!」
「いいじゃん。ちょっとくらい。友達にだってこれくらいするもん」
「…友達にこんな密着すんのか? 足、絡んでるぞ」
かなり意図を持って足が絡んでいる。俺の指摘に亜貴は渋々と言った具合に足を離した。
「ったく。大和、マジメ」
「マジメで結構。──てか、ありがとな。亜貴。一緒に寝てくれてさ」
枕に抱きつく様に腹ばいになって、傍らの亜貴を見上げる。以前より更に身長も伸びて、かわいい印象より綺麗な印象が強くなって来た。岳とはまた違ったタイプ。
俺の言葉に、亜貴は真顔になったあと、小さく舌打ちして。
「…ったく。ムダに可愛いんだから」
「ムダに──なに?」
「なんでもない…。もう寝よ」
「…おう」
「おやすみ。大和」
「…ん、お休み」
亜貴はスタンドのスイッチを切った。
仰向けになって天井を見つめる。隣りの亜貴はこちらに顔を向けたまま、既に寝息を立てていた。
見えていた肩が寒そうで、そっと布団を肩まで引き上げる。
岳。今、どうしているんだ?
カーテンの向こうに広がる外の世界を思いながら、俺は眠りについた。
早ければ早いほどいい。
古山はその方が喜ぶ。自分の思惑が上手く行ったと思わせて気分良くさせてやるのだ。
今後の行動の為にも──。
当分はここへは帰って来られない。
亜貴には、詳しくは真琴に聞けとだけ伝えた。亜貴は察したのか、何も言わずに頷いて部屋を出て行く。
部屋には眠る大和が残された。
大和──。
傍らに座って、そっとその前髪をかき上げた。きっと、揺り動かせば起きるだろう。薬の効果はそろそろ切れる筈だ。
ソバカスの浮いた頬。既に日焼けしている。山に行ったときに焼けたのだろう。お蔭で頬の傷も薄く目立たない。
あの時の様に、大和を無くす訳じゃない。
頬に傷を負った時も、腹部を刺された時も、岳の前から消えた時も。
大和がいなくなる恐怖に怯えた。
でも、今回は違う。
大和は皆の元にいる。真琴も亜貴も。祐二も昇も。牧や藤もいた。他にも沢山。
安全な場所にいて守られている。
だから、安心してここへ置いていける──。
「必ず、戻るから…」
露わになった額へキスを落とす。
大和を起すつもりはなかった。起こして会話を交わせば、離れ難くなる。
岳は持っていた端末を懐から取り出すと、サイドボード、ルームランプの下に置いた。それは、あのカワウソのぬいぐるみの前だ。
大事なものは、全てここへ置いて行く。
俺はずっと、お前の傍にいる──。
眠る大和の唇に口づけた。そっと優しく。その温もりを胸に刻むように味わって。
「じゃあな。大和。ちょっと──行ってくる…」
最後に頬の傷跡にキスを落として、岳はその場を離れた。
+++
目が覚めると、ベッドの傍らに岳の姿はなかった。
カーテンの隙間から、朝の柔らかな日差しが零れてきている。
ベッド脇にあるルームライトの下には、例の奴──くたびれたコツメカワウソのぬいぐるみ──が鎮座していた。そして、岳の端末も。
自宅の寝室だ。
俺と岳の眠るこの部屋は、亜貴と真琴がいる棟の離れになっている。通路を渡った先にある二階建ての棟で、一階は客間兼居間、二階を寝室に使っていた。
ただ、一階は殆ど使っていない。起きれば直に隣の棟のリビングに向かうからだ。生活の場は寝室以外、全て母屋になっている。
その寝室の窓の外。鳥のさえずる声がして賑やかなのに対して、部屋の中はシンと静まり返っていた。
ベッドには人の横になった跡がない。シーツは岳の居るはずの場所だけピンと張られたまま。
今までどんなに帰りが遅くとも、傍らにいた気配はあったのに。
薄っすらと記憶にある岳は、自分を見下ろし、頭を撫でてくれていた。
どこに──いったんだ?
眠りもせずに。
乱れた様子もなく、冷たいままの隣に寂しさを覚えつつ、思考を廻らせていれば、軽いノックの後、部屋のドアが開いた。
「ああ、目が覚めたか。良かった…」
真琴が顔を覗かせる。
「真琴さん…。岳は?」
真琴なら知っているはずと、開口一番、そう問えば、真琴はふっと笑って俺の傍ら、ベッドサイドに腰掛けると。
「大和は…。本当に岳のことで頭がいっぱいだな?」
「って、だって、それは──っ」
指摘されて頬が熱くなる。
確かに寝ても覚めても頭の何処かに岳がいて。いつも、思考の端々で顔を出す。
小さい岳と二人、勝手に頭の中で会話している感じだ。そう言うわけで、俺の中で岳が占める割合はかなり高い。
しかし、真琴は首を振ると。
「いいんだ。当たり前だ。…からかってすまなかった。岳の事は心配しなくていい…。それより、大和、体調は? 気分は悪くないか?」
「…ううん? どこも。よく寝たから──って、俺、いつ家に帰ってきたんだ? 記憶がない…」
「それなんだが──起きたら聞こうと思っていたんだ。昨日は祐二君と別れた後、どうした? スーパーに寄ったとは聞いたが…」
「ああ! そうそう。帰りに大希に会って、それで──」
言いかけて止まる。
そう。あの後。大希に会って、日帰り温泉に入りに行って。帰りに送ってもらって──。
楽しい時間の後。その後の記憶がぽっかりと抜け落ちてない。気が付けばここにいた。
酔っていたわけでもないのに記憶がないとは。あまりの抜け落ち加減に、大希に会ったのが夢の中の出来事の様にさえ思える。
大希が眠りこけて起きない俺をここまで連れてきてくれたのか?
でも、それなら真琴がそう言うはず。
うむむ…と答えに詰まった俺に、真琴は深いため息を漏らすと。
「やはり、浅倉くんが絡んでいたか…。彼から貰ったものを何か口にしたか?」
「…大希が余ったからって、水筒に入ったハーブティーくれて、それを飲んだ…」
「それだな…。多分、そこに睡眠作用のある薬が入っていたんだろう」
「睡眠作用? 薬?」
真琴の言葉にキョトンとする。まるでドラマの世界だ。しかも刑事物か推理もの。そこにサスペンス風味が交じる。
首を傾げる俺に、真琴は真剣な眼差しでこちらに向き直ると。
「大和は薬で眠らされていたんだ。その後の記憶がなくて当然だ」
「どうしてそんな──」
「岳からも話していいと言われたから言うが、岳は古山組の組長に勧誘されていたんだ。自身の組に入れと──」
「は?! なんだよ、それ──」
寝耳に水だ。岳から何も聞いていない。
「以前からそんな話はあったそうだ。だが、取り合わないでいたらしい。俺たちにも大和にも、知らせる必要はないと思ったんだろう。──が、なびかない岳に業を煮やした古山が強硬手段に出た。大和を攫ってホテルに連れ込んだんだ」
「ホテル…」
あの時、岳が俺を見下ろしていたのはホテルだったのか。
「手引をしたのは…浅倉君だろう。アパートにも帰っていないそうだ。今回はそれだけですんだが…。もし、組に入らなければどうなるか。──脅しだな」
脅し──。
クッと手を握りしめる。卑怯なやり口に怒りがこみ上げた。その手引きをしたのが大希。
岳を陥れる為に、大希は俺を利用したのだ。俺に近づいたのは、その為だったのか。
でも、どうして?
ヤクザの一員だったのか。古山と繋がっていたのか──?
大希とヤクザ。ピンと来ない。
それにあの時。意識を一瞬取り戻した俺の目に映ったのは、泣いている大希だった。
何か、他に理由があるんじゃないのか?
そう思えた。
俺といた時の大希が、全て偽りだったとは思えないのだ。自分の耳で直接、大希に会って真実を聞きたい。
「それで──岳は?」
「今、古山の所にいる」
その言葉に一瞬耳を疑った。頭の中が真っ白になるとはこのことか。ガンと殴られた様なショックを受けた。
「…なんだよ、それ…」
「これ以上、大切な者を危険には晒せないからな。一時、古山の元へ下ったんだ。俺だって同じ立場に立ったらそうするだろう。…大和が責任を感じる必要はない」
俺の性格を察した真琴がそう声をかけて来るが。
「うん…」
そう返事はしたものの、まるっきり責任がない訳では無い。古山らにその隙を与えたのは自分なのだ。
「こうなった以上、下手に動くのは良くない」
「真琴さん…?」
「岳に考えがあるそうだ。心配かも知れないが、今は大人しくしているしかない。特に大和は岳の弱点と知られている。行動は慎重にな?」
「…わかった…。でも、それで岳は──戻れるのか?」
「岳はあちらに戻るつもりは毛頭ない。時間は必要だが、古山と同じ手を使うと言っていたな」
「同じ手?」
すると真琴は笑んでみせ。
「古山の性格だ。奴は欲深い。それを利用すると言っていた」
「上手く…行くのか?」
「大丈夫だ。岳はひとりきりで立ち向かう訳じゃない。協力者もいる」
真琴はふっと笑むと、ポンと頭に手を置いてきた。
「兎に角、岳を信じて待つことだ。…勝手に動くなと、これは岳からの伝言だ。…あと。『幾ら寂しくても、俺や亜貴にくっつくな』だとさ」
「っ?! そ、んなのしねぇって!」
「ま、ここに岳はいない。ハグくらいならいつでもできる。遠慮なく言ってくれ」
「真琴さんっ」
きっと睨めば、真琴は苦笑しつつ。
「冗談だ。…だが、不安や寂しさはあるだろう。いつでも付き合う。だから、ためるなよ?」
つい、無理をして自分を押し込んでしまう俺を分かって、そんな言葉をかけてくれたのだろう。
「…ありがと」
気遣いに心が温まる思いがした。思わず顔を伏せると、もう一度今度はクシャリと頭を撫でてきた。
「大丈夫だ。岳はちゃんとお前の隣に帰ってくる」
「うん…。だな」
不覚にも真琴の言葉に涙が出そうになった。
+++
それから、一週間と三日。岳はずっと家を出たまま帰って来なかった。
俺のベッドの隣はいつも空いたまま。
一週間はそれでも我慢したが、三日目。とうとう独り寝に耐え切れず、皆の集まるリビングのソファを自分のベッドとした。
もう、誰もいない傍らに耐えられなかったのだ。いつ目覚めても隣は冷たいまま。へこみもしない枕に、段々と寂しさがつのり。
毛布と布団を引っ張って来て、良く岳と寛いだソファに身を沈める。ちなみにソファからは布団が半分、ずり落ちているが気にしない。
しかし夜中、水を飲みに来たらしい真琴に咎められた。それはそうだろう。
「大和…。こんな所で。風邪をひく」
「ん…。でも、やだ…。戻りたくない…」
布団に潜り込みながら返事を返せば、深いため息が頭上でした。
分かっている。こんな所で寝るなんて、休まらないし身体によくない。
けれど、駄目なのだ。目が覚めて、隣にいない事実を突きつけられるたび、胸が苦しくなって眠れなくなる。
今まで、どんなに岳と居られる時間が短くなろうとも、ここへ帰ってくると分かっていたから我慢できた。
けれど、そうでなくなった今。いつ岳は帰ってくるのかもわからない。それに耐えきれなくなったのだ。
誰もいないベッドにいるより、もともと一人でいられるソファを選択したのだが。
真琴は再びため息を漏らすと仕方ないと言った具合に。
「…大和。俺の部屋で寝るといい」
「真琴さん…?」
「岳にはくぎを刺されたが、こんな大和を放っては置けない。…俺の為に、一緒に寝てくれないか?」
「でも…」
岳以外の人間と、それが例え真琴でも、今の俺はうんとは頷けず。すると真琴は笑って。
「子どものころに戻ったと思えばいい。大和だって母親と眠った事もあるだろう? 家族なら別に問題はない。こんなところで寝かしていることを知れば、岳だって心配になるだろう。帰ってきて大和がダメージを受けて居たら岳も、もっと自分を責めることになる。頼むから一緒に部屋で寝てくれないか?」
「…真琴さん」
「このままじゃ、俺も心配で寝て居られない。…だめか?」
そこまで頼み込まれれば、否とは言えない。俺は渋々真琴の後についていった。
真琴の部屋に布団を敷くのは今からでは手間になるし、フローリングの床は冷たい。結局、一緒のベッドに眠ることになった。
少し前まで真琴が寝ていたベッドの中へお邪魔する。岳とは違う香りだが、知っている香りで安心した。
初めはどうなることかと思ったが、やはり人の気配がすぐ側にあると落ち着くらしい。
「ごめんな。迷惑かけて…」
自分の枕を整えつつ、眉を八の字にして誤れば。真琴は苦笑して。
「これを知ったら岳の怒る顔が見えるようだが、ソファに一人寝かせておくのを思えばな? それに、俺は別に苦でもない。大和とならよろこんでだ」
「…んだよ。それ」
ぷうと頬を膨らますと、真琴は笑った。
「さあ、もう寝よう」
言われて横になると、ベッドサイドのライトが消され、窓からの光のみになる。
「おやすみ。大和」
「おやすみ…。真琴さん」
声とともに、スタンドライトが消される。真琴は大和に背を向ける様にして眠りについた。気を使ってくれたのだろう。
俺は布団の中の温もりに、すぐに眠りに落ちてしまった。
それは久しぶりの深い眠りだった。
+++
それ以降。真琴の部屋と亜貴の部屋を日替わりで行き来することとなった。
次の日、それを知った亜貴が『俺も大和と寝る! 絶対そうする!』と食い下がったのだ。
真琴はやれやれと言った具合だったが、真琴が良くて亜貴がダメな理由がない。
結局、亜貴も参加する事になった。
二人には迷惑をかけて申し訳なかったのだけれど、岳ではないにしても、人の温もりに慣れてしまった俺には、それが無いことが苦痛で。
背中合わせではあっても、隣に誰かいてくれることが嬉しかった。
「亜貴、お前落ち着いて寝れないんじゃねぇのか?」
その夜は亜貴の日。
先にベッドへ入った亜貴の傍らへ滑り込む。亜貴からは何故かミルクのような香りがした。
さっき飲んだホットミルクのせいか?
亜貴に気づかれないよう、こっそりクンクンする。どんな高級な香りより、その香りの方がなんとなく、亜貴にあっている気がした。
「そんな事ないよ。大和なら平気。ほら──」
そう言うと腕を伸ばしてギュッと抱きついて来る。
「こーらっ!」
「いいじゃん。ちょっとくらい。友達にだってこれくらいするもん」
「…友達にこんな密着すんのか? 足、絡んでるぞ」
かなり意図を持って足が絡んでいる。俺の指摘に亜貴は渋々と言った具合に足を離した。
「ったく。大和、マジメ」
「マジメで結構。──てか、ありがとな。亜貴。一緒に寝てくれてさ」
枕に抱きつく様に腹ばいになって、傍らの亜貴を見上げる。以前より更に身長も伸びて、かわいい印象より綺麗な印象が強くなって来た。岳とはまた違ったタイプ。
俺の言葉に、亜貴は真顔になったあと、小さく舌打ちして。
「…ったく。ムダに可愛いんだから」
「ムダに──なに?」
「なんでもない…。もう寝よ」
「…おう」
「おやすみ。大和」
「…ん、お休み」
亜貴はスタンドのスイッチを切った。
仰向けになって天井を見つめる。隣りの亜貴はこちらに顔を向けたまま、既に寝息を立てていた。
見えていた肩が寒そうで、そっと布団を肩まで引き上げる。
岳。今、どうしているんだ?
カーテンの向こうに広がる外の世界を思いながら、俺は眠りについた。
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「一年間、俺の『鳥』としてこの屋敷で静かに暮らせ。そうすれば君の家族は救おう」
過去に愛する番を亡くし心を凍てつかせた「氷の帝王」こと征四郎。伊織はただ美しい置物として鳥かごの中で生きることを強いられる。しかしその瞳の奥に宿る深い孤独に触れるうち、伊織の心には反発とは違う感情が芽生え始める。
ひたむきな優しさは、氷の心を溶かす陽だまりとなるか。
孤独なαと健気なΩが、偽りの契約から真実の愛を見出すまでの、切なくも美しいシンデレラストーリー。
最悪の婚姻から始まるただ一つの愛
統子
BL
最悪の婚姻だった。
皇太子の正室として迎えられながら、
与えられたのは祝福ではなく、冷たい部屋と拒絶だけ。
触れられることすら恐ろしく、
ただ静かに時間が過ぎるのを待つしかなかった。
けれど——
差し出された手は、思っていたものとは違っていた。
無理に触れない。
急がない。
ただ、こちらの様子を確かめるように、少しずつ距離を縮めてくる。
気づけば、隣に座ることが当たり前になり、
言葉を交わす時間が、夜の習慣になっていた。
触れられるたびに怖さは消え、
代わりに残るのは、離れがたい温もり。
これは、最悪の婚姻から始まった関係が、
やがて“ただ一人”へと変わっていく物語。
望まれなかったはずのはじまりが、
いつしか、何よりも大切なものになるまでの——
静かで、優しい、溺れるような愛の記録。
俺以外を見るのは許さないから
朝飛
BL
赤池凌平は、成瀬真介と出会い、緩やかに親交を深めてやがて恋人同士になるのだったが、時折違和感を抱いていた。
その違和感の正体が明らかになる時には、もう何もかも手遅れになってしまい……。
(女性と付き合うシーンもあります。)
※ネオページ、エブリスタにも同時掲載中。マイペースに更新します。
金の野獣と薔薇の番
むー
BL
結季には記憶と共に失った大切な約束があった。
❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎
止むを得ない事情で全寮制の学園の高等部に編入した結季。
彼は事故により7歳より以前の記憶がない。
高校進学時の検査でオメガ因子が見つかるまでベータとして養父母に育てられた。
オメガと判明したがフェロモンが出ることも発情期が来ることはなかった。
ある日、編入先の学園で金髪金眼の皇貴と出逢う。
彼の纒う薔薇の香りに発情し、結季の中のオメガが開花する。
その薔薇の香りのフェロモンを纏う皇貴は、全ての性を魅了し学園の頂点に立つアルファだ。
来るもの拒まずで性に奔放だが、番は持つつもりはないと公言していた。
皇貴との出会いが、少しずつ結季のオメガとしての運命が動き出す……?
4/20 本編開始。
『至高のオメガとガラスの靴』と同じ世界の話です。
(『至高の〜』完結から4ヶ月後の設定です。)
※シリーズものになっていますが、どの物語から読んでも大丈夫です。
【至高のオメガとガラスの靴】
↓
【金の野獣と薔薇の番】←今ココ
↓
【魔法使いと眠れるオメガ】
【完結】獣王の番
なの
BL
獣王国の若き王ライオネルは、和平の証として差し出されたΩの少年ユリアンを「番など認めぬ」と冷酷に拒絶する。
虐げられながらも、ユリアンは決してその誇りを失わなかった。
しかし暴走する獣の血を鎮められるのは、そのユリアンただ一人――。
やがて明かされる予言、「真の獣王は唯一の番と結ばれるとき、国を救う」
拒絶から始まった二人の関係は、やがて国を救う愛へと変わっていく。
冷徹な獣王と運命のΩの、拒絶から始まる、運命の溺愛ファンタジー!
【完結・BL】胃袋と掴まれただけでなく、心も身体も掴まれそうなんだが!?【弁当屋×サラリーマン】
彩華
BL
俺の名前は水野圭。年は25。
自慢じゃないが、年齢=彼女いない歴。まだ魔法使いになるまでには、余裕がある年。人並の人生を歩んでいるが、これといった楽しみが無い。ただ食べることは好きなので、せめて夕食くらいは……と美味しい弁当を買ったりしているつもりだが!(結局弁当なのかというのは、お愛嬌ということで)
だがそんなある日。いつものスーパーで弁当を買えなかった俺はワンチャンいつもと違う店に寄ってみたが……────。
凄い! 美味そうな弁当が並んでいる!
凄い! 店員もイケメン!
と、実は穴場? な店を見つけたわけで。
(今度からこの店で弁当を買おう)
浮かれていた俺は、夕飯は美味い弁当を食べれてハッピ~! な日々。店員さんにも顔を覚えられ、名前を聞かれ……?
「胃袋掴みたいなぁ」
その一言が、どんな意味があったなんて、俺は知る由もなかった。
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そんな感じの健全なBLを緩く、短く出来ればいいなと思っています
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