Take On Me 2

マン太

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12.傍ら

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 真琴と話した後、岳は亜貴と交代して大和の側についた。けれど、直ぐにでもここを出なければならない。

 早ければ早いほどいい。

 古山はその方が喜ぶ。自分の思惑が上手く行ったと思わせて気分良くさせてやるのだ。

 今後の行動の為にも──。

 当分はここへは帰って来られない。
 亜貴には、詳しくは真琴に聞けとだけ伝えた。亜貴は察したのか、何も言わずに頷いて部屋を出て行く。
 部屋には眠る大和が残された。

 大和──。
 
 傍らに座って、そっとその前髪をかき上げた。きっと、揺り動かせば起きるだろう。薬の効果はそろそろ切れる筈だ。
 ソバカスの浮いた頬。既に日焼けしている。山に行ったときに焼けたのだろう。お蔭で頬の傷も薄く目立たない。
 あの時の様に、大和を無くす訳じゃない。
 頬に傷を負った時も、腹部を刺された時も、岳の前から消えた時も。
 大和がいなくなる恐怖に怯えた。

 でも、今回は違う。

 大和は皆の元にいる。真琴も亜貴も。祐二も昇も。牧や藤もいた。他にも沢山。
 安全な場所にいて守られている。

 だから、安心してここへ置いていける──。

「必ず、戻るから…」

 露わになった額へキスを落とす。
 大和を起すつもりはなかった。起こして会話を交わせば、離れ難くなる。
 岳は持っていた端末を懐から取り出すと、サイドボード、ルームランプの下に置いた。それは、あのカワウソのぬいぐるみの前だ。
 大事なものは、全てここへ置いて行く。
 
 俺はずっと、お前の傍にいる──。

 眠る大和の唇に口づけた。そっと優しく。その温もりを胸に刻むように味わって。

「じゃあな。大和。ちょっと──行ってくる…」

 最後に頬の傷跡にキスを落として、岳はその場を離れた。

+++

 目が覚めると、ベッドの傍らに岳の姿はなかった。
 カーテンの隙間から、朝の柔らかな日差しが零れてきている。
 ベッド脇にあるルームライトの下には、例の奴──くたびれたコツメカワウソのぬいぐるみ──が鎮座していた。そして、岳の端末も。
 自宅の寝室だ。
 俺と岳の眠るこの部屋は、亜貴と真琴がいる棟の離れになっている。通路を渡った先にある二階建ての棟で、一階は客間兼居間、二階を寝室に使っていた。
 ただ、一階は殆ど使っていない。起きれば直に隣の棟のリビングに向かうからだ。生活の場は寝室以外、全て母屋になっている。
 その寝室の窓の外。鳥のさえずる声がして賑やかなのに対して、部屋の中はシンと静まり返り返っていた。
 ベッドには人の横になった跡がない。シーツは岳の居るはずの場所だけピンと張られたまま。
 今までどんなに帰りが遅くとも、傍らにいた気配はあったのに。
 薄っすらと記憶にある岳は、自分を見下ろし、頭を撫でてくれていた。

 どこに──いったんだ?

 眠りもせずに。
 乱れた様子もなく、冷たいままの隣に寂しさを覚えつつ、思考を廻らせていれば、軽いノックの後、部屋のドアが開いた。

「ああ、目が覚めたか。良かった…」

 真琴が顔を覗かせる。

「真琴さん…。岳は?」

 真琴なら知っているはずと、開口一番、そう問えば、真琴はふっと笑って俺の傍ら、ベッドサイドに腰掛けると。

「大和は…。本当に岳のことで頭がいっぱいだな?」

「って、だって、それは──っ」

 指摘されて頬が熱くなる。
 確かに寝ても覚めても頭の何処かに岳がいて。いつも、思考の端々で顔を出す。
 小さい岳と二人、勝手に頭の中で会話している感じだ。そう言うわけで、俺の中で岳が占める割合はかなり高い。
 しかし、真琴は首を振ると。

「いいんだ。当たり前だ。…からかってすまなかった。岳の事は心配しなくていい…。それより、大和、体調は? 気分は悪くないか?」

「…ううん? どこも。よく寝たから──って、俺、いつ家に帰ってきたんだ? 記憶がない…」

「それなんだが──起きたら聞こうと思っていたんだ。昨日は祐二君と別れた後、どうした? スーパーに寄ったとは聞いたが…」

「ああ! そうそう。帰りに大希に会って、それで──」

 言いかけて止まる。

 そう。あの後。大希に会って、日帰り温泉に入りに行って。帰りに送ってもらって──。

 楽しい時間の後。その後の記憶がぽっかりと抜け落ちてない。気が付けばここにいた。
 酔っていたわけでもないのに記憶がないとは。あまりの抜け落ち加減に、大希に会ったのが夢の中の出来事の様にさえ思える。

 大希が眠りこけて起きない俺をここまで連れてきてくれたのか? 

 でも、それなら真琴がそう言うはず。
 うむむ…と答えに詰まった俺に、真琴は深いため息を漏らすと。

「やはり、浅倉くんが絡んでいたか…。彼から貰ったものを何か口にしたか?」

「…大希が余ったからって、水筒に入ったハーブティーくれて、それを飲んだ…」

「それだな…。多分、そこに睡眠作用のある薬が入っていたんだろう」

「睡眠作用? 薬?」

 真琴の言葉にキョトンとする。まるでドラマの世界だ。しかも刑事物か推理もの。そこにサスペンス風味が交じる。
 首を傾げる俺に、真琴は真剣な眼差しでこちらに向き直ると。

「大和は薬で眠らされていたんだ。その後の記憶がなくて当然だ」

「どうしてそんな──」

「岳からも話していいと言われたから言うが、岳は古山組の組長に勧誘されていたんだ。自身の組に入れと──」

「は?! なんだよ、それ──」

 寝耳に水だ。岳から何も聞いていない。

「以前からそんな話はあったそうだ。だが、取り合わないでいたらしい。俺たちにも大和にも、知らせる必要はないと思ったんだろう。──が、なびかない岳に業を煮やした古山が強硬手段に出た。大和を攫ってホテルに連れ込んだんだ」

「ホテル…」

 あの時、岳が俺を見下ろしていたのはホテルでだったのか。

「手引をしたのは…浅倉君だろう。アパートにも帰っていないそうだ。今回はそれだけですんだが…。もし、組に入らなければどうなるか。──脅しだな」

 脅し──。
 
 クッと手を握りしめる。卑怯なやり口に怒りがこみ上げた。その手引きをしたのが大希。
 岳を陥れる為に、大希は俺を利用したのだ。俺に近づいたのは、その為だったのか。

 でも、どうして?

 ヤクザの一員だったのか。古山と繋がっていたのか──?

 大希とヤクザ。ピンと来ない。
 それにあの時。意識を一瞬取り戻した俺の目に映ったのは、泣いている大希だった。

 何か、他に理由があるんじゃないのか?

 そう思えた。
 俺といた時の大希が、全て偽りだったとは思えないのだ。自分の耳で直接、大希に会って真実を聞きたい。

「それで──岳は?」

「今、古山の所にいる」

 その言葉に言葉をなくした。頭の中が真っ白になるとはこのことか。ガンと殴られた様なショックを受けた。

「…なんだよ、それ…」

「これ以上、大切な者を危険には晒せないからな。一時、古山の元へ下ったんだ。俺だって同じ立場に立ったらそうするだろう。…大和が責任を感じる必要はない」

 俺の性格を察した真琴がそう声をかけて来るが。

「うん…」

 そう返事はしたものの、まるっきり責任がない訳では無い。古山らにその隙を与えたのは自分なのだ。

「こうなった以上、下手に動くのは良くない」

「真琴さん…?」

「岳に考えがあるそうだ。心配かも知れないが、今は大人しくしているしかない。特に大和は岳の弱点と知られている。行動は慎重にな?」

「…わかった…。でも、それで岳は──戻れるのか?」

「岳はあちらに戻るつもりは毛頭ない。時間は必要だが、古山と同じ手を使うと言っていたな」

「同じ手?」

 すると真琴は笑んでみせ。

「古山の性格だ。奴は欲深い。それを利用すると言っていた」

「上手く…行くのか?」

「大丈夫だ。岳はひとりきりで立ち向かう訳じゃない。協力者もいる」

 真琴はふっと笑むと、ポンと頭に手を置いてきた。

「兎に角、岳を信じて待つことだ。…勝手に動くなと、これは岳からの伝言だ。…あと。『幾ら寂しくても、俺や亜貴にくっつくな』だとさ」

「っ?! そ、んなのしねぇって!」

「ま、ここに岳はいない。ハグくらいならいつでもできる。遠慮なく言ってくれ」

「真琴さんっ」

 きっと睨めば、真琴は苦笑しつつ。

「冗談だ。…だが、不安や寂しさはあるだろう。いつでも付き合う。だから、ためるなよ?」

 つい、無理をして自分を押し込んでしまう俺を分かって、そんな言葉をかけてくれたのだろう。

「…ありがと」

 気遣いに心が温まる思いがした。思わず顔を伏せると、もう一度今度はクシャリと頭を撫でてきた。

「大丈夫だ。岳はちゃんとお前の隣に帰ってくる」

「うん…。だな」

 不覚にも真琴の言葉に涙が出そうになった。

+++

 それから、一週間と三日。岳はずっと家を出たまま帰って来なかった。
 俺のベッドの隣はいつも空いたまま。
 一週間はそれでも我慢したが、三日目。とうとう独り寝に耐え切れず、皆の集まるリビングのソファを自分のベッドとした。
 もう、誰もいない傍らに耐えられなかったのだ。いつ目覚めても隣は冷たいまま。へこみもしない枕に、段々と寂しさがつのり。
 毛布と布団を引っ張って来て、良く岳と寛いだソファに身を沈める。ちなみにソファからは布団が半分、ずり落ちているが気にしない。

 しかし夜中、水を飲みに来たらしい真琴に咎められた。それはそうだろう。

「大和…。こんな所で。風邪をひく」

「ん…。でも、やだ…。戻りたくない…」

 布団に潜り込みながら返事を返せば、深いため息が頭上でした。
 分かっている。こんな所で寝るなんて、休まらないし身体によくない。
 けれど、駄目なのだ。目が覚めて、隣にいない事実を突きつけられるたび、胸が苦しくなって眠れなくなる。
 今まで、どんなに岳と居られる時間が短くなろうとも、ここへ帰ってくると分かっていたから我慢できた。
 けれど、そうでなくなった今。いつ岳は帰ってくるのかもわからない。それに耐えきれなくなったのだ。
 誰もいないベッドにいるより、もともと一人でいられるソファを選択したのだが。
 真琴は再びため息を漏らすと仕方ないと言った具合に。

「…大和。俺の部屋で寝るといい」

「真琴さん…?」

「岳にはくぎを刺されたが、こんな大和を放っては置けない。…俺の為に、一緒に寝てくれないか?」

「でも…」

 岳以外の人間と、それが例え真琴でも、今の俺はうんとは頷けず。すると真琴は笑って。

「子どものころに戻ったと思えばいい。大和だって母親と眠った事もあるだろう? 家族なら別に問題はない。こんなところで寝かしていることを知れば、岳だって心配になるだろう。帰ってきて大和がダメージを受けて居たら岳も、もっと自分を責めることになる。頼むから一緒に部屋で寝てくれないか?」

「…真琴さん」

「このままじゃ、俺も心配で寝て居られない。…だめか?」

 そこまで頼み込まれれば、否とは言えない。俺は渋々真琴の後についていった。
 真琴の部屋に布団を敷くのは今からでは手間になるし、フローリングの床は冷たい。結局、一緒のベッドに眠ることになった。
 少し前まで真琴が寝ていたベッドの中へお邪魔する。岳とは違う香りだが、知っている香りで安心した。
 初めはどうなることかと思ったが、やはり人の気配がすぐ側にあると落ち着くらしい。

「ごめんな。迷惑かけて…」

 自分の枕を整えつつ、眉を八の字にして誤れば。真琴は苦笑して。

「これを知ったら岳の怒る顔が見えるようだが、ソファに一人寝かせておくのを思えばな? それに、俺は別に苦でもない。大和とならよろこんでだ」

「…んだよ。それ」

 ぷうと頬を膨らますと、真琴は笑った。

「さあ、もう寝よう」

 言われて横になると、ベッドサイドのライトが消され、窓からの光のみになる。

「おやすみ。大和」

「おやすみ…。真琴さん」

 声とともに、スタンドライトが消される。真琴は大和に背を向ける様にして眠りについた。気を使ってくれたのだろう。
 俺は布団の中の温もりに、すぐに眠りに落ちてしまった。
 それは久しぶりの深い眠りだった。

+++

 それ以降。真琴の部屋と亜貴の部屋を日替わりで行き来することとなった。
 次の日、それを知った亜貴が『俺も大和と寝る! 絶対そうする!』と食い下がったのだ。
 真琴はやれやれと言った具合だったが、真琴が良くて亜貴がダメな理由がない。
 結局、亜貴も参加する事になった。
 二人には迷惑をかけて申し訳なかったのだけれど、岳ではないにしても、人の温もりに慣れてしまった俺には、それが無いことが苦痛で。
 背中合わせではあっても、隣に誰かいてくれることが嬉しかった。

「亜貴、お前落ち着いて寝れないんじゃねぇのか?」

 その夜は亜貴の日。
 先にベッドへ入った亜貴の傍らへ滑り込む。亜貴からは何故かミルクのような香りがした。

 さっき飲んだホットミルクのせいか?

 亜貴に気づかれないよう、こっそりクンクンする。どんな高級な香りより、その香りの方がなんとなく、亜貴にあっている気がした。

「そんな事ないよ。大和なら平気。ほら──」

 そう言うと腕を伸ばしてギュッと抱きついて来る。

「こーらっ!」

「いいじゃん。ちょっとくらい。友達にだってこれくらいするもん」

「…友達にこんな密着すんのか? 足、絡んでるぞ」

 かなり意図を持って足が絡んでいる。俺の指摘に亜貴は渋々と言った具合に足を離した。

「ったく。大和、マジメ」

「マジメで結構。──てか、ありがとな。亜貴。一緒に寝てくれてさ」

 枕に抱きつく様に腹ばいになって、傍らの亜貴を見上げる。以前より更に身長も伸びて、かわいい印象より綺麗な印象が強くなって来た。岳とはまた違ったタイプ。
 俺の言葉に、亜貴は真顔になったあと、小さく舌打ちして。

「…ったく。ムダに可愛いんだから」

「ムダに──なに?」

「なんでもない…。もう寝よ」

「…おう」

「おやすみ。大和」

「…ん、お休み」

 亜貴はスタンドのスイッチを切った。
 仰向けになって天井を見つめる。隣りの亜貴はこちらに顔を向けたまま、既に寝息を立てていた。
 見えていた肩が寒そうで、そっと布団を肩まで引き上げる。

 岳。今、どうしているんだ?

 カーテンの向こうに広がる外の世界を思いながら、俺は眠りについた。

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