森のエルフと養い子

マン太

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12.先ぶれ

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 使者のビーテが王都へ戻る前に、その一報はもたらされた。
 王国セルサスの王都フンベルの領地へ、オークとゴブリンの集団が襲撃してきたというのだ。
 それは不意の事で。他方へ戦力を集中させていた王都フンベルはそれは大混乱らしい。
 周辺の近隣諸国も同様で。互いに協力しあい、遠征していたお蔭で、加勢もままならなかった。
 王都フンベルの手勢は少なく、他に頼れる国もなく、最後の頼みの綱と加勢を頼む為、馬を駆けさせ森のエルフの王グリューエンの元へ訪ねてきたのだった。

「お願いです! どうか、フンベルをお助け下さい! 王ネムスの手勢は今、将軍を引き連れ遠方へ遠征中なのです…。急いで帰途についたとしても、三日はかかる。その間に王都は堕ちてしまいます…。そうなれば、王都は焼かれ、民はオークやゴブリンどもに襲われ、セルサスはお終いになります! どうかお助けを!」

 大臣からの書状を手にやって来たセルサスからの使者は、玉座の間でなりふり構わず王グリューエンに助けを請うた。
 必死の形相からも、切迫した状況がうかがえる。
 森のエルフの王グリューエンは、それでも暫く沈黙し、何かを逡巡しているようだったが。
 金の髪がサラと肩から落ちた。

「人同士の争いならいざ知らず。オークやゴブリンは魔に属するもの、なぜそれが突然、現れたのか…。それらの調査は行ってきたが、明確な理由は見当たらなかった。理由を解明せねば、また次が起こる…。ただ、今はそれを思うより、セルサスを助ける方が先だろう。詳しい調査はその後に。スウェルを呼べ。末の息子を行かせよう。まず戦況を見定める」

「は」

 控えていた従者がすぐに姿を消した。

「あ、有難うございます…!」

 セルサスからの使いは涙を流さんばかりの様子で平伏する。傍らに控えていたビーテも同じく深々と頭を下げた。
 グリューエンは更に続けた。

「スウェルを向かわせ、状況を確認する。手に余るようであれば、それは大事だ。更に手勢が必要であれば、長子ソムニオ以下、五人の他の息子も向けよう。ソムニオ達にも、何時でも出られるよう、準備を整えろと伝えよ」

「ははっ」

 従者は四方へ飛んだ。
 
✢✢✢

「今すぐ、出陣だと?」

 控えの間で待つ間、従者に父王グリューエンからの命を伝えられ、スウェルは思わず聞き返した。

「戦況は芳しくありません…。一刻の猶予もないかと」

 従者の表情は硬い。スウェルは、ああ! と声を荒げ、長い銀糸を鬱陶し気に乱雑にかき上げる。

 なんだって、こんな大事な時に! オークどもめ…。

 怒りは突然現れたと言われるオーク、ゴブリンに向けられた。
 これからタイドとの大事な話しがあったというのに。なぜ、あんな下劣で醜悪な奴らの相手などせねばならないのか。
 確かにここの所、オークらの動きが活発だとは聞いていた。それは南方の方で。この北方近辺で、話しは出てはいなかったのだが。

 奴ら、まるで狙ったように…。

 王都フンベルはガラ空きだ。
 王国セルサスの兵は、そのほとんどを南方へ向けていた。王ネムス自身も将軍と共に出兵中だという。
 王都に残るのはひとり息子の王子ベルノと大臣のみらしい。王子はタイドと同じくらいの年齢、確か十八歳と聞いていた。
 そんな若い王子では、家臣に指示を下し凶悪なオークを退治するなど、到底無理だろう。

「ああ! くそっ! くそっ! オークどもめ! 捕まえたら全て切り刻んで、大地の割れれ目、火の谷へ突っ込んでやる!」

 火の谷とは、年中地下深くのマグマが地表に現れている場所で。そこへ投げ捨てられれば、何者であろうと跡形もなく皆消え去ってしまうだろう。
 周囲の従者はスウェルの荒れ様に戸惑うばかり。ニテンスでもいれば、諌めただろうが。
 だが、そうは言いながらも、スウェルは差し出された王族専用の美しい細かな文様が施された鎧を身に着け、腰に件の剣を帯び、着々と戦場へ向かう準備を整えていた。

 ああ、タイドに連絡をやらないと──。

 自分の帰りをきっと待っているはず。この報告を突然聞けば、余計な心配するだろう。

「だれか! 伝令をたのむ!」

 すると、すぐに一羽の伝令用の白い鳥が用意された。
 スウェルはすっかり鎧を着こみ、出撃の準備を整えると、手近な机の上で立ったまま一枚の手紙を書き綴る。とは言ってもほとんど殴り書きに近い。

 ああ、今すぐにでも、タイドを抱きしめたいと言うのに。

 タイドが今すぐ自分のものになるというのなら、何を捨てても構わなかった。
 いや、命だけは捨てられないが。そんな事になれば、タイドを抱きしめられなくなる。

「タイド。お前の為に、行ってくる…」

 たった一枚の紙の端、タイドの名前の上に口づけると、それを鳥の足に結び付ける。
 小さな呪文を唱え、空へと放った。こうすれば、必ず相手の元へと飛んでいくのだ。

 これで、タイドも少しは安心するだろうか。

 安堵したものの、やはり直接会って話しをしたかった。大丈夫だから、心配せずに待っていてくれと。帰って来たら、必ず話すからと。
 将来を決めるかもしれない、大事な話しなのだ。

「くそオークどもめ! さっさと蹴散らしてくれる!」

 怒りもあらわに出撃の為、部屋を出ようとすれば、そこへ父グリューエンが現れた。
 共に退出しようとした従者は、直ぐに脇へと控える。

「急な出陣になり済まない」

 金糸の髪に翡翠色の目。冷静沈着な様子に、何が起ころうとも動じたことなどないようにも見えるが、母である后アストルムには、大層情熱的に迫ったのだとか。
 だから七人も子どもを持てたのだ。父のように子だくさんのエルフなど聞いたことがない。

「いいえ…。これも王家に生まれた者の務めですから」

「スウェル。お前に先陣を切らせる。とくと戦況を見定めよ」

「御意に。後は──頼みました」

 考えたくもないが、もし、自分に何かあれば、ニテンスは元より、タイドが路頭に迷うことになる。

 それだけは避けたい。

 頼みました、にはそれが含まれていた。それは父、グリューエンも心得ている。

「何も案ずるな。安心して戦場に向かうがいい。過去の偉大なエルフの導きを」

「ありがとうございます…。行ってまいります」

 タイドの為に。

 自分に何かあれば、きっと悲しむだろう。そんな思いをさせたくはない。
 スウェルは父を残し、そこを後にした。

✢✢✢

「スウェルが戦場に?」

「はい。今しがた、王の使いのものがそう伝えてきました。セルサス王国の王都、フンベルの近くにオークどもが現れたようで、そこへ向かったと──」

 ニテンスがそう告げる。
 と、窓辺に一羽の白い鳥が降りた。小刻みに首を傾げつつも、その目はじっとタイドを見つめている。脚には文を携えていた。

 まさか。

「…スウェル?」

 鳥の元に駆け寄り、そっと足に結ばれた文を外す。そこには、走り書きで短い文章が添えられていた。

『タイドへ 今から戦場に向かう。何も心配は要らない。帰ってきたら必ず話をしよう。私も伝えたいことがある。──スウェル』

 伝えたいこと。

 走り書きの紙片には、スウェルの思いが多分に込められているのが感じられた。それを見つめたまま。

「ニテンス…。お願いがあるんだ」

「なんですか? タイド」

「しばらく、ひとりになりたいんだ。…いい?」

「はい…。それでは私は次の間におりますから。何かあればお呼びください」

 ニテンスは何も言わずタイドの指示に従った。ショックを受けているであろうタイドに気を使ったのだろう。
 ニテンスが下ったのを見届けると、タイドは直ぐ様そこを出る準備を始めた。

 スウェルの元へ行く。

 手紙を受け取った時にそう決めた。
 今から王の館へ向かえば、出撃する隊に紛れ込むことができる。
 タイドはどうしてもスウェルの傍にいたかった。彼に危機が迫っているのだ。ここでただじっと待っていることなどできない。
 タイドは幼いこどもではないのだ。既に大人としての力が十分あった。ただ、待つだけでなく、傍らに寄り添って、スウェルを守りたいのだ。
 同じ年頃のエルフの若者等は、みな戦場に駆り出されている。本来ならタイドも出て不思議はなかった。
 ただ、『人』だからという理由で招集からは外されているのだ。人はエルフと比べ、弱くて儚いものと思われている。人であるタイドも同様と思われていた。

 オーク達とまみえるのは初めてだけれど。

 遠目で確認したことはある。
 死骸を検分したことも。悪臭を放ち、容赦などない凶悪な生き物だ。人を狩ることに生きがいを見出している、魔が生み出した生き物。
 当然、彼らはエルフも憎んでいる。彼らにとって対照的な存在のエルフは、増悪の対象以外の何物でもないらしい。
 そんな中にスウェルは向かうのだ。
 幾ら彼が強力な力を持ち、強靭なエルフの兵を率いると言っても、危険なことに変わりはない。
 エルフの王グリューエンには、外の世界で人と関わることを禁じられていた。

 けど、オークと戦うだけなら、それには当たらないはず。

 タイドの気持ちははやる。
 タイドの剣術、体術、弓術の腕は確かだった。スウェルも認めるほど。
 人である自分がエルフに肩を並べるには、せめて武力や知力で追いつきたかった。それはエルフに、というより、スウェルに並びたかったという思いが強い。

 スウェルに認められたい、その傍らに立っても恥ずかしくない自分でいたい。

 その為に鍛えたのだ。
 そのスウェルに危機が迫っている。スウェルの為に鍛えてきた力を役に立てる時が来たのだ。
 武器は一振りの短剣だけだ。これはお守りだと以前、スウェルに渡されていたもので。柄や鞘に見事な竜の彫り物がある。
 武器はこれくらいだったが、兵舎に紛れ込めば幾らでも手に入るだろう。
 とにかく、目立たない姿に身支度を整え、部屋の窓枠に足をかけると外に出た。

「──マレ」

 夜の冷えた空気が身体に染みる。
 少しだけ声を張ると、すぐに一頭の馬が現れた。白い体に額に茶色の星がある。美しい馬だった。
 これはスウェルが馬に乗れる歳になったからと、十歳になった日、引き渡してくれたものだった。スウェルのもつアンバルの孫に当たるらしい。
 マレは差し出した手に、額を摺り寄せてくる。それを撫でながら。

「お前は戦いには連れていけない。まだ若いからな? けれど、館までならいける。乗せてくれるか?」

 大きな黒い瞳でじっと見つめた後、鼻息を荒くした。エルフの馬は言葉を理解する。エルフの言葉だからだ。戦いに赴きたいのだろう。しかし、タイドは連れていくつもりはなかった。

「館までだ。行こう」

 そう言うと、白い体躯にまたがり、館を後にした。

✢✢✢

 王の館の周囲は戦の気配に包まれていた。
 既に先陣は出発した様子。
 タイドがついた頃には、スウェルは立った後だった。
 タイドは手近な兵舎で鎧を調達すると、すぐに身に着け、兜をかぶる。こうなればそれがエルフなのか人の子なのか見訳などつかない。
 それに皆、気が昂っていてそれどころではなかったのだ。タイド一人紛れた所で誰も気づかない。
 ただ、結局、マレは置いて行くことができず、彼に乗って出陣することとなった。少し離れた所で別れを告げたのだが、ずっと後をつけてきたのだ。これでは悪目立ちしてしまう。
 仕方なく、マレに他の馬と同じように、戦場用の馬具を付け、それらしく整えた。

「慣れなくて、動き辛いだろう? 無理はするな?」

 マレに声を掛けるが、逆にいなないて見せた。大丈夫だと言いたいのだろう。タイドは返事の代わりにぽんぽんと軽くその首筋を叩くと、隊列の最後尾に並んだ。
 タイドが紛れ込んだのは、スウェルの向かった先の途中で陣を張る為の隊だった。
 荷物も多く歩みはそれほど早くない。ただ、食料や武器など、追加で必要になるものも含まれているため、迅速に進まねばならなかった。

「行くぞ!」

 それはタイドにとって、はじめての戦場となる。オークやゴブリンと対するのもだ。
 ニテンスから、赤子の頃、スウェルによってオークや魔狼の群れから救われた事があるのだと聞いたことがある。
 里親とともに襲われたのだとか。養母の機転で、運よく籠の中に隠され事なきを得たと聞いた。
 もし、あのまま籠にいれば、いずれ見つけられ食い殺されたか、誰にも気づかれず命を落としただろうと言われた。

 皆が守ってくれた命。

 その中で生きているのはスウェルだけ。
 そのスウェルの為に、使わないわけにはいかない。大切なスウェルを、オークやゴブリンの餌食になどしたくなかった。

 俺の力なんて、必要ないのかもしれないけれど。

 そうして、エルフの兵に紛れ街道を進み、あと少しでスウェル達の為、陣を敷く場所へ到着しようと言う頃。
 先に偵察に出ていたエルフが飛び込んできた。

「オークだ! この先の森でオークと魔狼の群れが、人を襲っている!」

「行くぞ! 続け!」

 陣を敷くために必要な人数だけを残し、その場所へと向かった。
 そこは王都フンベルに近い森の中。

 近くの村から逃げてた人々だろうか。
 
 タイドは迷う事なくその中に紛れた。

    
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