森のエルフと養い子

マン太

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23.欠片

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 朝、泣きながら目覚めることがある。
 ここ数年。王家に迎えられてからだ。ここでの生活は本当に幸せで満ち足りていて。何も不足はないというのに、なぜか目覚めると、酷く悲しい気持ちになっていて。
 どうしてなのか分からない。不安や悩みなど、ひとつもないと言うのに。
 タイドは自室の机の上で、広げた本を前にその視線を紙面から反らす。

 今朝もそうだ。

 まだ夜も明けきらない中、悲しさに押しつぶされそうになって、目が覚めた。
 半身を起こせば、涙が勝手に頬を伝う。

 分からない。どうしてなんだ?

 と、コツリ、と窓を叩くものがいた。

 あいつ。また来たのか。

 窓際、ガラス戸の向こうに姿を見せたのは一匹のリスだ。数年前から時々やってくる。城の森に棲み着いているのだろう。右の耳の一部が欠けていて、それで同じ個体だと分かる。
 朝方、こうして目覚めると、何故か窓の向こうに姿を現す事があった。
 餌を欲しがっているだけなのだろうが、それは、まるでタイドの事を心配してそこにいるようでもあり。

「そんなわけ、ないのにな…」

 窓を開け、リスの為に用意してある木の実の幾つかを窓枠に置き、それを食べるのをじっと見つめるのが決まりとなっていた。
 全て食べ終わると、もう用はないとばかりに姿を消してしまうのだけれど。
 そうしていると、心が落ち着いて、あの悲しかった思いがどこかへ消えていく。

 癒されているのだと思う。

 エルフの里から連れてきた、馬のマレと接している時もそうだ。その背を撫でていると、誰かが傍らに寄り添っている気がして、心が落ち着いた。
 エルフの里にいた頃、側にいたのはニテンスというエルフで。彼はタイドの面倒をよく見てくれた。王から使わされた従者だ。
 けれど、馬とともに寄り添っていたのは、誰か別のものの気がしてならない。

 ニテンスじゃない。

 そう思うのだ。でも、そんな者は誰もいない。薬師のシリルでもその伴侶のルフレでもなく。学友のヘオースでも、リーベでもなく。教師役のエネロでもない。
 その彼らにも、もう会うことはないのだろうけれど。

 誰かが欠けている気がして──。

 とても、胸が揺さぶられる、『誰か』がいる気がしてならなかった。

✢✢✢

 その日、タイドは自室の書斎で書き物をしていると、

「タイド!」

 元気な声とともに、ドアを開けたのは第三王妃エスカの連れ子、リオだ。

「どうした? 今は学習の時間だろう?」

「早く切り上げてきたの! 次は剣術でしょ? タイドが教えて!」

「まいったな…。だって、教師は騎士団の誰かだったはず。俺はまだここでやることがあるんだ」

「なによ! ケチ。タイドは一番の使い手だって、皆知ってるわ! 先生より上のはずでしょ? 教えてくれたっていいじゃない」

「まったく…。俺の用事はお構いなしかい?」

「だって、たいした用事じゃないでしょ? 知ってるもの。この地方の歴史を調べてるって。その編纂を手伝ってるんでしょ? そんなカビ臭いこと、どうして好きなの? そんな事より、外で剣術をしましょうよ! そっちの方が楽しいわ」

 リオはちっとも引く気配がない。
 本当に元気に育ったものだと思う。まだまだ幼さは残るが、皆が言うように、彼女は美しく成長するだろう。
 金色の巻き毛に、薄いブルーの瞳。少しつり上がった目元は気の強さを表していたが、それも可愛い雰囲気にはいいアクセントになった。
 タイドには彼女との婚約の話しが持ち上がっている。歳は十以上離れているが、その程度なら構わないらしい。

「わかった。じゃあ行こう。先に訓練場に行っていてくれ」

「やった! 最高、タイド!」

 リオは跳ねるようにして喜ぶと、部屋を後にした。やれやれとため息をつくが。
 確かに彼女はいい子で、恋愛の対象になるかは分からないが、生涯をともにしても悪くはないと思えた。
 きっと力強く自分を引っ張って行ってくれるだろう。将来、騎士団長を目指す自分としては、そんな活力のある女性は打って付けの気がした。

 けれど。

 何かが引っかかり、それを躊躇わせる。違うと、誰かが言うのだ。何故か胸が痛む。それは目覚めの悲しさを思いださせた。

 俺は一体、何を抱えているんだろう?

 それに答えるものはいなかった。

 タイドは暫くリオの手合わせに付き合った後、訓練場の片隅の草むらに腰を下ろし休憩していた。
 リオは次は乗馬だと言いタイドを誘ったが、流石に休みたいと申し出れば、折れたリオは訓練士と共に姿を消した。
 頬を撫でる風が心地よい。ふと、木々の間から、朝見かけるリスが走り寄ってきた。ここで見かけるのは珍しい。右耳が欠けているからそれと知れた。

「どうした? 散歩中かい?」

 手を差し出すと、小首をかしげながらも、指先の匂いを嗅ぎ、安全と分かったのか手から肩へと一気に駆け上ってきた。

「はは! くすぐったい! 噛まないでくれよ? 俺は木の実じゃないんだから」

 くるくると肩あたりを走り回った後。膝の上まできてちょこんと座る。どうやらそこに落ち着いたらしい。

「…君も少し休むかい?」

 そっと長い尾尻ふれると、ピンピンとそれを振って見せた。
 幸せだと思う、こんな瞬間に。
 エルフの里にいた時も、こうして日がな一日、小川沿いの木立の中で過ごしていた。
 そこは木々の間、ぽっかりと開けた空間で。草と苔が生い茂る、心地の良い場所だった。
 
 そこは──のお気に入りの場所で。良くそこで本を読んでいた──。

「…?」

 今、誰のお気に入りと?

 視界の先に何かが揺れた気がするのだが──思い出せない。

 あなたは、誰なんだ?

 タイドは顔を洗いだしたリスの仕草に笑みを浮かべつつ、記憶の糸を辿ったが、思いだすことはできなかった。

✢✢✢

「タイド様を立てると?」

 自室の書斎にいた大臣クルメンのもとに、その配下の従者が訪れた。

「は。将軍の元に潜ませた従者がそう耳にしたと…。やはり噂は本当のようです。いかがいたしますか?」

 クルメンは顎に手を当て唸ると。

「策を練る…。このことは内密に。ことに王や、ベルノ様の耳には入れぬよう。穏便に事を運ばねば。策によっては、知られると上手く運べぬこともある…。そのまま探りを続けろ」

「分りました」

 クルメンの従者はうやうやしく頭を垂れると、部屋を辞した。

 困ったことになった。

 いや、危惧していたことでもある。
 ここ数年、タイドの人気は兵士のみならず、民の間でも上昇するばかりで。次期王たるベルノよりあるのではと噂されるほど。
 単なる噂だ。それだけなら、別段、気にも留めなかったが、その人気を逆手にとって、笠に着ようというものが現れたのだ。
 将軍フォーティスだ。

 いつかはそういう者も現れるだろうとは思っていたが…。

 将軍は軍をまとめる要の職だ。
 その要職を務めるフォーティスは齢三十代半ば。彼自身は国外から来た流れ者だったが、傭兵から正式な警備隊となり、其のうち、親衛隊まで上り詰め、気が付けば将軍の座についていたものだ。
 こちらも人気が高い。兵士からの人望も篤かった。その将軍が、タイドを次期王にと企んでいるらしい。
 もともと、フォーティスとは反りがあわなかった。国の方針や、軍のあり方で反目しあうこともしばしば。
 次期王たるベルノは大臣クルメンに従順だ。彼が王位に就けば、こちらが優位になる。
 変わってタイドは将軍フォーティスと親しい。はたから見ると、王ネムスより将軍との方が親子に見えると噂があるほど。
 タイドは武勇に優れている。その点も将軍が買う原因となったのだろう。いざ、戦となれば先頭を切って、斬りこんでいく。信頼も篤くなるはずだった。
 もし、そんなタイドが次期王となれば、フォーティスが優位になる。
 しかし、幾ら軍優位にしたいとは言え、ベルノを差し置いてタイドを王になど、流石の将軍も考えないとは思うのだが。
 フォーティスは忠臣だ。わざとこの国を乱すようなことを、企むようには思えない。

 暫くは様子を見る必要があるな…。

 大臣クルメンはとりあえず、動向を注視することにしたのだった。

✢✢✢

「大臣には上手く伝わったか?」

「…そのように」

 薄暗い部屋の奥。乱れたベッドの上に横たわる男が女に声を掛けた。
 声を掛けられた女はすっかり身支度を整え、肩にかけたローブのフードを目深にかぶる。
 横になった男は、女の白い手首をつかんだ。男の指先は武骨であちこちにタコができていた。いわゆる職人の手だ。
 変わって女は裾から見える生地からも、いいものをあつらえているのが分かる。指先の爪も綺麗に整えられ、所作にも隙がない。

「なんとしても、この国の固い結束にひびをいれねばならない…。大臣と将軍の不仲は知れていることだ。それを上手く使う…。大臣の従者とは今後もうまくやれよ?」

「分りました…」

「お前の夫の命を奪ったのはこの国の王なのだからな? あの凄惨な処遇は今思いだしても身震いがする…。さあ行け。行ってお前の成すべきことをするのだ」

「はい」

 女は控えめな口調でそう答えると、部屋を出て冷たく薄暗い廊下を進み、その建物を出た。街外れの教会に併設された孤児院だ。
 路地を抜け、待たせてあった馬車に乗り込む。
 馬車は月明かりに照らされた夜更けの道を、城へとまっすぐ向かった。
 馬車は城門から中へと入り、玄関アプローチへとつけられたそこから、女は降り立った。
 すぐに執事が声をかけてくる。

「エスカ様、こんな時刻までどちらへ?」

「街の孤児院に。ついこんな時間まで入り浸ってしまいましたわ。申し訳ございません…」

「いえ。そう言うことでしたら。王が自室にてお待ちです」

「分りましたわ。リオは──もう寝ているの?」

「はい。先ほどまでタイド様のお部屋で、お話なさっていたようですが、今は自室にお戻りです」

「そう…。仲がいいこと」

 第三王妃エスカは朗らかに笑うと、侍女に着ていたローブを預け、自身は身支度を整えるため自室へと向かった。
 王に会うのに、身支度を整えねばならない。今まで会っていた男の香りが付いたままでは、不審に思われるだろう。
 エスカは確かに孤児院へと向かったが、向かったのはそのさらに奥にある、秘密の小部屋。男との密会に使う部屋だった。
 男は滅ぼされた小国、ケイオスで将軍をしていた男だった。名をドローマという。
 今は街の鍛冶師に身と落とし、ひっそりと隠れ潜んでいた。
 第三王妃エスカの亡き夫は、この男の部下だった。夫共々、信頼も篤く尊敬していたのだが。
 その頃、徐々に力をつけつつあった小国ケイオスは、その勢いのまま隣国の大国セルサスに戦いを挑んだ。勝ってその領土の一部を手に入れようと画策したのだ。
 しかし、計画は失敗に終わった。
 本来なら手を回していた、セルサスの隣国も寝返る予定だったのが、ぎりぎりで翻り、逆にこちらを襲ってきたのだ。
 それであっけなく戦いは終結し、ケイオスは消滅した。その戦いの最中、夫は見せしめとして広場で処刑されたのだ。
 後に知った事だが、それは王の指示ではなかったらしい。軍独自の判断だった。捕らえられたケイオスの兵の中で、一番地位が高いもの。それが夫だったのだ。
 目の前で息絶える主人を目にしたとき、のちの第三王妃エスカは心に復讐を誓った。
 その後、かろうじて逃げ延びたドローマから、王ネムスに近づく計画を相談され、迷わず受けた。断ると言う選択はなかった。
 エスカは美しい。若かりし頃よりは衰えたとは言え、王の目を惹くには十分だった。
 エスカはその話しに乗り、第一王妃つきの侍女となり、第一王妃亡きあと、王の心を見事射止め、第三王妃という地位を手に入れたのだ。
 この計画を失敗させるわけにはいかなかった。

 なんとしても、主人の敵をとらねば気が済まない。私の大切な人を、目の前で奪われた。あの時の恨みを晴らすまでは──。

 ドローマ以上に、強い恨みをその胸に潜ませていた。どんなに男たちに穢され様と、この思いだけは朽ちることはなかった。

    
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