24 / 36
23.欠片
しおりを挟む
朝、泣きながら目覚めることがある。
ここ数年。王家に迎えられてからだ。ここでの生活は本当に幸せで満ち足りていて。何も不足はないというのに、なぜか目覚めると、酷く悲しい気持ちになっていて。
どうしてなのか分からない。不安や悩みなど、ひとつもないと言うのに。
タイドは自室の机の上で、広げた本を前にその視線を紙面から反らす。
今朝もそうだ。
まだ夜も明けきらない中、悲しさに押しつぶされそうになって、目が覚めた。
半身を起こせば、涙が勝手に頬を伝う。
分からない。どうしてなんだ?
と、コツリ、と窓を叩くものがいた。
あいつ。また来たのか。
窓際、ガラス戸の向こうに姿を見せたのは一匹のリスだ。数年前から時々やってくる。城の森に棲み着いているのだろう。右の耳の一部が欠けていて、それで同じ個体だと分かる。
朝方、こうして目覚めると、何故か窓の向こうに姿を現す事があった。
餌を欲しがっているだけなのだろうが、それは、まるでタイドの事を心配してそこにいるようでもあり。
「そんなわけ、ないのにな…」
窓を開け、リスの為に用意してある木の実の幾つかを窓枠に置き、それを食べるのをじっと見つめるのが決まりとなっていた。
全て食べ終わると、もう用はないとばかりに姿を消してしまうのだけれど。
そうしていると、心が落ち着いて、あの悲しかった思いがどこかへ消えていく。
癒されているのだと思う。
エルフの里から連れてきた、馬のマレと接している時もそうだ。その背を撫でていると、誰かが傍らに寄り添っている気がして、心が落ち着いた。
エルフの里にいた頃、側にいたのはニテンスというエルフで。彼はタイドの面倒をよく見てくれた。王から使わされた従者だ。
けれど、馬とともに寄り添っていたのは、誰か別のものの気がしてならない。
ニテンスじゃない。
そう思うのだ。でも、そんな者は誰もいない。薬師のシリルでもその伴侶のルフレでもなく。学友のヘオースでも、リーベでもなく。教師役のエネロでもない。
その彼らにも、もう会うことはないのだろうけれど。
誰かが欠けている気がして──。
とても、胸が揺さぶられる、『誰か』がいる気がしてならなかった。
✢✢✢
その日、タイドは自室の書斎で書き物をしていると、
「タイド!」
元気な声とともに、ドアを開けたのは第三王妃エスカの連れ子、リオだ。
「どうした? 今は学習の時間だろう?」
「早く切り上げてきたの! 次は剣術でしょ? タイドが教えて!」
「まいったな…。だって、教師は騎士団の誰かだったはず。俺はまだここでやることがあるんだ」
「なによ! ケチ。タイドは一番の使い手だって、皆知ってるわ! 先生より上のはずでしょ? 教えてくれたっていいじゃない」
「まったく…。俺の用事はお構いなしかい?」
「だって、たいした用事じゃないでしょ? 知ってるもの。この地方の歴史を調べてるって。その編纂を手伝ってるんでしょ? そんなカビ臭いこと、どうして好きなの? そんな事より、外で剣術をしましょうよ! そっちの方が楽しいわ」
リオはちっとも引く気配がない。
本当に元気に育ったものだと思う。まだまだ幼さは残るが、皆が言うように、彼女は美しく成長するだろう。
金色の巻き毛に、薄いブルーの瞳。少しつり上がった目元は気の強さを表していたが、それも可愛い雰囲気にはいいアクセントになった。
タイドには彼女との婚約の話しが持ち上がっている。歳は十以上離れているが、その程度なら構わないらしい。
「わかった。じゃあ行こう。先に訓練場に行っていてくれ」
「やった! 最高、タイド!」
リオは跳ねるようにして喜ぶと、部屋を後にした。やれやれとため息をつくが。
確かに彼女はいい子で、恋愛の対象になるかは分からないが、生涯をともにしても悪くはないと思えた。
きっと力強く自分を引っ張って行ってくれるだろう。将来、騎士団長を目指す自分としては、そんな活力のある女性は打って付けの気がした。
けれど。
何かが引っかかり、それを躊躇わせる。違うと、誰かが言うのだ。何故か胸が痛む。それは目覚めの悲しさを思いださせた。
俺は一体、何を抱えているんだろう?
それに答えるものはいなかった。
タイドは暫くリオの手合わせに付き合った後、訓練場の片隅の草むらに腰を下ろし休憩していた。
リオは次は乗馬だと言いタイドを誘ったが、流石に休みたいと申し出れば、折れたリオは訓練士と共に姿を消した。
頬を撫でる風が心地よい。ふと、木々の間から、朝見かけるリスが走り寄ってきた。ここで見かけるのは珍しい。右耳が欠けているからそれと知れた。
「どうした? 散歩中かい?」
手を差し出すと、小首をかしげながらも、指先の匂いを嗅ぎ、安全と分かったのか手から肩へと一気に駆け上ってきた。
「はは! くすぐったい! 噛まないでくれよ? 俺は木の実じゃないんだから」
くるくると肩あたりを走り回った後。膝の上まできてちょこんと座る。どうやらそこに落ち着いたらしい。
「…君も少し休むかい?」
そっと長い尾尻ふれると、ピンピンとそれを振って見せた。
幸せだと思う、こんな瞬間に。
エルフの里にいた時も、こうして日がな一日、小川沿いの木立の中で過ごしていた。
そこは木々の間、ぽっかりと開けた空間で。草と苔が生い茂る、心地の良い場所だった。
そこは──のお気に入りの場所で。良くそこで本を読んでいた──。
「…?」
今、誰のお気に入りと?
視界の先に何かが揺れた気がするのだが──思い出せない。
あなたは、誰なんだ?
タイドは顔を洗いだしたリスの仕草に笑みを浮かべつつ、記憶の糸を辿ったが、思いだすことはできなかった。
✢✢✢
「タイド様を立てると?」
自室の書斎にいた大臣クルメンのもとに、その配下の従者が訪れた。
「は。将軍の元に潜ませた従者がそう耳にしたと…。やはり噂は本当のようです。いかがいたしますか?」
クルメンは顎に手を当て唸ると。
「策を練る…。このことは内密に。ことに王や、ベルノ様の耳には入れぬよう。穏便に事を運ばねば。策によっては、知られると上手く運べぬこともある…。そのまま探りを続けろ」
「分りました」
クルメンの従者はうやうやしく頭を垂れると、部屋を辞した。
困ったことになった。
いや、危惧していたことでもある。
ここ数年、タイドの人気は兵士のみならず、民の間でも上昇するばかりで。次期王たるベルノよりあるのではと噂されるほど。
単なる噂だ。それだけなら、別段、気にも留めなかったが、その人気を逆手にとって、笠に着ようというものが現れたのだ。
将軍フォーティスだ。
いつかはそういう者も現れるだろうとは思っていたが…。
将軍は軍をまとめる要の職だ。
その要職を務めるフォーティスは齢三十代半ば。彼自身は国外から来た流れ者だったが、傭兵から正式な警備隊となり、其のうち、親衛隊まで上り詰め、気が付けば将軍の座についていたものだ。
こちらも人気が高い。兵士からの人望も篤かった。その将軍が、タイドを次期王にと企んでいるらしい。
もともと、フォーティスとは反りがあわなかった。国の方針や、軍のあり方で反目しあうこともしばしば。
次期王たるベルノは大臣クルメンに従順だ。彼が王位に就けば、こちらが優位になる。
変わってタイドは将軍フォーティスと親しい。はたから見ると、王ネムスより将軍との方が親子に見えると噂があるほど。
タイドは武勇に優れている。その点も将軍が買う原因となったのだろう。いざ、戦となれば先頭を切って、斬りこんでいく。信頼も篤くなるはずだった。
もし、そんなタイドが次期王となれば、フォーティスが優位になる。
しかし、幾ら軍優位にしたいとは言え、ベルノを差し置いてタイドを王になど、流石の将軍も考えないとは思うのだが。
フォーティスは忠臣だ。わざとこの国を乱すようなことを、企むようには思えない。
暫くは様子を見る必要があるな…。
大臣クルメンはとりあえず、動向を注視することにしたのだった。
✢✢✢
「大臣には上手く伝わったか?」
「…そのように」
薄暗い部屋の奥。乱れたベッドの上に横たわる男が女に声を掛けた。
声を掛けられた女はすっかり身支度を整え、肩にかけたローブのフードを目深にかぶる。
横になった男は、女の白い手首をつかんだ。男の指先は武骨であちこちにタコができていた。いわゆる職人の手だ。
変わって女は裾から見える生地からも、いいものをあつらえているのが分かる。指先の爪も綺麗に整えられ、所作にも隙がない。
「なんとしても、この国の固い結束にひびをいれねばならない…。大臣と将軍の不仲は知れていることだ。それを上手く使う…。大臣の従者とは今後もうまくやれよ?」
「分りました…」
「お前の夫の命を奪ったのはこの国の王なのだからな? あの凄惨な処遇は今思いだしても身震いがする…。さあ行け。行ってお前の成すべきことをするのだ」
「はい」
女は控えめな口調でそう答えると、部屋を出て冷たく薄暗い廊下を進み、その建物を出た。街外れの教会に併設された孤児院だ。
路地を抜け、待たせてあった馬車に乗り込む。
馬車は月明かりに照らされた夜更けの道を、城へとまっすぐ向かった。
馬車は城門から中へと入り、玄関アプローチへとつけられたそこから、女は降り立った。
すぐに執事が声をかけてくる。
「エスカ様、こんな時刻までどちらへ?」
「街の孤児院に。ついこんな時間まで入り浸ってしまいましたわ。申し訳ございません…」
「いえ。そう言うことでしたら。王が自室にてお待ちです」
「分りましたわ。リオは──もう寝ているの?」
「はい。先ほどまでタイド様のお部屋で、お話なさっていたようですが、今は自室にお戻りです」
「そう…。仲がいいこと」
第三王妃エスカは朗らかに笑うと、侍女に着ていたローブを預け、自身は身支度を整えるため自室へと向かった。
王に会うのに、身支度を整えねばならない。今まで会っていた男の香りが付いたままでは、不審に思われるだろう。
エスカは確かに孤児院へと向かったが、向かったのはそのさらに奥にある、秘密の小部屋。男との密会に使う部屋だった。
男は滅ぼされた小国、ケイオスで将軍をしていた男だった。名をドローマという。
今は街の鍛冶師に身と落とし、ひっそりと隠れ潜んでいた。
第三王妃エスカの亡き夫は、この男の部下だった。夫共々、信頼も篤く尊敬していたのだが。
その頃、徐々に力をつけつつあった小国ケイオスは、その勢いのまま隣国の大国セルサスに戦いを挑んだ。勝ってその領土の一部を手に入れようと画策したのだ。
しかし、計画は失敗に終わった。
本来なら手を回していた、セルサスの隣国も寝返る予定だったのが、ぎりぎりで翻り、逆にこちらを襲ってきたのだ。
それであっけなく戦いは終結し、ケイオスは消滅した。その戦いの最中、夫は見せしめとして広場で処刑されたのだ。
後に知った事だが、それは王の指示ではなかったらしい。軍独自の判断だった。捕らえられたケイオスの兵の中で、一番地位が高いもの。それが夫だったのだ。
目の前で息絶える主人を目にしたとき、のちの第三王妃エスカは心に復讐を誓った。
その後、かろうじて逃げ延びたドローマから、王ネムスに近づく計画を相談され、迷わず受けた。断ると言う選択はなかった。
エスカは美しい。若かりし頃よりは衰えたとは言え、王の目を惹くには十分だった。
エスカはその話しに乗り、第一王妃つきの侍女となり、第一王妃亡きあと、王の心を見事射止め、第三王妃という地位を手に入れたのだ。
この計画を失敗させるわけにはいかなかった。
なんとしても、主人の敵をとらねば気が済まない。私の大切な人を、目の前で奪われた。あの時の恨みを晴らすまでは──。
ドローマ以上に、強い恨みをその胸に潜ませていた。どんなに男たちに穢され様と、この思いだけは朽ちることはなかった。
ここ数年。王家に迎えられてからだ。ここでの生活は本当に幸せで満ち足りていて。何も不足はないというのに、なぜか目覚めると、酷く悲しい気持ちになっていて。
どうしてなのか分からない。不安や悩みなど、ひとつもないと言うのに。
タイドは自室の机の上で、広げた本を前にその視線を紙面から反らす。
今朝もそうだ。
まだ夜も明けきらない中、悲しさに押しつぶされそうになって、目が覚めた。
半身を起こせば、涙が勝手に頬を伝う。
分からない。どうしてなんだ?
と、コツリ、と窓を叩くものがいた。
あいつ。また来たのか。
窓際、ガラス戸の向こうに姿を見せたのは一匹のリスだ。数年前から時々やってくる。城の森に棲み着いているのだろう。右の耳の一部が欠けていて、それで同じ個体だと分かる。
朝方、こうして目覚めると、何故か窓の向こうに姿を現す事があった。
餌を欲しがっているだけなのだろうが、それは、まるでタイドの事を心配してそこにいるようでもあり。
「そんなわけ、ないのにな…」
窓を開け、リスの為に用意してある木の実の幾つかを窓枠に置き、それを食べるのをじっと見つめるのが決まりとなっていた。
全て食べ終わると、もう用はないとばかりに姿を消してしまうのだけれど。
そうしていると、心が落ち着いて、あの悲しかった思いがどこかへ消えていく。
癒されているのだと思う。
エルフの里から連れてきた、馬のマレと接している時もそうだ。その背を撫でていると、誰かが傍らに寄り添っている気がして、心が落ち着いた。
エルフの里にいた頃、側にいたのはニテンスというエルフで。彼はタイドの面倒をよく見てくれた。王から使わされた従者だ。
けれど、馬とともに寄り添っていたのは、誰か別のものの気がしてならない。
ニテンスじゃない。
そう思うのだ。でも、そんな者は誰もいない。薬師のシリルでもその伴侶のルフレでもなく。学友のヘオースでも、リーベでもなく。教師役のエネロでもない。
その彼らにも、もう会うことはないのだろうけれど。
誰かが欠けている気がして──。
とても、胸が揺さぶられる、『誰か』がいる気がしてならなかった。
✢✢✢
その日、タイドは自室の書斎で書き物をしていると、
「タイド!」
元気な声とともに、ドアを開けたのは第三王妃エスカの連れ子、リオだ。
「どうした? 今は学習の時間だろう?」
「早く切り上げてきたの! 次は剣術でしょ? タイドが教えて!」
「まいったな…。だって、教師は騎士団の誰かだったはず。俺はまだここでやることがあるんだ」
「なによ! ケチ。タイドは一番の使い手だって、皆知ってるわ! 先生より上のはずでしょ? 教えてくれたっていいじゃない」
「まったく…。俺の用事はお構いなしかい?」
「だって、たいした用事じゃないでしょ? 知ってるもの。この地方の歴史を調べてるって。その編纂を手伝ってるんでしょ? そんなカビ臭いこと、どうして好きなの? そんな事より、外で剣術をしましょうよ! そっちの方が楽しいわ」
リオはちっとも引く気配がない。
本当に元気に育ったものだと思う。まだまだ幼さは残るが、皆が言うように、彼女は美しく成長するだろう。
金色の巻き毛に、薄いブルーの瞳。少しつり上がった目元は気の強さを表していたが、それも可愛い雰囲気にはいいアクセントになった。
タイドには彼女との婚約の話しが持ち上がっている。歳は十以上離れているが、その程度なら構わないらしい。
「わかった。じゃあ行こう。先に訓練場に行っていてくれ」
「やった! 最高、タイド!」
リオは跳ねるようにして喜ぶと、部屋を後にした。やれやれとため息をつくが。
確かに彼女はいい子で、恋愛の対象になるかは分からないが、生涯をともにしても悪くはないと思えた。
きっと力強く自分を引っ張って行ってくれるだろう。将来、騎士団長を目指す自分としては、そんな活力のある女性は打って付けの気がした。
けれど。
何かが引っかかり、それを躊躇わせる。違うと、誰かが言うのだ。何故か胸が痛む。それは目覚めの悲しさを思いださせた。
俺は一体、何を抱えているんだろう?
それに答えるものはいなかった。
タイドは暫くリオの手合わせに付き合った後、訓練場の片隅の草むらに腰を下ろし休憩していた。
リオは次は乗馬だと言いタイドを誘ったが、流石に休みたいと申し出れば、折れたリオは訓練士と共に姿を消した。
頬を撫でる風が心地よい。ふと、木々の間から、朝見かけるリスが走り寄ってきた。ここで見かけるのは珍しい。右耳が欠けているからそれと知れた。
「どうした? 散歩中かい?」
手を差し出すと、小首をかしげながらも、指先の匂いを嗅ぎ、安全と分かったのか手から肩へと一気に駆け上ってきた。
「はは! くすぐったい! 噛まないでくれよ? 俺は木の実じゃないんだから」
くるくると肩あたりを走り回った後。膝の上まできてちょこんと座る。どうやらそこに落ち着いたらしい。
「…君も少し休むかい?」
そっと長い尾尻ふれると、ピンピンとそれを振って見せた。
幸せだと思う、こんな瞬間に。
エルフの里にいた時も、こうして日がな一日、小川沿いの木立の中で過ごしていた。
そこは木々の間、ぽっかりと開けた空間で。草と苔が生い茂る、心地の良い場所だった。
そこは──のお気に入りの場所で。良くそこで本を読んでいた──。
「…?」
今、誰のお気に入りと?
視界の先に何かが揺れた気がするのだが──思い出せない。
あなたは、誰なんだ?
タイドは顔を洗いだしたリスの仕草に笑みを浮かべつつ、記憶の糸を辿ったが、思いだすことはできなかった。
✢✢✢
「タイド様を立てると?」
自室の書斎にいた大臣クルメンのもとに、その配下の従者が訪れた。
「は。将軍の元に潜ませた従者がそう耳にしたと…。やはり噂は本当のようです。いかがいたしますか?」
クルメンは顎に手を当て唸ると。
「策を練る…。このことは内密に。ことに王や、ベルノ様の耳には入れぬよう。穏便に事を運ばねば。策によっては、知られると上手く運べぬこともある…。そのまま探りを続けろ」
「分りました」
クルメンの従者はうやうやしく頭を垂れると、部屋を辞した。
困ったことになった。
いや、危惧していたことでもある。
ここ数年、タイドの人気は兵士のみならず、民の間でも上昇するばかりで。次期王たるベルノよりあるのではと噂されるほど。
単なる噂だ。それだけなら、別段、気にも留めなかったが、その人気を逆手にとって、笠に着ようというものが現れたのだ。
将軍フォーティスだ。
いつかはそういう者も現れるだろうとは思っていたが…。
将軍は軍をまとめる要の職だ。
その要職を務めるフォーティスは齢三十代半ば。彼自身は国外から来た流れ者だったが、傭兵から正式な警備隊となり、其のうち、親衛隊まで上り詰め、気が付けば将軍の座についていたものだ。
こちらも人気が高い。兵士からの人望も篤かった。その将軍が、タイドを次期王にと企んでいるらしい。
もともと、フォーティスとは反りがあわなかった。国の方針や、軍のあり方で反目しあうこともしばしば。
次期王たるベルノは大臣クルメンに従順だ。彼が王位に就けば、こちらが優位になる。
変わってタイドは将軍フォーティスと親しい。はたから見ると、王ネムスより将軍との方が親子に見えると噂があるほど。
タイドは武勇に優れている。その点も将軍が買う原因となったのだろう。いざ、戦となれば先頭を切って、斬りこんでいく。信頼も篤くなるはずだった。
もし、そんなタイドが次期王となれば、フォーティスが優位になる。
しかし、幾ら軍優位にしたいとは言え、ベルノを差し置いてタイドを王になど、流石の将軍も考えないとは思うのだが。
フォーティスは忠臣だ。わざとこの国を乱すようなことを、企むようには思えない。
暫くは様子を見る必要があるな…。
大臣クルメンはとりあえず、動向を注視することにしたのだった。
✢✢✢
「大臣には上手く伝わったか?」
「…そのように」
薄暗い部屋の奥。乱れたベッドの上に横たわる男が女に声を掛けた。
声を掛けられた女はすっかり身支度を整え、肩にかけたローブのフードを目深にかぶる。
横になった男は、女の白い手首をつかんだ。男の指先は武骨であちこちにタコができていた。いわゆる職人の手だ。
変わって女は裾から見える生地からも、いいものをあつらえているのが分かる。指先の爪も綺麗に整えられ、所作にも隙がない。
「なんとしても、この国の固い結束にひびをいれねばならない…。大臣と将軍の不仲は知れていることだ。それを上手く使う…。大臣の従者とは今後もうまくやれよ?」
「分りました…」
「お前の夫の命を奪ったのはこの国の王なのだからな? あの凄惨な処遇は今思いだしても身震いがする…。さあ行け。行ってお前の成すべきことをするのだ」
「はい」
女は控えめな口調でそう答えると、部屋を出て冷たく薄暗い廊下を進み、その建物を出た。街外れの教会に併設された孤児院だ。
路地を抜け、待たせてあった馬車に乗り込む。
馬車は月明かりに照らされた夜更けの道を、城へとまっすぐ向かった。
馬車は城門から中へと入り、玄関アプローチへとつけられたそこから、女は降り立った。
すぐに執事が声をかけてくる。
「エスカ様、こんな時刻までどちらへ?」
「街の孤児院に。ついこんな時間まで入り浸ってしまいましたわ。申し訳ございません…」
「いえ。そう言うことでしたら。王が自室にてお待ちです」
「分りましたわ。リオは──もう寝ているの?」
「はい。先ほどまでタイド様のお部屋で、お話なさっていたようですが、今は自室にお戻りです」
「そう…。仲がいいこと」
第三王妃エスカは朗らかに笑うと、侍女に着ていたローブを預け、自身は身支度を整えるため自室へと向かった。
王に会うのに、身支度を整えねばならない。今まで会っていた男の香りが付いたままでは、不審に思われるだろう。
エスカは確かに孤児院へと向かったが、向かったのはそのさらに奥にある、秘密の小部屋。男との密会に使う部屋だった。
男は滅ぼされた小国、ケイオスで将軍をしていた男だった。名をドローマという。
今は街の鍛冶師に身と落とし、ひっそりと隠れ潜んでいた。
第三王妃エスカの亡き夫は、この男の部下だった。夫共々、信頼も篤く尊敬していたのだが。
その頃、徐々に力をつけつつあった小国ケイオスは、その勢いのまま隣国の大国セルサスに戦いを挑んだ。勝ってその領土の一部を手に入れようと画策したのだ。
しかし、計画は失敗に終わった。
本来なら手を回していた、セルサスの隣国も寝返る予定だったのが、ぎりぎりで翻り、逆にこちらを襲ってきたのだ。
それであっけなく戦いは終結し、ケイオスは消滅した。その戦いの最中、夫は見せしめとして広場で処刑されたのだ。
後に知った事だが、それは王の指示ではなかったらしい。軍独自の判断だった。捕らえられたケイオスの兵の中で、一番地位が高いもの。それが夫だったのだ。
目の前で息絶える主人を目にしたとき、のちの第三王妃エスカは心に復讐を誓った。
その後、かろうじて逃げ延びたドローマから、王ネムスに近づく計画を相談され、迷わず受けた。断ると言う選択はなかった。
エスカは美しい。若かりし頃よりは衰えたとは言え、王の目を惹くには十分だった。
エスカはその話しに乗り、第一王妃つきの侍女となり、第一王妃亡きあと、王の心を見事射止め、第三王妃という地位を手に入れたのだ。
この計画を失敗させるわけにはいかなかった。
なんとしても、主人の敵をとらねば気が済まない。私の大切な人を、目の前で奪われた。あの時の恨みを晴らすまでは──。
ドローマ以上に、強い恨みをその胸に潜ませていた。どんなに男たちに穢され様と、この思いだけは朽ちることはなかった。
12
あなたにおすすめの小説
番に見つからない街で、子供を育てている
はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。
異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。
現世の記憶は失われているが、
この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。
街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、
ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。
だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。
再会は望まない。
今はただ、この子との生活を守りたい。
これは、番から逃げたオメガが、
選び直すまでの物語。
*不定期連載です。
人族は一人で生きられないらしい――獣人公爵に拾われ、溺愛されて家族になりました
よっちゃん
BL
人族がほとんど存在しない世界に、
前世の記憶を持ったまま転生した少年・レオン。
獣人が支配する貴族社会。
魔力こそが価値とされ、
「弱い人族」は守られるべき存在として扱われる世界で、
レオンは常識の違いに戸惑いながらも必死に生きようとする。
そんな彼を拾ったのは、
辺境を治める獣人公爵アルト。
寡黙で冷静、しかし一度守ると決めたものは決して手放さない男だった。
溺愛され、守られ、育てられる日々。
だが、レオンはただ守られるだけの存在で終わることを選ばない。
学院での出会い。
貴族社会に潜む差別と陰謀。
そして「番」という、深く重い絆。
レオンは学び、考え、
自分にしかできない魔法理論を武器に、
少しずつ“並び立つ覚悟”を身につけていく。
獣人と人族。
価値観も、立場も、すべてが違う二人が、
それでも選び合い、家族になるまでの物語。
溺愛×成長×異世界BL。
読後に残るのは、
「ここに居場所があっていい」と思える、あたたかな幸福。
記憶を無くしたら家族に愛されました
レン
BL
リオンは第三王子で横暴で傲慢で侍女や執事が少しでも気に入らなかったら物を投げたり怒鳴ったりする。家族の前でも態度はあまり変わらない…
家族からも煩わしく思われたていて嫌われていた… そんなある日階段から落ちて意識をなくした…数日後目を覚ましたらリオンの様子がいつもと違くて…
【16+4話完結】虚な森の主と、世界から逃げた僕〜転生したら甘すぎる独占欲に囚われました〜
キノア9g
BL
「貴族の僕が異世界で出会ったのは、愛が重すぎる“森の主”でした。」
平凡なサラリーマンだった蓮は、気づけばひ弱で美しい貴族の青年として異世界に転生していた。しかし、待ち受けていたのは窮屈な貴族社会と、政略結婚という重すぎる現実。
そんな日常から逃げ出すように迷い込んだ「禁忌の森」で、蓮が出会ったのは──全てが虚ろで無感情な“森の主”ゼルフィードだった。
彼の周囲は生命を吸い尽くし、あらゆるものを枯らすという。だけど、蓮だけはなぜかゼルフィードの影響を受けない、唯一の存在。
「お前だけが、俺の世界に色をくれた」
蓮の存在が、ゼルフィードにとってかけがえのない「特異点」だと気づいた瞬間、無感情だった主の瞳に、激しいまでの独占欲と溺愛が宿る。
甘く、そしてどこまでも深い溺愛に包まれる、異世界ファンタジー
君に望むは僕の弔辞
爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。
全9話
匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意
表紙はあいえだ様!!
小説家になろうにも投稿
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる