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28.赦し
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クルメンについて講堂に向かうと、ガランとした空間の中、祭壇前で王ネムスとエスカが相対していた。燭台に灯されたロウソクの光りが、二人の影を時折揺らす。
周囲にいるのは王の従者ビーテ、将軍フォーティス、王子ベルノだ。リオは別室にいるらしい。
皆、神妙な面持ちだ。
離れた場所には、セルサスの兵の監視の下、ケイオスの元騎士たちが一塊にされている。
「お前は私によく尽くしてくれた。今回の件、そなたが元ケイオスの騎士らと組んで、起こしたと聞いているが…。本当か?」
王の眼差しはそれでも穏やかで優しい。エスカは躊躇ったのち、口を開く。
「ええ、そうです…。あなたに仕えた日々はとても満ち足りて、楽しかった…。時に辛い過去を忘れさせては頂きましたが、やはり祖国を滅ぼされ、前夫を無残に殺された記憶は、わたくしに復讐の念を忘れさせませんでした…」
エスカはすくと顔を上げ、ネムスを見返すと。
「元騎士団長ドローマと出会い、彼と通じたのは事実です。…あなたの傍らで微笑みながら、陰では裏切っていたのです。私は処罰されて当然です。ただ、リオだけは…どうか、ご容赦を…」
「幼い子供に手をかけはせぬ。ましてリオは王家に迎えようともしていたのだ──」
言って、スウェルの腕に抱えらえたままのタイドに目を向けたが、それもすぐにエスカに戻されると。
「──それも今は無に帰したが。手になどかけぬ。今後も手厚い保護をしていく所存だ。それはお前に対してもだ。エスカ」
「王?」
エスカは耳を疑うように聞き返した。
「お前が現在と過去との間で煩悶していたのはよく理解している。間者と通じていると言いながら、ベルノを本気で殺そうとはしていなかったはずだ。いつもタイドが傍にいる時だけを狙っていた。…そうであろう?」
「っ! そ、それは──」
エスカは動揺を示した。いつもは美しく彩られた唇が、今はすっかり色をなくしている。
「それは、本気で殺そうとする者のすることではない。表でどう取り繕おうと、躊躇っていたのだ…。それは、ここで過ごした日々が少なからず影響していた証拠。──お前はあの男を慕っているのか?」
ネムスがさすのは捕らえられた元騎士団長、ドローマのことだった。ドローマは黙って事の成り行きを聞いている。エスカは首を小さく振ると。
「…いいえ。亡き夫が尊敬していた方。夫と同じように尊敬はいたしておりましたが、それだけ…。ただ、求められ応じたのは事実です。前夫の幻を…そこに見たかったのです…」
ネムスは一つ息をつくと。
「私はお前を愛している」
「え…?」
エスカは驚きに顔を上げた。
「私は強い者が好きらしい。それに少々癖のあるものたちがな? ベルノ以外は、私の周囲はそんな者ばかりが集まっている。お前もそのひとりだ。お前がケイオスの出身であり、亡き夫はその騎士だったことも承知済み。それでも、生きるために私を選んだそなたの強さに惚れたのだ。──幸いなことに、今回は大惨事とはならずに済んだ。お前が今後心を入れ替え、私に尽くすというのであれば、今回のことは水に流そうと思っている。お前はどうなのだ?」
「でも…! わたくしは、あなたを裏切り、この国を亡ぼすことに手を貸したのですよ? …いくら無傷で済んだからと言って、許されることではありません。王がお許しになっても、皆が許すはずありません。どうか厳しい処罰を…!」
エスカはそう言って頭を垂れたが、コホンと咳払いをした大臣クルメンが、
「王がそこまでおっしゃるのです。受け入れてはいかがでしょうか? 幸いここには、私を含め、王の重臣のみしかおりません──」
と言いながら、スウェルに目を向け、それを見なかった事にすると、再び視線をエスカに向け。
「──皆、王と心を一つにしているものなれば、王の決定に異を唱えるものはございません。逆に応じないのでしたら、こちらにも考えがございます。なんせ、心酔する王の申し手を断り、処罰を望むのです。そちらこそ、大いなる反逆と言わざるを得ません。王の申し出をお断りになるのでしたら、王都中を反逆者として引きまわした上、半月はそのまま晒し、民衆に石つぶてをぶつけられる日々。リオ様とて無事にはすみませぬぞ? 一生、牢獄に繋がれ日の目をみない運命を辿ることに──」
「クルメン、その辺にしておけ…。エスカが怯えておる」
ネムスの静かな声に制されクルメンは我に返る。
「は!」
わざと大仰に頭を垂れて見せた。ネムスはエスカに向き直ると、
「クルメンが言うように、お前が受け入れられないと言うのであれば、処罰を下す。──これからも、その苦悩を抱えたまま、私の后として傍にいよ。逃げ出すことは許さない」
「王…」
ネムスは声を和らげると。
「正直なところ、第二王妃はうっかりものでな? 彼女だけでは心もとないのだ。その点、お前がいれば安心して城の奥を任せられる。どうか聞き入れてくれぬか?」
「…わかりました…」
エスカは視線を落とし、消え入りそうな声で答えた後、すっと顔をあげ。
「王のご厚意、一生忘れません。わたくしは今まで通り、セルサスの第三王妃として、王に仕えさせていただきます。…それが、わたくしの今回起こした事の贖罪になるとおっしゃるなら…」
ネムスはふっと表情を緩めると、エスカの肩に手を置き。
「では、そのように。──クルメン、聞いたか?」
「は! しかと聞きましてございます。皆のもの、今まで見聞きしたことは全て流せ。今後もエスカ様によくお仕えするように!」
「…御意。──ったく、クルメンも調子がいい」
フォーティスの呟きに、傍らのベルノがクスリと笑った。気づいたクルメンが、
「なに? 何か言ったか? フォーティス将軍」
「いいや。何も。あなたは立派な大臣ですよ。尊敬に値します」
「ふん、わかっておればいいのだ。分かっておれば…」
二人のやり取りを聞いていたスウェルは。
「これで、上手く収まったと言う事か。──後は…」
そう言って腕の中のタイドを見下ろした。
こちらも収めねばなるまい。
その間に、エスカは王の従者ビーテに伴われ別室へと向かった。そこの部屋でリオが待っているのだろう。
リオには今回の事態を何も説明はしていなかった。ただ、王を恨むものが起こした戦だとしか。そこに母が加担していたとは、誰も告げる者はいなかった。
✢✢✢
「スウェル殿」
ネムスがこちらに顔を向けた。
「はい」
いよいよ、自分たちの番だ。
ネムスの声に、スウェルは抱えていたタイドをそっと床に下ろしたが、手はしっかりとタイドの肩に置かれている。何を言われても離すつもりはないという意思の表れだ。
ネムスはその様子をしばし黙って見つめていたが。
「…四年前。私は森のエルフの王グリューエン殿に頼まれた。タイドをここに受け入れて欲しいと。私は実際迷っていたのだよ。君とタイドは固いきずなで結ばれていると感じていた。だから、息子と分かったからと言って、無暗に引き離していいものか…」
「そうですか…」
そこで、初めてネムスの苦悩を知った。スウェルはそんなネムスをジッと見つめる。
「しかし、グリューエン殿とタイドの間に話がつき、タイドはここに引き取られることになった。頼まれなくとも、タイドが望めばそうするつもりではあったが…。その後、タイドはなぜか君との記憶を失くしていた。ニテンスと言ったか…。君の従者が言うには、記憶を封じたという。ここで生きていくには必要のないものだからと。そして、私は王子としてタイドを受け入れた。だが──」
視線はスウェルの傍らに立つタイドに向けられる。
「タイドはやはり、スウェル殿の元にいるべきだろう。タイドには十分、尽くしてもらった。何度、ベルノの危機を救ってもらったか…。しかし、タイド。そなたは一度も私を父とは呼ばなかった。それは意識的にそうしていたのか?」
すると、タイドは澄んだ眼差しをネムスに向け、
「…俺には幼い頃から、ずっと自分を育ててくれた大切な人がいました。記憶を失くしても、それがどこかにあって…。だからどうしてもあなたを父と呼べなかった。どこか違うように感じて…。また、そう呼ぶのもどこかおこがましい気がしたのです。あなたをそう呼べるのは、ベルノただ一人かと。でも、尊敬する思いは変わりません」
「そうか…。良かった。嫌われているわけではなかったようだ。──スウェル殿」
微笑を浮かべたネムスは、スウェルへ向き直ると。
「ここまでタイドを育てたのはあなただ。タイドはもうあなたのもの。ずっと放っておいた私が言える事でもないが、これからもよろしく頼む」
「タイドは死んだと思われていたのです。仕方ありません。これからも、彼と共に生きていきます」
「ありがとう…」
ネムスは表情を引き締めると、身をひるがえし。
「さて、城に戻るとするか」
「は」
その言葉にクルメン、フォーティスが続く。
フォーティスは何も言わずに去っていった。傍らにスウェルがいるのだ。言う事は何もないのだろう。
しかし、ベルノはこちらに向かって駆け戻ってくると。
「タイド。そうは言っても、これからも顔は見せてくれるのだろう? …急にいなくなるのは寂しい」
タイドは俯くベルノの肩に手を置くと。
「会いに行く。もう、俺は自由だ。そうだろう? スウェル」
そう言ってスウェルを振り返る。
「ああ。父グリューエンも何も言わないさ。ベルノ様も会いにくればいい。いつでも歓迎する」
「いいのですか! やった! それなら私も安心だ。別れなくて済む」
と、去っていく王の一団の中から小さな影が飛び出した。リオだ。
「タイド! 私も会いに行く! きっと行くから!」
「お母さまと王の許可が下りたならいつでも。ベルノも一緒ならきっといいと言ってくれるよ」
「うん! きっと会いに行く。だから、タイドもきっと来てね? 約束ね!」
リオはタイドの手を取って握り締めると、ぶんぶんと振って見せた。
「さあ、もう戻ろう。リオ。タイドもまた後で。帰る前に城によってくれよ?」
「もちろん」
「じゃあ、またあとで」
リオを伴って、ベルノは王の後に続いて寺院を出ようとする。
スウェルはその背を見送りながら、これで漸く落ち着ける、そう思った矢先。
寺院の隅に一塊にまとめられていたケイオスの元騎士たちが突然、暴れ出したのだ。
皆、後ろ手に縛られているため、単に暴れただけではなにもできない。ただ、なだれ込む様に王たちの行く手に転がりでて、行く手を塞いだのだ。ネムスらは足止めを食う。
「お前ら! 大人しくしてろ!」
すぐに衛兵が押さえ引き戻すが、中から一人が飛び出し祭壇前へ駆け出した。どうやら、縄を切っていたらしい。
「お前!」
フォーティスが剣を抜き、追おうとするが、はたと何かに気づき、足を止めた。
そして、タイドの元へ戻ろうとしたベルノを引き留める。
「ベルノ王子! 行ってはなりません!」
「けど──!」
「みな、早く外へ!」
フォーティスは酷く焦った様子で、ベルノを突き飛ばすようにして外へと押し出した。
✢✢✢
「おまえら全員、ここでお終いだ!」
ひとり駆け出したのは元騎士団長、ドローマだった。
行き着いた祭壇前。その手には燭台が握られていた。足元にはむしろがかけられた積み荷が置かれている。隠しきれずに、木箱に詰められたそれが、一部露出していた。
あれは──。
タイドは目を瞠った。
ドローマの足元にあるのは、無数の爆薬だ。火が付けば、この寺院などひとたまりもない。
真っ先に気づいたフォーティスは、誰彼構わず外へと押し出した。
「皆! 外へ出て伏せろ! タイド! スウェル殿も!」
「タイド! 外へ──」
その声にスウェルが腕を掴もうとすると、それをすり抜け、タイドはドローマに駆け寄り飛びかかった。タイドの方が祭壇に近かったのだ。
「くっ…!」
冷たい石の床に押し倒され、燭台を取り落とす。
「バカな事は止めろ!」
タイドはドローマの襟元を掴み、抑え込もうとしたが、まだ上手く腕に力が入らず、ドローマの動きを拘束するまでは行かなかった。
「クソッ…!」
ドローマはぐいと腕を伸ばし、もう一方、近くに立っていた燭台の脚を掴んで引き倒した。派手な音を立て燭台が倒れ、むしろの端に火が移る。
乾いたむしろは、あっという間に燃え上がった。もう消すのは間に合わない。
このままじゃ──。
タイドは振り返り、
「スウェル! 逃げて──」
ドローマを離すと、直ぐに立ち上がって、向かいかけたスウェルを突き飛ばす。
「タイド──!」
次の瞬間、ドォン! と轟音と共に容赦ない熱波と衝撃が襲った。
周囲にいるのは王の従者ビーテ、将軍フォーティス、王子ベルノだ。リオは別室にいるらしい。
皆、神妙な面持ちだ。
離れた場所には、セルサスの兵の監視の下、ケイオスの元騎士たちが一塊にされている。
「お前は私によく尽くしてくれた。今回の件、そなたが元ケイオスの騎士らと組んで、起こしたと聞いているが…。本当か?」
王の眼差しはそれでも穏やかで優しい。エスカは躊躇ったのち、口を開く。
「ええ、そうです…。あなたに仕えた日々はとても満ち足りて、楽しかった…。時に辛い過去を忘れさせては頂きましたが、やはり祖国を滅ぼされ、前夫を無残に殺された記憶は、わたくしに復讐の念を忘れさせませんでした…」
エスカはすくと顔を上げ、ネムスを見返すと。
「元騎士団長ドローマと出会い、彼と通じたのは事実です。…あなたの傍らで微笑みながら、陰では裏切っていたのです。私は処罰されて当然です。ただ、リオだけは…どうか、ご容赦を…」
「幼い子供に手をかけはせぬ。ましてリオは王家に迎えようともしていたのだ──」
言って、スウェルの腕に抱えらえたままのタイドに目を向けたが、それもすぐにエスカに戻されると。
「──それも今は無に帰したが。手になどかけぬ。今後も手厚い保護をしていく所存だ。それはお前に対してもだ。エスカ」
「王?」
エスカは耳を疑うように聞き返した。
「お前が現在と過去との間で煩悶していたのはよく理解している。間者と通じていると言いながら、ベルノを本気で殺そうとはしていなかったはずだ。いつもタイドが傍にいる時だけを狙っていた。…そうであろう?」
「っ! そ、それは──」
エスカは動揺を示した。いつもは美しく彩られた唇が、今はすっかり色をなくしている。
「それは、本気で殺そうとする者のすることではない。表でどう取り繕おうと、躊躇っていたのだ…。それは、ここで過ごした日々が少なからず影響していた証拠。──お前はあの男を慕っているのか?」
ネムスがさすのは捕らえられた元騎士団長、ドローマのことだった。ドローマは黙って事の成り行きを聞いている。エスカは首を小さく振ると。
「…いいえ。亡き夫が尊敬していた方。夫と同じように尊敬はいたしておりましたが、それだけ…。ただ、求められ応じたのは事実です。前夫の幻を…そこに見たかったのです…」
ネムスは一つ息をつくと。
「私はお前を愛している」
「え…?」
エスカは驚きに顔を上げた。
「私は強い者が好きらしい。それに少々癖のあるものたちがな? ベルノ以外は、私の周囲はそんな者ばかりが集まっている。お前もそのひとりだ。お前がケイオスの出身であり、亡き夫はその騎士だったことも承知済み。それでも、生きるために私を選んだそなたの強さに惚れたのだ。──幸いなことに、今回は大惨事とはならずに済んだ。お前が今後心を入れ替え、私に尽くすというのであれば、今回のことは水に流そうと思っている。お前はどうなのだ?」
「でも…! わたくしは、あなたを裏切り、この国を亡ぼすことに手を貸したのですよ? …いくら無傷で済んだからと言って、許されることではありません。王がお許しになっても、皆が許すはずありません。どうか厳しい処罰を…!」
エスカはそう言って頭を垂れたが、コホンと咳払いをした大臣クルメンが、
「王がそこまでおっしゃるのです。受け入れてはいかがでしょうか? 幸いここには、私を含め、王の重臣のみしかおりません──」
と言いながら、スウェルに目を向け、それを見なかった事にすると、再び視線をエスカに向け。
「──皆、王と心を一つにしているものなれば、王の決定に異を唱えるものはございません。逆に応じないのでしたら、こちらにも考えがございます。なんせ、心酔する王の申し手を断り、処罰を望むのです。そちらこそ、大いなる反逆と言わざるを得ません。王の申し出をお断りになるのでしたら、王都中を反逆者として引きまわした上、半月はそのまま晒し、民衆に石つぶてをぶつけられる日々。リオ様とて無事にはすみませぬぞ? 一生、牢獄に繋がれ日の目をみない運命を辿ることに──」
「クルメン、その辺にしておけ…。エスカが怯えておる」
ネムスの静かな声に制されクルメンは我に返る。
「は!」
わざと大仰に頭を垂れて見せた。ネムスはエスカに向き直ると、
「クルメンが言うように、お前が受け入れられないと言うのであれば、処罰を下す。──これからも、その苦悩を抱えたまま、私の后として傍にいよ。逃げ出すことは許さない」
「王…」
ネムスは声を和らげると。
「正直なところ、第二王妃はうっかりものでな? 彼女だけでは心もとないのだ。その点、お前がいれば安心して城の奥を任せられる。どうか聞き入れてくれぬか?」
「…わかりました…」
エスカは視線を落とし、消え入りそうな声で答えた後、すっと顔をあげ。
「王のご厚意、一生忘れません。わたくしは今まで通り、セルサスの第三王妃として、王に仕えさせていただきます。…それが、わたくしの今回起こした事の贖罪になるとおっしゃるなら…」
ネムスはふっと表情を緩めると、エスカの肩に手を置き。
「では、そのように。──クルメン、聞いたか?」
「は! しかと聞きましてございます。皆のもの、今まで見聞きしたことは全て流せ。今後もエスカ様によくお仕えするように!」
「…御意。──ったく、クルメンも調子がいい」
フォーティスの呟きに、傍らのベルノがクスリと笑った。気づいたクルメンが、
「なに? 何か言ったか? フォーティス将軍」
「いいや。何も。あなたは立派な大臣ですよ。尊敬に値します」
「ふん、わかっておればいいのだ。分かっておれば…」
二人のやり取りを聞いていたスウェルは。
「これで、上手く収まったと言う事か。──後は…」
そう言って腕の中のタイドを見下ろした。
こちらも収めねばなるまい。
その間に、エスカは王の従者ビーテに伴われ別室へと向かった。そこの部屋でリオが待っているのだろう。
リオには今回の事態を何も説明はしていなかった。ただ、王を恨むものが起こした戦だとしか。そこに母が加担していたとは、誰も告げる者はいなかった。
✢✢✢
「スウェル殿」
ネムスがこちらに顔を向けた。
「はい」
いよいよ、自分たちの番だ。
ネムスの声に、スウェルは抱えていたタイドをそっと床に下ろしたが、手はしっかりとタイドの肩に置かれている。何を言われても離すつもりはないという意思の表れだ。
ネムスはその様子をしばし黙って見つめていたが。
「…四年前。私は森のエルフの王グリューエン殿に頼まれた。タイドをここに受け入れて欲しいと。私は実際迷っていたのだよ。君とタイドは固いきずなで結ばれていると感じていた。だから、息子と分かったからと言って、無暗に引き離していいものか…」
「そうですか…」
そこで、初めてネムスの苦悩を知った。スウェルはそんなネムスをジッと見つめる。
「しかし、グリューエン殿とタイドの間に話がつき、タイドはここに引き取られることになった。頼まれなくとも、タイドが望めばそうするつもりではあったが…。その後、タイドはなぜか君との記憶を失くしていた。ニテンスと言ったか…。君の従者が言うには、記憶を封じたという。ここで生きていくには必要のないものだからと。そして、私は王子としてタイドを受け入れた。だが──」
視線はスウェルの傍らに立つタイドに向けられる。
「タイドはやはり、スウェル殿の元にいるべきだろう。タイドには十分、尽くしてもらった。何度、ベルノの危機を救ってもらったか…。しかし、タイド。そなたは一度も私を父とは呼ばなかった。それは意識的にそうしていたのか?」
すると、タイドは澄んだ眼差しをネムスに向け、
「…俺には幼い頃から、ずっと自分を育ててくれた大切な人がいました。記憶を失くしても、それがどこかにあって…。だからどうしてもあなたを父と呼べなかった。どこか違うように感じて…。また、そう呼ぶのもどこかおこがましい気がしたのです。あなたをそう呼べるのは、ベルノただ一人かと。でも、尊敬する思いは変わりません」
「そうか…。良かった。嫌われているわけではなかったようだ。──スウェル殿」
微笑を浮かべたネムスは、スウェルへ向き直ると。
「ここまでタイドを育てたのはあなただ。タイドはもうあなたのもの。ずっと放っておいた私が言える事でもないが、これからもよろしく頼む」
「タイドは死んだと思われていたのです。仕方ありません。これからも、彼と共に生きていきます」
「ありがとう…」
ネムスは表情を引き締めると、身をひるがえし。
「さて、城に戻るとするか」
「は」
その言葉にクルメン、フォーティスが続く。
フォーティスは何も言わずに去っていった。傍らにスウェルがいるのだ。言う事は何もないのだろう。
しかし、ベルノはこちらに向かって駆け戻ってくると。
「タイド。そうは言っても、これからも顔は見せてくれるのだろう? …急にいなくなるのは寂しい」
タイドは俯くベルノの肩に手を置くと。
「会いに行く。もう、俺は自由だ。そうだろう? スウェル」
そう言ってスウェルを振り返る。
「ああ。父グリューエンも何も言わないさ。ベルノ様も会いにくればいい。いつでも歓迎する」
「いいのですか! やった! それなら私も安心だ。別れなくて済む」
と、去っていく王の一団の中から小さな影が飛び出した。リオだ。
「タイド! 私も会いに行く! きっと行くから!」
「お母さまと王の許可が下りたならいつでも。ベルノも一緒ならきっといいと言ってくれるよ」
「うん! きっと会いに行く。だから、タイドもきっと来てね? 約束ね!」
リオはタイドの手を取って握り締めると、ぶんぶんと振って見せた。
「さあ、もう戻ろう。リオ。タイドもまた後で。帰る前に城によってくれよ?」
「もちろん」
「じゃあ、またあとで」
リオを伴って、ベルノは王の後に続いて寺院を出ようとする。
スウェルはその背を見送りながら、これで漸く落ち着ける、そう思った矢先。
寺院の隅に一塊にまとめられていたケイオスの元騎士たちが突然、暴れ出したのだ。
皆、後ろ手に縛られているため、単に暴れただけではなにもできない。ただ、なだれ込む様に王たちの行く手に転がりでて、行く手を塞いだのだ。ネムスらは足止めを食う。
「お前ら! 大人しくしてろ!」
すぐに衛兵が押さえ引き戻すが、中から一人が飛び出し祭壇前へ駆け出した。どうやら、縄を切っていたらしい。
「お前!」
フォーティスが剣を抜き、追おうとするが、はたと何かに気づき、足を止めた。
そして、タイドの元へ戻ろうとしたベルノを引き留める。
「ベルノ王子! 行ってはなりません!」
「けど──!」
「みな、早く外へ!」
フォーティスは酷く焦った様子で、ベルノを突き飛ばすようにして外へと押し出した。
✢✢✢
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ひとり駆け出したのは元騎士団長、ドローマだった。
行き着いた祭壇前。その手には燭台が握られていた。足元にはむしろがかけられた積み荷が置かれている。隠しきれずに、木箱に詰められたそれが、一部露出していた。
あれは──。
タイドは目を瞠った。
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真っ先に気づいたフォーティスは、誰彼構わず外へと押し出した。
「皆! 外へ出て伏せろ! タイド! スウェル殿も!」
「タイド! 外へ──」
その声にスウェルが腕を掴もうとすると、それをすり抜け、タイドはドローマに駆け寄り飛びかかった。タイドの方が祭壇に近かったのだ。
「くっ…!」
冷たい石の床に押し倒され、燭台を取り落とす。
「バカな事は止めろ!」
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「クソッ…!」
ドローマはぐいと腕を伸ばし、もう一方、近くに立っていた燭台の脚を掴んで引き倒した。派手な音を立て燭台が倒れ、むしろの端に火が移る。
乾いたむしろは、あっという間に燃え上がった。もう消すのは間に合わない。
このままじゃ──。
タイドは振り返り、
「スウェル! 逃げて──」
ドローマを離すと、直ぐに立ち上がって、向かいかけたスウェルを突き飛ばす。
「タイド──!」
次の瞬間、ドォン! と轟音と共に容赦ない熱波と衝撃が襲った。
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孤独なαと健気なΩが、偽りの契約から真実の愛を見出すまでの、切なくも美しいシンデレラストーリー。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
【WEB版】監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】
古森きり
BL
【書籍化決定しました!】
詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります!
たくさんの閲覧、お気に入り、しおり、感想ありがとうございました!
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政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。
男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。
自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。
行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。
冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。
カクヨムに書き溜め。
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