One

マン太

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2-2.雨

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 それから、薫は長旅の疲れが若干見えるスニーカーを履き直して、家を出た。
 とりあえず、まず、家の周囲をぐるりと巡る。
 周囲に塀はなく、生け垣が植わっていて、その向こうに畑が広がっていた。家の裏手は森になっていて、その先に岩肌の剥き出しになった小高い山がある。
 よくある田舎の風景だ。
 家が建つ場所は、山裾、丘の中腹。畑を手前に眼下には、真っ直ぐな水平線が広がる海が見える。
 その海の向こうに、雲が湧き上がり、雨柱が立っていた。雲はこちらに向かって流れて来ている。
 もしかしたら、こちらもじきに雨が降るかも知れない。降ったとしても、あの分だと通り雨だろう。母もよくスコールがあると言っていた。

 なんだか、自然が濃いな…。

 鈍色の海原には、雲の合間から、所々日がさしていて、スポットライトが当たっているよう。
 そうして、時間の許すまま、土手の端に座って、ぼんやり海を眺めていた。

 
 家に帰って、夕食の支度を始めた所で、ポツポツと雨が振り始めた。台所から見える紫陽花の艷やかな葉が、雨粒に揺れ始める。
 そこから、一気にザァッととつぜん、大降りになった。雨のカーテンだ。
 風は殆どないから、家の中へ吹き込むことはないが、代わりにひんやりとした空気が流れ込んでくる。
 
 なんか、降り方。南国っぽい。

 そこまで、南国とは言えない位置にある島なのだが、降り方は負けていない。かなりの土砂降りだ。
 窓の外の様子を気にしつつ、出来たばかりの、豚コマとキャベツ、タマネギの焼肉だれ野菜炒めを台所のテーブルの中央に置いた。
 他にご飯と味噌汁、冷や奴にタッパーに入って冷蔵庫にあったキュウリの漬け物。
 シンプルだが、量は多い。

 少し作りすぎたか?

 久しぶりの旅行に、テンションが上がっているのかも知れない。そういう時は、目測を誤る。
 
「いただきます…」

 ひとり、手を合わせる。広い部屋には雨音と時計の秒針の音のみ。

 静かだな。

 車の音も、人の騒ぐ声も聞こえない。静かなのはいいが、少し寂しい。テレビは居間にあるのみ。つけてもいいが、つけた所でここからは見えない。

 仕方ない──。

 そうして、目の前の野菜炒めに箸を伸ばそうとすれば。ガシャンガシャン、と、玄関の戸が叩かれるような音がした。

 なんだ?

 風で揺れているにしては、不自然だ。第一、風はそう強くない。
 と、もう一度、同じ音がする。聞き間違いではない。誰かが戸を叩いているのだ。こんなへんぴな場所へ訪れるものがいるとは。しかも、時刻は夜七時近い。

 おばちゃんか?

 でも、こんな雨の中、しかも日が落ち辺りは真っ暗。訪れるとは思えなかった。

 誰だ?

 首を傾げつつ、廊下を踏み鳴らしながら玄関へと向かい、電灯をつける。格子のガラス戸の向こう、小柄な人影が浮かび上がった。

 やっぱり、おばちゃんか?

「…どちら様ですか?」

 警戒心満々で尋ねれば。

「オレ、松岡です!」 

「松岡さん? どうしたんですか?」

 薫はホッと息をついて、緊張を解くと、急いで傍にあったサンダルをつっかけ、玄関の差し込み式の鍵を開ける。
 おばちゃんには、鍵をかけなくても変な人は来ないと言われていたが、それでも癖でかけてしまう。
 ガラガラと引き戸を開ければ、そこには、まさにずぶ濡れ、濡れ鼠と化した松岡がいた。茶色っぽい髪はしとどに濡れて、ポタポタ毛先から滴を落とす。

「いや、つい夢中になって採取してたら、バスの時間、逃して…。したら、スコールが来て。慌てて木の下で雨宿りして。じきにやむかと思ったけどやまなくて。それで、仕方なく歩き出したんだけど、荷物は重くなるし、まだ街まであるし。それで、薫くんがここにいたのを思い出して、雨宿りさせてもらおうかと…」

 そこで、松岡の腹の虫がグルルと鳴る。

「…よかったら、メシも食ってきます? とりあえず、身体拭いて着替えてください。あ、シャワーがいいか? とにかく、中入って──」

「…ありがとう。夕食時にごめんな。あー、けど、ホント、助かったぁ」

 薫は松岡の背中にある、雨に濡れてすっかり重くなったザックを、引き受ける為に手をかけるが。

「うっわ、おもっ!」

 松岡の肩から外したザックはかなりの重量だ。濡れたせいばかりではない。
 松岡はたたきに腰掛け、ぐっしょり水を含んだトレッキングシューズを脱ぐと。

「ああそれ、中に岩が入ってるからさ。採取して後で調べるんだ。それ、ここに置いといていいかな? あとで片付けるから」

「もちろん」

「よかった」

 ニカと笑ってそう言うと、松岡はザックを薫から受け取り、たたきへ直に置く。
 中からタオルとビニール袋に包まれたカメラ類だけ取り出し、上がりかまちへ置いた。それから、よっと声をあげて立ち上がり。
 
「…じゃ、お言葉に甘えてシャワー借りても?」

「もちろん。廊下の突き当たりを左に行けばあります。トイレもその横に」

「了解。…ついでに申し訳ないんだけど、何でもいいから、服、かりられるかな? 着替えなくって…」

「ぜんぜん、いいですよ。下着も新品あるんで。サイズは合わないかも知れないですけど…」

「気にしないよ。下着は買って返すから」

「それは、気にしないでください。着替えあとで持ってくんで。タオルは脱衣場の適当に使ってください」

 ありがとー! と、歩きながら手を振って返した、松岡の小柄な背が廊下の先に消えた所でふうと息をつく。
 玄関のたたきには、ぐっしょり濡れたザックが、途方にくれた様にそこあった。

 触らない方がいいよな?

 台所にあった、要らなくなった新聞紙を下に敷き、残りは同じくびしょ濡れの靴の中に丸めて突っ込んだ。
 こうすると、乾きが早いと祖母に教わったのを思い出したのだ。
 
 足、俺よりは小さいな。

 横に並んだ薫の靴と比べると、大人と子どもの差がある。もちろん、松岡のサイズも二十五センチはあったが。薫の方が長身な分、大きいのだ。
 小ぶりな靴は、人の良さそうな松岡に合っている気がした。


「はぁー、生き返った…。ホント、ごめんな? 食事中だったのに…」

 シャワーを浴び終えた虎太郎が戻って来た所で、夕飯となる。
 食卓には、温め直した野菜炒めと、味噌汁らが、ご飯と共に置かれていた。冷や奴も漬け物も追加済。
 二人分のいただきます、が響いて夕飯の開始だ。先ほどまでしんとしていた空間が、一気に賑やかになる。

「気にしないで下さい。作り過ぎちゃったんで。松岡さん来てくれて、丁度良かったです」

「あー、その、松岡さんやめて、虎太郎でいいよー」

 松岡は肩をすくめてみせる。
 サイズが合っていないせいで、貸したボートネックのTシャツが首から肩にかけてずり落ちそうになっていた。
 下はハーフパンツを貸したが、こちらもダボッとしていて、ひざ下くらいまで丈がある。それをゴムでは止まらず、ついている紐をきつく絞ることでずり落ちないよう調整していた。
 全体的にオーバーサイズだ。それが、松岡の小柄な体形を余計に強調させる。

「じゃ、俺のことは呼び捨てにしてくださいよ。『薫』で」

「ん。わかった」

「──じゃ、さっそく虎太郎さん。あのザック、岩以外の中身って何です?」

「えーと、撮影機材とか、採取用のハンマーとかタガとか。すぐ帰るつもりだったから、食料詰めてなくてさ…。お腹、グーグー」

 薫の作った焼き肉だれの野菜炒めを、美味しそうに口いっぱいに頬張る。まるで、エサを頬袋いっぱいに詰め込んだリスの様だ。

 なんか、かわいいな。

 手のひら乗せて、眺めていたい気がする。すると、こちらの視線に気がついた虎太郎が、ん? と眉を上げ。

「なに?」

「いや…。なんでも。てか、味、濃くないですか? 自分用に適当に作ったから」

「いや? ぜんぜん。だいたい、ちょっと濃いほうが、ご飯進むし。てか、俺、食いすぎ?」

 既によそったご飯、二杯目が終わりかけている。びっくりだ。小柄だから、あまり食べないのかと思ったが。

「いや。多めに炊いたんで。遠慮せず、どうぞ」

 本当は、多めに炊いて、余れば冷凍しようと思っていたのだ。
 けれど、また、炊けばいいだけのこと。美味しそうに食べてくれるなら、それで満足だった。
 もぐもぐ、もしゃもしゃと音が聞こえてきそうなくらい、元気いっぱい食べる虎太郎を前に、これは、作り甲斐があるかも、そう思った。

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