月の光に

マン太

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25.庭

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 ──ああ、いい景色だったなぁ。

 その後、湯あみをさせてもらい、遅い昼食をとって、午後は客間のソファで過ごした。
 流石に日々の作業で身体が疲れたのか、めまいを覚えてそうしたのだ。
 ソファと言っても、立派なそれではない。かなり年季の入った代物で、張られた布地は擦り切れ、スプリングが身体に当たって痛いほど。
 掃除の際に埃を払って水拭きし、天日には干したが、その際も破れてしまうのではと気が気でなかった。
 客間にはそのソファとセットになったローテーブル。飾り棚一つに壁に暖炉がある程度。他はなにも置いていない。
 遊興品に関しても同様だった。置かれているのは教典のみ。流石にそれだけではこと足りず。無理を言ってブルーナが持ってきていた本を読ませてもらっているのだ。
 ブルーナが持ってきていたのは、伝記ものと旅行記、少し昔の作家が書いた物語の三冊だった。
 今は旅行記を読んでいる。まるで、自分が旅している気分になれて、かなり楽しめたが、これらを読み終わってしまうと後がない。ブルーナに了解を得て、ひと月かけて、ゆっくり読むことにした。
 ブルーナは優しいから許してくれたが、これが他の者だったらそうは行かない。本来、本を読むことは許されていないのだ。許可など下りなかっただろう。
 他にもそうだ。塔を登らせてくれたのも、掃除を許してくれたのも、全てブルーナだから。
 初めこそ冷たい印象のあったブルーナだったが、一緒に過ごすうちに、その人となりが知れてきた。

 ──こんな風に、僕を甘やかしたらいけないだろうに。

 無理のない範囲で、理解し許してくれる。
 最後に過ごせたのが彼のような人物で良かったと思う。でなければ、暗たんたる思いを抱えたまま、この家で判決まで過ごす事になっただろう。
 だからと言って、わがままばかりは言えない。次の作業で最後にしておいた方が良さそうだ。

 部屋の掃除のあとは──。

 マレは視線を外へと向けた。
 そこには荒れ放題の庭が見える。狭いとはいえ、昔は石像の周囲を花々が囲んでいた、美しい庭だったのだろう。ベンチの残骸もある。病人を和ませるように作られていたはずだ。

 ──庭の片付け、だな。

 こちらも、奉仕作業と言う事にしてもらえれば、許してくれそうだった。
 絡んだツタを取って、下草を刈れば見栄えも良くなる。花の種はないだろうから、せめてそれくらいはさせてもらおうか。
 ラクテウス家では庭師がいたため、作業を眺めるのがせいぜいだったが、薬草つくりで庭仕事は慣れていた。
 それを思えばここでの作業も大したことはない。ただ、刃物を扱うのに許可が下りない可能性がある。その時は手でむしるしかない。

 ──まあ、ちょっとずつ進めていけば、なんとかなる広さだな。

 門扉から玄関先に続く石畳もすっかり草に覆われていた。あれだけでも取り払えば、かなりさっぱりとするだろう。
 まずはそこを綺麗にすることを目標とした。



「ブルーナ。その、庭の草刈りをしたいんだけど…」

 その夜。夕食中に、脇に控えていたブルーナに遠慮がちにそう言えば、最後まで言い終わらないうちに。

「刃物に関して、私の判断では許可できかねるのです。それに、流石に申し出ても下りないかと…」

「──だよね。分かってる…。そこまでする必要もないんだろうけれど。でも、どうしても庭を綺麗にしておきたくて…。玄関に続く石畳があるでしょ? あそこの草をどうにかしたくて…。それに、ツタも。家に絡んでいたのはこの前取ったけど、庭はそのままだし」

「しかし、──そこまで、やらなくともいいのでは?」

「まあ、ね。ここにいるのは僅かな間なんだけど…。──でもしたいんだ。何かしてないと、落ち付かなくて…。最後の我儘で、許してもらえないかな? ここも綺麗になるだろうし、国の施設なら奉仕にもなるでしょ?」

 ブルーナはしばし沈黙したのち。

「刃物を使わないのであれば…」

 結局、許してくれる。

「ありがとう、ブルーナ。あるもので何とかなるから大丈夫」

「すみません…」

「いいって。本当は庭掃除だって許しちゃいけないんだろうし…。もし、何か咎められたら、僕に無理強いされたって言って構わないよ。ここまで来たら、もうどう言われても同じだからさ」

 フォークで野菜の切れ端を突きながら、答える。
 これ以上罪が増えても、結果が最悪になることには変わりない。今さら悪評が増えた所で、気にする必要はなかった。

「はい…」

「いつも無理を言ってごめんね。手伝ってもくれるし…。今回は手伝わなくてもいいよ。これは僕が勝手にすることだから」

「しかし──」

「家の中ならまだ分からないからいいけれど、外で作業すれば、嫌でも衛兵の目につく。手伝っているのを見られたら、あなたの評価が悪くなるよ。気にしないで。作業は僕一人でやれるから」

「はい…」

 その日、出された鳥肉のソテーと野菜、スープとパンを食べ終えると、早々に部屋へと戻った。
 どうも最近、胸やけがするし、食欲もわかない。あれほど動いているのに。前だったら畑仕事をした日はかなり食べた。

 ──この身体が受け付けないのかな? 

 マレではないのだ。リーマの身体は、そのように作られていないのかもしれない。

 ──作業をすることなんて、なかっただろうしな。

 ブルーナに言って、量を減らしてもらった方がいいだろう。食べ残せばその分、無駄になる。
 後で伝えることにして、その日は早めにベッドへ横になった。



 ブルーナはリーマの食事を片付け終えると、ひとりキッチンで食事を取りながら、今までのリーマの行動を振り返っていた。
 リーマの振る舞いに、違和感を感じるのだ。
 聞き知っていたリーマは、残忍で冷酷で、人を人とも思わない、命の重さなどないようにふるまう、そんな人物だと理解していた。
 なのに、今、自分が接しているリーマはまるで別人だった。
 出会った時こそ、頼りなげな青年に映ったが、あとはよく笑い、表情もコロコロと変わって。こちらへの気遣いも忘れない、温かい心の通った人物だ。例えるなら春先の風のよう。
 また、掃除や片付けも気にせず自身で行い、まるでそれが当たり前の様にふるまっている。
 リーマは第四王子だ。大勢の人々にかしずかれ生きてきたはず。こんな風に自らの手を汚し、汗を流すような作業などしてこなかったはずだ。

 ──なのに。

 今日も汗だくになって、塔のうえまで掃除していた。手伝わなくてもいいと言われたが、結局、あれやこれやと世話を焼いてしまい。
 そんなつもりなどなかったのに、放っておけず手伝ってしまったのだ。
 屋敷の中も半ば全て彼が掃除を済ませた。あとは日々の簡単な掃除を行えばいいだけ。
 流石にブルーナの部屋までやると申し出た時は断ったが。
 いくら罪人とは言え、もとは王子だ。そんなことなどさせられないし、王子を虐げて喜ぶほど、そこまで悪趣味でもなかった。
 仲間の中には、今までの鬱憤を晴らすといいと助言する者もいた。
 もし、リーマが歯向かってくるようなら、殴ってもいいと。だが、その必要は今の所ない。
 実際、判決が下りるまで命さえ取らなければ、どう扱ってもいいと言われていた。
 リーマがしたように、耳をそぎ、鼻を削っても、おとがめはない。鞭で殴り倒しても、生きてさえしていれば問題なかったのだ。

 ──けれど、その隙がない。

 流石に無抵抗のものを、力で虐げる事はできなかった。
 しかし、いくら今いい人間だからと言って、過去に犯した罪が消えることはない。死んだものは生き返らないのだ。その償いをリーマはするべきだ。

 ──もし、判決が望むものでないのなら。
 
 ブルーナはひとり、暗い目をして手元を見つめた。



「ふう。やっぱりきついな…」

 額に浮かぶ汗をぬぐい、腰を伸ばした。
 玄関先から門扉までの草をあらかた手で抜き終え、一息ついた所だった。
 門扉の向こうに立つ衛兵が、ちらちらとこちらを見ていたが、見ればやっていることは分かるはず。不審な顔を見せるものの、咎めようとはしなかった。
 聞かれたら、ブルーナに言われたと言う事にしてある。きつい労働を貸しているのだと、そう言う設定だ。そう言えば、文句など言わない。逆に笑って見ているだろうとは、ブルーナの談だった。
 だいたい、王子が草むしりなんてするわけがないのだから。腰を曲げて長時間、地面に這いつくばるなど、誰も想像しないだろう。

 ──おかげで作業は順調だったな。

 息切れはするが、なんとか終わりを見せている。あとは抜いた草を集めて、隅に固めておくだけだ。本当は燃やしたい所だが、それも許可は下りないだろう。一か所に固めて置けば、そのうち土にかえる。
 ツタの方は、すでにお昼前に片付けてあった。そちらも一緒にまとめておくつもりだ。
 庭の草は伸び放題だが、それでもツタがないだけ、すっきりして見えた。壊れて使えなくなっていたベンチも片付けてある。ツタを避けると、石像もほっとした様に見えた。
 白い大理石でできたそれは、女性の像で、きっとニンフをモチーフにしたのだろう。花冠を被り、薄い衣をまとっていた。昔はきっと、色とりどりの花に囲まれていたはず。

 ──本当は花をここへ植えたいけれど無理だろうな。

 しかし、周囲を見回せば、野草の花々が咲いているのに気が付いた。植えなくとも、少しこの野草が活きるように整備すれば、いいように思えた。

 ──よし。そうしよう。

 だいたい、ひと月も先がないのなら、その方が手っ取り早い。本当は庭を片付けて終わるつもりだったが、そうも行かない様だ。

 ──せめてできることを。

 石畳の周囲を掃除したと、早速その整備に取り掛かった。



「随分、綺麗になりましたね。見違えるようです」

 夕食を食べていると、給仕についたブルーナが声をかけてきた。
 マレは視線を窓の外に向けながら、出されたパンをちぎって口に放り込む。
 すでにブルーナに頼んで、量を減らしてもらってあった。出された肉も僅かで。けれどそれで十分だった。一口か二口目にはお腹がいっぱいになるのだ。リーマはかなり少食だったのだろう。

「うん。これで少しはましになったかな? 集めてある草はあのままで。そのうち土に還るから。本当は畑でもあれば敷いたり、時間を置いたのは堆肥にもできるんだけど…」

 裏庭に少しばかり土地があって、昔はきっと畑だっただろう場所を見つけていた。
 そこをしっかり耕せば、来年はきっと使えるはずだ。けれど使うあてのない土地を耕した所で無駄にもなってしまう。

「よく、ご存じなのですね」

「ああ……。うん。少し、興味をもった時期があったんだ。それで使用人に聞いたんだ」

 適当に誤魔化す。

「そうなのですか…」

「ここは、僕がいなくなったら、また誰かが使う予定はあるのかな?」

「いえ…。聞いてはおりませんが」

「そっか…。じゃあ、耕しても無駄になっちゃうかな? でも、少しは手を加えて置いた方がいいだろうなぁ」

 すると気付いたブルーナが。

「裏庭のことですか?」

「うん、そうだよ。あそこ、畑だったようだから耕そうかと思ったけど…。でもやっぱりだめだね。鍬も鋤も鉄製だもの。使わせてはもらえないや。いいよ。草をむしるくらいはしておくから」

 そんなことばかりしているせいで、昔のマレのようにすっかり手の指先が黒ずんで汚れが取れなくなっていた。幾ら洗っても、染みついてしまったのだ。
 それに、マレの手と違って、リーマの手は作業に向いていない。皮も薄く、指先にはささくれや傷が直ぐついた。
 きっと、ここを出るころには肌も焼けて、濡れ羽色だった髪も日の光に赤茶けてしまうだろう。手入れもろくにしていないのだ。なって当然だった。
 屋敷にいた頃は、執事が命令して、下僕や侍女がそう言った身支度を丁寧に行ってくれていた。
 髪にオイルを馴染ませ、身体には専用のクリームを塗った。顔や手にはまた別のクリームがあって。いつもリーマの身体はピカピカに磨き抜かれていたのだが。

 ──もう、見る影もないな。

 マレでいた頃は、そう言ったことにやはり無頓着で。見かねたのか、サイアンが自分の使っているのを分けてくれて。それだけをいつも使っていた。

 ──あのクリームはいいにおいがしたな。

 懐かしい。もう一度嗅いでみたかった。あの香りはサイアンを連想させて。自身から香るたびに、いつも身近にサイアンを感じたものだった。

「…草むしりなど。もう十分ではないのですか? ここの所、顔色もすぐれないようですが」

「やっぱり、そう思う? …でも、いいんだ。身体の動かせるうちに何かしておきたいんだ。次にここを出たら、きっと自由にはできないだろうから…」

 行ったきり、ここへ帰ってなど来られないだろう。運よく生きられたとしても、一生牢獄に閉じ込められるかもしれないのだから。

「…ここでの事はすべて、報告は上げています。今の所、中止するようには言われていないので、それは構わないと思いますが…」

「良かった。ブルーナ、ありがとう」

「…いえ」

 グレーがかった緑の瞳が伏せられた。
 しかし、本当にほどほどにしておかないと、ブルーナに迷惑をかけることになる。
 せっかくここまで良くしてくれているのに、そんなことになってはならない。
 マレは庭の手入れで、作業をやめる事にした。

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