叫ぶ家と憂鬱な殺人鬼(旧Ver

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第2章 橋屋家撲殺事件

橋屋家への説得 変化のためのピース

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 食器を片付け、公理さんとローテーブルに向かいあって手をつなぎ、ゆっくりと目を閉じる。
 閉じた目に浮かぶ既に見慣れたリビングの光景。電気は点いていた。柚は帰宅しているのかもしれないが、今ここにはいない。
「ああいた。これが橋屋一家か」
「昨日もいた?」
「いたかもしれない、というかいたんだろうね」
 目の前から悩ましそうな声がする。
「幽霊がたくさんいすぎるんだよ、この家。それでハルが言ってたみたいに家族会議してるっぽい」
「そうか。……俺は姿は見えない。けれども声は聞こえる」

  これで最後だ
  あの人いかれてるよ
  もう嫌
  あの人が来てしまう

 注意を向ければ夢より明朗に聞こえる。
 最後。最後ということはやはり何らかの対処、例えば引っ越しなどを考えていたのかもしれない。橋屋一家が生きている時、貝田弘江も生きていた。そしてストーカーされていた。公理さんの表現からも、生きた心地はしないだろう。
 まずは退路の確保だ。リビングの窓に近づく。一見閉じているようにしか見えないが、触れれば夢と同じようにするりと外に出る事ができた。
「あれ? 窓閉まってたよね。ハルは幽霊なの?」
「さあな」
 俺がこの家でどんな状況かはわからないが、それは目下どうでもいい。
 窓は空いている。家が言うにはくり返す一日を止めてここから橋屋一家と貝田夫婦を外に逃がすことがクリア条件だ。何つう難易度だよ。
 振り返って、橋屋家一家に尋ねる。
「貝田さんを入れちゃだめだ。入れてしまえばあんた方は殺される」
  呼んだんだ
  入れたくない
  出ていきましょう
  会いたくない
 夢と同じ程度には話は通じるようだが、未だ茫洋としている。1人、出ていきたいと言う人間がいる。この人を説得できないかな。
 リビングの閉じた窓から庭に出て玄関を回り、隣家の様子を伺う。明かりは点いていた。手を伸ばせば手はその玄関をすり抜けた。俺はやはり幽霊なのだろうか?
 室内に侵入すれば、見知らぬ家族が夕飯を食べていた。俺にも見えるということは、幽霊ではないのだろうか。俺は『扉』を通して柚が見えた。だから今この家に住んでいる人たちなのかもしれない。貝田家の遺族も家を売ったのだろう。
 橋屋家で惨劇が繰り返されているなら、橋屋家に惨劇をまき起こす貝田弘江もここで毎日をくり返しているはずだ。そう思えば奥のキッチンから、とても嫌な予感がした。貝田弘江、かな。
 食卓に背を向けると手が強く握られた。
「うわぁもうやめたい。鬼おばさんが男の人を灰皿で殴りまくってる」
「『黒い幽霊』は?」
「黒い……そういえば今はいない、ね」
 すると未だ、呪いは発動していない? 発動せずに貝田弘江は夫を殴っている、のか?
「おばさんはこっちに気が付いてないみたいだ。さっきほどは怖くないけど……ちょっと慣れたのかな?」

 俺は貝田弘江が見えない。そしてあの粘液のような黒い塊も見えない。とすれば、それは家に入った時、又は貝田弘江が家の2回で『黒い幽霊』に接触した時に発生するのだろうか。
 それでは今公理さんが見ている惨劇は、呪いとは無関係に発生している?
 貝田弘江は呪いの影響で橋屋家を殺害したのだとしても、夫殺しは呪いとは無関係なのだろうか。けれども今、貝田弘江は鬼のような形相をしている。
 考えられる可能性。

 もともと鬼のような形相をする人間だった。
 呪いの影響で鬼のような形相になった。

 後者だとすれば、橋屋家を訪れた際などに家や呪いの影響で少しずつ変質した、のかもしれない。公理さんも霊障が強いと少しずつ影響を受けると言っていた。
 雑誌で見た貝田家のご主人の顔写真を頭に浮かべれば、ぶつぶつと呟く声が聞こえ始めた。貝田弘江を説得できるとすれば、唯一この人だろう。けれども絶望的かもしれない。
「公理さん、殴られてる男の霊はいる?」
「そもそもこの殴られてる人は霊なんじゃないの? どうみても死んでるけど口がパクパクしてる」
「死んでるのに殺されるのは、居た堪れないな」
「……殺された人にはよくあるんだけどね。情報に囚われるんだ」
  弘江、どうしてこんなことを
 男がいると認識すれば、その声はより明瞭になった。けれども抑揚は乏しい。
「貝田さん、聞こえるか」
  ……君は誰?
 苦しそうな、けれども怪訝そうな声が聞こえる。意思疎通はできそうだ。上々だ。
「俺は隣の橋屋家の関係者だ。なんであんた、奥さんに殴られてる」
  わからない
  橋屋さん……弘江はずっと隣の家から夜中に女の子の声が聞こえると言っていた
「女の子の声?」
  ああ、そうだ でも俺には聞こえなかった
  橋屋のご主人と相談してこれから家の中を一緒に見せてもらって 弘江の誤解を解こうと思っていたんだ
  女の子なんかいないって
 女の子? 何の話だ。橋屋家には女性は母親しかいなかったはずだが。
「もともとあんたも一緒に行く予定だったのか」
  そう
  橋屋さんはこれで納得してもらえないなら引っ越しをすると言っていた 本当に申し訳ない
  ……そうだ だから俺は弘江に 橋屋さんのお宅に女の子がいなかった場合
  それでもいると言い続けるなら俺にはもう理解できないから別れたいと言ったんだ
  ……そうしたらこうなった
 夕食を食べる家族の団らんの音に重なりガツガツという男が殴られ続ける音が響く。とても奇妙だ。奇妙な分、男の声は悲しそうに響いた。
 橋屋家はやはり引っ越しを考えていたんだな。そうすると、この男が死んだのは夫婦関係のもつれ、か? 呪いとは関係あるのだろうか?
「あんたの奥さんはこのあと橋屋家に行って一家を皆殺しにする」
  なんだって? まさかそんな……
「本当だ。俺はそれを止めたい」
  いや、でも何で君はそんなことを知っている?
「あんたが殺されてから、既にもう何年も経過している。その間、橋屋家もあんたも毎日奥さんに殺され続けている。この毎日を止めたい」
  毎日……? 馬鹿な……
  でも、そういえば、なんだかずっと同じことをしている気がしていた
「公理さん、貝田さんはどこにいる?」
「ちょうどこの部屋の真ん中あたり。生きてる奥さんのいる椅子の下」
 そこに向いて話しかける。その間にも、ガツガツという音は止まらない。
「俺は何とかしたいんだ」
  何とか
  ……それが本当なら、どうすれば
「そうだな。とりあえず付いてきてほしい」
 公理さんの言うところでは、半信半疑そうながらも貝田さんは立ち上がり、おとなしく後ろをついて来ているそうだ。灰皿の音は未だ背後から聞こえている。繰り返しというのは人毎の判定なのだろうか。
 庭から一緒に橋屋家のリビングに上がれば、今の雰囲気が変化した。
  貝田さん!? その怪我はどうなされたんです?
  夜分にすいません 私 妻に殺されまして
 リビングにどよめきが広がる。橋屋一家と貝田さんは会話ができるようだ。橋屋一家を意識すれば、より声は明瞭になった。
「橋屋さん、あんたらも貝田の奥さんを家に上げれば殺される、だから家に上げるな」
  しかし……
  俺たちが呼んだんだ
「その結果、あんたらも殺される。殺されたいわけじゃないんだろ?」
  当たり前だ
  そもそも誤解を解こうと思って呼んだんだよ
 誤解。女の子がどうとかいう奴だろうか。しかし会話が成り立つとは思えない。
「無理だ。誤解は解けない。貝田さんのご主人でも殺された。嫌われてるあんたらが殺されない道理はないだろ?」
  俺たちが呼んだんだ
 俺からの問いかけには反応がいまいちだ。貝田さんに説得させるべきだろうか。けれども貝田さんも俺の話を完全に信じたわけではない。
「ねぇちょっと! 鬼が塀から覗いてる」
 公理さんの声に振り返るが、俺にはやはり貝田弘江の姿は見えない。けれどもいるというなら好都合だ。その方向を指し示す。
「あんたらあれを見ろ。あれがこれからあんたらを皆殺しに来る貝田さんの奥さんだ」
 小さな悲鳴があがり、空気が引き攣る。これまでの妙にフラットだった空気からの変化。感触はいい。このままなんとか。
  しかし
  俺たちが貝田さんを呼んだんだ
 一瞬空気は揺らいだものの、また元に戻ってしまった。頑固で嫌になる。
「駄目か」
「ハル、この人たちは随分長い間、同じ一日を繰り返してるんでしょ?」
「そうだな」
「幽霊はこの現世でもう、新しい未来を本来紡げないんだ。だから幽霊は情報量が多いほど、その過去に囚われる。死んだ時の記憶に引きずられる」
 彼らはもう何年も殺され続けてる。毎日殺されるたびにその記憶は上書きされ、より強固になっている、のかもしれない。
 うん? じゃあ貝田さんはどうなんだ。普通に会話が出来たぞ。
 貝田さんは呪いによって死んだのではない? けれども繰り返している。一定は呪いの影響下にあるのだろうか。とすれば距離の問題? この家は呪いの震源地。開口部はリビングの窓のみで、橋屋一家はこの家にずっと閉じ込められている。だから貝田家より橋屋一家のほうが呪いの影響が濃いのだろうか。
 どうすればいい? どうすれば説得すれば説得できる。どうすれば呪いから解き放たれる。

  出ていきましょう

 小さな声が空気を震わせる。この人は最初からずっと出て行きたがっている。
 貝田さんもそうだが、説得するなら呪いの狭間にいる俺より内側にいるものの方が伝わるだろうか。この言葉もおそらく、惨劇と同様に情報として積み重なっているはずだ。
「あんた、そんなに奥さんを殺したいのか」
  何!? 何を言う 私は妻のためを思って
 初めて影の声に熱がこもる。
 この小さな変化を継続したい。ここから話を広げたい。
「奥さんは出ていきたがってるぞ、もともと貝田さんに会いたくないんだよ。ちゃんと話を聞いてやれ」
  ……出ていきましょう、あなた
  そんな……
  しかし
「奥さんはずっと逃げたがっていた。でもあんたらが貝田さんに殺させ続けてる、もう何年もだ」
  馬鹿な
「ハル、鬼おばさんが動いた。多分こっちに来る!」
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