叫ぶ家と憂鬱な殺人鬼(旧Ver

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第2章 橋屋家撲殺事件

第一夜の終わり お蔵入り

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 振り返ってもやはり俺には何も見えない。だがもう時間がない。時計を見れば、間も無く20時。
 後ひと押しが酷く遠い。水の中を泳ぐようだ。まだ、間に合うか?
 この人達が殺されれば、また一日が巻き戻るのだろう。仕切り直しも考えたほうがいいかもしれない。
「貝田さんの奥さんが動いた。もうすぐこの家に来る。今ならあの窓から逃げられる」
  しかし……
「あんた! そんなに奥さん殺したいのか ! そっちのあんたもだ。あんたは弟とお母さんを殺す。あんたらは家族を殺したくて仕方がないんだな!」
「うわぁ、ハルまじで鬼」
「うるさい。逃がすのが最優先だ」
 自分でも酷い言い草だなと思うが、他に響く言葉が他に思い浮かばない。この『しかし』のくり返しを吹き飛ばすほどの内容が必要なんだ。
  そんな……俺はそんなことしない!
「あんたはあんたを助けようとした息子をバットで殴り殺す。お前はお母さんを逃がそうとした弟を殴り殺してお母さんを滅多打ちだ。貝田さんが来れば今日もそうだ、あんたら2人、そんなに家族を殴り殺したいんだな? これから先も永劫に。毎日の日課として」
  そんな……
  俺は……そんなこと
「思い出せ。もう何年も繰り返してきたはずだ。だからその記憶が埋まっているはずだ」
  俺が……?
  まさか……
「大切なものは何だ。奥さんと家族の命か、それとも貝田弘江にこの家を見せることか」
  妻だ。妻に決まっている
  俺たちは母さんを守るために……
「ならば逃げるべきだ。そこの貝田さんを見ろ。貝田弘江に殺された。次はあんたが奥さんを殺す」
  出ていきましょう あなた 基広 永広
 差し込まれたその声に広がる不思議な静寂。
「あんたらが無視してきた奥さんの心からの言葉だ。ずっと出ていきたいと言っている。そんなにお前らは奥さんを殺したいのか」
 間に合うか。間もなく貝田さんが来る。その前に、届け。
  違う!
  私たちはただ、幸せになりたかっただけなの
 その叫びと呟きと共に、ふう、と1つ溜息が聞こえた。
  ここから逃げられるのか?
 これは弟の声か。
 よし。ようやく声が俺に向いた。
 ようやく繰り返しから、抜けた。
「その窓に隙間がある。弟さんが開けた隙間だ。そこから庭に出られる。この連鎖を終わらせろ。永久に」
 今だ、再び呪いに飲まれる前に。
 ガタと立ち上がる音とともに俺の脇を複数の風が通り過ぎた。
 その時、ありがとうという小さな声が響いた、気がした。
 奥さんは何年も、あの中で戦っていた、のだろうか。
「ハル、4人とも出てった。そんで、なんかキラキラ光って空に登った。成仏、したのかな?」
「どうかな、まずは一段落。貝田さんのご主人はまだいる?」
「うん、なんかぼーっとしてる、あの鬼おばさんはどうするの? 俺、見たくないんだけど」
 その時、ピンポン、という音が響き渡り、手が強く握られる。
 来た。こいつらは霊だ。同じ行動をくり返す以上、わざわざ玄関を開けなくても勝手に入ってくるだろう。
 しばらく後、ブツブツと呟く真っ暗な塊が酷い臭いを漂わせながら廊下を通り過ぎ、階段に向かった。これは……貝田さんを殴り殺した時の血と脳漿の匂いか。階段に背を向ける。再び手が強く握られる。
「公理さん、貝田弘江に『黒い幽霊』はついているか?」
「今のところついてない、でも無理。まじ鬼。ハル、俺もう逃げたい」
「貝田さん、聞こえるか?」
  あぁ
 正面から声が聞こえた。絶望を潜ませたため息だ。
「あれが今の奥さんの姿だ」
  ……どうしてこんなことになってしまったんだろう
「嘆いても仕方がない。奥さんは1日を繰り返す限り、この家にいる限り、あのままだ。けれども俺は何とかしたい。橋屋の4人も説得できた。だからきっと何とかなる。おそらくこの後、奥さんは自殺しようとする。それを止めたい。口添えを頼む」
 貝田弘江は首をつっていた。橋屋家が吊るしたのでない以上、自分で死んだか呪いによって死んだか、だ。
  わかった 弘江
 わずかに意思が篭った呟き。
 やはり橋屋家ほど強固ではない。そもそもこの家の中にいること自体がイレギュラーだからかもしれない。
 2階に上がる足音が途切れてしばらくすると、ぼたりと赤黒い塊が天井から降ってくる。始まった。いざという時のために庭への脱出口の前に急ぐ。
「ハル! 何何これやだやだ! 黒いのがどんどん降ってくるんだけど」
 空気に混ざるその密度は酸素を押しやり、次第に息苦しくなっていく。『夢』の中とは段違いだ。首筋が泡立ち、額の傷が痛む。どうやら『夢』より予兆が早い。『扉』は『夢』より危険なのだろうか?
 窓際に立つ。ずりずりとした足音が2階から降りてくる。ヤスリで背を撫でられるような恐怖が匂い立つ。怖い、恐ろしい、これは俺に死をもたらす。
 けれども歯を噛み締める。乗り越えなければ。乗り越えなければ、本当に死ぬだけだ。覚悟を決めて振り返り、階段に向かう正面を見上げる。
 階段を滔々と赤黒い粘液が流れ出て、それにすっぽり包まれた貝田弘江と思われる黒い塊が現れた。
 貝田弘江は踊り場で立ち尽くし、赤黒い瘴気はぼたぼたと流れ落ち続ける。もう膝まで浸かっている。まずいな、口まで塞がると死ぬ気がする。『夢』では天井まで埋まっていた。
 太ももの中ほどまで来たとき黒い塊が突然剥がれ、その場にいたはずの貝田弘江を見失った。左右を見るが見当たらない。
 なんだ? 突然どこに行った?
 見失うのはまずい。まずいぞ。どこにいるかわからなければ、呪いをときようがない。握った手に汗が溢れる。

「公理さん、今から振り返る。貝田弘江がいるか確認してくれ!」
「え? ちょ!? うわ!? やめて! 目を開けて! 何この部屋、気持ち悪い、無理!」
「黙れ。俺は起きないぞ。正念場だ。見ろ。貝田弘江はどこにいる」
「ええっえっと、部屋に入って、あ、右、いや左向いて? 今電話かけてる」
 電話?
  警察? 助けて、人が襲われて……
 そんな小さな、怯えた声が聞こえた。110番をしたのは貝田弘江か。
 どういうことだ?
「公理さん、顔は怖い?」
「あ、いや。なんか普通のおばちゃんっていうか、雑誌に載ってたみたいな」
 あの黒い粘液が呪いだとすれば、今はそれが剥がれ落ちている? 呪いのせいで貝田弘江が変質したとすれば、この時点で呪いがとけて正気に戻ったということか?
 呪いから切り離されたのならば、あの真っ黒な絶望的な姿よりは、説得が可能かもしれない。
「エプロンよじってる、何」
「弘江さん、聞こえるか?」
  ……誰?
「ご主人を連れてきた」
  私は主人を殺してしまったの
「知ってる。貝田さん、奥さんに呼びかけろ、このままだと自殺して、また毎日を繰り返す」
 耳元でゴクリと唾を飲み込む音がした。
  弘江。私が悪かった
  あなた……?
  弘江、俺はお前を信じていなかった でもお前は本当に聞こえていたんだな 声が
  声……そう、そういえば でも私の気のせいかも。
 聞こえたのは、少し気弱そうな声。惨劇をもたらすとは到底思えない、声。
  大丈夫 誤解はとけた もう大丈夫だ 俺はお前を信じるよ
  でも私は橋屋さんたちを
「弘江さん。全てはもう何年も前の話だ。あんたがこの家から抜ければ、繰り返しは終わる。もう橋屋一家が死ぬことはない」
 目の前の空気がわずかに揺れた。
  信じるよ 弘江は本当に声を聞いたんだ
  あなた ごめんなさい
 まずい、腰まで瘴気が積もってきた。息が苦しい。額の傷の痛みが強まる。貝田弘江は小柄なはずだ。もう胸まで呪いに浸っているんじゃないだろうか。呪いが解けても呪いに飲まれたらどうなる。鬼に戻るかもしれない。鬼に戻ると……俺は無事だろうか? 糞、時間がない。
「貝田さん急げ、奥さんがまた、呪いに飲まれるかもしれない!」
  弘江、一緒にいこう
  一緒に?
  そう この家を出よう 人様のお家だからね おいで ずっと一緒にいるから
「……ハル、貝田さんたちは外に出た。ハルも出て」
 急いで窓のすき間から飛び出す。それと同時にフッと額と首筋の予兆も消えた。間に合った。冷汗が背中を流れ落ちた。もうすぐ胸に至るところだった。心臓を浸されるのは正直ヤバい気がする。
 改めて家の中に目を向ける。窓の大分上の方まで瘴気に浸されて黒く染まっていた。これ、この後どうなるんだ。夢だとここで目が覚めたからわからない。
 しばらく観察していると、先程までは積もっていただけの瘴気が次第に形を取り始めた。何が起こっている?
 瘴気は何人かの人の姿に変化していく。その人影の1人が窓に近づいてきた。シルエットからすると髪の長い女性か?
 首を伸ばして窓越しに俺を眺める。再び首筋がチリチリし始める。これは俺に不幸をもたらすもの。ほっとしたような公理さんの声が聞こえる。
「ハル、貝田さんたちもキラキラして消えた。これで呪いはとけたのかな」
「そうか、じゃあ次の呪いだ。公理さん、すまない」
 振り返った瞬間、繋いだ公理さんの手から力が抜け、ドサっと公理さんが机に突っ伏す音がした。
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