7 / 76
第一章 鷺沼崇の場合
五 ◯鷺沼 崇【 1月7日 午前8時30分 】
しおりを挟む現在も、俺は日雇いや派遣の仕事で食いつなぎながら、少額ではあるが毎月コモレビに借金を返済している。
この生活はいつまで続くのだろうか。それすらわからない。返済期間も長引き、元金の支払いに加え利子もあり、もはやいくら金を返すべきで、どれ程返済できたのかさえ把握できていない。そんな不安な毎日を暮らしている最中であるにもかかわらず、一時の感情で、殺人という更なる不安要素を生み出してしまった。
しかも殺したのは、よりによってコモレビの社員である小林であったこと。これがあの会社に…特に檜山にバレたら、俺はどうなってしまうのだろう。どんな報復を受けるのかを考えると、背筋が凍った。
まるで底なし沼である。不幸が不幸を呼ぶ、もがけばもがくほど沈んでいく。この沼からは、一生抜け出すことができないのかもしれない。
「あちっ!」
指先に熱を感じ、反射的にその原因を離した。今立っている場所より数十センチメートル先の床に、吸っていた煙草がポトリと落ちる。昔のことを思い出している間、少し呆けていたようだ。フィルターの部分まで火が届いていた。
舌打ちをしてもう一本取り出し、火をつけようとライターを取り出した…その時だった。ごとん、と玄関の方から音が鳴った。音のした方向に顔を向ける。どうやら郵便受けに、何か投函されたようである。
普段は、興味もない広告や近くのスーパーのバーゲンセールなどのチラシが多いが、今の音は重みがあった。何か、重量のある物が投函されたのだろうか。煙草を仕舞い、玄関へと向かう。
郵便受けの中には、横長で薄めの段ボール箱が入っていた。通常の配達物に貼られている伝票もなく、箱の表面にたった一枚、「親愛なる鷺沼様へ」と、付箋紙のようなものが貼りつけられている。
(何だ、これは)
箱のフラップ部分はガムテープで無造作に止められている。何が入っているのだろう。不審に思いつつも手に取る。…重い。手で上下に何度か振ってみると、かたかたと音が聞こえる。好奇心が警戒心に優った俺は、その場で箱を開き始めた。この中には何が。まさか爆弾じゃないよな。そんな訳無いか。一体…
開封し中に入っていた「物」を見て、思わず目を見開いた。そして、震える手でそれをゆっくりと掴み、持ち上げた。
それは拳銃だった。本物を見たことは無かったが、ドラマや映画で登場する警察官が持っているところを何度か目にしているため、それが拳銃であると一目でわかった。
右手に持ち、左右に振る。幼少の頃に祭りの出店で買ったエアガン(気圧によりプラスチック性の弾を発射する玩具銃。殺傷能力はなく、サバイバルゲームなどに用いられる)の軽さとはまるで異なり、ずっしりとした重さがあった。
(ほ、本物なのか?)
「なんだよ、これ」
やっと声が出た。入っていたものが想定外過ぎて、少々思考が停止していたようだ。
箱の中には拳銃の他にも包丁が一丁と、クリアファイルに入った、二つ折りにされたA四判の用紙が同梱されていた。心臓の鼓動が大きくなる。用紙をクリアファイルから取り出し、二つ折りを開いた。
用紙には次のとおりの文章が書かれていた。全てワープロソフトで入力されている。
『十二月三十日、お前が人を殺した瞬間を目撃した。死体を隠した場所も知っている。このことを公表されたくなければ、同梱した拳銃を使い、次の指定した日時、場所に行き、対象を殺せ。
・日時:一月十日 午後五時三十分から午前0時まで
・場所:スカイタワーシティホテルほか
・対象:柳瀬川 和彦』
(こ、殺せ、だって?)
ごくりとつばを飲み込んだ。これは脅迫状だ。しかし単なる脅迫状ではない。俺を使って対象の人物を殺させる、殺人を教唆する内容である。
…あの時は気付かなかったが、俺が小林を殺した瞬間は見られていたというのか。まあ確かに、あれは衝動的に殺してしまったものであり、計画的に行ったものでは無い。誰にも目撃されなかったという方があり得難いし、奇跡だ。
しかし一人殺しているとはいえ、もう一人追加で殺すなんて俺にはできない。また殺す対象のこの柳瀬川という人物だが、全く面識の無い人物である。見知らぬ人間を殺すなんて。
いや。一人かぶりを振るう。小林に関しても、殺してしまう前までは面識がなかった。コモレビの名刺を見て、やっと素性を知ったというレベルだ。それは理由にならない。
そうは言っても。この拳銃や包丁を送ってきた相手、何者かは知らないが、そいつは俺の弱みを握っている。無茶な要求に対し、俺が逆らえないことを知っているのだ。眉をひそめながらも、更に下方に目を移していく。と、また驚きのあまり目を丸くした。両手に力が入り、紙が皺だらけになっていく。
文章には続きがあった。
『なお、対象を殺すという目的を達成した場合、犯した罪は永久に他言せず、報酬として一億円を贈ることを約束する』
もはや、脅迫されていることも忘れていた。何度もその文章を読む。内容に間違いはない。決して、夢や幻等ではない。
この後半の文章。一億円…これがあればコモレビの借金も完済できるし、こんな安アパートでその日暮らしの生活ではなく、もっと豪勢で、豊かな生活ができる。
更に。更には、だ。涎が垂れるところを必死で堪える。それだけの大金があれば、もしかするとちづるとやり直すことができるかもしれない。そう考え始めると、俺の元に来たその段ボール箱は、地獄の沼に落とされた俺に垂らされた希望…蜘蛛の糸、そうとしか思えなくなった。
しかし実際それが本当に貰えるものか証拠は無いし、そのためには人を殺す、というノルマがある。ただ、俺は数日前に小林をこの手で殺している。そうだ、逆に考えろ。既に俺は人を殺す経験をしているんだ。未経験の奴と比較すると、断然有利ではないか。
「ふふ、ははは」
俺は一人、誰もいないアパートの玄関で笑った。その大きな笑いは、自分自身数ヶ月ぶりに本気で笑ったものであった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
裏切りの代償
中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。
尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。
取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。
自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
睿国怪奇伝〜オカルトマニアの皇妃様は怪異がお好き〜
猫とろ
キャラ文芸
大国。睿(えい)国。 先帝が急逝したため、二十五歳の若さで皇帝の玉座に座ることになった俊朗(ジュンラン)。
その妻も政略結婚で選ばれた幽麗(ユウリー)十八歳。 そんな二人は皇帝はリアリスト。皇妃はオカルトマニアだった。
まるで正反対の二人だが、お互いに政略結婚と割り切っている。
そんなとき、街にキョンシーが出たと言う噂が広がる。
「陛下キョンシーを捕まえたいです」
「幽麗。キョンシーの存在は俺は認めはしない」
幽麗の言葉を真っ向否定する俊朗帝。
だが、キョンシーだけではなく、街全体に何か怪しい怪異の噂が──。 俊朗帝と幽麗妃。二人は怪異を払う為に協力するが果たして……。
皇帝夫婦×中華ミステリーです!
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる