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第一章 鷺沼崇の場合
四 ◯鷺沼 崇【 過去 】
しおりを挟むその日、ちづるには俺の家にいてもらうようにお願いした。柄でも無いが出会って一年の記念として、少し高価なケーキを買っていた。それを何も知らない彼女に見せ、驚かせるつもりだった。
しかし先に家にいるはずの彼女から「おかえり」と声が返ってこない。部屋の電気も消えている。どうしたものかと玄関を開け、室内に入ると、部屋の真ん中で一人、床に座っている彼女の姿が目に入った。
ちづるは茫然自失な状態であった。俺が帰ってきたことにも気づいておらず、頬には涙が通った筋が二本、描かれていた。どうやら俺が帰ってくるまで泣いていたらしい。
「なあ、どうしたんだよ」
正気に戻そうと肩を揺さぶった。その瞬間、彼女は俺の手を強く払いのけた。目は悪鬼のような眼差しになり、鋭く俺を睨んでいる。そして言った。
「崇…借金あったの?」
一瞬思考が停止した。どうして、ちづるがそれを。
俺は彼女には悟られないように、コモレビからの書類や連絡、そのほか借金返済に関するものは全て捨てていた。そのため足が出るようなヘマはしていないつもりだった。
「な、なんでお前。それを」
「さっきね。コモレビの…いや、コモレビっていう会社の檜山さん、だったかな。その方がここに来たの」
「えっ?」
「なんかね。その方、最近崇から連絡がこないから、心配になったんだって。あたし、何のことかわからなくて。聞いてみたら、あなたの借金のことを教えてくれて…」
しまった。俺は壁にかけられているカレンダーを見る。そういえば、もう今月の返済期限を過ぎてしまっていた。
基本的に返済期限の超過は契約違反の対象であるが、万が返済が間に合わない場合は、担当の檜山に連絡を入れなければならない。その約束だったというのに、最近は仕事が忙しくすっかり頭から抜け落ち、連絡を入れていなかったのであった。
「ち、ちづる。これは、その」
何とかして言い訳をしようとした時、ちづるはぼそっと小さく、独り言のように言った。
「私、借金する人と隠し事をする人、本当に嫌いなの」
首を軽く振りながら、身震いする。そして、彼女はさらに続けた。
「崇がそんな人だとは思わなかった。私たち…もう終わりにしよう」
その言葉を聞いた時、脳内に雷が落ちたかのように、頭の中で何かがピシャリと弾けた。
何だ、その言葉は。俺は借金までして、お前を助けてやったんだ。それなのに、恩を仇で返すようなことを言いやがって。
——そう思ってから次に意識がはっきりした時には、俺の手は血に染まっていた。
目の前には腰を抜かし、恐怖に震えながら怯える目で俺を見上げるちづるの姿があった。肩は斜めに大きく割れ目ができており、真っ赤な血が流れ出ている。俺はキッチンにあった包丁を無意識に手に取り、彼女を切りつけていたのだ。
それからは早かった。どうやら俺に切りつけられた際、ちづるは大きな悲鳴を上げていたらしい。その声を通りすがりの警察官に聞かれ、室内の現状から俺はその場で拘束された。
一年目の記念として買ったケーキは、この騒動によりぐちゃぐちゃに潰れ、もはや原型を留めていなかった。
一週間後。
騒ぎを大きくしたくないという彼女の希望により、俺は罪に問われることはなかった。しかし、この一件は俺の会社に話が及んだ。次の週末に、上司より退職してほしい旨を伝えられた。
情けというべきか、表向きでは自主退職という扱いにしてもらえたのだが、厄介払いをしたいという会社側の思惑が見えた俺は、怒りに任せて会社で暴れた。そのせいで少額だが貰えるはずであった退職金も貰うことができず。また、当然ではあるがちづるも俺のもとを去って行った。俺は必死で謝り引き止めようとしたが、あれだけのことをした後では、何を言っても暖簾に腕押しだった。
加えて示談に収める要件として、俺は今後の接触も禁じられた。俺は彼女へ罪の償いもすることができなくなってしまった。結果として、俺には何も残らなかったのである。
…いや、一つだけ残ったものがあった。
「鷺沼さん。あんた返済遅れるなら遅れるで、きちんと連絡するのがルールってもんじゃないですかね」
退職した次の日、追い討ちをかけるように、数人の部下を連れて檜山は俺の家にやってきた。開いた玄関の扉に手をかけ、ぬうっと室内に入ってくる。
この悲惨な状態の要因となったその男を見た瞬間、俺は我慢できず、檜山に食って掛かった。そうはいっても体躯の差が激しい自分と檜山とでは、勝者は歴然だった。簡単にあしらわれ、そのまま床に叩きつけられる。
「私のせいにされても困りますね。そもそも、あんたが返済期限を忘れていたことが原因であって、いつもどおりきちんと返済していれば、こんなことにはならんかったでしょうに」
おそらく檜山はこういったことに慣れているのだろう。彼は淡々と正論を述べる。
「それでも!あんたが家に来ることがなければ、俺はまだちづると…それに仕事だって!失うことなんて…!」
頭では分かっていても納得することができず、ただ感情のまま叫ぶ。そんな自分が、より一層無様に思えた。
「鷺沼さん」檜山は俺を解放した後、まるで俺の耳に響くよう、一音一音はっきり発音して言った。「あんたが借金のことをその彼女さんに隠していたことは、あんた自身の事情であって、私らは知らぬ存ぜぬなんですよ。分かっていないようなんで、敢えて言わせてもらいますがね、私らとあんたの関係は、金を貸す。そして借りる。それ以上の何物でもないんですよ」
そう。檜山からしてみれば、金を返済期限までに返さない俺は悪者であり、その悪者がどうなっても関係ないことなのである。
「毎月の返済金額、下げても良いから払ってくださいよ。うちとしてはちゃんと払ってもらえればそれでいいんだから」
そう言ってから、俺の肩をぽんぽんと軽く叩いた。笑顔ではあったが、目は笑ってはいなかった。
「これからもよろしく頼みますよ、鷺沼さんはお得意様なんだからねえ」
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