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第一章 鷺沼崇の場合
十 ◯鷺沼 崇【 1月10日 午後6時40分 】
しおりを挟む檜山の後ろ、エレベーターの隣に目を向けた。そこは喫煙スペースとして吸い殻入れが設置されている。どうやら柳瀬川とは別れ、この男はここに残って一人タバコを吸っていたようだった。
運の悪いことに、その喫煙スペースは分煙のために仕切り壁で囲まれており、先程まで俺がいた場所からは死角になっていたのである。
「ど、どうして」
「どうして、その続きはここにですかな?」
檜山は俺の胸ぐらを掴んだまま、目を見開いた。外見からは何も変わりはないが、徐々に俺の首筋にある檜山の手に力が入ってきている。息苦しさと痛みを感じる。
「それはもちろん、あんたに用事があったからです」
「俺に…よ、用事ですか」
精一杯息を吸い、声を出す。呼吸をするのが苦しくなってきた。
「ええ。なあに、大したことじゃありませんわ。鷺沼さんが知っていればの話であって、もしも知らないのであれば謝罪しますので」
「一体、どんな」
「鷺沼さん。あんた、うちの会社の小林って男を知っていますかい?知っていますよね?」
ぶわっ、と体中から冷や汗が出た。そんな俺のことなどつゆ知らず、檜山は続ける。
「ここ数日、会社に出社していないんですよ。家にもいないようで。奴の人柄から、誰にも何も告げずにいなくなるなんて考えられなくてねえ。…鷺沼さん、何か心当たりがありますかい?」
やはり、この男は知っている。俺が小林を殺したことを。
どうする。どうする、どうする。
決まっている、逃げるしかない。思うが早く、体が無自覚に暴れ出す。この男の魔の手から逃れるために。
彼もいきなりここまで抵抗されるとは思っていなかったようだ。暴れる俺を必死で掴む。
「こ、こいつ!落ち着け!」
嫌だ、落ち着いてなんかいられるか。俺を捕まえるため、わざわざこのホテルまでやってきたような男だ。何をされるのか分かったものではない。俺は自分の胸ぐらを掴む檜山の手を掴み、爪を立て、そのまま思い切り引っ掻いた。
「があ!」
途端、ふっと首元の苦しさが無くなった。
前を見ると、手を抑えながら俺を睨む檜山の姿があった。抑えられた手からは血が滲み出ている。続いて、俺は自分の指先を見つめた。「ああ、そういえば最近爪を切っていなかったな」と、この状況にもかかわらず…いや、この切羽詰まった状況だからこそ、そのようなどうでも良いことが頭に浮かんだ。
「この野郎…!やっぱり、あの電話の内容は本当だったんだな!」
「あの電話…?」
電話?一体電話とは何のことだ。
「それならこっちも手加減してらんねえ!大人しく来い!」
檜山はそう叫びながら抑えていた手を放し、固く握りしめた拳で俺に殴りかかってきた。それを間一髪のところで躱す。檜山は自身の勢いを殺すことができないまま、喫煙スペースまで突進し、仕切り壁に勢いよく衝突した。
「ぐ…!」
顔面を抑え、呻いている彼をその場に残し、俺は体を百八十度回転させ、一目散に逃げ出した。
「待て!鷺沼ぁ!」
後ろから檜山の怒声が聞こえるが、この状況で待てと言われて待つ奴がいるだろうか。無視して、エレベーターホール横の非常口、外階段へと躍り出た。
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