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第一章 鷺沼崇の場合
十五 ◯金井 達也【 1月10日 午後10時45分 】
しおりを挟む「もう、動かない?」
瑞季が恐々と、目の前に倒れた鷺沼を見ながら聞いてくる。
「ああ…大丈夫だ、当分は起き上がらないよ」
そう答えた俺は、交際相手である瑞季の肩に手を置いた。
鷺沼の動向から、闇雲に何か仕出かす危険性が見て取れた。そのため、その前に奴の腹部に拳を突き入れ、気絶させたのだ。
間一髪だった。あと数秒でも判断が遅かったら、素手で伸すことは困難だったかもしれない。
それにしても、瑞季が助けを求めて走ってきたことに加え、その後ろから物凄い形相で追いかけてくる男の姿には更に驚いた。
その拍子に、反射的に拳銃を取り出し、撃ってしまった。警告代わりの威嚇射撃もしていない。突然のことで上手く対応できなかったということがあるにせよ、これは正直な話、始末書どころでは済まされない。全く、こんなはずでは。溜息をつく。
警察官である俺は、同じ派出所勤務の先輩である根岸祥三と共に、今日は午前六時の朝方までの夜勤の担当であった。事務作業を終え、特に急ぎの仕事も無かったことから、夜間のパトロールにふらふらと出ようとしたその矢先。瑞季と鷺沼の両名に遭遇したのである。
…さて、現在西街側の夜間パトロールに出かけている根岸が戻ってきたら、どう説明をすれば良いか。額に手を当て一人思い悩んでいると、自分の腕にくっつき、ぶるぶると震えている瑞季と目が合った。瑞季は少しぎごちなくはあるが、にこりと笑った。
「達ちゃん、ありがとう。私本当に、殺されるかと思った…」
ああ。うん、瑞季が鷺沼という悪漢に襲われかけていたことは事実なのだ。それを救ったこともまた事実なのである。それらを前面に押し出して説明して、何とか切り抜けるしかない。ぽんっと、瑞季の頭を撫でる。ふと、彼女は何かを思い出したかのように顔を上げた。
「そ、そうだ。言うのを忘れていたけど、ここから少し先に行ったところに、死体が!死体があったよ!」
「し、死体だって?」
「うん!血も沢山出てた。…多分私その場面を見ちゃったから、この鷺沼さん…が襲いかかってきたんだと思う」
ここで倒れている鷺沼が持っている血の付いた包丁を見ると、それはあながち見間違いとは言い辛いものであった。
「分かった。少し見てくるから、瑞季は派出所の中で休んでいてくれ。あの中にいれば安心だからさ」
「わ、分かった。気をつけてね…」
「ああ」
ほんの数分歩いたその先の道路上は、瑞季の言うとおり凄惨な状態となっていた。辺りに血の匂いが充満しており、空気が澱んでいる。思わず鼻を抑える。
こ、これは何とも派手にやったものだ。腰に付いている携帯型の無線機を手に取る。
「西街派出所の金井から警視庁本部、応答せよ」
ボタンを押し早口で話す。ザザッと小さく音がした後、相手側からの応答があった。
『こちら警視庁本部。どうぞ』
「こちら西街派出所の金井。西街派出所近辺の道路上で、重傷と思われる男性を二名発見。また、西街派出所に錯乱した男性が乱入。血の付いた衣服や刃物を所持しており、現在は沈静化しているが、本件と何か関係しているものと思われる。至急、本部の対応求む。どうぞ」
『警視庁本部、了解した』
ブツッ、と無線の応答は切れた。
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