殺人計画者

夜暇

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第三章 新出ちづると柳瀬川和彦の場合1

七 ◯柳瀬川 和彦【 過去 】

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 ああ、そうだった。確かキャバクラという夜の店に足を運び入れ始めた時期だった。
 当時は店に入りいくら綺麗な女と話しても、何も満たされることは無かった。
 つまらない。そう。どの店の女も今日のアンナ同様、俺に対しそういった、負の感情を柔く付した態度をとるからだ。俺自身つまらないことは言っていないし、面白い話をしてやっているつもりだ。どいつもこいつも、何だその人を小馬鹿にしたような表情は。
(…ふざけやがって)
 このとおり、俺はそれまで指名した者たちに憤慨することが多々あった。
 しかし、しかしだ。瑞季は違った。彼女は初めから、俺の話を何でも聞いてくれた。他の女どもと違い、真剣に真っ直ぐ俺の目を見て。笑う時はしっかりと笑う。静かに聞いて欲しい時は耳を傾ける。何を話しても、全て柔軟に受け止めてくれる。そんな彼女に対し、俺は長年忘れかけていた恋心というものを思い出した。
(彼女と話したい、もっと長い時間、一緒にいたい)
 だが、その恋を実らせるには大きな障壁があった。それは、俺が既に結婚しており、春子という妻がいることである。
 しかし俺と彼女の夫婦生活は既に冷却化、いや破綻しており、もう何年もまともな会話などしていなかった。いや。そもそも春子とは馬が合っていなかった。結婚したのは二年前。それまで独身貴族を貫いていた俺だが、両親から見合いの話を打診され、会ったのが彼女である。
 気の強い女。それが、彼女に対する第一印象だった。俺が何を言うわけでもなく、春子から結婚の話を持ち出してきた。後で聞いた話だが、彼女は自分の両親、俺の両親から、俺が結婚の意思を強く持っている…と聞いていたようだ。もちろん俺はそんなことを言った覚えはない。会ったその日から「あんたもそうでしょ?」と言わんばかりに、結婚した後の話…将来設計を念入りに詰めてくるため、本人に聞いてみたところそのように述べた。
 まあ、俺も当時は二十八歳で、そろそろ結婚したいなあとぼんやり考えることもあった。向こうが全て決めてくれるなら楽で良いと、そんな短絡的な思いから、彼女との結婚前提の付き合いが始まったのである。
 ちなみに、春子には離婚歴があった。四年前まで婚姻関係にあった男が、俗に言うDV…家庭内暴力をする気質だったようで、毎日苦労が絶えなかったそうだ。
『俺の言うことを聞けば、何でも上手くいくんだよ』
 その男の口癖、だったそうだ。言うことに背けば大声で罵倒され、殴られ、蹴られる。それが日常化し、最初は反論していた彼女も、次第に従順に成らざるを得なくなっていった。
 離婚するきっかけになったのは、偶然に過ぎなかった。四年前、その男が恐喝の容疑で逮捕されたのである。逮捕された理由が何とも情けなく、仲間の女を小金持ちの男に言い寄らせ、それを言い掛かりとして金を巻き取る…いわゆる美人局をしていたところを、現行犯逮捕されたのである。
 夫が逮捕され、そこでやっと彼女は目が覚めた。そして離婚に踏み切ったのだと言う。それは良いことではあったが、その男との数年間の歪んだ生活は、彼女の性格を大きく歪めてしまっていた。
「結婚したからには、全て私の言うとおりにして。そうすれば、何でも良い方向に進むんだから」
 婚姻届を出したその日の夜、まるでその男の意思を受け継ぐように、その口癖そのままに、春子は俺に向かって断言した。
「え、それってどういう」
「私、気付いたの。夫婦ってね、妻主導の方が上手くいくのよ絶対」
「…あ、あ?」
「だから。あなたは私の言うことを聞いていれば良いの。ほら、昔から尻に敷かれる方が幸せって言うじゃない。それよ、それ」
 そうなのよ、それが正解だったんだわ、これで失敗なんてもうしないわと一人ぶつぶつ呟く彼女は、何か恐ろしい、歪な物に思えた。
「で、でも。夫婦だからこそ一緒に考えるべきこともあるだろう。お互い人間なんだし、間違う時があるかもしれないし、その時助け合うのが…」
「は?」
 俺の言葉を遮る形で、春子は眉間に皺を寄せた。
「私のやることに、間違いなんてある訳がないでしょ?一緒に考える?そんなことする必要ない、不要よ不要!要らないわよ。あなたは私の言葉に従っていれば、全て上手くいくんだから!」
「い、いや、でも…」
「あなたは!私の言うことを!聞けば良いの!」
 叫びにも似た強い言葉を放つ彼女の姿は、以前彼女から聞いた、前夫の姿そのものであった。
 それからは本当に、そのとおりの生活が始まった。彼女は俺の意見には耳を傾けることはせず、全て自分のやりたいようにやる。俺が何か口を挟もうものなら、切って叩いて潰して粉微塵になるまですり潰すかのように、一を百で返すように、膨大な否定と侮蔑の言葉が会話を支配するのである。
 それでも、当初は俺も尽力したつもりだ。誤りには反論したり、言われたことに意見をしたり、彼女の抑制に押し潰されぬよう、本気で抵抗した。
 ここで一応、彼女の名誉を守るために言うわけではないが、結婚前はここまで我が強い女では無かった。気は強かったが、一応恋人関係と言えるような付き合いができていたつもりだ。故に、今の彼女は再婚して気が立っているだけで、時間が経過すれば、いつかは治るものと信じていたのである。
 しかし、それから一年。彼女との関係は、結婚した時から何も変わらず、そのまま現在に至る。

 婚姻関係というものは、性格が合わなかったから、飽きたから、辛いから、等という軽率な理由で破ることはできない。つまりこれは、契約の一つなのである。
 もし改めて瑞季と懇意になりたいと願うのであれば、それは一度、その契約を断ち切らなければならない。しかしそれを断ち切るには、何かしらの理由が必要だ。そう簡単に切れる訳がない。
 断ち切るために必要な理由は、俺が俺自身で新しく見つけなければならないのである。しかし「他に好意を寄せた女ができた」などという理由では、断ち切ることができたとしても、有責側として、その後の人生に多大な影響を及ぼす。
 それだけは避けたいが、願望はどうしても叶えたい。
「…そうだ」
 そんな俺に、強欲の神は一つの案を授けた。

 そう。別に春子との関係を断ち切る必要は無いのである。ただ、彼女との関係と並行して、新たな関係を作り出せばいいだけの話なのだ。その関係が彼女に知られさえしなければ、何の問題も無い。
 しかし、そのためには金だ。金がいる。俺は目的の場所にたどり着いた。消費者金融コモレビという会社に。
 愛彩での瑞季との会話で、彼女が金を欲していることを知っていた俺は、その金を餌に彼女と懇意になれる、そう考えたのであった。
 その日、俺は檜山という男から二十万円程を借りた。
(これで瑞季と…いや、瑞季を自分のものにできる)
 万札の束を見た瞬間、顔がにやけるのを止めることができなかった。次の日、俺は瑞季に会いに店に行った。その日の彼女も、変わらずの対応である。柔和な笑顔、小さくて触り心地が良さそうな肢体。これを俺が自由にできる。そう考えるだけで興奮を覚えた。
俺は、小声で彼女に話を持ちかけた。
「え、アフター?」
「あ、ああ。どうかな。君が、良ければだけど」
 緊張した面持ちで、俺は頷いた。これは賭けだ。これまで、どうせ誘っても絶対に断られるだろうしと、彼女をアフターに誘ったことは一度も無かった。しかし、今の俺には。鞄に入っている財布の中の金を意識する。そう、力がある。それがたとえ、人様より借りた力であったとしても、今夜に限り気弱な俺の背中を押してくれた。
 瑞季はうーん、と少し考えた後、顔の前で両手を合わせた。
「…ごめん。申し訳ないけど、アフターは原則断ってるの」
 嘘とは思えない、本当に申し訳無さそうな顔で俺を見てくる。そうであろうとも、その日の俺は諦めが悪かった。…というより先述のとおり、断られるのは予想していたことでもあった。
 原則、か。それならば、俺はその例外的な存在になってやろうではないか。
「そ、そ、そっか。今日は君を喜ばせるために、金も沢山持ってきたんだけどな」
 そう言って俺は、あくまで自然に財布を取り出し、中身を見るふりをした。
「え、え…」
 俺は瑞季の顔をみる。慌てて彼女は、俺の顔を見返して来た。
「こ、今月の給料全て持ってきたんだ」
 適当な嘘をつく。どうせ分かる訳がないのだから。
「そう、なんだ」
 彼女は平静を保とうとするが、ちらちらと財布の中の札束に目を向けている。
(…これは、いける)
「それなら」
 俺は瞬時に浮かんだ考えを、そのまま彼女に提案した。その時の頭の回転の早さは、これまでの人生でトップレベルのものだったに違いない。
「時間を、買う?」
「あ、ああ。閉店後の君の数時間、俺が金で買うよ」
「でも…」
「いや、なあに。ここの時間の延長だって考えてもらえれば良い。そ、それだけで俺は満足だし、君は金が貰える。良いことづくしじゃないか」
「そうだけど…」
 それでもなお渋る彼女を見て業を煮やした俺は、彼女に財布を見せつつ、耳元で囁いた。
「この中、二十万円入っているんだ。今日、全部あげる。どうかな。これでも難しいかな」
 具体的な金額を聞かされ実感が湧いたのだろうか。とうとう彼女は折れた。
「じゃあ…す、少しだけなら」
 何度も言うがこれはあくまで金の力であり、己の力では無い。しかし俺の申し出について瑞季が了承したことは、本当に嬉しかった。単に彼女と夜を過ごせることもそうだが、好みの女を勝ち取った、そんな驕りに心が浮き足立っていた。
 それから毎月、俺は彼女の時間を買っている。もちろんその度に金はかかる。春子にこのことが勘付かれないよう、自分の口座から数十万という、多額の金を捻出することはできない。と、なると、自然と借金はかさんでいく。現在は総額百二十万円プラス利息の借金を背負い、立派な「債務者」となっていた。
 そんな懐が寒い毎日ではあったが、不思議と苦では無かった。借金はそうだが、それ以上に、好みの女と一緒の時間を過ごせるというものは、何より格別なものであったのだ。しかし、やはり数ヶ月も経つと頭も冷えるようで、借金の額がこれ以上増えることに恐怖を感じ始めた。
「え、お金が無いの?」
「…あ、ああ」
 とうとう彼女に本当のことを伝えた。これまで渡した金は全て借金してきたものであると。そして、来月以降渡せる額が大きく下がることを。
 暴露したその日は、十二月二十四日。つい昨日のことである。真剣な面持ちで話す俺を見て、彼女もまた同様に真剣に聴いてくれた。
 てっきり罵倒されるものと思っていた。それか、もう会ってもらえなくなるものかと思っていた。しかし、彼女は俺の手を取って、また目を見て言った。
「そっか。でも借金なんて私、気にしないよ」
「え?」
「今は借りたお金だけど、最後には絶対返すものなんだから」
「じゃあ…良いのか?」
 彼女はこくりと頷く。
「うん。私のために沢山頑張ってくれたんだものね。今まで本当にありがとう」
 本当に、本当に嬉しかった。そうか、既に金額なんて関係無かった。瑞季の心は俺に向けられていたのだ。ここまでの努力は、無駄では無かったと、実感した瞬間であった。
 しかしその喜びは一時のものであった。その五日後、愛彩のキャバクラ嬢の一人、アンナから俺は瑞季との関係について、脅迫されることになるのだから。
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