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第四章 新出ちづると柳瀬川和彦の場合2
五 ◯柳瀬川 和彦【 1月10日 午後6時50分 】
しおりを挟む落ち着かない。
俺は今、スカイタワーシティホテルの三十階の喫煙スペースで煙草を吸っている。こんな姿を新田になんて見られたら、それこそまた小言の一つや二つ受けることになるが、知ったこっちゃない。
およそ十分前だったか。檜山と二十六階でばったりと出会い、それから彼と別れ、非常階段を使って上層階へ向かった。
…くそ。非常階段を使ったのは間違いだった。檜山がいなければ、ホールのエレベーターを使う予定だったのに。彼から離れたい一心で、思わず階段への扉を開けてしまっていた。
四階分だが、階段で一気に上れば息も上がる。乱れた呼吸をゆっくりと整え、落ち着いた時に目に入ったのが、ホール前の喫煙スペースであった。
「はぁ…」
煙を吐き、少し心を落ち着かせる。とにかく、今はそんなことを気にするよりも。
(檜山も鷺沼も、どうしてここに?)
煙草を灰皿に押し付ける。別れてからすぐに檜山から電話があった。どうやら俺と話をした後、鷺沼と出会ったそうだ。ろくな話もできず、逃げられてしまったようだが。
それを聞いた時、俺は混乱した。両者共に何故このタイミングで、何故このホテルにやってきたのか、それが分からない。
苛立ちが募る。想定外だ。計画上では、俺が鷺沼を消すのは、午後十時過ぎに西街郊外の路上だったはずだ。急いで携帯電話を取り出し、ある番号に電話をかけた。
コール音が鳴るばかり。一向に目的の人物は出ない。舌打ちをする。
が、よくよく考えたら、奴も自分と同様に仕事中であることを思い出した。しかも俺のように、すぐに電話に出られる程暇なものでは無い。
諦めて消そうとしたその時。コール音が切れた。ま、まさか。通じたのか?
「も、もしもし?」弱気に呼びかけてみる。
『なんだお前、また不安になったのか』
電話先の人物は、普段より小さい声で聞いてきた。反対に「良かった、通じた!」という若干興奮気味な俺の声は、それこそフロアに響く程大きなものだった。
「ど、どういうわけか、ホテルに鷺沼がいるらしいんだよ。数分前に奴を追ってきた檜山と、偶然鉢合わせてさ」
『なんだって?』
「な、なんかさ。計画と違うことが起きているみたいなんだ」
『…ふむ』
少々舌ったらずではあったが、言葉は止めどなく出た。とりあえずでも、彼に「計画外のことが起きている」ということが伝われば、それで良かった。
『そこに鷺沼がいると。檜山は間違いなく、そう言ったのか?』
「う、うん。どうやら檜山の奴、鷺沼と対面したらしいんだよ。それに奴から鷺沼の写真を渡されたんだ。だからこのホテルに鷺沼がいるって、元々分かっていたんじゃないかな」
俺は檜山から渡された鷺沼の写真を取り出した。これと、先程の檜山の話から、この男を追いかけここに来たことに間違いは無さそうだ。
『そうか』
俺がこう焦っているというのに、返答はたった一言だけであった。それだけか。不安と焦りからか、そんな些細なことでも苛立ってしまう。
よく考えればそもそも、こうなったのはお前の計画に何か不備があったからでは無いのか。
「そうか、って。本当に大丈夫なのかよ!俺たちの計画と全然違う方向に進んでいるじゃないか!」
『全然違う?何を言っているんだ。確かに想定外ではあるけど、まだ余裕で軌道修正できるレベルだろう』
「えっ?」その余裕綽々な言い方に、俺はぽかんとする。電話先の人物は続ける。
『奴らがどうしてそこにいたのかって疑問はあるにせよ、檜山は鷺沼を逃しているのであれば問題無い。おい、今奴はどこにいるんだ』
「え、奴って?」
『鷺沼だよ、鷺沼』
「い、いや分からないよ。どこにいるかなんて」
携帯電話から大きな溜息が聞こえる。
『お前、焦るのは分かるが落ち着けよ。鷺沼の居場所は分かるはずだろう。確か、説明したよな』
「あっ…」
そうだった。俺は一度携帯電話を耳から離し、ある操作をする。画面が変わり、地図が表示された。その地図上に一つ、赤い「◯」が点滅している。
(ほ、本当に。鷺沼の居場所が分かるんだな)
「◯」は、鷺沼の居場所を示している場所である。この表示が正しいとするならば、彼は既にこの建物から出ており、大通りを挟んだところ、確か喫茶店があった。そこにいるということか。ここまで正確に分かるとは…改めて感心する。
『どうだ?』
「ああ、ごめん。分かるよ、今は、ホテル目の前の喫茶店にいるみたいだ」
『奴は店内に逃げ込んだか、良い判断だ。それなら見つかりにくいし、しばらくは問題無いだろう。…いいか、一度しか言わないからよく聞け」
「う、うん」
生つばを飲み込み、先の話を待つ。
『お前は午後十時まで仕事をして、それが終わり次第、当初の計画どおり、動け。檜山はこっちから何とか言って、それまで時間をかせいでおく』
「そ、それで大丈夫なのか?」
『少しは考えろよ。脅迫状には、お前の今日の退勤時間を記しておいたと言っただろう。ホテルに檜山が現れたのであれば、鷺沼はいつ、お前を狙えるんだ?』
「あ、そうか」
檜山がいると分かった以上、鷺沼がこのホテルに入ることはしないだろう。また鉢合わせでもして、捕まりたくは無いだろうから。そうなると次に奴が俺を狙うのは、俺が退勤し、ホテルの外に出た午後十時過ぎということになる。
「ほ、本当だ。何も問題無いよ。計画どおりだ!」
『そうだろう。しかし、まあ運が良かっただけだ。最後まで、気を抜かないようにしろよ』
「わ、分かった」
『あと、鷺沼の動向には目を光らせておくんだ。もしまたホテルに入って来るようなことが起きたら、鉢合わせる可能性もあるからな』
「了解。な、何だか安心できたよ、ありがとう」
そう言って、俺は電話を切った。電話をする前と比較して爽やかな気分だ。それは現状がまだ、取り返しのつくものであると理解できたからだろうか。やはり、あいつに電話して良かった。
とりあえず、今の俺にできることは何も無い。大人しく午後十時に退勤するまでの間は、このつまらない仕事を適当にやっていれば良いのだ。
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