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第六章 ————の場合
十 ◯ ————【 1月7日 午後1時20分 】
しおりを挟む柳瀬川からの提案に難色を示した俺ではあったが、なるほどそうか、やり方さえ編み出してしまえば、そこまで負担になることでは無い。
それに借金なんて、今後もしつこく付きまとうものだ。だからこそ、ここで処理しておいた方が良いと思ったのである。
…今になって考えれば、檜山については殺す程のものでは無かったのかもしれない。瑞季は彼個人から金を借りている訳ではないのだ。たとえ檜山を殺したからといっても、彼女の借金が無くなる訳では無いというのに。
しかし、その時の俺は常時興奮状態にあって、常識的な考えができないレベルまで達していたのである。
瑞季が俺を裏切るに当たって、関わりのあった人間は全て復讐の対象である。そうだ。そういった人間を排除することだけに、執着していた。
西街の中を闊歩する。今日は朝から今まで雲一つない快晴だった。それはまるで、天候が三日後の計画の成功を早くも祝っているかのような。そう思える程に、真っ青な空である。悪くない気分だ。空を仰ぎ、一人笑みを浮かべる。
正午前、柳瀬川より連絡があった。
『もしもし、金井?』
「おお。どうだ、上手く入れられたか?」
『あ、うん。きちんと鷺沼の住んでいるアパートの玄関扉に付いている郵便受けに、金井が用意した一式が入った段ボール箱を入れておいたよ。すっぽり、そのまま入った』
「上手くいったよ」と、柳瀬川はご機嫌である。
「でも、大丈夫か。本人に気付かれないままということは無いか?」
確認のためとはいえ、上手くやれたと自負し喜んでいるところに口を挟まれ気分を軽く損ねたのだろう。彼はぶすっとした返答をする。
『は、箱を入れたあと、中から物音っていうか、玄関扉に近付いてくる足音みたいな音が聞こえたんだ。多分本人だろうし、心配要らないって』
「そうか。それなら良いんだが」
俺はふぅと息をつく。
『な、なあ。あの中に包丁を入れたって話だけど。本当にそれだけで、鷺沼はやってくれるのかな』
柳瀬川は不安そうに、俺に聞く。そう。俺は拳銃と脅迫状に加え、包丁…もう一つの凶器を一緒に鷺沼に送った。それだけで、鷺沼が檜山を殺すと考えていた。
三日前、あの喫茶店での話の続きだ。
「二者択一?」
ケーキを食べ終わった後、俺の口から出た言葉に、柳瀬川はぽかんと、放心した表情で俺を見た。
「ああ。しかし一方を選ばざるを得ないというな」
「ど、どういうことだよ」
「鷺沼には、小売店で売っている、凶器になりそうなものなら何でも良い、できれば刃物が良いな。それを拳銃と一緒に送る」
「はあ」
「そして。…よっと。こんな感じでさ」
俺は話しながら、先程考えた鷺沼の行動を縛る条件に追記をした。『 』で示したところが、今回付け足した部分だ。
一、殺害の瞬間を誰にも見られてはいけない。
二、その場に自分がいたと分かる痕跡は極力残さないこと。
三、同梱した拳銃を使用し、殺害すること。『〇〇(これは追加で送る凶器だ)は殺す対象には使用してはいけない。』
四、拳銃には弾丸が一発装填されている。殺す対象以外の人間に発砲してはいけない。
五、同梱した物は、全て所持して事に及ぶこと。『特に〇〇は、対象を殺害する時は肌身離さず持っていること。』
ここでポイントになるのが、鷺沼が柳瀬川を殺すに当たっては必ず『拳銃』を使うよう、誘導することである。
「そうなると、もう一つの凶器には何の意味があるんだ?」
「それはもちろん、殺すために送るんだよ」
「殺すって。お前、鷺沼は拳銃しか使えないようにするって、さっき言ったばかりじゃないか」
目を丸くして、俺の方を見る。
「馬鹿。もう一つの凶器は、鷺沼が檜山を殺す用として、あえて送るものだよ」
「えっ」
「つまりはだな…」
鷺沼が年末に殺した小林は檜山と同じ会社で働く、しかも自分の部下だった男だ。檜山に「鷺沼という男が小林を殺した」と伝えれば、必ず鷺沼に会いに行くだろう。
つまり、檜山を鷺沼にけしかける訳である。柳瀬川の話では、檜山は大柄で、他人に対し恐れを抱かせる外見をしているという。一度返済に遅れた時、彼は会社の人間を何人か連れ、柳瀬川の家に押しかけるという強行手段に出た。今回も同様に鷺沼に対し、半ば強制的に詰問するだろう。それに対し、鷺沼はどう思うのか。
(この男は、俺が小林を殺したことを知っている)
鷺沼は焦るだろう。柳瀬川を殺し、罪の暴露を防いだと思ったら、またそれを知る人物に強く責められるわけだから。
そして、檜山をどうにかしたいと考える。そこでやっと、手元にもう一つの凶器があることを思い出す。脅迫状には拳銃を殺す対象…柳瀬川以外に対し使うなと強調して記載している。しかしそれは拳銃の場合のみだ。もう一つの凶器を、他の人間に使おうが使わまいが、構わない。
それに気付いた鷺沼はバッグから凶器を取り出し、檜山を殺す…という算段である。殺すやり方は二つ与えておくが、一方は柳瀬川、一方は檜山で使うよう、誘導するのだ。
「…とまあここまで説明したが、鷺沼が檜山を殺そうと思わなければそれで終わり、実際は奴の感情によって左右されると思う。それに、包丁のことに気がつかなければ意味は無いし…確実に殺してくれるという確証は無い。ただ他のやり方について、今の俺には思いつかないな」
「い、いや。話だけ聞けば大分可能性高いよ!それに失敗したとしても、俺たちに何のデメリットも無いしさ」
柳瀬川は首を勢いよく頷いた。「それもそうだな。とりあえず上手くいけば、という程度に考えておくのが良いかもしれないな」
「わ、分かった。それで、そうなると。そのタイミングっていつが良いかな」
「そうだな。うーん…これは鷺沼がお前に拳銃を発砲した直後が良いな。発砲前だと、鷺沼が勢いで拳銃を檜山に使う可能性もあるしな」
「ふんふん」
「それに、何より人を殺した直後の方が、殺す感覚を体が覚えているだろうしさ。続けて人を殺すことに対して、抵抗が少なくなると思うんだよ」
鷺沼は既に一人殺している。そして次が柳瀬川。そこまでいけば、目の前の檜山を殺すことなど、その男と同じ感覚に達するのではないか。そう期待していたのだった。
「そうだ。言い忘れていることが一つ」
俺の言葉に、柳瀬川は疑問の色を示す。
『ん?他に何かあったっけ』
「鷺沼に送った包丁だけど。柄の先端に、GPSの発信機をつけておいた」
『え、GPSだって?』
「転ばぬ先の杖、だ。鷺沼だって生きているんだ、俺たちの計画した場所に来てくれるかどうか分からないし、勝手にどこか行かれたら困るだろう。万が一の時には柳瀬川、お前が奴の動きに合わせなくちゃいけないからな。後でお前にも受信機を渡すよ」
分かった、と柳瀬川は即座に返事をする。もはや俺のやることは全て正しいと思っているようだ。何の疑いも抱いていない。
(よし。あとは…)
『あ、あとは金井。お前が檜山に連絡してくれるんだよね?』
そう。俺は一月十日前日の九日、檜山に匿名で電話し、鷺沼の向かう先へと彼を誘導しなければならないのだ。
つまり、鷺沼は柳瀬川を狙うために脅迫状で徘徊する。その徘徊した場所に、柳瀬川は受信機の信号を頼りに、檜山は俺からの匿名電話を頼りに向かうという訳である。
「任せろ。そのための準備は万全だ。奴をちゃんと、鷺沼にぶつけるようにする」
『ありがとう。本当に助かるよ』
きっと、彼は電話の向こうで頭を下げているに違いない。そう想像できる程に、気持ちのこもった感謝の言葉だった。
『…金井、本当にごめん。脅迫状の用意も全て、お前にやってもらっちゃったっていうのに』
「気にするな。それより、当日は大丈夫か?心の準備はできているか?」
そう聞くと、「それなりには…」と気弱な答えが返ってきた。
『い、一応、日時と場所の確認をさせてもらって良いかな』
「オーケー、良いよ」
問題ない。確認なんて、いくらでもさせてやる。あやふやな状態で当日を迎えられたくは無い。
『い、一月十日の午後十時過ぎに西街東側の出口の先…金井のいる交番を過ぎた先の路上で良かったんだよね』
「ああ。あの辺りの道は、少し進むと人気がぱったりと無くなる。お前の後ろには鷺沼がいると思うから、良い頃合いを見計らって、振り返ってみろ。そこが一番の見せ所、死に時だ」
俺がそう言うと、柳瀬川は溜息をついた。
『おい、やめてくれ。せめて死体役って言ってくれよな。何だか本当に死にそうで、縁起でもないだろ』
「はは。まあ、縁起は悪くても演技はしっかりとな。準備は全て任せてくれれば良いから」
『…あ、ああ、任せるよ』
「じゃあ、これで切るぞ。またなんかあったら連絡をくれ」
『なあ、金井』
「ん?」
『お前は本当に、俺の恩人だよ。こ、この計画が成功したらさ。後で何か、奢ってやるよ。少しくらい高くても良いから』
「それなら、銀座の高級焼肉食べ放題か、回らない寿司屋で大トロ三昧だな」
『け、検討しておくよ』
焦りつつも若干嬉しそうにそう言って、電話は切れた。
駄目だ。ここでは駄目だ。何も言わず、通話終了の表示を俯瞰しつつ、歩く。そのまま俺は、西街の表通りからビルとビルの間、路地裏へと足を運んだ。
(ま、まだ我慢だ…)
あと少し。昼でも太陽の光が入り込みにくい、薄暗い暗がりまでやってきた。辺りには誰もいない。
…もう、我慢できなかった。
「はーはっはっはっは!」
俺は込み上げる笑いを我慢することができなかった。周囲に人がいないこの場所まで間に合って良かった。もし、これが表の路上だったら、たちまち注目の的だった。
本当に、本当に、滑稽すぎて笑いが止まらない。お気楽にも良いところだ。俺は柳瀬川を助けるつもりで、これだけ頭を悩ませ、寝る時間を削って、年越し直前まで計画を立てた訳では無い。いくら昔馴染みと言っても、そこまでお人好しでは無い。
全ては「自分のため」。この、腑煮え繰り返るような、どす黒い感情を発散するための、「殺人計画」なのだ。そうとも知らず、奴は能天気に俺のことを恩人などと宣いやがった。
(…愚かな奴だ)
心の中で吐き捨てる。俺と同様操る側だと思っている柳瀬川…お前も、俺に全てを操られる側だ。そのために事前準備である脅迫状、そして檜山への連絡を、俺が受け持ったのだから。
全ては、自分の真の目的を達成するために。
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