侵入者 誰が彼らを殺したのか?

夜暇

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第五章 リビング

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 柏宮が殺害されてから、数日が経過していた。
 あれから捜査本部は、大きく二班に分かれた。一方は、柏宮を事件の重要参考人として、彼の自宅に残された写真や資料をもとに、捜査に当たる。もう一方はこれまでと同様だが、これまで以上に捜査範囲を広げて、顔剥ぎの行方を追っていた。
 尚哉は前者で、最近は藍田本家の情報収集を主に行なっていた。
 当の本人達への聞き込みは、野本と共に行なった。尚哉は内心ほっとしていた。尚哉自身、叔父の貴明と顔を合わせたくなかったのだ。彼と同じく成功を掴むと息巻いていた昔の自分を知っている人間に、今の自分を見て欲しくなかった。態度に出されずとも、心内嘲笑されることは目に見えていたからである。
 ただ。そうして足を踏み入れた藍田家にもまた、己の顔を知る者がいたのだが。
「志織さん。久しぶりですね」
 藍田志織は、久方ぶりに見る従弟の姿に、首を傾げて眉を寄せた。
「あの…すみません、どなたで?」
 どうやら自分のことを覚えていなかったらしい。若干傷つくも、彼女とは普段から関わりがあった訳でも無い。最後に会ったのも、三年前にあった彼女の結婚式の時である。参列者が多いあの場で、一度会った程度の従弟の顔なんて、記憶になくても無理は無い。
 従弟であることをやんわり伝えると、志織は口に手を当てて驚いていた。慌てつつ、その後すぐに申し訳なさそうに頭を下げる。
「ごめんなさい。尚哉…君、で良いんだよね。久しぶり」
「お久しぶりです。調子はいかがですか」
 気にしないふうに、尚哉が笑顔でそう尋ねると、志織は頬を人差し指で柔く掻いた。
「ええ、うん。元気」
「藍田家の生活にも慣れましたか」
 志織は肯く。「皆、新参者の私にも良くしてくれるの。本当にありがたくって」
 そう控えめに話す志織だったが、朧気ながら尚哉の記憶に残る彼女は、歳上にも関わらず幼く、他人に対して高飛車な態度をとる女性だった。二年前に三十路を迎え、内面も成長したのだろうか。しおらしさを見せる彼女は、まるで別人のようにも思えた。
 志織に案内された応接間にて、尚哉ら一行を出迎えたのは、先代取締役の妻の雛子だった。彼女が座る椅子の傍らには、使用人頭の清河が立っている。二人とも、柏宮の自宅にあった写真と同一人物だった。
 残りの住人である勝治、真琴、瑛子の三人はいなかった。聞けば、勝治は体調が優れず、寝込んでいるらしかった。また、志織いわく「おつむも弱くなってきている」らしい。会ってもまともな会話はできないだろうとのことだった。
 真琴は仕事だという。多忙を極め、陽が昇っている時間帯に帰宅することは無いらしい。娘の瑛子も、家庭教師が来ているとか何とかで、顔を見せることは無かった。
 雛子は、とても四十とは思えない程に若々しく、女としての色気があった。十年前まで雑誌のグラビアを飾っていたというだけはある。当時は中年男性の意中の人で、それはもうとんでもなく美しかったと、野本が鼻を鳴らして道中語っていた。
 使用人の清河は、芳美が言っていたとおり、ひどく真面目な表情をしており、気難しい性格を表しているかのようだった。顔には無数の皺があり、使用人としての苦労、経験が見てとれた。
 室内のローテーブルを挟み、雛子と対面する形で、尚哉と野本は置かれていたソファに着座する。自己紹介と簡単な前向上を述べた後、野本は聞き込みに来た理由を説明する。その間、彼らは顔色を変えることなく聞いていた。志織もそうだ。
 十分程度の説明の後で、口を開いた。 
「柏宮さんねえ。聞き覚えも、見覚えもないわ。あなたはどう?清河君」
 話を振られた使用人の清河は、嗄れた声で「はい」と恭しく頭を下げる。
「記憶違いでなければ、覚えがあります」
「え、本当?」
「恐らくですが。一度、旦那様を訪ねて来られた、記者の方だと思います」
「私、そんなこと知らないわよ」
「奥様はその時、外出されておりましたから」
 清河の言うことには、およそ三年前、彼は勝治に取材の希望と、突然来訪したという。代替わりをしたことへの心境と、藍田製薬の現状と今後の展望を知りたい。取材目的としてはそういうことだった。
「よく覚えてますね。昔のことなのに」
「使用人としての務めです」
 使用人が皆そうとは思えなかったが、そう言い切る彼の態度に思わず気圧されてしまう。
「取材は受けられたのですか」
 清河は「いえ」と首を横に振る。「態度は殊勝でしたが、突撃取材でしたから」
「そのまま追い返したんですか?」
「…ええ、まあ」
「清河さん?」
「え、ええそうです。そのとおりです」
 なんだか煮え切らない口ぶりである。そこで雛子が、はいはいと両手を叩いた。
「ただのマスコミだった。それでいいじゃない」
「奥さん。彼はただのマスコミじゃないんです」
「じゃあ何なの。被害者なんです、なんて言うわけじゃないわよね」
 野本はこほんと咳払いをした。続けて、その場にいる者全員の顔を見る。
「彼は探偵をしておりました。マスコミではないんですよ」
 野本の言葉に、皆きょとんとした表情で彼を見た。呆気にとられているというわけでもなさそうだ。かといって知っていたようにも思えない。探偵という言葉に実感が湧いていない。そういうことなのだろう。
 少し遅れ、反応したのは雛子だった。
「へえ、なるほどね。それなら、その探偵さんは何を調べていたのかしら。わざわざマスコミなんて嘘までついて。用件はうちの人にあった?何を聞きたかったのかしらね」
「我々も今そこの方に聞いたばかりなので、詳しくはわかりませんが…」
「あ。その殺された人が探偵っていうなら、その人に依頼した人もいるってことよね?」
「まあ、その可能性もあります」
「じゃあ元凶はそいつね。探偵を雇ってまで、うちの人のことを調べようだなんて。よっぽどのことじゃない。刑事さん達も、そう思うわよね」
「…そうかもしれませんが」
「その探偵も探偵だけど。大体探偵なんて、金のために人のプライバシーを暴こうっていう、卑しい連中でしょ。マスコミもそうだけど、ほんっとうに小蝿みたいな奴ら。うざったいったらありゃしないわ」
 吐き捨てた雛子は、尚哉の視線に気付いたのか、彼を鋭く睨んだ。
「なに。あたしの言うこと、何か間違ってる?」
「そんなことは…」
 自分の剣幕に押される尚哉を見て、雛子はふんっと鼻を鳴らした。
「それにその探偵の家に、私達の写真があったんでしょ。三年前にうちに来たのなら、その時からずっと、あの人だけじゃなくて私達を調べていたってことなんじゃないの」
「あの。恐らく、ですけど。今お伝えした通り魔のことを調べられていたんですよ」
 尚哉は柏宮の自宅で見た、被害者達の写真と名前を思い浮かべつつ、述べる。少なくとも藍田家のことだけを調べていた訳ではないだろう。
「だから?」
「ええと、つまり、三年前にお家に来られた時と、調査の目的が違うんだと思います」
「それが?目的とか意味とか、ぶっちゃけどうでも良いの。ついででも、私達のことも調べていたっていう事実が、気持ち悪いって言ってんの。というか、その考えで言えば、三年前と今とで、もしかしたらそいつに依頼した奴が、二人いるかもしれないわよね。あんたの言うこと、フォローになってないわよ。余計に気持ち悪いだけじゃないの」
 雛子は頭に血が上っているのか、早口で喋る。その様子にたじろぐ尚哉を見かねてか、「まあまあ」と志織が彼女の肩を叩いた。
「お義母さん。警察の方々、困ってるじゃない」
「志織ちゃん」
 雛子は水をかけられた火のように、隣に座る志織を上目遣いで見る。「考えてもみて」と、志織は彼女ににこりと笑みを浮かべた。
「その柏宮って人が探偵で、三年前にお義父さんや私達を調べていたんだとしても。その人、もういないのよ」
「でも、その探偵に依頼した誰かはいるじゃないの」
「大丈夫よ。だって雇った探偵は、死んだんだから。警察もこうして動いてくれているし、また探偵を雇って調べるなんて、すぐに考えやしないわ。ね?」
「そうかしら」
「うん」と強く志織は肯くと、「その探偵の人、死んで良かったよね。あ、警察の人の前でそんなことを言っちゃうのはいけないですね」
 志織は雛子に向けていた笑みのまま、眉をハの字にした。貼り付けたような笑顔と発言に尚哉は少し寒気を感じつつ、口を結んで下を向いた。
「ま、とにかく。私達が知っているのはそれくらいよ」
「…そうですか。それなら」野本はやれやれとした表情をしつつ、テーブルの上に写真を二枚置いた。顔剥ぎの犠牲となった、佐伯と棚橋の写真である。「彼らについても、知っていることがあれば教えていただきたいんですが」
 二人の写真を、三人はじっと見つめる。数秒の沈黙の後、またも雛子が口を開いた。
「彼らは?」
「佐伯三郎さんと棚橋綾子さん。我々の追っている、通り魔の被害者の方々なんですが。彼らのことで、何かご存知のことがあれば、教えて欲しくて」
「女は知らないわ。だけど」雛子は小首を傾げる。「男は知ってる。そうよね、清河君」
「はい、雛子様」清河も、数秒遅れて同意する。野本は彼に目を向けた。清河は小さく顎を引き、整えられた己の髭みたく、きびきびとした口調で話し出す。
「彼は数年前まで、この屋敷で庭師として働いていました。今は勝治様のマンションに住まわれていたかと」
「勝治様のマンション?」
 そのまま聞き返すと、清河は誤魔化すように目を伏せる。
 調書に書かれていなかった。佐伯の住むマンションは、別の…藍田家とは何ら関係の無い名義人だったはずだ。そのことを告げると、「それに間違いはありません」と清河は額に皺を寄せた。
「ただ、あのマンションは元々勝治様が購入していたものだったので。言い間違えました」
「ほう。そうなると今の名義人の方は?」
 清河は首を横に振った。「詳しくは知りませんが、佐伯さんが住まわれるよりもずっと前に、譲られた。そう、聞いたことがあります」
「つまり、今は主人の持ち物じゃないということよ」
「勝治さんはどうしてその方にマンションを譲られたんです?」
 尚哉が尋ねると、雛子は口をへの字に歪ませた。
「それ、あなた方の捜査と関係があるのかしら」
「あ、いやそういうわけでは…」
「はい、と即答はできません。ですが、事件に関係がある可能性が無いとは言えません」
 野本が追い風を吹かせてくれるも、雛子にはどこ吹く風だった。
「それならその可能性をいま、説明しなさいよ。それができないなら、細かく言うのは控えさせてもらうわ」
 野本は口をつぐむ。そんなもの、現状ある訳がない。彼女もそれを知って言ってきている。故に納得できるものではなかったが、それ以上そのことを深く聞けそうな雰囲気では無かったし、第一こだわる内容でも無かった。
「佐伯さんがこちらを辞めた理由は何だったのでしょう」気を取り直して、尚哉は別の方面から訊いてみた。
「一身上の都合だっけ。昔のことだし、覚えていないわ」
「奥様の仰るとおりでよろしいかと」
 機械の如く、てきぱきとした口調で賛同する。
 回答としては以上だった。が、顔剥ぎが殺害した被害者のうち、一人目が庭師として藍田家で働いていた。そしてその藍田家を、三人目が調べていた。偶然とは思えない。顔剥ぎへつながる道が、細くもようやく見えてきたような気がするのだ。
 野本に目配せをすると、彼は無言で微かに肯いた。
「我々は、これが単なる偶然だとは思えないのですよ」
「…つまり?」
「通り魔は無差別に犯行に及んでいるわけではない、ということです」
「刑事さんはその通り魔が、藍田製薬を憎んで事に及んでいると言いたいんですか?」
 志織の問いに、野本は首を横に振る。
「いや。藍田製薬と広義的なものではなく…もっとミクロな、えー、なんといいますか。あなた方、藍田家の方々に向けたもののように思えるのですよ」
「私達に?」
「あくまで例えば、という話です。本当に偶然の可能性も、ゼロではありませんし」
 それは面白いですねと、志織は両手を合わせて微笑んだ。
「でも。それなら何故、私達藍田の血筋の者達は誰も被害に遭っていないのかしら。実際に殺害されたのは、辞められた庭師の方だけなんですよね」
「それともう一つ」と、返す言葉に迷っていたところで雛子が口を挟む。「二人目に殺された女。その女は、私達と関わりが無いわ。やっぱり偶然よ、偶然」
 痛いところを突かれた。確かに二人目の棚橋綾子は、彼らと直接的なつながりが見つかっていなかった。
「さてと」ぽんっと両手を叩き、雛子が立ち上がった。「そろそろ終わりにしましょう。佐伯さんが殺されたのも、単なる偶然。刑事さん達が心配なんかしてくれなくても、私達は大丈夫よ。お忙しいのにご苦労様。お帰りいただけるかしら」
 雛子はにこりと作り笑顔を浮かべ、尚哉達に言い放った。
「あ、最後に!」
 まだ何かあるの?と言いたいがばかりに、雛子は尚哉を見てうんざりした表情をした。尚哉は負けじと、彼女を見返す。
「塩原芳美さんという方が、ここで使用人として働かれていますよね。その方は今、入院されていると聞きましたが。何故入院されたか、教えていただけますか」
「この家の階段から、足を滑らせて落ちた。その時の怪我で少しの間仕事を休むと、彼女から連絡を受けましたが」
 清河が淡々と答える。聞けば、どうやら彼女が事故にあったその瞬間、ここにいる者は誰も家にいなかったそうだ。
「それなら、その。塩原さんが誰かから恨まれていたとか、命を狙われていたとか、そんなことがあったんでしょうか」
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