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第五章 リビング
一
しおりを挟む書斎の扉を閉めると、辺り一面暗闇に包まれた。しかしそれは一瞬で、大きな窓から燦々と差し込む月明かりより、薄暗くも室内の情景は把握できた。
広々とした、L字型の間取りのリビング。人の気配は無い。書斎の扉の前の空間には、大きな木製の食卓テーブルが置かれている。椅子は六つ。テーブルにかけられた白いクロスには、皺一つない。
斜め右方向には、もう一つ扉があった。図面からしてみれば、恐らく応接間につながるものだろう。今、そこに用はない。
更に右方には、対面式で焦げ茶色のソファがあった。セミシングルベッド程の大きなサイズで、触るとふんわりとしている。寝転んだら即座に睡魔が猛襲してくるに違いなかった。
ソファの前には70インチはあるだろう、大型テレビが鎮座している。若月は自然とソファに座り、テレビに目を向けた。なんとも、贅沢な空間。このままここでハリウッド映画でも鑑賞したいものである。
若月はぶんぶんと頭を振る。よそ見をするな。一直線に部屋を縦断していく。
リビングから出ると、左右に伸びる廊下が姿を現した。左方、延びたその先、突き当りには扉があって、使用人室があるという。右にはエントランスが見える。
誰もいない。不気味な静寂。リビング同様、灯りは無い。しかしリビングと違い、月の光は差し込まない。ここまで暗いと不便だし、自分のような侵入者がいくらでも潜めてしまう。高級住宅に住む者はセキュリティにかまけて危機意識が低い者が多いと聞く。防犯カメラの件もそうだが、まさしくこの家の人間はそれと言えた。
一階廊下に、清河の姿は無い。使用人室も同様だった。若月は中央階段の前に立つ。木製で漆塗りの手摺り。清河ら使用人が、毎日のように磨いているのだろう。傷一つない。
二階へと続く先を見上げる。そういえば遠藤は、まだ志織と彼女の部屋にいるのだろうか。真琴が帰宅するのも時間の問題である。時間を忘れてお楽しみとは、良い気なものである。若月は心の中で舌打ちをした。
彼女は確か、あの芳川薬品現社長の一人娘だったはず。あの、芳川の——。
芳川志織といえば、富裕層の出身で、同じレベルの人間と結婚して、今は専業主婦だっただろうか。専業といえども、家事は使用人がいるのだから、実質何もしていないのだろう。おまけに美人ときたものである。天は人に二物を与えずとはよく言ったものだが、あの言葉は出鱈目だ。げんに彼女のような人間は、二物も三物も要しているのだから。
その他大勢の人間は、大抵自らの短所に劣等感を抱き、自らの不幸を嘆くような人生を送っている。他ならぬ若月もそうだった。今の会社に拾ってもらえるまではその日暮らし、根無草のような生活を過ごしていた。そのような人間を、彼女や彼女を取り巻く連中は、自分と同じ生物としては見ていないだろう。幼児が己の好奇心から見る、地を這う虫のような、テレビで見るドキュメンタリーのような。彼らから見た自分は、その程度の存在。それは若月自身が一番、身を染みて良く知っていることでもあった。
気分が悪くなってきたところで、階段の段差に足を踏み込んだ。ここを登らないことには進まない。残された時間は少ない。一段、また一段と登っていく。
真琴の部屋で隠し階段を見つけるまでは、一階の書斎に行くことばかり考えていた。勝治の日記…有紗の行方。二階の角部屋。まさか、また二階に戻る羽目になるとは。
彼女と再会かつここから無事に助け出すことができたのなら。どこか、遠く離れた、藍田家と縁の無い場所で、二人で過ごしたい。脳内にて夢描く幸福な未来を確実なものにしたいがために、若月は歩を進めた。
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