侵入者 誰が彼らを殺したのか?

夜暇

文字の大きさ
33 / 68
第五章 リビング

しおりを挟む
 清河は着替えを済ますと、退勤前の戸締り確認のために、使用人室を出た。
 午後十時を大幅に過ぎている。退勤前の日誌を書くのに、時間がかかってしまった。
 この家で、使用人として働く日々。もう何年にもなる。慣れも経験もあるが、今日は遠藤が一緒だっただけに、いつも以上に疲れを感じていた。
 彼は今年八月から働き始めた新人である。彼をここに連れてきたのは志織だった。二人は旧知の中らしく、志織からは有無を言わさず「雇う」とのこと。雇い主の指示であれば、雇われに過ぎない清河に、不平不満を言う権利は無い。彼の雇用は、仕方無いことだった。
 言い方に棘があるのは、遠藤の初対面の印象が、清河にとってあまり良いと思えなかったからである。少し前まで会社員だったらしいが、それにしてはマナーが成っていない。屋敷内で煙草は吸うし、窓拭きや清掃は適当。芳美達からはポーカーフェイスと揶揄される清河だが、彼の剽軽な態度には思わず頭を抱えそうになる。
 本音では言いたいことはたくさんあった。しかしこれからも仕事仲間として、彼と上手くやっていかなければならなかった。
 もやもやとした気持ちのままに、戸締りを終えた後は、一階の電気を消し始めた。まだ、一部の住人は帰ってきていない。普段であれば、エントランスとリビング、廊下の電気はそのままにしておくが、今日は全て消して良いと言われていた。
 そうしてリビングに入室したところで、どすんと物が落ちるような大きな音が、清河の耳に入ってきた。
 今の音は…音の方向、清河の視線はリビングを横断し、その先にある書斎の扉のところで止まった。恐らく、発生源はあの扉の向こうだ。勝治は寝室で休んでいる。志織や瑛子は二階にいる。遠藤は退勤し、真琴と雛子は帰ってきていない。
 侵入者。金持ちを狙う輩の仕業だろうか。
清河は書斎の扉の前まで足早に進んだ。そのままの勢いで、扉をノックする。ひとまず声をかけた。返答はない。念のため、もう一度。これまた返答は無かった。
 意を決して、清河は扉を開けた。重苦しい音と共に、扉が開いていく。
 電気が消えている。口の中が渇く。少し前に確認した時は、この部屋の電気は点いていたはずなのに。誰かが消した?それは誰だ。
 ざっと見た様子では、室内には誰もいない。しかし、先程の音。安心するには未だ早い。
 そうして、部屋の中央まで歩いていったところで、清河は床に紙が落ちていることに気がついた。何気なく、その紙を拾い上げる。
 紙には数行の文章。読んでいきながら、清河は目を見開いた。なんだこれは。日記のようだ。三日前の日付である。
 隠し部屋?この家に?そもそもここのことを言っているのかも分からない。ただ、家主の書斎に落ちているだけに、そう考えた方がしっくりきた。
 しかしもしそうだとすると、それは清河にとって驚くべき事実だった。長年藍田家に仕えてきて、隠し部屋なるものを彼は知らなかった。
 紙の表裏を見る。勝治の日記、だろうか。ここに書かれている「息子」とは、真琴のことに違いない。三日前…真琴はその、隠し部屋を見つけそうになった。それを、勝治が防いだ?自分の預かり知らぬ事情に狼狽しつつも、さらに文章を読んでいく。
 ここでいう、彼女とは一体。この家にいる三人の女性を思い浮かべる。しかし、雛子と志織とは、昨日も今日も話している。瑛子は、寝室扉の前に置いた食事が空になっているだけに、引きこもりは健在だろう。
 思い当たるのは、怪我で長期休みになった芳美のことだ。そういえば先日ここに来た刑事達も、彼女のことを聞いてきた。まさか…
 しかしそれが誰であれ、文章の様子から「彼女」は、他人に見つかると、勝治にとって都合の悪い人物に違いない。血の繋がった息子にさえ、見つかることを危惧する程に。故に、二階の奥の部屋に連れて行った―。
 二階の奥の部屋。己の寝室をそう言うとは思えない。となると反対側…瑛子の寝室の、更に奥。空き部屋となっている部屋のことだろうか。
あの部屋は、冬子の寝室だった。老朽化が酷いとかで危ないからと、昨年工事業者を頼み、扉を完全に固着させたのだ。以来入ることができなくなっていた。
 「彼女」はそこにいるのだろうか。清河は紙を丁寧に折りたたみ、ポケットに入れた。書斎の電気を消す。その時の清河は、書斎に足を踏み入れた、当初の理由を忘れてしまっていた。故に若月は、幸いにも見つからずに済んだことになる。
 リビングを出た後は脇目も振らずに階段を登り、二階に着いた。二階には勝治、志織、瑛子がいる。電気は既に消し終えているから、廊下は真っ暗だ。
 そこで左手側…一つの部屋の扉が全開になっていることに気がついた。志織の寝室だ。
 明かりが点いている。まだ寝ていなかったのか。しかし、この時間に扉が開いているのは、何かおかしくはないだろうか。不審に思った清河は、足音を立てぬよう、部屋の入り口の前で立ち止まった。それから、そろりと室内の状況を伺った。
 室内に、彼女の姿は無かった。こんな夜更けに、どこに行ったのだろう。ただ、それ以上に、あるものが清河の目を捉えて離さなかった。
 血。血である。夥しい量の血が、床に壁にベッド等の家具、至るところを赤黒く染めているのである。
 室内へと足を踏み入れる。まだ、乾ききっていない。カーペットの上に赤い水滴の雫…形を崩さず存在しているものもある。清河は思わず顔を歪めた。この血は、志織のものかもしれない。そうだとしたら、血の量からして、大怪我に違いなかった。
 ふと、視線を血痕に合わせると、それがベッドから床へ、点々と続いていることに気付いた。血の続く先にはクローゼットがある。こめかみに流れてきた冷や汗をそのままに、清河は恐る恐る、クローゼットに近づいた。まさか、この中に?清河は若干臆しつつも息を止め、クローゼットの扉を勢いよく開いた。
 予想と反して、志織はいなかった。隅々まで見ても、そう。不安と安堵の感情に苛まれながらも扉を閉める。
 いつまでもこうしてはいられなかった。救急車…いや、警察を呼ばなければ。
 清河は自分の携帯を取り出そうとして気がついた。しまった。使用人室においてきたままだった。舌打ちをしつつ、志織の寝室を出る。
 そこで、今見たことを勝治に伝えておくべきだと思った。就寝中に起こしたくはないが、緊急事態である。主人が知らないうちにことが進むのはよろしくない。昔から、勝治はそういったことを嫌う。
「旦那様、旦那様」
 勝治の寝室の扉をノックし、彼を呼ぶ。返事はない。ぐっすりと寝入ってるのだろうか。
 大きめに声を張り上げようとしたところで、清河は思い出した。真琴と異なり、ここの扉の鍵はいつも開いているのだ。雛子の帰宅が夜遅くになる時のために、数年前から開け放しにしている。
 右手でノブを握る。捻ると、ガチャリと金属の擦り合わさる音がした後に、手前に扉が動いた。室内は暗闇。何も見えない。
「旦那様、お休みのところ申し訳ありません」
 これまた返事は無い。とにかく、用件を伝える。
「志織様の部屋で大量の血を見つけました。志織様の血かもしれません。出血量から大怪我をしているかもしれないので、これから救急車を呼ばせていただければと」
 変わらず、反応は無い。そこで清河はようやく、室内の異変に気がついた。血生臭い。鼻に突き刺さるような。呼吸するたびに、体の中に異臭が駆け巡る。
「だ、旦那様。失礼します」
 取り乱しつつも、清河は扉横にある電気のスイッチを入れた。
「な…」
 目の前に広がった光景は、世にも恐ろしいものだった。
 ベッドの上に、勝治はいた。両手を胸の前で組み、仰向けで横たわっていた。しかし彼は息をしていなかった。死んでいた。一目瞭然だった。
 顔が無い。顔が、無いのだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】結婚式の隣の席

山田森湖
恋愛
親友の結婚式、隣の席に座ったのは——かつて同じ人を想っていた男性だった。 ふとした共感から始まった、ふたりの一夜とその先の関係。 「幸せになってやろう」 過去の想いを超えて、新たな恋に踏み出すラブストーリー。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

とある男の包〇治療体験記

moz34
エッセイ・ノンフィクション
手術の体験記

25年目の真実

yuzu
ミステリー
結婚して25年。娘1人、夫婦2人の3人家族で幸せ……の筈だった。 明かされた真実に戸惑いながらも、愛を取り戻す夫婦の話。

25年の後悔の結末

専業プウタ
恋愛
結婚直前の婚約破棄。親の介護に友人と恋人の裏切り。過労で倒れていた私が見た夢は25年前に諦めた好きだった人の記憶。もう一度出会えたら私はきっと迷わない。

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

処理中です...