侵入者 誰が彼らを殺したのか?

夜暇

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第六章 空き部屋

十六

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 勝治と雛子の部屋の隣、隠し部屋に繋がる真琴の部屋を過ぎ、その更に隣の部屋に貴明はたどり着いた。
 強い臭いが鼻につく。頭がくらくらする。ここは志織の部屋か。清河の言うとおり、床やベッド、部屋中に血が撒き散らされている。当の本人はいない。
 清河はこれを見て、彼女が危機に瀕していると考えたのだろう。全体に視線を這わせると、血の跡が床に、まるで道のように延びている箇所があった。
 行き着く先はクローゼットだった。間髪入れずに開けるも、衣類以外に何もない。しかし血の跡は不自然な程、クローゼット内の床を、赤く湿らせている。貴明は適当に、クローゼットの壁に指を這わせる。と、丸いレバーのようなものが角にあることに気づいた。微かに上下に動くようだ。それを、指で押し下げた。
 途端にクローゼット、上から何かが落ちてきた。落ちてきたそれに、貴明は潰される。突然のことに驚き、体を所々打ったが、怪我をするほどでは無かった。
 クローゼットから這い出て、それを見て思わず貴明は目を丸くさせた。隠し収納から落下した物の正体は、男だった。服装から判断するに、恐らくこの男は、使用人の遠藤だ。
 首元は、ぱっくりと割れている。室内の血の出所は、彼のようだ。遠藤は苦悶の表情を浮かべ、貴明を見ている。生気のない濁った瞳。不快に感じた貴明は、遺体をそのままにしてクローゼットを閉めた。
 ——不快?
 何故?
 一人首を傾げる。
 自分は既に、人を殺しているというのに。

 尚人は、芳川貴明を殺すつもりだった。
 彼がとったやり方は、簡単だった。雛子に渡していた毒物…勝治を弱らせるために、微量ずつ定期で飲ませるように渡していた毒物を、大量にコーヒーに混ぜただけであった。
 想像以上の効果だった。それを飲んだ彼は足から崩れ落ち、血の泡を噴いて倒れた。疑問、裏切り、怒り。死への恐れと虚しさ。彼の心には、様々な感情が沸き立っていたのだろう。しかし数分経過した頃には、彼は死んだ。心に浮かんだ、行き場のない感情達をその場に残して。
 遺体を足で蹴った。動かない。昔からあれだけ自分の心をかき乱してきた男も、あっという間に死んでしまった。
 ——今夜、藍田家の全員を殺すつもりだ。
 それにしても。貴明は志織のベッドに座り、数時間前のことを思い返した。芳川薬品本社、貴明の部屋で二人、向かい合っていた時のことである。
「この前、柏宮が俺のもとに来たんだ」
「兄貴のもとに?」貴明は不審そうに尚人を見た。「あいつが、なんでまた」
「俺とお前との関係を、世間に暴露するって」
「脅しか、唐突だな。目的は金か?」
 柏宮は十年前、芳川薬品の預金を奪って行方をくらませた。それまでの勤務態度が殊勝なだけあって、会社の人間…貴明も含めて誰一人、彼の本性を見抜けなかった。実に見事なものだった。
「奴に俺と兄貴の入れ替わりは、教えていないだろう。そもそも、こんなこと…」
 誰にも言える訳がない。それは尚人にとっても同じだった。
「あれだけ近くで働いていたから、感覚的に分かったのかもな。まあ、それで、手始めに一千万。現金で寄越せって。兄貴に相談しても構わないってさ」
「うちの会社から金を盗んでおいて、よく言えるよ。面の皮の厚い奴だ」
 さあ、と両肩をすくめる尚人を見て、貴明は眉間に皺を寄せる。
「その口ぶりじゃ、金は渡していないようだけど。そのまま、追い返したのか」
 貴明の声色が低くなる。貴明は十年前の恨みを晴らせぬままである。それが向こうからやってきたとなれば、まさに願ったり叶ったりであった。
 尚人はかぶりを振った。「いやいや」と、笑みを浮かべた。「向こうはゆすりに来たんだぞ。こっちが断って、すんなり帰る訳がない」
「それならどうしたんだ」
 貴明がいよいよ苛つき始めたところで、尚人は一言、「殺した」と述べた。
「は?」
「殺した。死んだよ、あいつは」
「は…」
 貴明は、冗談で笑い飛ばすことはできなかった。彼の目は、据わっていた。
「もののはずみだったんだよなあ」尚人は独り言のように続ける。「何も、殺すつもりはなかったさ。なんだか、気が立っていたんだよ」
 柏宮が貴明本人ではなく、尚人に話を持ちかけたこと。柏宮にとって、貴明よりも容易に扱える人間と、判断されたのではないか。そう感じてしまった。
 思わず彼を突き飛ばした。その拍子で頭を打ったのか、彼は動かなくなった。脈を測ると、死んでいたという。
 そこで貴明は、思い出すことがあった。
「そういえば…新聞で見たぞ。ここ最近S区で起きている連続通り魔事件の、三人目の被害者。あれは、柏宮じゃなかったか」
「話が早いなあ。やっぱりおまえは頭が良いよ」
「あの事件の犯人。兄貴、なのか」
 半ば緊張しつつ尋ねるも、尚人は首を横に振った。「他の二人は、別の奴の仕業だよ。殺したのは俺じゃない。でもちょうどいいから、カミフラージュした訳」
「カムフラージュ?」
「それそれ」
 柏宮を殺害後、尚人は彼を自宅へと持ってきた。そこで、尚人は一つの問題に直面することとなる。
「殺しは、後処理が難しいんだ。少しでも手ぬかりがあると、警察は見逃さないから」
 インターネットで検索すると、「絶対わからない遺体の処理方法」と銘打つものは数多くあった。しかし素人がインターネットで調べた程度で出てくるやり方だ。それを信じて行なっても、安心には程遠かった。
 そこで尚人がとったやり方とは。
「…まさか、それで顔面を剥ぎ取ったのか」
「お。知っていたんだ」
「一人目が殺された時、メディアが騒いでいたからな。朧げだが、記憶に残った」
「そうか、そうか」
 嬉しそうに言う尚人に、貴明は形容し難い気味の悪さを感じた。人の顔を剥ぐ。自分の輪郭を意識する。これが己の体と分離する想像が沸かない。そもそもそういうものではない。そのような、残酷で猟奇的なことを笑って言える彼は、それまで見下しもしていた兄の姿とは、まるで違って見えた。
「簡単に言うけど、そうそうできることじゃないだろ」
「まあな。でも、その分後は楽だよ。顔剥ぎ本人のせいにすればいいだけなんだから」
 そこで、尚人は貴明に話した。顔剥ぎの正体が、藍田家の住人であること。貴明として彼らと過ごすうちに、偶然にもそれを知ったことを。
 貴明はすぐに声が出せなかった。数秒後に一言、「とんでもないな」と漏らした。
「つまり柏宮の殺害を、奴らのせいにしたと?」
 尚人は肯いた。前二人の殺害方法に倣い、尚人は柏宮の遺体に手を加えた。事実その人道に反した行為のお陰で、三人目の被害者として、ニュースに取り上げられていた。
「でも、どうしてそれが、藍田家の皆殺しにつながる?」
 尚人は渋い顔で頭を掻いた。「柏宮は行方をくらましていた時に、探偵をしてたらしい」
「探偵?」
「しかもS区で。肝っ玉が据わってるよ」
「…笑えないな」
 うんうんと尚人は頭を振りつつ、「俺達の関係、知られるわけにはいかないだろ。だから殺した後に、あいつの事務所と自宅を探ってみた。するとびっくり。あいつ、藍田製薬と芳川薬品を調べていたみたいなんだよ。それも、つい数年前から」
「なんだって?どうしてまた」
「死人に口無しってこった。知ってたら、殺さないように優しく突き飛ばしたかもなあ。まあとにかくさ。そこで問題になってくるのが、俺の息子だよ」
「尚哉君か」貴明は尚哉と長いこと会っていないが、彼が警察官としてS区で働いていることは、尚人から聞いていて知っていた。
「あいつ、顔剥ぎ事件の捜査員として駆り出されているんだってさ。俺達をよく知るあいつなら、このままいくと俺達の関係にもたどり着いてしまうかもしれない」
 だから、こそ。
「藍田家の連中を皆殺しにする。柏宮の顔を、その中に混ぜておく訳だよ」
 藍田家の住人を殺害し、顔を剥ぐ。警察は藍田家を捜査せざるを得なくなる。そうなれば、あの家からこれまでの被害者の痕跡と、柏宮の顔が発見されるだろう。柏宮の死は、完全に紛れることになるに違いなかった。
「そのために、柏宮が調べていた痕跡は、消さずにそのままにしておいた。警察が、藍田家に目が向くように」
「ちょっと待て」そこで、貴明が意を示した。「まさか志織も、殺す気じゃないだろうな」
「ああ、志織ちゃん」尚人は貴明に背を向けた。笑みが溢れそうになる口を、手で押さえる。「嫌なのか?」
「実の兄が実の娘を殺すかもしれないなんて、誰だって聞き流せる訳がないだろう」
「へぇ。真琴君に娘を差し出す時、ドライだった貴明君でも、いっぱしの情はあるときたもんだ」
「からかうな。どうなんだ」
 尚人は首を大きく横に振った。貴明は安心して小さく息を吐くも、次の尚哉の言葉で、吐き出した息を飲み返した。
「志織ちゃんは殺さないさ。あの子には顔剥ぎとしての罪を、全て背負ってもらう必要があるんだ」
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