60 / 68
第六章 空き部屋
二十一
しおりを挟む尚人は、弟の貴明を心底嫌っていた。
産まれてから今に至るまでの半世紀、尚人の彼に対する強い劣等感、嫉妬、様々な想いは、留まることを知らなかった。
芳川貴明という存在、彼の全てを、殺す。そうすることで、尚人の復讐は完成する。
そのキーとなる存在が、彼の娘である志織である。彼女を、藍田家の住人殺害の犯人で、顔剥ぎの正体にしよう。大会社の娘が殺人鬼。被害にあった者達はライバル会社にゆかりのある者達。その会社の元社長に、貴明は親を殺されている。復讐も兼ねて娘を当てがい、犯行に及んだ。それだけ餌があれば、後はメディアが動いてくれる。彼の名誉は枯葉のように地に落ち、雪のように消えるだろう。
そこで尚人は雛子を手玉にとり、貴明の計画に乗ったのである。
君と一緒になりたい、という尚人の言葉に、案の定彼女は乗り気だった。直情的で、操りやすい女。貴明が復讐計画を実行しようとしたのも、彼女の扱いやすい性格が理由の一つなのかもしれない。
問題はそれからだった。藍田製薬を芳川薬品が吸収するためには、貴明の言うように、藍田勝治と藍田冬子の扱いについて、考えなければならなかった。
うち勝治については、大きな問題とは思っていなかった。元々雛子に執心気味な彼は、嫌われたくないからだろうか、彼女の言いなりだった。
彼の飲食に毒物を少しずつ盛り、殺害しよう。貴明の思惑どおり、尚人の言葉を、雛子は疑いもせずに了承した。実際には弱らせる程度の量であり、継続して投与しようが死に至るものでは無い。しかし、それで十分だった。弱りきった彼に、真琴と志織の結婚の話を持ちかける。円滑に彼を説得するための布石だったのだから。
「真琴さんの勘当、気の迷いだった、だって。あの人、私の言うことなら何でも首を縦に振るのよ。笑っちゃいそうだったわ」
ここまでは上手くいったが、ネックはやはり、後者の存在だった。
「富豪の親に勘当されてまで選んだ女、か。彼女がいる以上、真琴と志織の結婚も、俺達が一緒になるのも夢物語で終わる話だ」
別れさせ屋にでも頼むかと冗談まじりで尚人が言うと、雛子は「任せて」と胸を張った。
「勝治さんを言いくるめて、彼の部下の人あたりから、離婚を迫ってみるわ」
「おいおい。そんな、直接的にやっても」
「お金よ。愛なんて、お金のあるなしで成立するかしないかってものなんだから」
この女は。尚人は心の中で溜息をついた。彼が実家を捨てていることを考えたら、門前払いをされることは想像にも易かった。
だからといって、尚人に良案が浮かんでいるわけでも無かった。いっそのこと、死んでくれないかとも思った。そうすれば、真琴を志織と結婚させることなんて、時間の問題なのだが。
「…そうだ」
「えっ?」
訝しげな雛子に、尚人は一つ、頭に浮かんだ考えを述べた。彼の話を聞くうちに、雛子は顔が青ざめていく。
「私達が、やるの」
「ああ。大丈夫、旦那と同じ話さ。俺達がやったなんて分からない。だろ?」
「う、うん」
「君と俺が一緒になるためだ」尚人は、雛子の手を握った。「あと少しだよ」
雛子は少し悩むそぶりをしたが、そのあとは自らに言い聞かせるかのように「大丈夫、大丈夫」と胸に手を当て肯いていた。
貴明は目の前の、遠藤の遺体を見据えた。自分の他に、この家にいる者達を、手にかけている者がいる。勝治しかり、遠藤しかり。それを自ら行おうとしてここにやってきた彼としては、気が削がれたというべきか。端的に言えば、良い気はしなかった。
ただ、いつまでもへそを曲げている暇はない。自分は自分で、ここでやるべきことをやらなければならない。
しかしもし二人を殺した殺人鬼に対面したら。手に持ったハンマー。武器として心強いが、即死を狙えるものでもない。殺人鬼に対抗するには、若干心許ない気もした。
安心して事を成すことができる武器。遠くから狙えて、それでいて致命傷を与えられるような。それを手に入れる必要がある。
そこで、思い当たる節があった。この家の一階の書斎…確か、あそこには壁に西洋武器が飾ってあったはず。実際に使えるかどうかはともかく、あれならもしかして。
考えるが早く、志織の部屋を貴明は飛び出した。そうして隣、もう一度真琴の部屋に入る。クローゼットを開け、隠し通路を通り、階下へと下る。屋敷中央の階段を使うことは憚られた。途中で殺人鬼と対面する可能性があるからだ。
隠し部屋を通り過ぎ、さらに下へ。先程、真琴の部屋にいた、侵入者が通ったと思われる道。結果的には、彼の選択したルートは、功を奏したことになる。扉が開いたその先は、書斎だった。ただ、電気が消されて暗闇の状況下、貴明はまだ、ここが書斎かどうかは気付いていなかった。誰もいないことに安堵しつつ、電気をつけようと、室内を彷徨う。
そこで突然に、灯りが室内全体を照らした。目が眩む。なんだ、これは。徐々に目が慣れてきて、情景と事の次第を知ることができた。
部屋の入り口、扉付近にポニーテールの少女がいた。黒のワンピースは、少女によく似合っていた。
部屋の電気は、彼女が点けたようだ。足下には、小さな白いポリタンク。上呂のような口がついている。
少女からしても、彼の存在は予想外だったに違いない。目を見開き、少しずつ後ずさる。貴明は、少女の顔を見たことがあった。しかし写真でしかなかった。この家を訪れると、少女は大抵自室に引きこもってしまっていたのだから。
少女は藍田瑛子。標的の一人だった。
0
あなたにおすすめの小説
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。
その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。
そこで待っていたのは、最悪の出来事――
けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。
夫は愛人と共に好きに生きればいい。
今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。
でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。
妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。
過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――
彼の巨大な体に覆われ、満たされ、貪られた——一晩中
桜井ベアトリクス
恋愛
妹を救出するため、一ヶ月かけて死の山脈を越え、影の沼地を泳ぎ、マンティコアとポーカー勝負までした私、ローズ。
やっと辿り着いた先で見たのは——フェイ王の膝の上で甘える妹の姿。
「助けなんていらないわよ?」
は?
しかも運命の光が私と巨漢戦士マキシマスの間で光って、「お前は俺のものだ」宣言。
「片手だけなら……」そう妥協したのに、ワイン一杯で理性が飛んだ。
彼の心臓の音を聞いた瞬間、私から飛びついて、その夜、彼のベッドで戦士のものになった。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
タダで済むと思うな
美凪ましろ
ライト文芸
フルタイムで働きながらワンオペで子育てをし、夫のケアもしていた井口虹子は、結婚十六年目のある夜、限界を迎える。
――よし、決めた。
我慢するのは止めだ止め。
家族のために粉骨砕身頑張っていた自分。これからは自分のために生きる!
そう決めた虹子が企てた夫への復讐とは。
■十八歳以下の男女の性行為があります。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。
設楽理沙
ライト文芸
2026.1.4 73話見直した際、瑛士の台詞《本音/懺悔》を加筆しました。😇
☘ 累計ポイント/ 200万pt 超えました。ありがとうございます。
―― 備忘録 ――
第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。 最高 57,392 pt
〃 24h/pt-1位ではじまり2位で終了。 最高 89,034 pt
◇ ◇ ◇ ◇
紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる
素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。
隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が
始まる。
苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・
消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように
大きな声で泣いた。
泣きながらも、よろけながらも、気がつけば
大地をしっかりと踏みしめていた。
そう、立ち止まってなんていられない。
☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★
2025.4.19☑~
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる