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第七章 応接間
四
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目の前にうつ伏せで倒れている尚哉を、真琴はじっと見つめた。
何が起きた?真琴は彼を撃っていなかった。撃つ直前で、彼はその場に崩れ落ちた。何が起きたのか、真琴も分かっていなかった。
拳銃を持っている手を下ろし、うつ伏せに倒れた彼の体を軽く蹴る。動かない。しかし意識を失っているだけで、生きてはいるようだ。
尚哉の後頭部へ、拳銃を向けた。自分の顔、やったことを知った以上は、彼も殺すべきだ。幾度目になるのか、またも尚哉に照準を合わせたところだったが、結果的に真琴は、彼を撃たずに終わる。尚哉を殺すことより優先される事象が発生していることを、認識したためである。
この臭いは―。真琴は鼻と口を袖で隠しつつ、応接間から出る。そこでようやく、その事態に気がついた。
一面、赤色。屋敷が燃えている。
視界一杯に広がる炎を見て、真琴は驚愕し立ちつくした。
火がここまで燃え広がるのは間違い無く、自分達がまいたガソリンによるものだった。しかし真琴も冬子も、瑛子も火をつけてはいなかったはずだ。
まさか、あの二人が?天井に目を向けた。しかし彼らは、まだあの檻の中だ。鍵は自分が持っている。逃げる術はないはず。
そこでハッとなった真琴は駆け出した。あの鉄格子の扉は隠し部屋のものと同じ、木製だった。まさかとは思うが、抜け出すためにわざと火をつけたのだとしたら。
とにかく、非常にまずい事態であることは考えるまでもなかった。倒れた尚哉はそのままに、まだかろうじて炎が及んでいない部分を踏み抜き踏み抜き、進む。
玄関を背に、中央階段の先に視線を飛ばす。明らかに、火の手が激しい。火元は二階か。舌打ちをしつつ、一段飛ばしで炎に包まれた階段を上がっていく。火の粉が彼の全身に容赦なく降りかかる。熱いというよりも痛い。しかし、足を止めることはできなかった。
汗だくになりながらも二階にたどり着き、右方を見る。廊下は火の海だった。真琴を嘲笑うかのように、炎がうねうねと、縦横無尽に動いている。
熱い。息をするたびに肺が焼けそうだ。足の踏み場もないこの中をいけば、無事には済まないだろう。誰が見ても容易に理解できた。
しかし、行かなくては。大きく息を吸う。一酸化炭素に頭がきゅうっと絞られているような激痛を受ける。意識が飛びそうだったが、今の真琴は箍がはずれていた。
真琴は、短距離さながら勢いよく走り出した。階段の時とは比にならない程の、熱さと痛み。踏み込むたびに、足に激痛が染み込んでくる。肌が焼けていくのを感じる。体中が悲鳴を上げているが、真琴の脳には進むしか選択肢は無かった。
目の前に一番奥の部屋の扉が見えた。開いたまま。息つく間もなく、部屋に入ったところで、真琴は愕然とした。
室内に火は及んでいなかった。檻の扉も、少し前にこの部屋を出た時同様に、固く閉まったままだった。
しかし、檻の中に若月と有紗の姿は無かった。
よろよろと、おぼつかない足取りで部屋の中に入る。
「ど、どこに…」
行った?檻を両手で掴み、黒目をぎょろぎょろと動かす。視線の先にあるのは、倒された椅子二つ。芳美の遺体。
そうして真琴の瞳は、それをとらえた。有紗の座っていた、椅子の下あたり。床下にぽっかりと穴が開いていた。
そこで真琴は、ようやく思い出した。瑛子が、この部屋で隠し通路を見つけたことを。
突然、膝の力が抜けた。がくりと、その場に崩れ落ち、背中から床に倒れ込んだ。
受け身が取れなかったせいか、体を強く打ち付けた。しかし痛みはなかった。感覚が無い。一酸化炭素中毒。張っていた気が抜けたことで、体が誤魔化しきれなくなったようだ。
恐らく、尚哉はこれで気を失ったのだろう。視界が遠のいていくのが分かった。このまま、彼と同じように?嫌だ、こんな終わり方だなんて。
ようやく彼女と、待ち望んだ温かな生活を送ることができるかもしれないのに。これまで散々、自分を苦しめてきた、忌まわしきこの家と、自分勝手で横暴な父。ようやく、藍田の血と決別できるというのに。
あと少しだったのに、こんな、馬鹿な、ことが。
「冬、子…?」
薄れゆく意識の中、今際の際で頭に浮かんだのは、冬子の姿だった。
その姿は三年半前の本来の姿、では無かった。顔は志織。彼女の姿をしていた。
——私、幸せよ。
志織の顔をした冬子の幻は、そう漏らした。それは、雛子達に殺されかけた後、この藍田家で暮らす際に言ったことだ。何故?と問うと、彼女はこう答えた。
——こんな姿だけど、あなたと一緒にいることができるんだもの。これまでと違って、誰にも咎められることもなくね。
冬子は、自分といられるだけで幸せだった。真琴もまた、それを分かっていた。彼女が本心から、そう言ったことだって。
ふと、彼女の幻に目を向けると、幻は涙を流していた。涙で赤く腫らした瞳は、真琴をひどく、悲しそうに見つめていた。
どうして。
どうして泣いて、なんか——。
何が起きた?真琴は彼を撃っていなかった。撃つ直前で、彼はその場に崩れ落ちた。何が起きたのか、真琴も分かっていなかった。
拳銃を持っている手を下ろし、うつ伏せに倒れた彼の体を軽く蹴る。動かない。しかし意識を失っているだけで、生きてはいるようだ。
尚哉の後頭部へ、拳銃を向けた。自分の顔、やったことを知った以上は、彼も殺すべきだ。幾度目になるのか、またも尚哉に照準を合わせたところだったが、結果的に真琴は、彼を撃たずに終わる。尚哉を殺すことより優先される事象が発生していることを、認識したためである。
この臭いは―。真琴は鼻と口を袖で隠しつつ、応接間から出る。そこでようやく、その事態に気がついた。
一面、赤色。屋敷が燃えている。
視界一杯に広がる炎を見て、真琴は驚愕し立ちつくした。
火がここまで燃え広がるのは間違い無く、自分達がまいたガソリンによるものだった。しかし真琴も冬子も、瑛子も火をつけてはいなかったはずだ。
まさか、あの二人が?天井に目を向けた。しかし彼らは、まだあの檻の中だ。鍵は自分が持っている。逃げる術はないはず。
そこでハッとなった真琴は駆け出した。あの鉄格子の扉は隠し部屋のものと同じ、木製だった。まさかとは思うが、抜け出すためにわざと火をつけたのだとしたら。
とにかく、非常にまずい事態であることは考えるまでもなかった。倒れた尚哉はそのままに、まだかろうじて炎が及んでいない部分を踏み抜き踏み抜き、進む。
玄関を背に、中央階段の先に視線を飛ばす。明らかに、火の手が激しい。火元は二階か。舌打ちをしつつ、一段飛ばしで炎に包まれた階段を上がっていく。火の粉が彼の全身に容赦なく降りかかる。熱いというよりも痛い。しかし、足を止めることはできなかった。
汗だくになりながらも二階にたどり着き、右方を見る。廊下は火の海だった。真琴を嘲笑うかのように、炎がうねうねと、縦横無尽に動いている。
熱い。息をするたびに肺が焼けそうだ。足の踏み場もないこの中をいけば、無事には済まないだろう。誰が見ても容易に理解できた。
しかし、行かなくては。大きく息を吸う。一酸化炭素に頭がきゅうっと絞られているような激痛を受ける。意識が飛びそうだったが、今の真琴は箍がはずれていた。
真琴は、短距離さながら勢いよく走り出した。階段の時とは比にならない程の、熱さと痛み。踏み込むたびに、足に激痛が染み込んでくる。肌が焼けていくのを感じる。体中が悲鳴を上げているが、真琴の脳には進むしか選択肢は無かった。
目の前に一番奥の部屋の扉が見えた。開いたまま。息つく間もなく、部屋に入ったところで、真琴は愕然とした。
室内に火は及んでいなかった。檻の扉も、少し前にこの部屋を出た時同様に、固く閉まったままだった。
しかし、檻の中に若月と有紗の姿は無かった。
よろよろと、おぼつかない足取りで部屋の中に入る。
「ど、どこに…」
行った?檻を両手で掴み、黒目をぎょろぎょろと動かす。視線の先にあるのは、倒された椅子二つ。芳美の遺体。
そうして真琴の瞳は、それをとらえた。有紗の座っていた、椅子の下あたり。床下にぽっかりと穴が開いていた。
そこで真琴は、ようやく思い出した。瑛子が、この部屋で隠し通路を見つけたことを。
突然、膝の力が抜けた。がくりと、その場に崩れ落ち、背中から床に倒れ込んだ。
受け身が取れなかったせいか、体を強く打ち付けた。しかし痛みはなかった。感覚が無い。一酸化炭素中毒。張っていた気が抜けたことで、体が誤魔化しきれなくなったようだ。
恐らく、尚哉はこれで気を失ったのだろう。視界が遠のいていくのが分かった。このまま、彼と同じように?嫌だ、こんな終わり方だなんて。
ようやく彼女と、待ち望んだ温かな生活を送ることができるかもしれないのに。これまで散々、自分を苦しめてきた、忌まわしきこの家と、自分勝手で横暴な父。ようやく、藍田の血と決別できるというのに。
あと少しだったのに、こんな、馬鹿な、ことが。
「冬、子…?」
薄れゆく意識の中、今際の際で頭に浮かんだのは、冬子の姿だった。
その姿は三年半前の本来の姿、では無かった。顔は志織。彼女の姿をしていた。
——私、幸せよ。
志織の顔をした冬子の幻は、そう漏らした。それは、雛子達に殺されかけた後、この藍田家で暮らす際に言ったことだ。何故?と問うと、彼女はこう答えた。
——こんな姿だけど、あなたと一緒にいることができるんだもの。これまでと違って、誰にも咎められることもなくね。
冬子は、自分といられるだけで幸せだった。真琴もまた、それを分かっていた。彼女が本心から、そう言ったことだって。
ふと、彼女の幻に目を向けると、幻は涙を流していた。涙で赤く腫らした瞳は、真琴をひどく、悲しそうに見つめていた。
どうして。
どうして泣いて、なんか——。
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