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第一章 登録

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「カヨちゃんは、なんで考えたの?」
 目的の場所に向かう道中の車内で、隣に座っていたジュンが訊いてきた。
「なんでって、自殺の理由ですか?」
「そうそう。どんな理由があって、あのサイトに登録したんかなって」
「えっと、その。会社を退職しまして」
 私がそう言いどもると、彼は顎に手を当て「うーん」と唸った。
「それって、パワハラ?」
「え…」思わずジュンの顔を見た。「お、当たりだね」と彼は腕を組む。
「どうして分かったんです?」
「どうして?」
「だって、退職だなんて聞けば、普通自分の意思で辞めたものって考えますよね」
 尋ねると、彼は「うーん」と人差し指を立てた。
「でも、自主的に辞めたんだったら、普通はこんなところにいないよね。前向きじゃない理由で、辞めざるを得なかった。加えてそれは、あまり大っぴらにできない理由だったのかなって」
 開いた口が塞がらなかった。まさか、言い当てられるなんて思ってもみなかった。彼の鋭い洞察力に舌を巻く。
「すごいです。まさに、そのとおりで」
 確かに彼の言うとおり、私は辞めたくて辞めた訳ではない。辞めるしか、選択肢がなかったのだ。
「話してみてくれよ。何があったのか。どうしてこのサイトに登録したのか」
 ジュンは柔らかな口調でそう話す。しかし私は私で、頭の中で考えを巡らせていた。
 果たして話していいものなのか。こうして聞いてくれるというのであれば遠慮は要らないが、彼にとって自分がクビになった理由なんて、いわば他人事である。そんなことを話したって。
「大丈夫。皆、聞いてるから」
 彼の隣にいるスミエも、優しく声をかけてくれた。彼女の微笑みと言葉に背中を押されたのか、自分の口は自然と開き、続きを話し出した。

 ——会社に行くのが、嫌になった。

 改めて思えば、予兆は入社してすぐの段階であった。ただ、気付かないフリをしていただけなのだ。
 苦しかった。
 毎日、帰宅時刻は午前0時を超えていた。終電の車両から降りて、ふらついた足取りで帰路につくのが、お決まりのパターンだった。今日も、明日も、明々後日も。
 上司のカワノから嫌がらせを受けるようになったきっかけを、私は全く覚えていなかった。
 いや、というより。そもそもそんなものは元々存在しないのかもしれない。入社した頃、私は別の部署に配属されていた。しかし当時、彼女の部下の女が、精神を病んで退職したことをあった。仕事と家庭との両立ができず、業務に支障をきたすため。そうだった。噂でしかないが、彼女の退職理由は確かそんなものだった。
 苦しかった。辛くて、苦しくて、悶え死にそうな毎日。もしかすると。彼女は私同様、カワノから同様の態度をとられていたのではないか。それが原因で辞職に追い込まれた。あり得る。事あるごとに自分を呼びつけては、「出来損ない」「使えない」と宣うカワノをみて、その疑念はあながち間違いとは言い切れなかった。
「それ、パワハラだよ」
 今から三ヶ月と少し前。いよいよ耐えきれなくなってきた私は、姉のカオルに全てを話した。
 彼女は、私達が幼い頃、両親が離婚した際に生き別れた双子の姉である。母のもとに私、父のもとにカオルが行く形となったのだが、私達二人は昔からよく会っていた。それ故に、私の身の上話であっても、彼女なら聞いてくれる。そう考え、彼女に話をしたのだ。
 途中で涙が出てきて上手く話せない私の話を、彼女は真摯に受け止めてくれた。その後、放った言葉がそれだった。
「パワハラ?」鼻水を啜り、カオルを見る。彼女はサイドテールにまとめたストレートの髪を弄りつつ、はぁと溜息をついた。「そいつにとってみれば、カヨ。あんたはストレス発散の道具ってこと」
「で、でも、私何もしてないんだよ」
「何もしていないのにそうしてくることが、パワハラっていうんだよ。ねえ、その会社おかしいよ。このままだとあんた、心が壊れちゃうよ。それも遠くない将来に」
 パワハラを受けていることを実感したと同時に、それまで己を責めていた自分、それからカワノに対し、激しい怒りがこみ上げてきた。
 カオルの後押しもあって、私は思い切って、このことをカワノの上役に相談した。自分がこれまでされたことを、洗いざらい伝えるつもりだった。
 しかし結果、その行動は自分の首を絞めることになる。
 相談は門前払いもいいところで、相手にもされなかった。要件は伝えたのだが、上役がそれを本気にしているのかどうかは、分からなかった。
 不安になった私は、人事にも相談した。しかし上役と同様の対応をとられた挙句、反対に「変な噂を広めるな」と叱責された。
 早い話が、彼女に根回しをされていたのである。
 話はそれだけで終わらなかった。どうやら上役か人事がカワノにそのことを伝えたようで、嫌がらせはそれまで以上に激化した。
 会社は自分を守ってくれない。理不尽なしっぺ返しを食らった、それからは早かった。在職期間は二年と三ヶ月、結局のところ私の怒りの炎は不完全燃焼のまま消え失せた。そうして、無気力のうちに会社を退職したのだった。

 ——自分の選択は、正しかったのだろうか。

 仕事を辞めたことで、毎日カワノに会うといった陰鬱な気持ちは無くなった。しかし辞めてから今に至るまで、再就職が実を結ぶことは一度もなかった。暗雲が立ち込めるとは、まさに今のことを言うのだろう。
「二年しか働いていないんですよね。それだと、当社にいても続かないんじゃないですか」
 ネックとなったのが、社会人経験がたった二年と少しということである。どの会社も新卒か五、六年以上社会人経験のある人間を求める。私みたく、中途半端な存在を求める会社は、早々見つかることはなかった。
「辞めたの、パワハラが原因だとか。うちももしかすると、口調が荒くなったりすることもあるけど、それに耐えられます?辛いからって、また辞められたら困りますので」
 会社の人事という部署は、どのように私のことを調べているのだろう。依願退職とはいえ、上司からのパワハラが原因なんて、公にしているものでもないというのに。隠し事などできない。まるで、裸体を晒しているような恥ずかしさがあった。
 いつしか、面接に行くたびに体が震えるようにもなった。パワハラ。その単語がいつも面接官の口から飛び出してくる。それを聞くだけで、もう一生見ることのないであろうカワノの顔が、頭に浮かぶ。頭の中で、彼女に謂れのない罵声や陰口を受けている自分が、未だにいる。周りを見回しても、もちろん彼女と会うことはないというのに。
 俗に言う、トラウマというものなのだろう。心が休まる時が無かった。怖かった。何度も泣いた。この不安定さが面接時、態度や雰囲気に出ていたのかもしれない。
「大丈夫だよ。すぐに就職できるって」
 退職後も、カオルは私のもとに来て、しきりに励ましてくれた。
 私が前の会社で退職に追い込まれたことに、自責の念を感じているのだろう。カオルは見込みのありそうな会社を探すところまで、一緒に手伝ってくれた。
「私はカヨより全然頭もよくないけど、こうやってきちんとした会社で働けているんだし。カヨもチャンスあるよ」
 そう言って笑うカオル。しかしその励ましの言葉は、徐々に私の心を傷つけはじめた。
 一社、二社…一月も経たずに不採用が十社を超えた時、頭には「諦め」の二文字が浮かんでいた。この先、自分を採用するような企業なんて無い。私はなんの役にも立たない存在だと悲観的になっていく。転職へのやる気もまた、次第に無くなっていく。
 そうあっても、カオルは諦めずにポジティブな意見を自分にぶつけてくる。
 悪い意味で、彼女は情に熱い女だった。昔からそうだ。溌剌な姉と、無口な妹。顔は同じなのに、中身はまるで違うわね。そういつも比較され、蔑まれていた。
 正直うんざりだったし、やめて欲しかった。しかし強く言おうにも、向こうは善意からそれをしているのだ。あまり強く拒絶するのは憚られた。
 そんなもやもやとした気持ちを抱えつつ一人燻っていた、それはちょうど二ヶ月前のことだった。
 母が、亡くなった。
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