18 / 51
第二章 実行
七
しおりを挟む机から飛び降りた瞬間の、ふわっとした感覚。
そんな柔らかな感覚は、首にロープが絡まり止まった途端、瞬時に激痛へと変わった。
痛い。苦しい。そんな、簡単な言葉で表現できるものではない。
思わず首元のロープに両手をやり、それを取ろうとする。が、自重により深く締まったことで、飛び降りる前にはあった隙間が無くなり、どう足掻こうが指が入る隙間もない。
「か、あ」
声が出ない。
というより、出せない。息もできない。それもそのはず。窒息死する程というのだから、発声も呼吸も、思うようにできる訳がない。
首を爪で引っ掻きつつ、体を上下左右に揺らす。
ぎぎ、ぎぎ、ぎりり。
ロープがフックと擦れる不愉快な音。
耳はまだ健在か。いや、そんなことはどうでも良い。
なんだ、これは。
すぐに意識を失うはずではないのか。
話と違うではないか。
(い、いや)
今更、何を言っている。
そんなこと、分かっていたはずだろう。
死ぬということが、簡単ではないということに。
死ぬということが、どれだけ恐ろしいかということに。
今際の際、そんなことを考えていた時だった。
ふっ、と首にかかる力が抜けたかと思うと、自分の体が下がっていく。床に踵から落ちる。同時に、まるで足裏に強い電気が走ったかのような、鋭く激しい痛みと痺れ。体を丸め、思わず足を抑えた。
何が——。
起きたのだろう。混乱する頭、足の痛みと戦いながらも、未だストロボのようにちらつく視界で、よろつきながらも自分が今程吊られていたフックを見上げた。
首にかかっていたロープの輪の、一部分が千切れている。ロープが、自分の体重に耐えきれなかったのだ。
しかし、そう冷静に判断できるのはそこまでだった。周囲の状況を見て、思わず息を呑んだ。
まさに、地獄絵図だった。
隣ではミナが。他の机の間にはマサキ、ジュン、スミエが。首を吊り、宙に浮いた状態にあった。
思わず、後退る。吐き気が込み上げてくるのを必死で抑える。誰もが、今の今までの私同様、空中で暴れていた。ロープを首から外そうにも外せない、宙に浮いたその状態では、そこまでの力を出せる訳が無いのだ。
「な、あ、えああ」
隣のミナが、悲痛の叫びを甲高く上げた。
顔面を真っ赤に紅潮させ、目から、鼻から、口から。顔のあらゆる穴から、赤い血の混じった泡を吹く。その絶望的な表情。そしてそんな死に際な彼女の視線の先にいる私。
ぞくっと背筋に冷たい感覚がして振り返った。
吊られた他の三人が、私を見ていた。
苦痛に顔を歪め、虚ろな眼で、私を。
何をしている。
失敗したのなら、もう一度。
もう一度、早く。
早く、ロープを首にかけろ。
今の私と。俺と。あたしと同じように。
早く。
早く!
「そ、そんな」
私には、できない。
「いやだ…」
こんな恐ろしいこと、できる訳が無い。思うが早く、その場を離れたい衝動に駆られた。しかし、その思いとは正反対に、脚に力が入らない。
なんで。なんで、なんで。
どうして。
目の前の光景に全身がすくみ上っているというのか、立つこともままならない状態だというのか。
「あ…」
そうしている間も、頭上で吊られている彼らはもがき苦しんでいる。私はそんな現実を認めたくないのか、腿を両拳でばんばんと叩く。
早く、早く立ち上がって!
じゃないと…もう。
そうして目を閉じ、一人焦燥感に駆られていた次の瞬間だった。
どすんっ。
そんな、大きな音。聞こえたかと思えば、立て続けにもう一回、二回。振動が、自分の体を伝ってくる。
「えっ」間抜けな声を上げる。間違いない。今の音は床からだ。物が落ちた際の、落下音である。
まさか。
「…いてて」
部屋の中、少し離れた場所から掠れた声が聞こえる。なんてことはない。つい先程まで聞いていた、ジュンの声だ。
瞼を開き、私は視線を上方へと向けた。そして、目を見開いた。無い。今の今までロープに吊られていた、マサキ達が、消えてしまっているのである。
「あーあ」
またもジュンの声。
「今回は、失敗ね」
続いてスミエの声。彼女はジュンの隣にいた。声もその辺りから聞こえるが、床に座り込んだ私では、机が邪魔で向こう側を見ることはできない。
——これは。
「カヨさん」
ふと、声がした方向に目を向けると、私と同じく床の上に倒れているマサキの姿があった。彼は腰をさすりつつ、眉をひそめて私を見ている。
「申し訳ありません」
私みたく、予期せずロープが切れたわけではない。彼の態度から、私は自分の頭で考えていたことに確信を持つことができた。
——これは、つまり。
「皆さん。自殺するフリをしていたんですか」
私がそう言うと、マサキは「ええ。あなたを除いた私達全員で」と頷いた。
あまりにも素直に認めるので、緊張で固くなっていた全身から力が抜ける。というより、話が急展開過ぎて、なんと返せば良いのか、分からなくなっていた。
自殺のフリだって?
何故、そんな真似を?
「ど、どうして」
「それはあなたを騙すためです。カヨさん、あなたを」
「騙す?一体…」
次いで質問しようとしたその時、私の声はスミエに遮られた。
「割り込んでごめんなさいね。カヨちゃんは色々気になっていると思うけど、一人忘れていないかしら」
そう言われて、スミエを除く私を含めた三人共にハッとなった。そこでようやくもう一人…ミナのことを思い出したのだ。
ミナはまだ、ロープに吊られていた。気付かなかったのは、彼女があまりにも大人しいため、部屋の一部に同化していたからだ。
ぎぎ、ぎぎぎ。
「ミナさん。もうフリは良いんですよ。早く、そのロープを切ってください」
マサキがミナに声をかける。が、彼女はそのまま微かに揺れているだけで、返答はない。蒼白な顔面をして、宙吊りのままに両手をだらりと下に垂らしている。
「ミナさ…」
彼女に近寄ったマサキは、途中で言葉を窮した。顔を引攣らせて、半歩程後ずさりをする。
「ど、どうしたの?」
スミエの問いに、彼は震えながら答えた。
「…んでいるんです」
「え、なんですって?」
「だから!」彼は、改めて大声で叫んだ。
「ミナさんが、死んでいるんですよ!本当に首を吊って!」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
罪悪と愛情
暦海
恋愛
地元の家電メーカー・天の香具山に勤務する20代後半の男性・古城真織は幼い頃に両親を亡くし、それ以降は父方の祖父母に預けられ日々を過ごしてきた。
だけど、祖父母は両親の残した遺産を目当てに真織を引き取ったに過ぎず、真織のことは最低限の衣食を与えるだけでそれ以外は基本的に放置。祖父母が自身を疎ましく思っていることを知っていた真織は、高校卒業と共に就職し祖父母の元を離れる。業務上などの必要なやり取り以外では基本的に人と関わらないので友人のような存在もいない真織だったが、どうしてかそんな彼に積極的に接する後輩が一人。その後輩とは、頗る優秀かつ息を呑むほどの美少女である降宮蒔乃で――
ループ25 ~ 何度も繰り返す25歳、その理由を知る時、主人公は…… ~
藤堂慎人
ライト文芸
主人公新藤肇は何度目かの25歳の誕生日を迎えた。毎回少しだけ違う世界で目覚めるが、今回は前の世界で意中の人だった美由紀と新婚1年目の朝に目覚めた。
戸惑う肇だったが、この世界での情報を集め、徐々に慣れていく。
お互いの両親の問題は前の世界でもあったが、今回は良い方向で解決した。
仕事も順調で、苦労は感じつつも充実した日々を送っている。
しかし、これまでの流れではその暮らしも1年で終わってしまう。今までで最も良い世界だからこそ、次の世界にループすることを恐れている。
そんな時、肇は重大な出来事に遭遇する。
【完結】結婚式の隣の席
山田森湖
恋愛
親友の結婚式、隣の席に座ったのは——かつて同じ人を想っていた男性だった。
ふとした共感から始まった、ふたりの一夜とその先の関係。
「幸せになってやろう」
過去の想いを超えて、新たな恋に踏み出すラブストーリー。
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる