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第二章 実行
八
しおりを挟むミナのロープは、理科準備室にあった鋏を使い、彼女の首に食い込んだ細い部分を、スミエが切った。
その後、マサキとジュンで彼女の遺体を降ろす。そうしてそのまま、理科準備室へと運び入れることにした。
そこで漸く落ち着いたようだった。
もう、何が何だか。彼らの様子を呆然と見つめていた私だったが、頭の中は濁流みたく、ぐちゃぐちゃな状態だった。
今日、私はここに自殺をしにきたはずだった。それにもかかわらず、今も生きていて、こうして同じ自殺仲間…だと思っていた女の遺体が運ばれる様を、この目で見ている。
…何が、何だか。
「ミナさんは亡くなりました」
マサキは椅子に座るや否や、呟いた。
彼女の遺体は、生前の可愛らしい面影が全くと言っていい程に消え失せていた。顔は青白くこけており、口からはぶくぶくと、血や涎の入り混じった泡を大量に吐き出していた。
特に酷いのが臭いだ。死ぬ時に漏らしたのか、彼女が吊られていたちょうど真下のあたりには、糞尿が撒き散らされている。鼻をつまんでも、刺青みたく鼻の芯で感じる異臭。我慢しようにも、思わず表情は歪む。
その臭いは、彼女の死を否が応にも実感させた。
「あの」落ち着いた頃を見計らって、私はそろりと手を挙げた。全員が、そのやつれた顔を自分に向ける。「改めて、確認して良いですか」
誰も何も言わない。構うことなく、私は彼らに次のとおり訊いてみた。
「ミナさんも、あなた達も、元々死ぬつもりなんてなかった。目的は、死ぬフリだった。そういうことで良いんですよね」
私達は各自、机の下から取り出した椅子に腰を下ろした。
「自殺者を救済するためのサイト?」
私の目の前の三人は皆、頷いた。
「人生やりなおしっ子サイトは、そのためにあるんです」
彼らを代表して、マサキはそう告げた。
自殺願望のある者が一堂に会し、集団自殺をする…それは、あくまで「表向き」に作ったものだそうだ。
「今。この日本で死にたい、自殺したいと思っている者はごまんとおります。そういった人達の、自殺への意思を無くさせ、自殺しないよう仕向けること、それがサイト本来の目的なんですよ」
彼の話によれば、やり方は次のとおりだった。
インターネット上に存在する、有象無象のSNSにて検索機能を使い、「自殺したい」「死にたい」等の投稿をしている者に、フリーアカウントを使い、片っ端からメッセージを送る。
送られた側は、メッセージに貼られたサイトのURLにアクセスし、私がしたようにサイトの会員登録をしてもらうという手筈である。
確かに、会社を辞めたその日から、自分は裏アカウント上でネガティブな投稿をしていた。つまりは、私は彼らの目論みにまんまとハマってしまったというわけだった。
「実際に行うのは、フリですか」
ジュンは腕を組み、肯いた。「本気で死ぬつもりだった君には、申し訳ないことなんだけど」
「もう良いんです、それは」
騙されていたのはショックだったが、それ以上に衝撃が強過ぎる。その時の私は、自分が死ぬことよりも、好奇心が先立っていた。
「でも、フリなんて。すぐに…それこそ今みたいに、ばれちゃうんじゃないですか」
「そうならないように、あのロープがあるんだ」ジュンがすかさず言った。
「ロープ…」
未だ天井のフックにぶら下がったままのロープに目をやる。五つ全て、大きな輪の下の部分が千切れてしまっている。
「あのロープ、千切れちゃっただろ」
「え、ええ。ロープがあんな脆いだなんて、びっくりしました」
「あれ、細工してあるんだよ」
「細工?」
「首を入れる下の輪の一部分…結び目のあたりに目立たないよう、切れ込みが入っててさ」
切れ込み。そんなものがあったのだろうか。私は数分前の、首を吊る直前の記憶を思い返す。あの瞬間は、これから死ぬことに対する緊張で、正直曖昧な部分が多かった。加えてこの部屋の暗さと、切れ込みは視界に入らない、結び目の位置にあったという。つまりは、覚えているわけがなかった。
「俺達が使っていたものは、個人の体重に合わせて、数キロの負荷まで耐えられる手筈になっているんだよ。それに顎の下に当たる部分のロープは平たい作りをしてる。いくらフリでも、長く続けば痛いからね。
大きな輪が強い負荷で引っ張られれば、数秒で千切れる。そんな仕様だったのだという。事実私は小柄で、少し暴れた程度ですぐに切れたのだから。
「ひとつ、聞いても良いですか」
「ええどうぞ」マサキは柔和な顔つきで肯いた。
「皆さんは体重に合わせているから良いですが、私はどうだったんです」
私は彼らにも、サイトの管理人のサクライにも、体重を聞かれた記憶はない。首を吊った瞬間、あの苦しさは本物だった。自重で千切れなかった場合、私もミナと同じで死んでいたのだろうか。
「そのロープ、ターゲット…つまりカヨさんのことですが、あなたと私達のものとは、素材が違うんです」
「素材?」
「カヨさんのロープは麻でできています」
「え、あ、はい」首にロープをかける時の、ざらざらとした肌触りを思い出す。
「麻製のロープって、強度が弱いものなんです。ちなみに私達は合成繊維を使っています。カヨさんのものより、少し耐久性があるものです」
「私達と違って、ターゲットの人は無理に引きちぎろうとはしないもの。だから、その分素材から弱く作ったものを使うのよ」
「もちろん子ども、女、男、ターゲットに合わせたものはある。管理人がいつも、あそこに置いているんだよ」
ジュンが親指で、理科準備室を指し示した。
「…話は理解できました。でも、本当にその、失礼な言い方ですみませんが、効果はあるんでしょうか」
「効果?」
「自殺をなくすっていう」
「これをやることで、自殺者が本当に自殺をやめるのかということですね」
マサキの言葉に、私はぎこちなく頷いた。「私もそうですが、あなた達の言うターゲット…自殺志願者は、自殺への強い意思があるから、サイトに登録したんですし」
「効果はもちろんありますよ。二つほど」
「二つ?」
「ええ、一つ目は」彼は人差し指を立てた。「複数人で自殺を決行、ターゲットに失敗させることで、自殺への意欲を無くすこと。大事な点は、自分は自殺に失敗したとしっかり理解させるところにあります」
「失敗した…ですか」
「経験上、あのサイトに登録される人の大半は、一人で死ぬだけの勇気が無い方が多いです。だからこそ、サイトに登録して、皆で死にたいと願う。
皆で死ぬイコール、自殺するという、その決断にかかる重圧は、一人で決めて実行するよりも少なくて済みます。つまり一人で死ぬよりも、集団で死ぬ方が楽なんです」
「集団で死ぬ方が楽…」
確かに彼の言ったとおりであり、まさしくそれは自分のことであった。私は、「一緒に自殺をしてくれる人がいれば、自殺に踏み出す決心がつくのでは」という思いがあり、サイトに登録したのだ。
「気持ちが楽な自殺のやり方で、失敗する。それは、自殺することへの大きな抑止力になるんです」
それは大いにあるかもしれない。
「ただ、それだけじゃ再発の抑制には不十分です。その上で」私を見た後、マサキは次に中指を立てる。「二つ目の効果です」
「二つ目ですか」オウムのように繰り返す私の目を見て、彼は軽く「ええ」と頷いた。
「自殺する様を見せる。これが、結構効くんです」
そこで彼はジュンに目をやる。ジュンは小さく頷き、机に乗りフックにかかっていたロープを一つ…マサキが使っていたものを取り、彼に渡した。
「説明したとおり。このロープは、私達が使った物より、カヨさんのようなターゲットが使った物の方が脆く、すぐに千切れます。すると、どうなるでしょう」
「どうなるって。ど、どうなるんてす?」
「覚えていません?ターゲットは、私達が苦しむ様を、一人で、その瞳で。しっかり見ることになるんですよ」
私は、ロープが切れた後に見た光景を思い返した。
私以外の四人が、もがき、苦しみ、暴れるあの様。確かに、あれを間近で見れば、自殺は大層恐ろしいものだとわかる。げんに私だって、今こうして真実を知ったからこそ、客観的にそう思えるのである。何も知らずにここを立ち去っていたら、トラウマというか、しばらくはその光景に苛まれることは間違いなかった。
「そのあとはどうするんです」
「ターゲットには、その場から去ってもらうことになっていました。ここ、山道を進んでいましたが、走って着く程度の距離に駅があります。もしも電車が無理な人のためにも、乗ってきた車の鍵もつけっぱなしにしておきます。それと…ああ、すぐに管理人が来ることを示唆しておいても良いでしょう。死体の処理のために…とか適当なことを言ってね。
とにかく、いつまでもターゲットの人にいられたら、それこそフリがフリじゃなくなっちゃいますから」
ははは、とマサキは乾いた笑いを見せる。しかしミナがそうなってしまっているが故に、彼と同じようには笑えなかった。
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