蜃気楼に彼女を見たか

夜暇

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第六章 さよならと笑顔

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 信頼していた相手が、いなくなった。
 これまでギリギリの綱渡りで何とか働けていたところ、そんな頼みの綱が無くなれば、もはや落下せざるを得ないというものである。
 石垣千帆がTNSに採用されたのは昨年の春だった。
 その頃、隣のグループに配属された彼女のことを気にかけることはなかった。故に採用後数ヶ月経った頃には、既に彼女は師崎の標的にされていたのだが、俺は別に何も感じていなかった。当時交際していた彼女…今では嫁なのだが、それもいたことあって、別の女に目を向ける程の余力があったわけでもなかった。
 彼女と特別な関係になったのは、それから半年後。暑かった夏から木枯らしが吹き、冬に移りゆく頃のことである。
 その頃は同期の辻と一緒に、俺もグループリーダーに昇格したことで大変だった。増える仕事を捌きつつ、グループメンバーのマネジメントに頭を悩ませていた。
 リーダーとなる前も、ある程度グループの繋ぎ役の立ち位置としていただけに、自分なら上手くやれるだろうと考えていた。しかし本格的に仕事としてやるのは、中々の労力が必要だった。皆の混在した意見をまとめ上げ、一本の前に収束させるための作業。それにはできる限り摩擦が起きないように配慮、配慮、配慮の連続。
 加えて交際中の彼女からは結婚アピールが目立つようになってきていた。癒しであった相手が、苦痛に変わった。
 考えなくてはならないことが、多くなった。

 心が疲弊していた。
 だから、誰でもよかった。
 ストレスを発散できるような相手であれば、誰でも。

 その日は雨だった。
 残業で遅くなり、一服から暗いオフィスに戻ると、退勤していないのは俺と千帆、二人だけになっていた。
 俺は千帆に、何気なくホットコーヒーの缶を渡した。最近の彼女は、残業続きで辛そうだと小耳に挟んだ。故の情けのようなものだった。
 たった百いくらのそれに、彼女は目を輝かせて嬉しがった。それから彼女の愚痴に少し付き合ったところで、俺は意識的に彼女を抱き寄せ、唇を重ねていた。驚きに目を丸くさせる彼女だったが、その後は俺に身を委ねた。
 千帆は容姿が格別良いわけでもない。かといって、目立つような性格でもない。しかしその時の俺にとって千帆の存在は、ちょうどよかった。タイミングもそう。
 ちょっとした火遊び——誰だって、やってることじゃないか。自分を納得させるのに併せて、この一時だけでも全てを忘れたいがために、激しく彼女を抱いた。癒しが必要だった。心の疲弊を取り除くだけの癒しが。
 朝になるまでオフィスで求め合った俺と千帆の関係は、一夜限りで終わることはなかった。彼女もまた、自分と同じように限界だったのだ。俺達は、傷を舐め合うかのように求め合った。
 だが、そんな歪な関係にも終わりはやってくる。
 交際していた彼女が、妊娠したのである。

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