3 / 28
最後の晩
しおりを挟む
源兵衛からの途方もない提案に心を乱された静は、結局その場で明確な返事をすることができなかった。質屋を出た時には、すでに空は藍色に沈み、町外れにある自分の家まで帰るには遅すぎる時刻となっていた。
静は、女学校で唯一心を開いていた友人、千代(ちよ)の家へと足を向けた。千代の家は、この近代化が進む都会の隅で、まだ辛うじて古い武家の屋敷の面影を残していた。静は事情を伏せつつ一晩の宿を乞い、千代は快く受け入れた。
「使いの者をやったので直、綾様もこちらに着くわね。そうしたら三人で私の部屋で眠りましょう」
そう言って千代は、微笑んだ。わざわざ遅くなるだろうからと使いの者に綾の分も握り飯を持たせ、車夫を向かわせたのだ。
間もなく綾が到着すると三人は床の準備をした。
床の中で質屋での一件について静は考えていた。
「――ねえ?静さん起きていらっしゃる?」
千代が上体を起こし、話しかけてきた。「ええ」とだけ答えて静もゆっくりと上体を起こす。
虫の音が廊下の側から鳴り響いていた。
「私ね、半年後に嫁ぐの」
「は?あ、え、いゃ……うっ、えっ?そ、そそ、そそう、ですの…お、おめでとう」
思わず素に戻ってしまう静。動揺が隠せない。
「だから、静さんとは学友として過ごせても後、三ヶ月といったところかしら。もう少し早まるかも」
「そ、そうなんだ」
静自身いずれはそうなることだとは理解していたつもりであったがまさか身近な千代がそのような事になるとは寝耳に水だった。とは言えそれは喜ばしい事でもある。なんとも複雑な気持ちが静を襲う。
「良い人なのよ。私の事を一番に理解してくださって。静さんもそのような方と結ばれればと思うのだけれども……。心に決めたお方とか本当にいらっしゃられないの?」
暗闇でよくは見えないが千代の事だ。憂いを含んだ優しい目できっと静を見据えているに違いない。かと言って見栄を張って嘘をつくことも出来ない。
静は「いないわよ」とだけ小さな声で答えた。そして、千代におめでとうと言う言葉を添えて力強く手を握った。
その時、階下で大きな物音がした。
二人は手を握り合ったまま雷に打たれてように体を震わした。
「な、何?」
その物音は小さくなったり大きくなったりしながらも続いている。
盗賊だろうか?
二人は体を寄せ合い黙って耳を澄ませる。
「お嬢様方、私めが見て参りましょう。」
綾が音もなく立ち上がる。元忍びの奉公人、こういう事態には心強い。
「気をつけて」
静の小さな声にも反応し、首だけを黙って頷かせた。
障子を慎重に滑らせると、すぐに見えなくなってしまった。
「大丈夫でしょうか?」
「平気よ。綾だから心配ないわ」
静はそう言いながら千代の手を更に強く握りしめた。何となく胸騒ぎを覚えるのだ。
自分を落ち着かせるためにもいやが上にもそうせざるを得ない。唇をキュッと引き締める。
物音が止んだ。
静寂な時が訪れる。
「綾、あーやー」
障子を開ける勇気はない。障子越し、遠慮した声で階下に向かって静が呼びかける。
返事はない。
軋む階段の音。徐々に近づいてくる。
二人は固唾を吞んで障子の方を見つめる。
「綾さん?ねぇ、綾さんなら返事をしてくださいまし」
恐る恐る千代が語りかける。
「――はい。お嬢様」
二人は安堵して顔を見合わせた。
「緊張が解れたら、急に喉が……。下に行って水を――」
そう言って千代は障子を開けた。
静は、女学校で唯一心を開いていた友人、千代(ちよ)の家へと足を向けた。千代の家は、この近代化が進む都会の隅で、まだ辛うじて古い武家の屋敷の面影を残していた。静は事情を伏せつつ一晩の宿を乞い、千代は快く受け入れた。
「使いの者をやったので直、綾様もこちらに着くわね。そうしたら三人で私の部屋で眠りましょう」
そう言って千代は、微笑んだ。わざわざ遅くなるだろうからと使いの者に綾の分も握り飯を持たせ、車夫を向かわせたのだ。
間もなく綾が到着すると三人は床の準備をした。
床の中で質屋での一件について静は考えていた。
「――ねえ?静さん起きていらっしゃる?」
千代が上体を起こし、話しかけてきた。「ええ」とだけ答えて静もゆっくりと上体を起こす。
虫の音が廊下の側から鳴り響いていた。
「私ね、半年後に嫁ぐの」
「は?あ、え、いゃ……うっ、えっ?そ、そそ、そそう、ですの…お、おめでとう」
思わず素に戻ってしまう静。動揺が隠せない。
「だから、静さんとは学友として過ごせても後、三ヶ月といったところかしら。もう少し早まるかも」
「そ、そうなんだ」
静自身いずれはそうなることだとは理解していたつもりであったがまさか身近な千代がそのような事になるとは寝耳に水だった。とは言えそれは喜ばしい事でもある。なんとも複雑な気持ちが静を襲う。
「良い人なのよ。私の事を一番に理解してくださって。静さんもそのような方と結ばれればと思うのだけれども……。心に決めたお方とか本当にいらっしゃられないの?」
暗闇でよくは見えないが千代の事だ。憂いを含んだ優しい目できっと静を見据えているに違いない。かと言って見栄を張って嘘をつくことも出来ない。
静は「いないわよ」とだけ小さな声で答えた。そして、千代におめでとうと言う言葉を添えて力強く手を握った。
その時、階下で大きな物音がした。
二人は手を握り合ったまま雷に打たれてように体を震わした。
「な、何?」
その物音は小さくなったり大きくなったりしながらも続いている。
盗賊だろうか?
二人は体を寄せ合い黙って耳を澄ませる。
「お嬢様方、私めが見て参りましょう。」
綾が音もなく立ち上がる。元忍びの奉公人、こういう事態には心強い。
「気をつけて」
静の小さな声にも反応し、首だけを黙って頷かせた。
障子を慎重に滑らせると、すぐに見えなくなってしまった。
「大丈夫でしょうか?」
「平気よ。綾だから心配ないわ」
静はそう言いながら千代の手を更に強く握りしめた。何となく胸騒ぎを覚えるのだ。
自分を落ち着かせるためにもいやが上にもそうせざるを得ない。唇をキュッと引き締める。
物音が止んだ。
静寂な時が訪れる。
「綾、あーやー」
障子を開ける勇気はない。障子越し、遠慮した声で階下に向かって静が呼びかける。
返事はない。
軋む階段の音。徐々に近づいてくる。
二人は固唾を吞んで障子の方を見つめる。
「綾さん?ねぇ、綾さんなら返事をしてくださいまし」
恐る恐る千代が語りかける。
「――はい。お嬢様」
二人は安堵して顔を見合わせた。
「緊張が解れたら、急に喉が……。下に行って水を――」
そう言って千代は障子を開けた。
0
あなたにおすすめの小説
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
もしかして寝てる間にざまぁしました?
ぴぴみ
ファンタジー
令嬢アリアは気が弱く、何をされても言い返せない。
内気な性格が邪魔をして本来の能力を活かせていなかった。
しかし、ある時から状況は一変する。彼女を馬鹿にし嘲笑っていた人間が怯えたように見てくるのだ。
私、寝てる間に何かしました?
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢
さら
恋愛
名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。
しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。
王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。
戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。
一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
魔王を倒した勇者を迫害した人間様方の末路はなかなか悲惨なようです。
カモミール
ファンタジー
勇者ロキは長い冒険の末魔王を討伐する。
だが、人間の王エスカダルはそんな英雄であるロキをなぜか認めず、
ロキに身の覚えのない罪をなすりつけて投獄してしまう。
国民たちもその罪を信じ勇者を迫害した。
そして、処刑場される間際、勇者は驚きの発言をするのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる