精霊の守り人

つなさんど

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松本鞍馬

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夜明けを過ぎ、源兵衛の屋敷跡には、現場処理を命じられた巡査の部隊が疲労と不快感の中で作業を続けていた。その重い空気を破るように、一人の巡査が大あくびと共に、だらしなく現場に到着した。彼は制帽を傾け、露骨に不機嫌な顔をしている。

「っかあああ……ふぁあ~……。部長さんよォ、勘弁してくださいよォ」

「松本鞍馬、貴様遅刻してくるとは。何を考えておるんだ!」

松本と呼ばれたその巡査は、周囲の視線など意にも介さず、大声で不満をぶちまけた。

「朝っぱらからこんな血生臭い事件現場に呼びやがって。寝覚めが悪くなるじゃねえか! どうせ裏社会の仲間割れで斬り合ったってとこでしょうよ? 地獄の釜のフタが開きゃ、そりゃ血の一つも流れるってもんで。こんな悪党どもの尻拭いなんぞしたってびた一文にもなりゃしねえ。甘い汁が吸える仕事を回してくれりゃ、誰も文句言いませんやね!」

松本の露骨な不満と、場をわきまえない態度は、現場の巡査たちをさらに不快にさせた。その時、質屋の角から、その騒動を静めるかのように、一人の男が現れた。

現れたのは、昨日静と一刀の会話を聞いていた上官だった。彼は小松少警部といい、端正な制服を纏い、他の巡査たちを圧する冷たい威圧感を放っている。

「松本巡査」

「あっ?」

小松はゆっくりと松本に近づき、そのだらしない姿を見下ろした。

「甘い汁か。それは良い心掛けだ。だが、この地獄の釜のフタは、開けてしまったら最後、閉めることなど出来はしないものだ。お前のような欲深き者こそ、それに一番早く食らいつかれる。気をつけろ」

小松はそう言いながら、松本の襟元に付着していたわずかなガマの粘液の痕を、指先でそっと払った。その所作は優雅でありながら、松本の命運を握っているかのような絶対的な支配力を感じさせた。

松本は一瞬怯んだものの、持ち前のふてぶてしさで、すぐに口答えを試みた。

「へっ……ご忠告、どうも。しかし、警部殿もあんたさんこそ、西洋仕込みの警察学校を出たエリートだってのに、こんなはみ出し者に見え透いた嫌味を吐くとはよっぽどヒマなんだな。俺の代わりにこの現場でも掃除してみるか?少しは態度もマシになるってもんだろうよ」

松本は、小松の出自や立場を嘲るように言い放った。彼は、小松がこの不可解な事件に異常な執着を見せていることに気づいている。

小松少警部は、その挑発的な言葉に対し、一切表情を変えなかった。ただ、瞳の奥に氷のような冷たさを宿し、松本の視線を真正面から受け止める。

「松本巡査。私は、この新しい時代に必要なものと、そうでないものを、よく心得ているつもりだ。そして、地獄とは、常に足元の常識の裏側にあるものだ」

彼は静かに部隊全体に視線を向けた。

「皆の者。この事件は単なる強盗殺人ではない。国家の重大な危機に関わるものだ。源兵衛という男は、必ずまた次の獲物を狙う。我々は、その次の場所を特定し、先回りする必要がある」

小松少警部の言葉には、松本の不遜な態度を上回る冷徹な説得力と、新たな陰謀の予感が満ちていた。彼の視線は、既に静と一刀が向かった十三里先の山間の町を捉えている。

松本巡査のふてぶてしい視線を受け止めながらも、小松少警部の表情は変わらない。しかし、その口から出た言葉は、松本にとって予期せぬ誘惑だった。

「松本鞍馬巡査。お前の欲して止まない甘い汁とやらをたらふく吸わしてやろう。 うんざりしているんだろう?こんな退屈なガラクタの後始末。――ならば」

小松はそう言いながら、懐から二枚の紙を取り出した。それは、静と一刀の人相書きだった。人相書きは、まだこの夜の騒動が起こる前に、何者かによって周到に用意されていたかのように鮮明だった。

「そんなに持て余しているのならば――松本、お前に指揮権を与える」

小松の言葉に、周囲の巡査たちは驚愕の声を上げ、ざわめき出した。

「警部殿! なぜ松本なんぞに!」

小松は周囲を視線で制し、松本に人相書きを突きつけた。

「静と一刀――この二人は、件の源兵衛と密通し、騒動を引き起こしたとされる男と女だ。この二人が持っていた異国の宝物とやらを巡って、源兵衛と仲間割れを起こした末の凶行と報告されている」

彼は、静と一刀が東へ向かった事実を、都合の良い筋書きとして利用する。

「松本。お前は、この二人を追跡し、仕留めてくるのだ。成功すれば、お前がかねてからのぞむ、あの出世口の件、褒美としてくれてやる。それこそ、お前の望む甘い汁だろう」

小松は、松本の隠された欲望を正確に突き、餌をぶら下げた。

松本の目つきが一変した。彼の顔から、これまでの不満や怠惰な色は消え、代わりにギラついた欲望の光が宿った。彼は人相書きを乱暴に奪い取ると、周囲の嫉妬に満ちた視線を一蹴した。

「へっ……警部殿。話が一気に面白くなりやがった。よっしゃ、承知したぜ。裏社会の仲良しごっこのツケは、この松本がしっかり回収させてもらいますよ」

松本は、その場で数人の部下を指名し、東の山間へと向かう準備を始めた。彼の荒々しくも勢いのある指揮に、部下たちは渋々従わざるを得ない。

小松少警部は、そんな松本の背中を静かに見送った。彼の顔には、薄い笑みが浮かんでいた。

「行け、松本。お前は最も安上がりな人を刈る道具だ。そして、お前が追っているのは、宝を守る者ではない――私にとって、同胞たちの這い出る場所を塞ごうとしている、ゴミどもに過ぎないのだ」
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