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序章
プロローグ(1)
「おはよう、涼夏」
朝リビングに顔を出すと、いつもと同じようにお母さんが優しく声をかけてくれる。
テーブルにはおいしそうな朝食が並んでいて、その匂いが鼻先を刺激する。
私――麻生夏姫は引き攣りそうになるのを抑え、なんでもないかのように笑顔を取り繕って「おはよう」と返した。
「おいしそうだね、フレンチトースト」
「食べたいって言ってたでしょう?」
「え?」
「やだ、忘れたの? 退院したら食べたいって言ってたじゃない」
「そ、そうだったね」
違うよ、と否定できたらよかった。
私じゃないよ、って言えたらよかった。
でも、そんなことを言えばきっとお母さんは壊れてしまうから言えない。
涼夏がもういないことはお母さんは知らないままで、……いや、わからないままでいい。
「ほら、早く食べないと遅刻するわよ」
「あ、うん」
私は椅子を引いて座り、手を合わせてから目の前に用意されている朝食に手をつける。
その様子を見てお母さんはニコニコと笑っていて、嬉しそうだった。
それはいつも涼夏に向けられるもので、私に向けられたことのないものだ。
「ほんと、元気になってよかった」
「……うん」
「帰ってくる頃にアップルパイ焼いておくわね。昔から大好きでしょ? ずっと食べられなかったものね」
アップルパイが好きだったのは涼夏だよ。
私じゃないんだよ。
そう言いたくなるのを必死に抑え、涙が滲みそうになるのを堪え、うん、と頷いた。
悲しいのは自分だけじゃない、お母さんも、そしてお父さんもなんだと言い聞かせて笑った。
目の前にある笑顔は私に向けられているようで、私にじゃない。
そんなことはわかっているけど、それでもこの笑顔を失うようなことはしちゃいけない。
「あ、弁当も涼夏の好きなものたくさん入れたからね」
そう言って置かれた黄色のランチバッグ。
黄色は涼夏の好きな色で、いつも陽だまりみたいに温かい彼女にぴったり。
どれだけ涼夏のふりをしても、私は涼夏みたいになれないし黄色も似合わない。
「ありがとう、お母さん」
そう言ったのは、きっと初めてだ。
言う機会を与えてもらう間もなく、お母さんはいつも涼夏ばかりだったから。
同じ日に生まれたのに、涼夏とは生まれる前から一緒なのに、どうしてこうも扱いが違うのか――何度も考えた。
そのたびに、涼夏は病気なんだから、と自分に言い聞かせてきた。
でもね、私は涼夏じゃない、夏姫なんだよ。
いつになったら、お母さんは本当の私を見てくれるんだろう。
「やあね、こんなの普通のことよ。涼夏のためだもの」
でも、私はその〝普通〟を与えられたことなんてほとんどなかった。
いつだって私はほったらかしで、二の次三の次で、全然普通のことじゃなかった。
それでもよかった。
涼夏がいてくれるなら、私のことをわかってくれるならよかったのに。
「うん……でも、ありがとう」
お母さんは嬉しそうに微笑み、ギュッと優しく抱きしめながら「こちらこそありがとうね」と言う。
それが涼夏への言葉だとしても、そう言われるのは素直に嬉しかった。
だから、私はこれからもずっと涼夏のふりをする。
お母さんが壊れないように、家族でいられるように、本当の自分は奥底に隠すんだ。
家にいるあいだは、お母さんの前では――。
朝リビングに顔を出すと、いつもと同じようにお母さんが優しく声をかけてくれる。
テーブルにはおいしそうな朝食が並んでいて、その匂いが鼻先を刺激する。
私――麻生夏姫は引き攣りそうになるのを抑え、なんでもないかのように笑顔を取り繕って「おはよう」と返した。
「おいしそうだね、フレンチトースト」
「食べたいって言ってたでしょう?」
「え?」
「やだ、忘れたの? 退院したら食べたいって言ってたじゃない」
「そ、そうだったね」
違うよ、と否定できたらよかった。
私じゃないよ、って言えたらよかった。
でも、そんなことを言えばきっとお母さんは壊れてしまうから言えない。
涼夏がもういないことはお母さんは知らないままで、……いや、わからないままでいい。
「ほら、早く食べないと遅刻するわよ」
「あ、うん」
私は椅子を引いて座り、手を合わせてから目の前に用意されている朝食に手をつける。
その様子を見てお母さんはニコニコと笑っていて、嬉しそうだった。
それはいつも涼夏に向けられるもので、私に向けられたことのないものだ。
「ほんと、元気になってよかった」
「……うん」
「帰ってくる頃にアップルパイ焼いておくわね。昔から大好きでしょ? ずっと食べられなかったものね」
アップルパイが好きだったのは涼夏だよ。
私じゃないんだよ。
そう言いたくなるのを必死に抑え、涙が滲みそうになるのを堪え、うん、と頷いた。
悲しいのは自分だけじゃない、お母さんも、そしてお父さんもなんだと言い聞かせて笑った。
目の前にある笑顔は私に向けられているようで、私にじゃない。
そんなことはわかっているけど、それでもこの笑顔を失うようなことはしちゃいけない。
「あ、弁当も涼夏の好きなものたくさん入れたからね」
そう言って置かれた黄色のランチバッグ。
黄色は涼夏の好きな色で、いつも陽だまりみたいに温かい彼女にぴったり。
どれだけ涼夏のふりをしても、私は涼夏みたいになれないし黄色も似合わない。
「ありがとう、お母さん」
そう言ったのは、きっと初めてだ。
言う機会を与えてもらう間もなく、お母さんはいつも涼夏ばかりだったから。
同じ日に生まれたのに、涼夏とは生まれる前から一緒なのに、どうしてこうも扱いが違うのか――何度も考えた。
そのたびに、涼夏は病気なんだから、と自分に言い聞かせてきた。
でもね、私は涼夏じゃない、夏姫なんだよ。
いつになったら、お母さんは本当の私を見てくれるんだろう。
「やあね、こんなの普通のことよ。涼夏のためだもの」
でも、私はその〝普通〟を与えられたことなんてほとんどなかった。
いつだって私はほったらかしで、二の次三の次で、全然普通のことじゃなかった。
それでもよかった。
涼夏がいてくれるなら、私のことをわかってくれるならよかったのに。
「うん……でも、ありがとう」
お母さんは嬉しそうに微笑み、ギュッと優しく抱きしめながら「こちらこそありがとうね」と言う。
それが涼夏への言葉だとしても、そう言われるのは素直に嬉しかった。
だから、私はこれからもずっと涼夏のふりをする。
お母さんが壊れないように、家族でいられるように、本当の自分は奥底に隠すんだ。
家にいるあいだは、お母さんの前では――。
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