君との未来への前奏曲《プレリュード》

羽月咲羅

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第1章

精神安定剤(1)

「あー、またやっちゃった…」

 テーブルの上に散乱している〝それ〟を見て、私は大きなため息をついた。
 体は楽になるどころか重くなるばかりで、今さらやってしまったことへの後悔でいっぱいになる。
 こんなことをしたと知られたら、またか、と呆れたような顔をされるに違いない。
 きっとそのうち愛想をつかせて離れていき、周りに人がいなくなってしまうかもしれない。
 そしたら、一人になる。
 どれだけ強がっていても慣れなくて、一人でも平気なんて言えない、だから──。

「…出さなきゃ……全部…」

 本能的にそう思った。
 私は慌ててトイレに駆け込み、口の中に指を突っ込んで無理やり吐こうとする。
 嘔吐感に襲われるものの、出てくるのは苦い胃液だけで思うようには吐けない。
 出さなきゃいけないのに、出したいのに、そう思うほどうまくいかなくて吐くことを体が拒絶する。
 全部出してしまえばきっと心も体も楽になるし安心するはずなのに、どうしてもできなかった。
 吐くことの苦しさ、吐けないことの悔しさから瞳からは涙が溢れた。

「…うっ……おぇ…っ」

 なんで出ないの、吐けないの……。
 吐きたい気持ちはあるのに、吐くことができないのが苦しくて更に自分を追いつめる。
 もうやってしまった後でなかったことにはできず、今さらどうすることもできない。
 どうしようもない後悔で溢れて、それがなおさら、吐かなきゃ、と思わせられる。

「出てよ……お願いだから…っ」

 ほんの少しでもいい、たったのひとつでもいい、飲み込んだものが出ればそれで。
 なんの意味もないかもしれないし、ただの気休めでしかないかもしれない。
 それでも救えるものが、救われることがあるならそうしたいんだ。
 誰かのためじゃなく、自分のために。
 自分の体を考えてのことじゃない、周りと違うことをしたくないから。
 なにより一人になりたくなくて、自分の居場所を失いたくないからだ。


 これ以上は無理だと思い、手の甲で口を拭って、手を洗ってトイレから出た。
 すぐに部屋には戻らずにキッチンに行くと、冷蔵庫からペットボトルの水をぐびぐびと飲んだ。
 喉の痛みと胃液の苦さが和らいでいき、それだけで少し安心を覚えた。

「なんでこんなことしちゃうんだろ…」

 嫌なことから逃げるようにやってしまう自分にどうしようもなく腹が立ち、それをやめられない意思の弱さが嫌になる。
 やめられたら楽になれるのに、こんなふうに後悔することもないのに。
 そんなことは誰に言われなくても自分が一番わかっているのに、どうしてやめられないんだろう。

「やめたいのに…っ」

 もうしない、と今日も決意する。
 でも、また数日後に、ひどい時には同じ日に何度も繰り返してしまう。
 頑張って稼いだバイト代の半分近くが消えるくらい。
 やるやらないは別として、それを買うことで一種の安心を覚えるから。
 数百円で安心が買えるなら、いろんなことから逃げられるなら安いもんだ。
 つらいことも苦しいこともその時だけは感じずに済んで、気持ちが楽になるから。


 リビングを見渡す。
 そこは静けさに包まれていて、人の気配を感じず、空気もひんやりと冷たい。
 自分の家のはずなのに居心地が悪くて、ここにいるのが苦痛に感じた。

 この家には自分の居場所がない。
 私のことを想ってくれるどころか、気に掛けてくれる人なんてどこにも。
 だから嫌になるんだ、この家も両親も。
 表面的に想ったふりをされても響かないし、余計に惨めになるだけだ。
 所詮、私は誰かに必要とされる人間じゃないって言われてるような気がするから。
 みんなに求められているのは私じゃなくて、いつだって――。
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