2 / 57
第一章
② しかも一番見られたくない人に……!
しおりを挟む
「立たないと、キスするぞ」
「立ちます立ちます!」
わたしは堪らず半泣き声で叫びながら、弾かれるように立ち上がって剣を取った。
セクハラ脅迫に当たる。この変態オヤジ、後で局長に言い付けてやる!
まあ、キスよりもっと恐ろしい仕打ちもあるが、それは後ほど機会があったら話すことにしておく。
「いい子だ。やればできるだろ」
ベルウッドさんは満足気にわたしの頭をよしよしと撫でると、短く気合いの声を発した。
バリバリバリ、と雷が空を裂くような轟音。
ベルウッドさんの手から青緑色の発光棒が生えた。
いわゆる練識功によって成せる業なのだが、実はかなり難易度が高い。
精神エネルギーである練識功を空気中で任意の形に留めておくには、超高度な技術と集中力、そして強濃な練識功の力を要するのだ。
それを、このオッサンはセクハラ脅迫発言の直後にやってのけたのだから、その切り替えの迅速さだけは嫌味抜きで尊敬する。
わたしのレベルでは、一、二秒程度、細長い形を発生させるだけで精一杯である。
そんな頗る高度な業だが、この精神エネルギー塊(以下、剣と呼ぶ)で触れれば、いかなる生命体及び物体は溶壊される。
つまり返り血を浴びない。ズルい!
紅衣貌達がゆらゆらぞろぞろと集まってきた。
立ち上がったはいいが、剣を握る手に力が入らず、太腿の筋肉も破裂しそうだ。
ダッシュ、できるだろうか?
練識功で肉体強度と筋力を強化させてはいるが、あまり長時間続ければ体には計り知れない負担となる。
もちろん、精神エネルギーの剣の維持に比べれば、練識功の消耗量自体はずっと少ないが、如何せん、今のわたしは単純に筋肉疲労が問題なのだ。
不安はあったものの、ベルウッドさんにドンと背中を突き飛ばされ、わたしは半強制的に紅衣貌に突進することとなった。
ああ、泣きたい。
それでも、紅衣貌を斬る瞬間に握力を込め、なんとか一体の頭部を刎ねた。
そして着地してよたついたところに、別の個体からのクラゲ足が鞭のようにアタックを仕掛けてきた。
やはり咄嗟に動けず、避けられそうにない。
すると、わたしとクラゲ足の間にベルウッドさんが滑り込んできた。
たちまちクラゲ足を剣で焼き飛ばし、次いでその本体の腹部を薙ぎ焼き、わたしの背後に飛び戻る。
足下のおぼつかないわたしはベルウッドさんの背に当たり、なんとか直立を保つことができた。
「余計な力と無駄な動きが多いからすぐに疲れるんだ。今へとへとならチャンスだ。必要な部分だけに力を集中しろ」
簡単に言ってくれる、このクソオヤジ。それができれば苦労しないっつーの。
わたしは反論するだけの体力的余裕もなく、二呼吸後に息を鋭く吐いて地を蹴った。
同時に、ベルウッドさんが背中をぶつけてアシスト。
絶妙な強さとタイミング。ベルウッドさんはわたしの息遣いを読み、攻撃に踏み出す瞬間に背中を打ち合わせたのだ。
これほどの域に達すると、ほとんど野生の勘である。
そんなわたしの奮闘とベルウッドさんのケダモノ級の芸当で、今回も無事に紅衣貌達の退治を完遂できたのであった。
限界を来した体に鞭打ち、わたしはなんとか単車を運転してアンブローズのオフィスまで帰還した。
道中、側車でマッタリと寛ぐベルウッドさんを路上にぶん投げてやろうかと何度も思ったが、盲目である以上、乗り物の運転に関しては仕方がないと割り切ることにした。
大人になったなぁ、わたし。
❁ ❁ ❁
アンブローズのオフィスに戻り、這うようにシャワールームまで辿り着き、なんとか汚れ無き身になり、私服に着替えた。
温かいお湯を浴びた効果か、全身の痛みと疲れがほんの少しだけ緩和されたような気もするが、やはりまだ体中のズキズキ感とガクガク感は深刻だ。
オフィスの医務室(八畳の和室だが)にて、うつ伏せのわたしは激痛のあまり悲鳴を上げた。
「……ったく、毎度毎度、出動の後に施術をさせられる俺の身にもなれ。俺だって疲れてるんだぞ」
ベルウッドさんはわたしのふくらはぎを指圧しながら言った。
言い忘れていたが、この人、本業は整体師である。
本人が言うには、それほど強い力では圧していないとのことだが、毎回なぜか凄まじく痛い。
「毎度毎度、無理をさせてるのはどちらさんですかねぇ?」
「だから言ってるだろ。あれは相棒としての、愛だ」
最後の気持ち悪い一言と同時に、足裏のツボを突かれた。
悶絶躃地するわたし。
このドSオヤジ。人が悶える様を見て快感を覚えているに違いない。
いや、見えないんだった。
「屠殺所じゃあるまいし、そんな死にそうな声を出すな。ほら、仰向けになれ」
「わざと痛くしてませんか?」
わたしは言われた通りに仰向けになり、詰問した。
「……そんなわけ……ないだろ」
ベルウッドさんは声に少しばかり動揺を孕みつつ、わたしの右脚の踵と膝を掴み、股関節からゆっくりと回す。
この体勢、年頃の乙女であるわたしは些かの恥じらいを覚える。
「今、答える前にちょっと間がありましたよね?」
「……ったく! 痛くする気ならこうするよ!」
ベルウッドさんは鬱陶しそうに言い放ち、わたしの両肩をガシッと押さえ付けた。
またまたわたしは苦悶の声を発す。
問題は、わたしの右膝に乗せられたベルウッドさんの左足である。
わたしの右脚は真横に開かれ、まるで蛙の脚のように膝が直角に曲がって押し付けられてしまったのだ。痛い。
……って、顔近いんですけど……? こんな風に覆い被さってきたら、完全に襲う体勢だし。
「どーだ、思い知ったか? これが俺様の実力だ。はははは!」
ベルウッドさんは喧嘩に勝ったガキ大将のように笑う。
その時、ガチャっとドアが開いた。
入ってきた人物は、絶句し硬直してしまった。
あああ! よりによってこんなタイミングで、しかも一番見られたくない人に来られてしまった!
くすんだ金髪に翡翠色の瞳、やや細身だが頼りがいのあるイケメン。
長我部ノエル先輩。わたしより二つ年上で、アンブローズに入ってもう五年近くになるらしい。
瞬きも呼吸も忘れたノエル先輩の顔が、みるみるうちに赤くなってゆく。
「ノックぐらいしろ。何か用か?」
ベルウッドさんは体勢もそのままに、平然と訊ねた。
だから顔近いって。ちょっと離れて。
わたしは痛いやら恥ずかしいやらで、顔から火が出そうである。
「……え……あ……その……報告があるので……談話室に集まるようにって……局長が……」
「こいつの腰を抜かしてから行く。十分だけ待つように伝えてくれ」
ひゃああ、誤解を招くようなことを言うなああああ!
でも依然として、わたしは呻くことしかできない。
「わ、分かり……ました。伝えておきます」
ノエル先輩は目のやり場に困ったように視線をあちこちに這わせながら、裏返りそうな声で答えた。
そしてノエル先輩が退室した後、地獄のアフターケアが再開された。
「立ちます立ちます!」
わたしは堪らず半泣き声で叫びながら、弾かれるように立ち上がって剣を取った。
セクハラ脅迫に当たる。この変態オヤジ、後で局長に言い付けてやる!
まあ、キスよりもっと恐ろしい仕打ちもあるが、それは後ほど機会があったら話すことにしておく。
「いい子だ。やればできるだろ」
ベルウッドさんは満足気にわたしの頭をよしよしと撫でると、短く気合いの声を発した。
バリバリバリ、と雷が空を裂くような轟音。
ベルウッドさんの手から青緑色の発光棒が生えた。
いわゆる練識功によって成せる業なのだが、実はかなり難易度が高い。
精神エネルギーである練識功を空気中で任意の形に留めておくには、超高度な技術と集中力、そして強濃な練識功の力を要するのだ。
それを、このオッサンはセクハラ脅迫発言の直後にやってのけたのだから、その切り替えの迅速さだけは嫌味抜きで尊敬する。
わたしのレベルでは、一、二秒程度、細長い形を発生させるだけで精一杯である。
そんな頗る高度な業だが、この精神エネルギー塊(以下、剣と呼ぶ)で触れれば、いかなる生命体及び物体は溶壊される。
つまり返り血を浴びない。ズルい!
紅衣貌達がゆらゆらぞろぞろと集まってきた。
立ち上がったはいいが、剣を握る手に力が入らず、太腿の筋肉も破裂しそうだ。
ダッシュ、できるだろうか?
練識功で肉体強度と筋力を強化させてはいるが、あまり長時間続ければ体には計り知れない負担となる。
もちろん、精神エネルギーの剣の維持に比べれば、練識功の消耗量自体はずっと少ないが、如何せん、今のわたしは単純に筋肉疲労が問題なのだ。
不安はあったものの、ベルウッドさんにドンと背中を突き飛ばされ、わたしは半強制的に紅衣貌に突進することとなった。
ああ、泣きたい。
それでも、紅衣貌を斬る瞬間に握力を込め、なんとか一体の頭部を刎ねた。
そして着地してよたついたところに、別の個体からのクラゲ足が鞭のようにアタックを仕掛けてきた。
やはり咄嗟に動けず、避けられそうにない。
すると、わたしとクラゲ足の間にベルウッドさんが滑り込んできた。
たちまちクラゲ足を剣で焼き飛ばし、次いでその本体の腹部を薙ぎ焼き、わたしの背後に飛び戻る。
足下のおぼつかないわたしはベルウッドさんの背に当たり、なんとか直立を保つことができた。
「余計な力と無駄な動きが多いからすぐに疲れるんだ。今へとへとならチャンスだ。必要な部分だけに力を集中しろ」
簡単に言ってくれる、このクソオヤジ。それができれば苦労しないっつーの。
わたしは反論するだけの体力的余裕もなく、二呼吸後に息を鋭く吐いて地を蹴った。
同時に、ベルウッドさんが背中をぶつけてアシスト。
絶妙な強さとタイミング。ベルウッドさんはわたしの息遣いを読み、攻撃に踏み出す瞬間に背中を打ち合わせたのだ。
これほどの域に達すると、ほとんど野生の勘である。
そんなわたしの奮闘とベルウッドさんのケダモノ級の芸当で、今回も無事に紅衣貌達の退治を完遂できたのであった。
限界を来した体に鞭打ち、わたしはなんとか単車を運転してアンブローズのオフィスまで帰還した。
道中、側車でマッタリと寛ぐベルウッドさんを路上にぶん投げてやろうかと何度も思ったが、盲目である以上、乗り物の運転に関しては仕方がないと割り切ることにした。
大人になったなぁ、わたし。
❁ ❁ ❁
アンブローズのオフィスに戻り、這うようにシャワールームまで辿り着き、なんとか汚れ無き身になり、私服に着替えた。
温かいお湯を浴びた効果か、全身の痛みと疲れがほんの少しだけ緩和されたような気もするが、やはりまだ体中のズキズキ感とガクガク感は深刻だ。
オフィスの医務室(八畳の和室だが)にて、うつ伏せのわたしは激痛のあまり悲鳴を上げた。
「……ったく、毎度毎度、出動の後に施術をさせられる俺の身にもなれ。俺だって疲れてるんだぞ」
ベルウッドさんはわたしのふくらはぎを指圧しながら言った。
言い忘れていたが、この人、本業は整体師である。
本人が言うには、それほど強い力では圧していないとのことだが、毎回なぜか凄まじく痛い。
「毎度毎度、無理をさせてるのはどちらさんですかねぇ?」
「だから言ってるだろ。あれは相棒としての、愛だ」
最後の気持ち悪い一言と同時に、足裏のツボを突かれた。
悶絶躃地するわたし。
このドSオヤジ。人が悶える様を見て快感を覚えているに違いない。
いや、見えないんだった。
「屠殺所じゃあるまいし、そんな死にそうな声を出すな。ほら、仰向けになれ」
「わざと痛くしてませんか?」
わたしは言われた通りに仰向けになり、詰問した。
「……そんなわけ……ないだろ」
ベルウッドさんは声に少しばかり動揺を孕みつつ、わたしの右脚の踵と膝を掴み、股関節からゆっくりと回す。
この体勢、年頃の乙女であるわたしは些かの恥じらいを覚える。
「今、答える前にちょっと間がありましたよね?」
「……ったく! 痛くする気ならこうするよ!」
ベルウッドさんは鬱陶しそうに言い放ち、わたしの両肩をガシッと押さえ付けた。
またまたわたしは苦悶の声を発す。
問題は、わたしの右膝に乗せられたベルウッドさんの左足である。
わたしの右脚は真横に開かれ、まるで蛙の脚のように膝が直角に曲がって押し付けられてしまったのだ。痛い。
……って、顔近いんですけど……? こんな風に覆い被さってきたら、完全に襲う体勢だし。
「どーだ、思い知ったか? これが俺様の実力だ。はははは!」
ベルウッドさんは喧嘩に勝ったガキ大将のように笑う。
その時、ガチャっとドアが開いた。
入ってきた人物は、絶句し硬直してしまった。
あああ! よりによってこんなタイミングで、しかも一番見られたくない人に来られてしまった!
くすんだ金髪に翡翠色の瞳、やや細身だが頼りがいのあるイケメン。
長我部ノエル先輩。わたしより二つ年上で、アンブローズに入ってもう五年近くになるらしい。
瞬きも呼吸も忘れたノエル先輩の顔が、みるみるうちに赤くなってゆく。
「ノックぐらいしろ。何か用か?」
ベルウッドさんは体勢もそのままに、平然と訊ねた。
だから顔近いって。ちょっと離れて。
わたしは痛いやら恥ずかしいやらで、顔から火が出そうである。
「……え……あ……その……報告があるので……談話室に集まるようにって……局長が……」
「こいつの腰を抜かしてから行く。十分だけ待つように伝えてくれ」
ひゃああ、誤解を招くようなことを言うなああああ!
でも依然として、わたしは呻くことしかできない。
「わ、分かり……ました。伝えておきます」
ノエル先輩は目のやり場に困ったように視線をあちこちに這わせながら、裏返りそうな声で答えた。
そしてノエル先輩が退室した後、地獄のアフターケアが再開された。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
5
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる