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本番
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同じ楽屋にいた出演する人たちも、天井のスピーカーからの巌の呼び出しで、出て行き、笙悧一人が残った。宇宙は廊下に出て、ストレッチをしている。笙悧も誘われたのだが、もちろん断った。
「お呼び出し申し上げます、鷹司様、たかつゅかゃさ、あはは、宇宙~、ステージ袖に来て下さい」
天井のスピーカーから、宇宙の名字を噛んで、笑う巌の声。
自分の名前が呼ばれないことに、笙悧は、心臓をギュウッと握りつぶされるような痛みに、唇を噛んで耐える。
やっぱり、ぼくは
楽屋の出入口に、ひょこっと、宇宙が顔を出した。
「笙悧。俺、ピアノ、ステージに出しに行くから、少し、待ってて。」
「…紛らわしいな」
かすれた小さな声で、笙悧は言って、深呼吸した。――やっぱり、自分のピアノの演奏がダメで、出られないのかと思った。
笙悧は、楽譜を持って、立ち上がると、楽屋を出た。廊下を歩いて行く宇宙に追いついて、隣を歩く。
宇宙は――何も言わなかった。
ステージ袖(ステージの両端の、客席からは見えない場所)に着くと、宇宙は立ち止まることなく、薄暗いステージへ出て行く。
非力で、何も手伝えることない笙悧は、立ち止まり、宇宙の背中を見送る。
しばらくして、突然、ぱあっと、ステージが明るくなった。
そのまぶしさに、思わず笙悧は、目を閉じ、顔をそむけた。
顔を上げると、笙悧に向かって、黒い大きな怪物が迫って来る、宇宙に連れられて。
ステージへと押し出されるグランドピアノ。
ステージの床の印に、しっかり合わせて、設置すると、グランドピアノを取り囲んでいた人たちは、反対側のステージ袖へ去って行く。宇宙も。
宇宙は、ピアノ椅子を持って出て来ると、ピアノの前に置く。そして、笙悧を手招きする。
楽譜を胸に抱えていた笙悧は、着けていたマスクを外すと、ズボンのポケットに入れた。大きく深呼吸する。一歩を踏み出す。
笙悧が、ステージに現れただけで、客席からは拍手が起こった。
コンクールでは、演奏前に拍手を受けることはない。笙悧は客席の方を見ることなく、真っすぐに、ピアノへと歩いて行く。
宇宙は、ステージ中央に置かれたスタンドマイクの前へ歩いて行く。
自分の身長に合わせて、スタンドを高く調節している宇宙の後ろを通り過ぎる時、笙悧は、何も言わなかった。
宇宙も、何も言わない、振り返りもしない。
笙悧は、ピアノ椅子とピアノの間に立ち、譜面台に、楽譜を広げる。
「あ。あ。」
宇宙は、マイクを口の高さに合わせて、声を出す。
笙悧は、椅子に座り、ピアノのペダルに足を置いてみる。足を引き、立ち上がって、椅子の位置を変えて、座り直し、また、ピアノのペダルに足を置く。
そして、ピアノの鍵盤に両手を置く。左手の小指から親指へ、右手の親指から小指までを、白鍵と黒鍵の上に走らせる。
いつもの響きと、いつもの鍵盤の重さに、笙悧は安心する。
笙悧は顔を上げ、宇宙を見た。
宇宙は、振り返って、笙悧を見ていた。
見つめ合うと、二人は、それぞれ、向き直る。
笙悧は、ピアノに。宇宙は、マイクに。
笙悧は、鍵盤に目を落とす。白と黒の牙を持つ黒い大きな怪物は、待ち構えていた。
――笙悧の細くて長い指を、噛み砕くためじゃない。奏でられる瞬間を待ち構えていた。
笙悧は、ピアノを弾き始める。
イントロの繰り返しを奏でて、顔を上げ、宇宙の背中を見つめる。
宇宙の肩が少し上がり、息を吸い込んで、歌い出す。歌い出しは、ぴったりだった。
やさしい、あたたかな歌声が真っすぐに響く。
笙悧は、ピアノの音を重ねてゆく。頭で次の音符を追わなくても、指は、鍵盤を弾き、足は、ペダルを踏み、離す。
笙悧が上げてゆく音階の上で、サビを歌う宇宙が、切なく響かせる裏声。
間奏もなく、2コーラス目。歌い出しは、ぴったりだった。
客席という暗闇に向かって、笙悧は、自分の音を投げ込んでるみたいだった、コンクールのステージでピアノを弾いている時は。自分の音は、何の意味も、価値もない、ただ消えてゆくだけのものだった。
けれど、今は、宇宙の背中の向こうにある客席へ、ちゃんと自分のピアノの演奏が、宇宙の歌を届けている。
――ああ、宇宙の歌が終わってしまった。
ずっと、このリフレインを弾いていたい。
そう思いながら笙悧は、ピアノの鍵盤から指を離した。残響も消えて、客席から満ちて来る拍手の音。
拍手の音が、こんなにあたたかいことを、笙悧は初めて知った。
「お呼び出し申し上げます、鷹司様、たかつゅかゃさ、あはは、宇宙~、ステージ袖に来て下さい」
天井のスピーカーから、宇宙の名字を噛んで、笑う巌の声。
自分の名前が呼ばれないことに、笙悧は、心臓をギュウッと握りつぶされるような痛みに、唇を噛んで耐える。
やっぱり、ぼくは
楽屋の出入口に、ひょこっと、宇宙が顔を出した。
「笙悧。俺、ピアノ、ステージに出しに行くから、少し、待ってて。」
「…紛らわしいな」
かすれた小さな声で、笙悧は言って、深呼吸した。――やっぱり、自分のピアノの演奏がダメで、出られないのかと思った。
笙悧は、楽譜を持って、立ち上がると、楽屋を出た。廊下を歩いて行く宇宙に追いついて、隣を歩く。
宇宙は――何も言わなかった。
ステージ袖(ステージの両端の、客席からは見えない場所)に着くと、宇宙は立ち止まることなく、薄暗いステージへ出て行く。
非力で、何も手伝えることない笙悧は、立ち止まり、宇宙の背中を見送る。
しばらくして、突然、ぱあっと、ステージが明るくなった。
そのまぶしさに、思わず笙悧は、目を閉じ、顔をそむけた。
顔を上げると、笙悧に向かって、黒い大きな怪物が迫って来る、宇宙に連れられて。
ステージへと押し出されるグランドピアノ。
ステージの床の印に、しっかり合わせて、設置すると、グランドピアノを取り囲んでいた人たちは、反対側のステージ袖へ去って行く。宇宙も。
宇宙は、ピアノ椅子を持って出て来ると、ピアノの前に置く。そして、笙悧を手招きする。
楽譜を胸に抱えていた笙悧は、着けていたマスクを外すと、ズボンのポケットに入れた。大きく深呼吸する。一歩を踏み出す。
笙悧が、ステージに現れただけで、客席からは拍手が起こった。
コンクールでは、演奏前に拍手を受けることはない。笙悧は客席の方を見ることなく、真っすぐに、ピアノへと歩いて行く。
宇宙は、ステージ中央に置かれたスタンドマイクの前へ歩いて行く。
自分の身長に合わせて、スタンドを高く調節している宇宙の後ろを通り過ぎる時、笙悧は、何も言わなかった。
宇宙も、何も言わない、振り返りもしない。
笙悧は、ピアノ椅子とピアノの間に立ち、譜面台に、楽譜を広げる。
「あ。あ。」
宇宙は、マイクを口の高さに合わせて、声を出す。
笙悧は、椅子に座り、ピアノのペダルに足を置いてみる。足を引き、立ち上がって、椅子の位置を変えて、座り直し、また、ピアノのペダルに足を置く。
そして、ピアノの鍵盤に両手を置く。左手の小指から親指へ、右手の親指から小指までを、白鍵と黒鍵の上に走らせる。
いつもの響きと、いつもの鍵盤の重さに、笙悧は安心する。
笙悧は顔を上げ、宇宙を見た。
宇宙は、振り返って、笙悧を見ていた。
見つめ合うと、二人は、それぞれ、向き直る。
笙悧は、ピアノに。宇宙は、マイクに。
笙悧は、鍵盤に目を落とす。白と黒の牙を持つ黒い大きな怪物は、待ち構えていた。
――笙悧の細くて長い指を、噛み砕くためじゃない。奏でられる瞬間を待ち構えていた。
笙悧は、ピアノを弾き始める。
イントロの繰り返しを奏でて、顔を上げ、宇宙の背中を見つめる。
宇宙の肩が少し上がり、息を吸い込んで、歌い出す。歌い出しは、ぴったりだった。
やさしい、あたたかな歌声が真っすぐに響く。
笙悧は、ピアノの音を重ねてゆく。頭で次の音符を追わなくても、指は、鍵盤を弾き、足は、ペダルを踏み、離す。
笙悧が上げてゆく音階の上で、サビを歌う宇宙が、切なく響かせる裏声。
間奏もなく、2コーラス目。歌い出しは、ぴったりだった。
客席という暗闇に向かって、笙悧は、自分の音を投げ込んでるみたいだった、コンクールのステージでピアノを弾いている時は。自分の音は、何の意味も、価値もない、ただ消えてゆくだけのものだった。
けれど、今は、宇宙の背中の向こうにある客席へ、ちゃんと自分のピアノの演奏が、宇宙の歌を届けている。
――ああ、宇宙の歌が終わってしまった。
ずっと、このリフレインを弾いていたい。
そう思いながら笙悧は、ピアノの鍵盤から指を離した。残響も消えて、客席から満ちて来る拍手の音。
拍手の音が、こんなにあたたかいことを、笙悧は初めて知った。
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