βなんか好きにならない

切羽未依

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「好き」って言って

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 火曜日。大学からの帰り道。笙悧しょうりは、道の先に、マンションの1階に入ったコンビニを見て、宇宙そらがいるかなあと思う。
 そういえば、また琴音が、昨夜、晩ごはんを食べながら、「コンビニの新発売のスイーツが、いっつも売り切れてる」と、文句を言っていたことも、思い出す。


 あるかどうか、ちょっと見てみようかな。


 笙悧が歩いて行くと、コンビニの前に立っている、すらりと背の高い影が、揺れた。
 コンビニの灯りに背中から照らされて、影にしか見えないけれど、宇宙だとわかった。笙悧の歩く足が、勝手に速まる。

 宇宙は、コンビニの前、カップラーメンを持って、立っていた。――青いストライプの、コンビニの制服を着ていない。
 白い長袖Tシャツは、黒の水玉模様?と思ったら、ネコの足跡のプリントだった。ダメージではなく、普通に色褪いろあせたデニムに、ふるしたスニーカー。

 宇宙が持っているのは、カップラーメンじゃない。緑のカップそばだった。
 やっぱり、宇宙は、いつでも食べ物の匂いがする。

 マスクをけていても、カップそばの匂いに、大学から帰って来て、お腹が空いている笙悧は、自分のお腹の虫が鳴き出さないか、ちょっと心配になる。

 笙悧は聞いた。
「今日、バイトじゃないの?」
「ううん。『外で食うなら、制服は脱げ』って、先輩パイセンに怒られた」
『パイセン』という言い方を知らない笙悧は、外国の人かな?と思う。

 制服を着た店員が、店の前で、物を食べているのを、お客さんが見て、パッと思うのは、「休憩」じゃなく、「サボり」だよなと、笙悧は思う。一応、確認する。
「今、休憩時間なんだよね?」
「うん。笙悧、いないかな~と思って、通る人、見てた」
 そんなことを宇宙に言われて、笙悧は、胸の奥がくすぐったくなってしまう。


 ぼくも、コンビニに、宇宙がいるかな~と思ってた。と、笙悧は、恥ずかしくて、言えなかった。


「笙悧、」
「おそば、食べて。延びちゃうよ」
「あ、うん」
 ずずずっと、宇宙は、そばをすする。
 宇宙の後ろには、市民祭しみんまつりのポスターが、コンビニの大きな窓の内側から貼られている。
 なんだかカップそばを食べている宇宙が、ポスターに写ってる人みたいに見えて、笙悧は、少し笑ってしまった。
 もぐもぐ、宇宙は、笙悧の笑顔を、きょとんと見つめる。

「宇宙が、ポスターに写ってる人みたいに見えて、笑っちゃった」
 笙悧の説明を聞いて、宇宙は、自分の後ろのポスターを振り返って見て、向き直ると、大げさに肩を落として、ため息をついた。
「ポスター貼って、レジで、プログラム配ってるけど、北部の人って、市民祭に興味ないよね~」

 笙悧は、返す言葉がなかった。
 駅の北側に建ち並ぶマンションに住む笙悧は、興味がないどころか、市民祭というものがあることも知らなかった。
 コンビニの窓だけじゃなく、駅の柱や、駅前の市の掲示板、大型商業施設の市の掲示板にも、市民祭のポスターは貼られている。今年初めて、貼られたわけでもない。毎年、目にしていたはずなのに、全く気にも留めず、通り過ぎていた。


「レジで、プログラム、配ってて、その場で断られるのも悲しいけど、もっと悲しいのは、受け取ってくれたのに、捨てられてることだよね。そもそも、ポイ捨て、有り得なくない?」
 宇宙は、ずずずっと、そばをすする。

「そんなひどいことする人、いるんだね」という言葉は、笙悧の喉に引っ掛かった。
 去年までの自分だったら、レジで、市民祭のプログラムを差し出されたら、断る勇気はなくて、家まで持ち帰って、古紙回収こしかいしゅうの紙袋に、直行で入れている。

 宇宙は、カップそばのつゆをすする。ふは~と、息をつく。
 それをちらっと見ながら、客がコンビニの自動ドアの前に立った。
「いらっしゃいませ」
 反射神経で宇宙が言うと、客は、え?という顔を向け、不審そうに首をひねりながら、開いたドアから、コンビニへ入って行く。

 笙悧は、着けているマスクの中で、笑ってしまう。
「今の、お店の前で、カップそば食べてる知らない人に、いきなり『いらっしゃいませ』って言われたら、驚くよ」
「何で?お店の前で、『いらっしゃいませ』って言われて、お客さん、驚くの?」
 宇宙は、全く理解しない。

 笙悧は言った。
「宇宙、コンビニの制服、着てないじゃないか」
「あ…」
 宇宙は、自分のネコの足跡Tシャツを見下ろす。
「確かに、驚くね」
 やっと理解した宇宙は、顔を上げ、にこっと、笙悧に向かって笑う。

 宇宙は、ずずっと、そばをすする。笙悧は思い出して、聞いた。
「新発売されたスイーツって、ある?」
 もぐもぐしている宇宙は、首を横に振った。

 コンビニの自動ドアが開き、客が出て来た。さっき入って行った客とは、ちがう客だ。
「ありが」
 宇宙は慌てて、口の中のそばを飲み込み、客の方を向いて、反射的に言いかけた「ありがとうございます」を、途中でめた。
 笙悧はマスクの上から、手のひらで口を押さえて、下を向いて笑ってしまう。

 笙悧が顔を上げると、宇宙は、コンビニの前の交差点の方を見ていた。
 笙悧は振り返り、人が行き交う交差点を見る。


――誰を、宇宙が見つめているのか、笙悧の胸の奥が、じりじり、痛む。


 青信号が点滅して、赤信号に変わる。
 誰もいなくなった交差点に、車が行き交う。


「さっきのお客さん、買った物の上、市民祭のプログラムがあったから、捨てられないか、見守ってた」
 宇宙の声に、笙悧は向き直る。
「そうなんだ」
 ほっとしてしまった自分に、笙悧は戸惑った。

「今日、笙悧のお母さんに、プログラム、配っちゃった」
「え?」
「今日、笙悧のお母さん、来て、俺が、レジでプログラム渡して、そん時は、笙悧のお母さん、何にも言わなかったんだけど、わざわざ、戻って来て、俺が、笙悧の友達なのか、確認して、そんで、市民祭に、出るのか、聞かれて、『印刷、間に合わなくて、笙悧の名前なくて、すみません』って、俺、謝っちゃったんだよね~。店長さん希更に、『笙悧くんがピアノの伴奏することはサプライズだから、プログラム配る時に、言っちゃダメ!』って言われてたの、謝ってる時に思い出して、笙悧のお母さんに、『笙悧がピアノ弾くのは、サプライズなんで、他の人には、言いふらさないでください』って頼んだ」


 宇宙が「今日、笙悧のお母さん、来て、俺が、レジでプログラム渡して、」と言った時点で、詰んだ。と、笙悧は思った。

 やっぱり母親に、宇宙そらの名前を知られちゃいけなかった。


 大学があるから、家から出してもらえないということはない。と思う。
 でも――ピアノの練習へ行かないように、母親が、毎日、駅に迎えに来るということはある、かもしれない。
 ピアノを習っていた小学生の時は、レッスンの日は、母親は校門まで迎えに来ていたのだから。


 母親に、ピアノを弾いていることを隠して、嘘をついて、練習に来ていることを、笙悧は、宇宙に話していなかった。
 宇宙が知れば、「ちゃんと、お母さんに言おうよ」と言われるに決まってるからだ。

 結局、宇宙が、ちゃんとお母さんに言ってしまった。


 けれど、笙悧の胸に、怒りはがらなかった。

 何で言ったの?!という気持ちより、やっぱり言われちゃったかぁ~という気持ちだった。


 宇宙は、嘘をついたり、隠し事をしたりすることなく、真っすぐに生きて来たんだろうな。と、笙悧は思う。


 もう会えなくなるかもしれない。その前に、笙悧は、言っておきたいことがあった。
宇宙そら
 名前を呼ぶと、ずるずる、そばをすすっている宇宙は、まんまるにした両瞳で、「何?」と聞き返す。

「ぼく、宇宙の歌、好きだよ」
 そばを、もぐもぐしている宇宙が、瞳を見開く。


 ひどいタイミングで告った。と、笙悧は後悔した。

 でも、真っすぐに向かい合っていたら、言えなかったかもしれない。


 宇宙は、もぐもぐ、ごっくん、そばを飲み込むと、聞いた。
「死亡フラグ?」
「うん」
「冗談やめて~」
 宇宙の笑顔を覚えていたくて、笙悧は見つめる。

 宇宙は、真っすぐに背筋を伸ばして立つと、マジメな顔になった。手には、カップそばと割り箸を持って、両瞳は笑ってて、ちっともマジメじゃない。
「笙悧のピアノ、最初は、ほんと、息苦しかったけど、」
「やっぱり、ぼくのピアノって、息苦しいんだね」
 弱々しく、にがく、笙悧は笑う。


 もっと早く、宇宙に会いたかった。
 宇宙の真っすぐな素直すぎる感想に傷付いて、もっと早く、ピアノを辞められたのに。


「今は、息苦しくないよ。ちゃんと、息継ぎ、できてる」
「ホメるとこ、息継ぎ?」
 笙悧が聞き返すと、宇宙は、ぶんぶん、首を横に振る。
「息継ぎだけじゃなくて。息も、めっちゃ合ってる。気持ちよく、パスが通ってる感じがする」
「やっぱりサッカーなんだね」


 そうじゃなくて。「好き」って、宇宙に言って欲しかった。


「ぼく、帰るね」
「怒った?笙悧、怒ってる?」
 宇宙は慌てて、謝る。
「ごめん。俺、音楽的なこと、ゼンゼン、わかんなくて。」
「わかんなくていいよ。宇宙は、そのままでいいんだよ。――ぼく、帰るね」
「ほんと怒ってない?」
「怒ってないって。」
「ほんと?」
「怒ってない」
「ちゃんと、木曜日、ぽぽんたに、来てくれる?」
 そう言う宇宙に、笙悧は、応えられなかった。

 もう会えないかもしれないのに、ウソは、つきたくなかった。

 笙悧は、うなずくふりをして、うつむき、宇宙に背中を向けた。

「笙悧」
 名前を呼ばれて、笙悧は振り返ってしまう。――今度こそ、言って欲しい言葉を言ってくれることを期待して


「俺、明日は、深夜シフトだから、この時間、いないから、『バイト、サボってる』って、思わないでね」
「思わないよ」
 笙悧は宇宙に言うと、向き直った。交差点の赤信号が、青に変わるまでが、いやに長かった。




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