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第二章 ラクロス王国編
21 確かめたい
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「ザハラ国は交渉の条件として、ロイド……貴方を連れて来いと言っているの」
一瞬、息が止まった。
俺に、あそこへ戻れというのか……
震えそうになる声を抑えながら、セリーヌ夫人に尋ねた。
「なぜ、俺なんですか? サリーム王が、捕虜に過ぎなかった俺に会いたいなど……」
「ザハラ国の真意は、まだわからない。実は、この条件を出してきたのはサリーム王ではなく、アシーク将軍だったの」
その名を聞いた途端、胸の鼓動が止まった。
アシーク・シャドウ……ザハラ国の軍を総べる将軍、彼こそが、俺を捕らえ嬲り続けた男だったからだ。
喉の奥から吐き気が込み上げてきて、口元を抑えた。咄嗟にルシアンが支えてくれなければ、そのまま床に倒れていたかもしれない。
「ロイド、大丈夫か……?」
ルシアンが俺の肩を抱きながら、俺の顔を覗きこむ。気遣うように揺れる藍色の瞳に、俺は、なんとか微笑んでみせた。
すると、セリーヌ夫人が、
「顔が真っ青だわ……貴方がそんなふうになるなんて、いったい何が……」
その夫人の声を遮ったのは、親父どのだった。
「ロイドを行かせるなど、絶対に認めん!こいつが敵国で、どんな目に遭ってきたか……そんなところへ、また行かせようというのか!例え、それが国王からの命令でも、こいつを行かせるものか!」
部屋中の壁が振動するほどの、怒鳴り声だった。
親父どのが、こんなに感情的になるなんて……俺なんかのために。
あの悪夢のような日々から解放された日も……朦朧とする意識の中で聞いた声は、こんなふうに少し嗄れてた。
(ロイド……よく、戻ってきたな……)
親父どのは、ズタボロになった俺をその太い腕でしっかりと抱きしめてくれた。
あの時も、今も、俺は親父どのに心配ばかりかけてる……
すると、細く柔らかな腕が伸びてきて、俺を柔らかく包みこんだ。
俯いていた俺の頭を抱えるように抱きしめているのは、セリーヌ夫人だ。
「ごめんなさい、辛い思いをさせたかったわけじゃないの……」
艶やかな花の香りに包まれていると、あの悪夢も薄れていくようだ。胸の鼓動が速くなって、急になんだか恥ずかしくなった……俺、幼い子供みたいだ。
「あ、あの……セリーヌ夫人?」
「どう、落ち着いた? 私の魔力には気持ちを鎮める効果もあるのよ。これからでも辛く感じる時は、いつでも私のところにいらしゃいね」
艶やかに微笑む夫人を前に、俺は真っ赤になって頷くしかなかった。
すると、親父どのが、フンッと鼻を鳴らした。
「気をつけよろ。セリーヌの魔力には棘があるからな。薬にもなれば毒にもなる」
その言葉に、セリーヌ夫人がたちまち眉を吊り上げた。
「まあ、ルドヴィック、貴方だって昔は毎日のように傷を拵えては、私のところへ来てたくせに」
「な、なにをっ。そんな昔のことを、今更ここで蒸し返すな!」
なんだか聞いてはいけない話を、聞かされてるような気がする。それより、このまま二人を放っておいたらまた大騒動になりかねないと、慌てて二人の間に割って入った。
「俺はもう大丈夫ですから、二人とも落ち着いて。話を続けましょう」
二人が互いを睨みながらも、黙って腰をかけると、俺たちも、ほっとしてソファに腰をおろす。
そして、ザハラ国の内情について説明を受けることになった。
ザハラ国は、ラクロス国の北方に広がる砂漠にあるオアシス国だ。貴金属を美術品に仕上げて、キャラバン隊を組んで周辺諸国へ売りにゆく。そうやって繁栄してきた国だった。
ところが、前国王が突然亡くなって、まだ年若いサリーム王がその後を継いだ頃から、雲行きが怪しくなっていった。金銀や宝石の代わりに無粋な鋼を仕入れるようになり、それを武器に仕立ててたちまち軍備を整えると、周辺国へ侵攻し始めた。
「どうして、急に国の方針が変わってしまったのか、よくよく調べて見ると、どうやらそれは、アシーク将軍が台頭してきた時期と重なっている事がわかったわ」
元々、砂漠の民は好戦的なもの。キャラバンの護衛を兵士として軍組織を拡大し、武器の増産を主張したのもアシーク将軍。特に、前国王が亡くなってからは彼の発言権は急速に増して、今では若い王もすっかり彼の言いなりだとか。
「実際、我が国との戦争もアシーク将軍が先導していたという情報もあるわ。その上、前国王の死にも将軍が関わっているのではないかと、そんな噂まで流れているの。もし、これらが事実なら、ザハラ国を動かしているのはサリーム国王ではなく、アシーク将軍ということになるわね」
そこで、セリーヌ夫人は勢いよく立ち上がると、胸に手を当てながら、俺たちに向かって切々と訴え続けた。
「貴方たちが命をかけてこの国を守ってくれたのだもの。私も負けるわけにはいかないわ。そのためにも、この停戦交渉を上手くまとめてみせる。でも、そのためには、敵の要を突き崩さなくては」
セリーヌ夫人が、じっと俺を見つめる。
「今回、将軍が貴方に会いたいと言ってきたことは、彼が敵国の要かどうかを知る、絶好の機会なの」
紫色の瞳が、真っ直ぐに俺を見つめてくる。そこに見えるのは、揺るがない自信と、俺を気遣う優しさだった。
その思いに応えたいと思う。だが、あいつに会う……そう考えただけで、どうしても足が震えてしまうんだ。
すると、そんな俺を見かねたのか、傍からルシアンが声をかけてきた。
「ロイド、無理をしなくてもいい。お前が行かなくても、他にもきっと良い方法があるから」
その言葉……不意に、自分がエリスにかけてやった言葉を思い出した。
エリスと約束した……彼を連れ戻すのだと。
俺がザハラ国へ出向けば、エリスに危険を冒させずにトビアスの消息を調べることができる。これは、エリスにとっても良い機会かもしれない。
トビアスは、まだ生きている。
気づいたら、俺は、そう口にしていた。
そして、マルクスという騎士がエリスに伝えた内容を全て話した。
「俺がザハラ国に行けば、彼のことも調べられる……」
思わず口をついて出た言葉に、ルシアンの声が被さった。
「 駄目だ!絶対に行かせるものか!また、お前の身に何かあったら、私は……」
ルシアンが俺の肩を激しく揺さぶった。その指先が、俺の肩に食い込む。
「ルシアン……俺……」
だが、俺の声は、すぐさま親父どのの怒鳴り声に掻き消されてしまった。
「ルシアン、この件には一切関わるなと言ったはずだ!今、お前が優先すべきことは、ガスト領の領主としての責任だ。ローゼンクランツ伯爵との取引はどうなってる、領民がお前の指示を待ってるんだ、早く値決めしろ!今、お前が考えなければいけないのは、領民のことだろうが!」
ルシアンが、歯を食いしばるようにして俯いた。
ルシアンには守らなければいけないものがある。俺だけに構っているわけにはいかないんだ。
そう思っても、ルシアンにかける声は、どうしても弱々しくなってしまう。
「エリスと約束したんだ……いや、それだけじゃない、俺も、このまま生きていくのは嫌なんだ……」
すると、ルシアンが俺の手を強く握った。
「私だって、なんとかしてやりたい。あんなに怯えて、苦しむ姿を見るのは辛くてたまらない。今だって、こんなに震えてるじゃないか……」
その通りさ、本当は怖くてたまらない。
あいつに会って、また、あの恐怖を思い出したら……俺は、どうなってしまうのか。
「それでも……トビアスに会って確かめたい」
「確かめる?」
「トビアスは、エリスに忠誠を誓った騎士なんだ。いくら敵国の王女が不憫だからと言って、忠誠を誓った主人よりも優先させるのは、やっぱり腑に落ちない。だとすれば、何か別の理由があって敵国に留まっているのかもしれない」
「だからと言って、お前が行くことはない!」
そうだな、口ではこんな理屈めいたことを言ってても、本当は……俺自身のため。
多分、トビアスはエリスへの想いを諦めたんだ。
エリスは王族、二人の間には超えられない身分の差がある。叶えられることのない想いを抱き続けることに疲れて、敵国の王女を口実に、彼はエリスから逃げ出したのかもしれない。
だが、剣に刻まれたあの言葉 ーー 『貴女だけを、永遠に』
あの想いを、そんなに簡単に断ち切れるのか?
もし、何か別の事情があって敵国に残っているのだとしたら……彼は、まだエリスを想い続けているかもしれないじゃないか!
わかってる、ただ、俺がそうあってほしいと願ってるってだけだって。
でも、信じたい……誓った愛は、いつまでも変わることはないのだと。
俺とルシアンにも身分差がある。しかも、この身体は奥深くまで汚されて……いずれ、俺たちは別れる時がやってくる。
そして、ルシアンから離れた後も、俺はきっとこの想いを抱きつづける。そして、叶うならば……
ルシアンにも俺のことを覚えていてほしい。
誓った愛は、いつまでも変わることはないと……
それを確かめられたら、俺も……前に進める。
「俺は、確かめたい。トビアスのこと……俺自身のこと、そして、お前とのことだって……このままじゃ、俺は前に進めない。だから、どうか、行かせてくれないか」
だが、ルシアンは黙ったまま答えてはくれなかった。代わりに、セリーヌ夫人の静かな声が響いた。
「……私たちが諦めなければいけなかったことを、貴方たちは諦めたくないと、そう言うのね」
そう言って、セリーヌ夫人が親父どのをチラッと見た。すると、親父どのが俯いて、喉の奥で唸った。
セリーヌ夫人は、ルシアンにそっと頷いてから、俺の手をとる。
「ロイド、少し二人で話しましょうか……わかってるわ、ルドヴィック、余計なことは言わないから。ちょっと、ロイドと話をしてみたいだけ」
そう言って、セリーヌ夫人は俺を隣室へと誘った。
◇
セリーヌ夫人は窓の側に立って外を眺めながら、遠い昔を懐かしむように話し出した。
「まだ若かった頃にね、とても好きな男性がいたの。粗野で、ぶっきらぼうで、いかにも辺境の田舎騎士って感じでね。でも、とても優しい男性だった」
なぜ、セリーヌ夫人がそんな昔話を始めたのか、その理由はわからない。でも、とても大切なことを、今、話してくれようとしている。
「十八才になって、公爵家に嫁ぐことが決まってしまったの。でも、彼はまだ一介の騎士に過ぎなくて……結局、私たちは別々の道を歩むことにしたわ」
その声が少し詰まったような気がして、俺は、思わず聞いてしまった。
「そのことを、後悔しているのですか?」
すると、セリーヌ夫人が俺を振り返った。
「そうね……どうかしら。私も彼も、それなりに幸せに暮らしてきたもの。でも、あの時、あの想いを諦めなかったら、どうなってたかしら……そんなことを、ずっと思い続けてる」
そう言って、セリーヌ夫人がそっと胸を抑えた。
「だって、あの時の……あの胸が引き裂かれるような痛みを、今でも覚えてるから」
その胸の痛みは、俺にもわかる。
それはきっと、今、俺が抱いている痛みと同じだから。
「でもね、ロイド。私たちが諦めなければならなかった想いを、貴方たちが貫いてくれるのなら……それは、どんなに幸せなことか。きっと、ルドビックもそう思うはず」
その紫色の瞳が潤み始める。セリーヌ夫人は俺の手を取ると、祈りを捧げるように俺の手を自分の額に当てた。
「その心の傷を癒して、貴方の想いが叶いますように。ザハラ国に行くことがその助けになるのなら、私のこんな酷い頼みにも少しは意味があるのかしら。でも、それがどれほど残酷なことかって知っているのに、私は、国のために、貴方を説得しなければならないの……」
そして、顔を上げた夫人の瞳に涙はなく、戦士が持つ煌めきが宿っていた。
「私は、剣を持って戦うわけではないけれど、外交力で必ず勝ってみせる。そのためには、相手の急所を知り、的確に留めを刺さなければ。私は、ザハラ国との交渉の要は、サリーム王ではなくアシーク将軍だと確信しているの。そして、その将軍が望む貴方が……私たちの切り札」
一瞬、息が止まった。
俺に、あそこへ戻れというのか……
震えそうになる声を抑えながら、セリーヌ夫人に尋ねた。
「なぜ、俺なんですか? サリーム王が、捕虜に過ぎなかった俺に会いたいなど……」
「ザハラ国の真意は、まだわからない。実は、この条件を出してきたのはサリーム王ではなく、アシーク将軍だったの」
その名を聞いた途端、胸の鼓動が止まった。
アシーク・シャドウ……ザハラ国の軍を総べる将軍、彼こそが、俺を捕らえ嬲り続けた男だったからだ。
喉の奥から吐き気が込み上げてきて、口元を抑えた。咄嗟にルシアンが支えてくれなければ、そのまま床に倒れていたかもしれない。
「ロイド、大丈夫か……?」
ルシアンが俺の肩を抱きながら、俺の顔を覗きこむ。気遣うように揺れる藍色の瞳に、俺は、なんとか微笑んでみせた。
すると、セリーヌ夫人が、
「顔が真っ青だわ……貴方がそんなふうになるなんて、いったい何が……」
その夫人の声を遮ったのは、親父どのだった。
「ロイドを行かせるなど、絶対に認めん!こいつが敵国で、どんな目に遭ってきたか……そんなところへ、また行かせようというのか!例え、それが国王からの命令でも、こいつを行かせるものか!」
部屋中の壁が振動するほどの、怒鳴り声だった。
親父どのが、こんなに感情的になるなんて……俺なんかのために。
あの悪夢のような日々から解放された日も……朦朧とする意識の中で聞いた声は、こんなふうに少し嗄れてた。
(ロイド……よく、戻ってきたな……)
親父どのは、ズタボロになった俺をその太い腕でしっかりと抱きしめてくれた。
あの時も、今も、俺は親父どのに心配ばかりかけてる……
すると、細く柔らかな腕が伸びてきて、俺を柔らかく包みこんだ。
俯いていた俺の頭を抱えるように抱きしめているのは、セリーヌ夫人だ。
「ごめんなさい、辛い思いをさせたかったわけじゃないの……」
艶やかな花の香りに包まれていると、あの悪夢も薄れていくようだ。胸の鼓動が速くなって、急になんだか恥ずかしくなった……俺、幼い子供みたいだ。
「あ、あの……セリーヌ夫人?」
「どう、落ち着いた? 私の魔力には気持ちを鎮める効果もあるのよ。これからでも辛く感じる時は、いつでも私のところにいらしゃいね」
艶やかに微笑む夫人を前に、俺は真っ赤になって頷くしかなかった。
すると、親父どのが、フンッと鼻を鳴らした。
「気をつけよろ。セリーヌの魔力には棘があるからな。薬にもなれば毒にもなる」
その言葉に、セリーヌ夫人がたちまち眉を吊り上げた。
「まあ、ルドヴィック、貴方だって昔は毎日のように傷を拵えては、私のところへ来てたくせに」
「な、なにをっ。そんな昔のことを、今更ここで蒸し返すな!」
なんだか聞いてはいけない話を、聞かされてるような気がする。それより、このまま二人を放っておいたらまた大騒動になりかねないと、慌てて二人の間に割って入った。
「俺はもう大丈夫ですから、二人とも落ち着いて。話を続けましょう」
二人が互いを睨みながらも、黙って腰をかけると、俺たちも、ほっとしてソファに腰をおろす。
そして、ザハラ国の内情について説明を受けることになった。
ザハラ国は、ラクロス国の北方に広がる砂漠にあるオアシス国だ。貴金属を美術品に仕上げて、キャラバン隊を組んで周辺諸国へ売りにゆく。そうやって繁栄してきた国だった。
ところが、前国王が突然亡くなって、まだ年若いサリーム王がその後を継いだ頃から、雲行きが怪しくなっていった。金銀や宝石の代わりに無粋な鋼を仕入れるようになり、それを武器に仕立ててたちまち軍備を整えると、周辺国へ侵攻し始めた。
「どうして、急に国の方針が変わってしまったのか、よくよく調べて見ると、どうやらそれは、アシーク将軍が台頭してきた時期と重なっている事がわかったわ」
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「実際、我が国との戦争もアシーク将軍が先導していたという情報もあるわ。その上、前国王の死にも将軍が関わっているのではないかと、そんな噂まで流れているの。もし、これらが事実なら、ザハラ国を動かしているのはサリーム国王ではなく、アシーク将軍ということになるわね」
そこで、セリーヌ夫人は勢いよく立ち上がると、胸に手を当てながら、俺たちに向かって切々と訴え続けた。
「貴方たちが命をかけてこの国を守ってくれたのだもの。私も負けるわけにはいかないわ。そのためにも、この停戦交渉を上手くまとめてみせる。でも、そのためには、敵の要を突き崩さなくては」
セリーヌ夫人が、じっと俺を見つめる。
「今回、将軍が貴方に会いたいと言ってきたことは、彼が敵国の要かどうかを知る、絶好の機会なの」
紫色の瞳が、真っ直ぐに俺を見つめてくる。そこに見えるのは、揺るがない自信と、俺を気遣う優しさだった。
その思いに応えたいと思う。だが、あいつに会う……そう考えただけで、どうしても足が震えてしまうんだ。
すると、そんな俺を見かねたのか、傍からルシアンが声をかけてきた。
「ロイド、無理をしなくてもいい。お前が行かなくても、他にもきっと良い方法があるから」
その言葉……不意に、自分がエリスにかけてやった言葉を思い出した。
エリスと約束した……彼を連れ戻すのだと。
俺がザハラ国へ出向けば、エリスに危険を冒させずにトビアスの消息を調べることができる。これは、エリスにとっても良い機会かもしれない。
トビアスは、まだ生きている。
気づいたら、俺は、そう口にしていた。
そして、マルクスという騎士がエリスに伝えた内容を全て話した。
「俺がザハラ国に行けば、彼のことも調べられる……」
思わず口をついて出た言葉に、ルシアンの声が被さった。
「 駄目だ!絶対に行かせるものか!また、お前の身に何かあったら、私は……」
ルシアンが俺の肩を激しく揺さぶった。その指先が、俺の肩に食い込む。
「ルシアン……俺……」
だが、俺の声は、すぐさま親父どのの怒鳴り声に掻き消されてしまった。
「ルシアン、この件には一切関わるなと言ったはずだ!今、お前が優先すべきことは、ガスト領の領主としての責任だ。ローゼンクランツ伯爵との取引はどうなってる、領民がお前の指示を待ってるんだ、早く値決めしろ!今、お前が考えなければいけないのは、領民のことだろうが!」
ルシアンが、歯を食いしばるようにして俯いた。
ルシアンには守らなければいけないものがある。俺だけに構っているわけにはいかないんだ。
そう思っても、ルシアンにかける声は、どうしても弱々しくなってしまう。
「エリスと約束したんだ……いや、それだけじゃない、俺も、このまま生きていくのは嫌なんだ……」
すると、ルシアンが俺の手を強く握った。
「私だって、なんとかしてやりたい。あんなに怯えて、苦しむ姿を見るのは辛くてたまらない。今だって、こんなに震えてるじゃないか……」
その通りさ、本当は怖くてたまらない。
あいつに会って、また、あの恐怖を思い出したら……俺は、どうなってしまうのか。
「それでも……トビアスに会って確かめたい」
「確かめる?」
「トビアスは、エリスに忠誠を誓った騎士なんだ。いくら敵国の王女が不憫だからと言って、忠誠を誓った主人よりも優先させるのは、やっぱり腑に落ちない。だとすれば、何か別の理由があって敵国に留まっているのかもしれない」
「だからと言って、お前が行くことはない!」
そうだな、口ではこんな理屈めいたことを言ってても、本当は……俺自身のため。
多分、トビアスはエリスへの想いを諦めたんだ。
エリスは王族、二人の間には超えられない身分の差がある。叶えられることのない想いを抱き続けることに疲れて、敵国の王女を口実に、彼はエリスから逃げ出したのかもしれない。
だが、剣に刻まれたあの言葉 ーー 『貴女だけを、永遠に』
あの想いを、そんなに簡単に断ち切れるのか?
もし、何か別の事情があって敵国に残っているのだとしたら……彼は、まだエリスを想い続けているかもしれないじゃないか!
わかってる、ただ、俺がそうあってほしいと願ってるってだけだって。
でも、信じたい……誓った愛は、いつまでも変わることはないのだと。
俺とルシアンにも身分差がある。しかも、この身体は奥深くまで汚されて……いずれ、俺たちは別れる時がやってくる。
そして、ルシアンから離れた後も、俺はきっとこの想いを抱きつづける。そして、叶うならば……
ルシアンにも俺のことを覚えていてほしい。
誓った愛は、いつまでも変わることはないと……
それを確かめられたら、俺も……前に進める。
「俺は、確かめたい。トビアスのこと……俺自身のこと、そして、お前とのことだって……このままじゃ、俺は前に進めない。だから、どうか、行かせてくれないか」
だが、ルシアンは黙ったまま答えてはくれなかった。代わりに、セリーヌ夫人の静かな声が響いた。
「……私たちが諦めなければいけなかったことを、貴方たちは諦めたくないと、そう言うのね」
そう言って、セリーヌ夫人が親父どのをチラッと見た。すると、親父どのが俯いて、喉の奥で唸った。
セリーヌ夫人は、ルシアンにそっと頷いてから、俺の手をとる。
「ロイド、少し二人で話しましょうか……わかってるわ、ルドヴィック、余計なことは言わないから。ちょっと、ロイドと話をしてみたいだけ」
そう言って、セリーヌ夫人は俺を隣室へと誘った。
◇
セリーヌ夫人は窓の側に立って外を眺めながら、遠い昔を懐かしむように話し出した。
「まだ若かった頃にね、とても好きな男性がいたの。粗野で、ぶっきらぼうで、いかにも辺境の田舎騎士って感じでね。でも、とても優しい男性だった」
なぜ、セリーヌ夫人がそんな昔話を始めたのか、その理由はわからない。でも、とても大切なことを、今、話してくれようとしている。
「十八才になって、公爵家に嫁ぐことが決まってしまったの。でも、彼はまだ一介の騎士に過ぎなくて……結局、私たちは別々の道を歩むことにしたわ」
その声が少し詰まったような気がして、俺は、思わず聞いてしまった。
「そのことを、後悔しているのですか?」
すると、セリーヌ夫人が俺を振り返った。
「そうね……どうかしら。私も彼も、それなりに幸せに暮らしてきたもの。でも、あの時、あの想いを諦めなかったら、どうなってたかしら……そんなことを、ずっと思い続けてる」
そう言って、セリーヌ夫人がそっと胸を抑えた。
「だって、あの時の……あの胸が引き裂かれるような痛みを、今でも覚えてるから」
その胸の痛みは、俺にもわかる。
それはきっと、今、俺が抱いている痛みと同じだから。
「でもね、ロイド。私たちが諦めなければならなかった想いを、貴方たちが貫いてくれるのなら……それは、どんなに幸せなことか。きっと、ルドビックもそう思うはず」
その紫色の瞳が潤み始める。セリーヌ夫人は俺の手を取ると、祈りを捧げるように俺の手を自分の額に当てた。
「その心の傷を癒して、貴方の想いが叶いますように。ザハラ国に行くことがその助けになるのなら、私のこんな酷い頼みにも少しは意味があるのかしら。でも、それがどれほど残酷なことかって知っているのに、私は、国のために、貴方を説得しなければならないの……」
そして、顔を上げた夫人の瞳に涙はなく、戦士が持つ煌めきが宿っていた。
「私は、剣を持って戦うわけではないけれど、外交力で必ず勝ってみせる。そのためには、相手の急所を知り、的確に留めを刺さなければ。私は、ザハラ国との交渉の要は、サリーム王ではなくアシーク将軍だと確信しているの。そして、その将軍が望む貴方が……私たちの切り札」
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