辺境騎士が、涙を流すとき【完結】

てる

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第二章 ラクロス王国編

26 抱いてほしい

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「何者だっ!」

 剣を抜いて背後を振り返ると、暗闇を割って何者かが俺に飛びかかってきた。即座に、相手の胸ぐらを掴んで地面に押し倒し、その喉元に剣を突きつけた。

 んっ、この見慣れた銀髪は……?

「ははっ、こんなに情熱的に押し倒されるなんて、思わなかったよ」

 えっ……ルシアン!?

「酔いを冷まそうと外に出たら、お前の姿が見えて……」

 今夜のルシアンはいつもと違ってきらびやかな夜会服を纏い、少し乱れた銀色の髪が額にかかって……いつになく色気が滲み出ている。俺は、その胸ぐらを掴んだまま、その姿から目が離せなくなっていた。

 そして、困ったことに、今、俺の頭の中は蜂の巣を突いたように大騒ぎになっていた。 
 
 ……言わなきゃ……抱いてくれって、言わないと。

 ついさっき、ルシアンに会ったら「抱いてほしい」って言おうと決めたばかり。でも、まさか、こんな直ぐにルシアンが目の前に現れるなんて。

 ……今、言えばいいのか?…… えっ、どんなふうに? 

 頭の中ではずっと「抱・い・て・く・れ」という文字が、ぐるぐると回り続けている。
 でも、どうしてもその言葉が、喉の奥に突っかかって出てこない。

 とうとう俺は観念して、口を開いた。

銀狼シルバー……やっぱりお前は、美しいな」

 すると、ルシアンが笑い出した。

「相手の喉元に剣を突きつけながら、愛を囁くなんて……熱烈だな、ロイド」
「えっ……!?」

 気づけば、俺はまだルシアンの胸ぐらを掴んだまま、剣を突きつけていた。
 俺が慌てて剣を下ろすと、ルシアンはゆっくりと身体を起こして、片膝をついた格好で俺を見上げた。

「なぁ、ロイド……」

 返事をする間もなく、いきなり手を引かれて、俺はルシアンの膝の間に倒れ込んだ。

「な、なんだよ……!?」

 ルシアンは俺を抱きしめると、肩に顔を埋めてきた。
 
「ふふっ、ロイドの匂いだ……」
「おいっ、匂うなって!」

 ルシアンが、俺の首筋に鼻先を擦りつけてくる。その吐息には、少し酒精が混じる。これは――

「お前、酔ってるな」
「えーっ、酔ってなんかない」
「酔っ払いは、みなそう言うんだ……でも、お前がそんなに飲むなんて珍しいな。どうした?」

 すると、ルシアンは、また俺の肩に顔を埋めた。肩口から、くぐもった声がする。

「ロイド……さっきはすまなかった、勝手に魔力なんか使って。ロイドが傷ついているって知ってるのに、あんなふうに無理やりするなんて……最低だ」
「何を言ってるんだよ……俺は別に……」

 その顔を覗き込もうとしても、ルシアンは俺にしがみついたまま、顔を見せようとしない。

「お前と離れて……会えないことが辛くて。でも、そう思ってるのは私だけなのかと思ったら……」

 なんだか、いつもと雰囲気が違うな。酔ってるからか?
 ちょっと面倒臭いけど、こうやって甘えられるのも……悪くない。

「……他の男に笑いかけてるし……あんな顔を、私以外に見せるなんて……」

 ふてくされたような声。まだ、目も合わせてくれない。
 
「お前……それって、ヤキモチか?」
「違うっ!」

 即答だ。俺は、思わず吹き出してしまった。

「ははっ!ヤキモチ妬く奴は、みなそう言うんだよ……ほらっ、顔を上げろよ」

 今夜のルシアンは、いつもの凛々しさはなりを潜め、酔いのせいか頬をほんのりと染めている……こんな顔、俺だけが知ってるんだ。こうやって愚痴をこぼすのも、俺にだけなんだよな。

「何かあったのか?」

 そう尋ねると、ルシアンは目を伏せて、少し口を尖らせた。

「……夜会なんて、くだらない。こんな格好をさせられて、酒を飲まされ、面白くもない話に笑って……領地で剣を振ってた頃が懐かしいよ」
「でも、昔も今も、お前は俺たちガスト領を守ってるんだ。同じことだろう?」
「ああ……でも、田舎者だとか、若造だとか、口にしなくても態度でわかるだろう?直ぐに足元を見て値段を下げようとしてくるし」

 ああ、ローゼンクランツ伯爵のことか。卸値がなかなか決まらないんだな。
 それでも、どんなに腹が立とうがにこやかに微笑んで、下げ慣れない頭を下げてるんだ。それができるお前は、やっぱりすごいよ。

「それに今夜は、縁談の話まで持ち出してきた。自分の娘と結婚しろってさ……あの男、私をガスト領うちの特産品ごと買い取るつもりなんだ」

 縁談か。やっぱりそんな話が出るんだな……
 
「それに……今夜は、ロイド、お前とエリスの話題で持ちきりだったぞ」
「えっ、俺の?」
「お前たちの婚約が間近らしいってさ。ロイドが王妹殿下を熱烈に抱きしめてたとか、こめかみに口づけてたとか……」

 俺が言い訳を口にしようとすると、ルシアンが静かに首を振った。

「わかってる。相手はエリスだし、お前にそんな気持ちがないってことも。でも、王族が絡むとだんだん抜け出せなくなるから……不安なんだ」
「そんなこと……それにしても王宮ってところは、本当に噂が広まるのが速いんだな、驚くよ」
「ロイド……」

 不安げな声に振り向くと、月明かりに照らされたルシアンの瞳が、まっすぐ俺を見つめていた。

「ロイド……私だけを、見てほしい」

 一瞬、息が止まった。藍色の瞳がゆっくりと近づいてくる。

「ルシアン……ちょっと待ってくれ!」

 俺が焦って叫んだ瞬間、ルシアンがぴたっと動きを止めた。だが、直ぐに肩を落とす。

「すまない。また、お前に無理やり……」
「違う、そうじゃないんだ」

 俺は唇をきゅっと噛みしめて、心の中で自分に言い聞かせた。
 言わないと……今、言わなかったら、後悔する。

「……抱いてくれないか」

 その一言に、ルシアンが驚いたように顔を上げた。
 俺は、堰を切ったように続けた。

「抱いてほしいんだ……もし、ザハラ国から戻ってこれなかったら、これが最後になるかもしれない……だから、ちゃんとお前に抱かれたい」

 ルシアンが、じっと俺を見つめていた。まるで、息をするのも忘れたかのように。
 俺はそっと、ルシアンの手を握る。

 ちゃんと話さないと……あの国で、俺がどんな目にあったかを。

「この手で触れられるのが……怖かった」

 その言葉に、ルシアンが息を呑んだ。 

「……捕えられて、鎖に繋がれて……俺はあいつに、何度も……」

 ああ、ちくしょう……声が震える。

「抵抗しようとしても、薬を嗅がされて……」

 ルシアンの顔が、苦しげに歪んでいく。

「最初は、首に刃を押しつけられて……無理やりだった……でも、何度も繰り返されて……まだ、この身体が覚えてるんだ……抑えつけられて貫かれる、あの感覚を……」

 深く息を吐いた。

「でも……生きて帰って、お前に会うって……それだけを支えに耐え続けた。だから……もう怯えたくない。俺は……ちゃんと、お前に抱かれたい」

 もう、ルシアンの目を見ることもできない。それでも、声を振り絞った。


「お前が好きだ……ずっと好きだった。でも、こんな俺が……お前を求めてもいいんだろうか……」


 その瞬間、俺はルシアンに強く抱きしめられていた。その腕が、力強く、震える俺を包み込んでくれた。

「ロイド……そんなことで、私がお前を遠ざけるとでも?」

 恐る恐る目を開くと、藍色の瞳が俺を真っ直ぐに見つめていた。その奥に見えるのは、ルシアンの真剣な想い。
 
「バカだな……そんなことを考えてたのか? ずっと一緒だって、そう誓ったじゃないか。戦場でも、この命が尽きるその時までお前の側を離れないって、そう言ったよな……あの時、お前は大笑いしてたけど」
「そんなことも……あったかな」
「戦場だからって我慢してたが、それなりにアプローチしてたんだがな」
「えっと……」
「お前に群がる男どもを片っ端から牽制して……寝たふりをしながらお前にくっついたり……魔力供給は極力私がやるようにしてたし……気づいてなかった?」

 ふっと肩をすくめたルシアンが、急に真剣な声に戻る。

「とにかく、私はお前と離れる気なんてない……だから、私も一緒にザハラへ行く」
「おいっ、またそれかよ」
「お前だけを、あんな場所に行かせられるわけないだろ!」
「ルシアン、それは無理だ。今は取引のことに集中しろよ」
「大丈夫だ。必ず、出発までには必ず終わらせてみせるから」

 ああ、どうせまた無茶をするんだ……その意地っ張りな性格、いい加減に直せよ。
 でも、その藍色の瞳がまるで愛おしむように俺を見つめてるから、何も言えなくなってしまうんだ。

「私にとって何より大切なものは、ロイド……お前なんだ」

 その言葉が、胸に響いた。

「あの時、お前を置きざりにしてしまったことを、どれだけ悔んだことか。もう気が狂いそうだった……でも、やっと一緒になれて、その上、想いまで告げられて。どれほど嬉しいか」

 そう言って、ルシアンが俺をぎゅっと抱きしめる。

「お前が命を懸けようとしてるのに……また、私だけ安全な場所に残れだなんて、そんな事を言わないでくれ。もう、あんな思いをするのはたくさんだ!」

 その指が、そっと俺の頬を撫でる。優しさに胸がいっぱいになる。
 
「何があっても、絶対にお前を離すものか……大切にすると約束する。だから、これからもずっと私の側にいてくれないか」

 これじゃあ、まるで求婚プロポーズみたいじゃないか……
 
 今、自分が真っ赤になっているのがわかる。
 ルシアンの色気がどんどん増して、このまま雰囲気に流されてしまいそうだ。
 
「ロイド……抱いてくれって言ったくせに、まだ震えてる……なら、いいさ」

 ルシアンが、意味ありげにニヤリと笑った。

「私は何もしないから……お前が、私を好きにすればいい」

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