明治あやかし黄昏座

鈴木しぐれ

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第二幕 睡蓮の花

睡蓮の花―3

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 琥珀は、寧々と共に衣装部屋にやってきた。今日の芝居で使う花魁の衣装は、艶やかで美しいが、装飾が多い分よく不具合を起こしている。

「調整が必要なのはこれか」
「そう。後は花音ちゃんの衣装も少し手入れといた方が良さそうやな、と思うて」

「俺たちで出来るならやってもいいが、下手なことをして失敗も出来ないな」
「さっき琥珀が言うた通り、調整箇所を確かめて、準備だけしよか」

 寧々と分担して、服の具合を確かめていく。肩の部分が少し弱くなっているのと、帯の形が歪んでいるように見える。黙々とお互いに背を向けて作業をしていると、背中から寧々に話しかけられた。

「あさぎちゃんのこと、ここに置く気なん?」
「見学を勧めたのは、寧々さんだろう」
「それはただのお詫び。そうやなくて、琥珀のことやから、ああいう子を放っておかれへんのやろうなと思うて」
 琥珀は、咄嗟に答えられなかった。言葉を探しているうちに、沈黙が肯定になることに気が付き、諦めて頷いた。

「まあ、あさぎ次第だが」
「気に入ってるんやろ、あさぎちゃんのこと」
 顔を見なくても、寧々が微笑んでいるのが声で分かった。それが少し腹立たしいような悔しいような。

「別に。泊めたのは間者かどうか確かめるためだ」
「それは分かっとるけど。でも、琥珀の方から声掛けたんやろ? 最初から怪しいと思ったわけやないんやろ」
「それは……」

 琥珀は、突然雨が降り出したあの時のことを思い返した。本番まで時間があり、散歩に行ったら空は快晴なのに、雨が降ってきた。手に持っていたのは、芝居小屋を出るときに手持ち無沙汰だったからなんとなく持ってきた、小道具の傘だけだった。濡らしたら凪に怒られるのは分かっていたが、これを雨避けにしてさっさと帰ろうと思っていた。
 ……彼女を見るまでは。突然の雨に慌てふためき、文句を言いながら走る人々の中で、彼女は微動だにせず、凛と立っていた。雨粒が頬を流れ落ち、浅葱色の着物に雫が吸い込まれていく。目の前の喧騒も雨の音も聞こえていないかのようなその様子に目が離せなかった。それはまるで。

「……睡蓮の花のようだと思った」

 一拍遅れて、声に出ていたことに気付いた。咄嗟に背後を振り返り、寧々を見れば、驚いた表情をこちらに向けていた。言わなくていいことを言ってしまった。

「何か、書くものを持ってくる。双子への覚書は必要だろうからな」
 一息でそう言い切ると、琥珀はそそくさと衣装部屋を出た。



 部屋に一人残された寧々は、しばらくぽかんと琥珀の出ていった戸を見ていた。本当に驚いた。黄昏座の中では琥珀と一番付き合いが長いはずだが、あんな顔は初めて見た。
「女の子を花に例えるて、それはもう気に入ってると言うてるのと同義やと思うけど……」





 夕方、芝居小屋の中は慌ただしくなった。衣装の調整があるのに、花音と雪音が学校から帰るのが遅く、てんてこ舞いだった。琥珀や寧々、凪も手伝いに入っている。

「なんでこんな時に先生の話が長いんですの、もう」
「今更言っても仕方がありませんよ、手動かしてください。姉さん」
「分かっていますわ」

 寧々が着る予定の花魁の衣装が一番複雑で、大変そうだった。簡単に羽織っただけでも、艶やかで一気に華やかになった。

 先ほど、どら焼きを食べながら今日の芝居のあらすじを聞いた。

 遊郭を舞台として、付喪神である花魁と人間の若い客との悲恋の物語。花魁はかんざしの付喪神で、決して結ばれない恋に身を焦がす。花魁に付いている見習いの少女である禿は、そんな二人の間を取り持つ繋ぎの役をしていたが、禿は密かにその客のことを好いている。だが、自分のことを大事にしてくれる花魁のことも大好き。花魁と客は想い合っているが、立場や時間によって引き裂かれてしまう、という結末だ。

 花魁を寧々、客を雪音、禿を花音が演じるという。物語の中心となるのは、花魁と若客だが、その役どころから禿の人気も高いらしい。

「あさぎ、悪いが受付をしてくれないか」
「えっ、私が!?」

 琥珀が、手を動かしたまま、首だけこちらを向いている。忙しいのは目に見て分かるが、あさぎが受付をしてもいいのだろうか。ここの座員でもない、あさぎが。

「佐奈さんと一緒に、頼む。切符を持っているか、確認するだけだ。終わったら、約束通り、芝居は見せてやれるはずだから」
「”お願い”」

 佐奈にもお願いされてしまった。話すことの出来ない佐奈の手伝いをして欲しいということか。良くしてくれた皆が困っているのだから、断る理由はなかった。

「分かった。やる」

 受付に移動して、あさぎは緊張しながらそこに直立した。表玄関と、席との間の空間に、あさぎの腰ほどの高さの台があり、その前を観客たちは必ず通ることになるのだ。

「”まだ、お客さん少ない、緊張しないで”」
「う、うん」

 佐奈の言う通り、まだ開演には時間があるため、客の姿はまばらである。緊張を解そうと思い、今日の芝居のことを聞いてみる。あの話も佐奈が書いたというから。

「どうやって、話を思いついたの?」
「”遊郭、付喪神、は初めから決まってた”」
「そうなんだ」
「”花魁は、寧々さんしか、いないと思って、書いた”」
 控えめに微笑む佐奈は、楽しそうだ。書いた物語のことを話す機会もあまりなかったのかもしれない。

「”脚本から、皆読み取ってくれる”」
「そっか。素敵な仲間だね」
 花魁の衣装を身に纏った寧々を見るのが楽しみだ。きっととても綺麗だろう。

「私も何年かしたらあんな風になれるかな……そもそも記憶思い出さなきゃだけど」
「”二十年くらい、かかるよ”」
「え?」
「”あっ”」

 読唇術でなくとも、佐奈がしまった、というように口を動かしたのが分かるだろう。佐奈は口をもごもごとさせた後、佐奈が言ったって内緒ね、と念押ししてから教えてくれた。

「”寧々さんは、今年三十五歳”」
「え! 嘘!」

 寧々は、確かに琥珀たちよりも年上だろうと思っていたが、どう見ても二十代だった。憶測で年齢を判断してはならない、肝に銘じておこう。そうなると、急に他の者たちの年齢も気になってきた。もしかして、勝手に年上に見ていたりその逆があったりしないだろうか。自分が何歳なのかも覚えていないから、外見から十六くらいだろうと目算していたが、それも自信がなくなってきた。

 無言で佐奈を見つめると苦笑いをされてしまった。これは、肯定だろうか。

「”琥珀さんと凪さんは、十七歳。花音さんと雪音さんは、十四歳。佐奈は……十九歳”」
「十九! 小さくて可愛いからつい、ちゃん付けで……ごめんなさい」
「”ちゃん、でいい。可愛いから”」

 佐奈は少し頬を赤くしながら、笑みを見せた。本人が嫌がっていないのならと、このまま呼ぶことにした。
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