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一冊目 離れがたき対
離れがたき対―4
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特に電車の時間も決めずに家を出て、莉乃はのんびりと駅に向かっていた。ショートヘアが風に揺れて心地いい。すると、後ろから声が飛んできた。
「あら、藤川さんのとこの娘さんじゃないの」
振り返ると、斜向かいに住む奥さまが手招きをしていた。おしゃべりな人だが、悪い人ではない。ただ、少し声が大きくて、少し話が長くて、少し空気感が合わないだけだ。愛想笑いとともに軽くお辞儀をする。
「こんにちは」
「結婚式、もうすぐよね? いやー、おめでたいわね」
「はい。ありがとうございます」
予想通り、話題は一か月後に迫った結婚式のことだった。いいわねー、懐かしいわー、私のころはーと言っては、目を細めている。
「もう準備は終わったの?」
「はい、だいたいは。当日がとても楽しみなんです。ドレス、すごく綺麗なんですよ」
莉乃の満面の笑みを見て、奥さまは、うんうんと自分の娘の成長を見ているかのように頷いた。はっと何かを思い出して、しゃべり出した。
「そういえば、この前あなたに勧めてもらったドレスデザイナーのドラマ、面白かったわよ!」
「見ていただけて、嬉しいです」
「あの子良かったわね。なんていったかしら、なんとか、すみれって子」
ぱあっと莉乃の顔が輝いて、受け身だった体勢が、ぐっと前のめりになった。好きなものを語る時は熱が入ってしまうものだ。
「御園すみれです! 私、彼女の大ファンなんです!」
「綺麗な子だし、若いのに、演技も上手だったわねー。勧める理由も分かるわ」
「実は、今度ドラマの主役をやるらしいんです。ぜひぜひ!」
莉乃の熱の入った宣伝に、奥さまは珍しく少々気圧されながらも笑顔で頷いた。そして、腕時計が示す時刻を見て、あらま、と声を漏らした。
「ヨガ教室に遅れてしまうわ。ごめんなさいね」
そう言うと、駅とは別方向に歩いていった。それを見送って、莉乃も再び駅に向かって進み出した。
一通り、目的の買い物を終えた彼女は、カフェのカウンターで一休みをしていた。ここのカフェはスイーツも充実していて、それを目当てに来る学生やカップルたちが大勢いる。周囲の賑やかな雰囲気に似合わず、彼女は肩にかかる長い髪を耳にかけ、目を伏せてため息をついた。
「はあ……」
「おーい、おーい」
「ん?」
「おーい、こっちじゃ。こっち」
聞き覚えのある声に、きょろきょろと辺りを見回すと、カフェの入り口に桜子の姿があった。彼女が気づいたことを確認した桜子は、こちらに駆け寄ってきた。
「桜子ちゃん、どうしてここに?」
「柳が執筆中で暇じゃからのう。遊びに来たらおぬしの姿が見えてな」
桜子は自分の腰ほどの高さの椅子に、器用に飛び乗った。ちょこんと座る姿は精巧に出来た人形のようだった。
「そうだったんだ。じゃあ、一緒にお茶しようか。何が飲みたい?」
「うむ、そうじゃな……むっ」
桜子はレジの上にあるメニュー看板を見ようとしたが、目の前を通った女性の手元に視線を奪われている。可愛らしいピンクのカップの中の、キャラメルアイスとナッツ、ウエハースが愛嬌を振りまいていた。
「たぶん、期間限定のアイスだと思うよ。あれにする?」
「べ、別にあれがよいというわけでは」
言い当てられたことが気まずいのか、声が少し上ずっている。が、アイスに向いた目は輝きっぱなしだ。彼女は一瞬考えたあと、そっぽを向いている桜子の肩をとんとんと叩いた。
「実は、私があのアイス気になってたんだ。もし桜子ちゃんが食べるなら、一口くれたら嬉しいな」
「なんじゃ、仕方ないのう。それなら、わたしが買ってくるのじゃ」
意気揚々と桜子はレジに向かい、店員にちょっとよいか、と声をかけた。彼女はその後ろから見守ることにする。
「はい。ご注文をどうぞ」
「この、キャラメル……キャラメルなんたらアイスを一つじゃ!」
「キャラメルミルクアンドナッツフレーバーのスペシャルアイスクリームを一つですね」
「むぅ、それじゃ」
長い商品名を、笑顔を崩すことなくすらすらと言った店員に対し、彼女は感心し、桜子はなぜか悔しそうだった。レジの横で、桜子がアイスの名前を言う練習をしている間に、出来上がり、ピンクのカップが桜子の手の中に収まった。
「ん~、美味しいのじゃ。ほら、一口食べてよいぞ」
アイスを乗せたスプーンを口元まで運んでくれる。恥ずかしさよりも桜子の可愛さが勝り、彼女は素直に応じた。
「ふふっ、ありがとう」
「うむ」
一口で広がるキャラメルの甘みと、ナッツの香ばしさが気持ちを和らげて、自然と笑顔になった。それを見て、桜子が満足そうに笑った。
「それにしても、ずいぶんと買い物をしたのう。結婚式のためか?」
桜子はアイスをたべながら、彼女の足元にあるショッピングバックに目をやった。
「そう。あと新居で必要になりそうな物とかをね」
「なるほどな。じゃが、結婚式に新居と言葉はめでたいのに、おぬし、あまり嬉しそうではないのう」
「……!」
驚いて、とっさに声が出なかった。桜子の口調はゆったりしたものだったが、確信を持って言っているのは分かった。ごまかすのを良くないだろうと、彼女は小さく息をついた。
「嬉しいし、すごく楽しみなんだよ。本当に。でも、環境が大きく変わるからかな、やっぱり不安もあるの。ちゃんと出来るのかなーとか」
「ふむ、そういうものか」
彼女の不安を滲ませた笑顔を見て、桜子は理解したような、していないような絶妙な返事をした。いつの間にか空になっているカップを置いて、桜子はストンと椅子から降りた。
「まあ、依頼の本はもうすぐ出来上がる。そのときは店に来るのじゃぞ。では、またな」
軽やかに駆けていく桜子の後ろ姿に、彼女は小さく手を振って見送った。
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