物書き屋~つくもがみものがたり~

鈴木しぐれ

文字の大きさ
5 / 42
一冊目 離れがたき対

離れがたき対―4

しおりを挟む



 特に電車の時間も決めずに家を出て、莉乃はのんびりと駅に向かっていた。ショートヘアが風に揺れて心地いい。すると、後ろから声が飛んできた。

「あら、藤川さんのとこの娘さんじゃないの」
 振り返ると、斜向かいに住む奥さまが手招きをしていた。おしゃべりな人だが、悪い人ではない。ただ、少し声が大きくて、少し話が長くて、少し空気感が合わないだけだ。愛想笑いとともに軽くお辞儀をする。

「こんにちは」
「結婚式、もうすぐよね? いやー、おめでたいわね」
「はい。ありがとうございます」
 予想通り、話題は一か月後に迫った結婚式のことだった。いいわねー、懐かしいわー、私のころはーと言っては、目を細めている。

「もう準備は終わったの?」
「はい、だいたいは。当日がとても楽しみなんです。ドレス、すごく綺麗なんですよ」
 莉乃の満面の笑みを見て、奥さまは、うんうんと自分の娘の成長を見ているかのように頷いた。はっと何かを思い出して、しゃべり出した。

「そういえば、この前あなたに勧めてもらったドレスデザイナーのドラマ、面白かったわよ!」
「見ていただけて、嬉しいです」
「あの子良かったわね。なんていったかしら、なんとか、すみれって子」
 ぱあっと莉乃の顔が輝いて、受け身だった体勢が、ぐっと前のめりになった。好きなものを語る時は熱が入ってしまうものだ。

御園みそのすみれです! 私、彼女の大ファンなんです!」
「綺麗な子だし、若いのに、演技も上手だったわねー。勧める理由も分かるわ」
「実は、今度ドラマの主役をやるらしいんです。ぜひぜひ!」
 莉乃の熱の入った宣伝に、奥さまは珍しく少々気圧されながらも笑顔で頷いた。そして、腕時計が示す時刻を見て、あらま、と声を漏らした。

「ヨガ教室に遅れてしまうわ。ごめんなさいね」
 そう言うと、駅とは別方向に歩いていった。それを見送って、莉乃も再び駅に向かって進み出した。






 一通り、目的の買い物を終えた彼女は、カフェのカウンターで一休みをしていた。ここのカフェはスイーツも充実していて、それを目当てに来る学生やカップルたちが大勢いる。周囲の賑やかな雰囲気に似合わず、彼女は肩にかかる長い髪を耳にかけ、目を伏せてため息をついた。

「はあ……」
「おーい、おーい」
「ん?」
「おーい、こっちじゃ。こっち」
 聞き覚えのある声に、きょろきょろと辺りを見回すと、カフェの入り口に桜子の姿があった。彼女が気づいたことを確認した桜子は、こちらに駆け寄ってきた。

「桜子ちゃん、どうしてここに?」
「柳が執筆中で暇じゃからのう。遊びに来たらおぬしの姿が見えてな」
 桜子は自分の腰ほどの高さの椅子に、器用に飛び乗った。ちょこんと座る姿は精巧に出来た人形のようだった。

「そうだったんだ。じゃあ、一緒にお茶しようか。何が飲みたい?」
「うむ、そうじゃな……むっ」
 桜子はレジの上にあるメニュー看板を見ようとしたが、目の前を通った女性の手元に視線を奪われている。可愛らしいピンクのカップの中の、キャラメルアイスとナッツ、ウエハースが愛嬌を振りまいていた。

「たぶん、期間限定のアイスだと思うよ。あれにする?」
「べ、別にあれがよいというわけでは」
 言い当てられたことが気まずいのか、声が少し上ずっている。が、アイスに向いた目は輝きっぱなしだ。彼女は一瞬考えたあと、そっぽを向いている桜子の肩をとんとんと叩いた。

「実は、私があのアイス気になってたんだ。もし桜子ちゃんが食べるなら、一口くれたら嬉しいな」
「なんじゃ、仕方ないのう。それなら、わたしが買ってくるのじゃ」
 意気揚々と桜子はレジに向かい、店員にちょっとよいか、と声をかけた。彼女はその後ろから見守ることにする。

「はい。ご注文をどうぞ」
「この、キャラメル……キャラメルなんたらアイスを一つじゃ!」
「キャラメルミルクアンドナッツフレーバーのスペシャルアイスクリームを一つですね」
「むぅ、それじゃ」

 長い商品名を、笑顔を崩すことなくすらすらと言った店員に対し、彼女は感心し、桜子はなぜか悔しそうだった。レジの横で、桜子がアイスの名前を言う練習をしている間に、出来上がり、ピンクのカップが桜子の手の中に収まった。

「ん~、美味しいのじゃ。ほら、一口食べてよいぞ」
 アイスを乗せたスプーンを口元まで運んでくれる。恥ずかしさよりも桜子の可愛さが勝り、彼女は素直に応じた。
「ふふっ、ありがとう」
「うむ」
 一口で広がるキャラメルの甘みと、ナッツの香ばしさが気持ちを和らげて、自然と笑顔になった。それを見て、桜子が満足そうに笑った。

「それにしても、ずいぶんと買い物をしたのう。結婚式のためか?」
 桜子はアイスをたべながら、彼女の足元にあるショッピングバックに目をやった。

「そう。あと新居で必要になりそうな物とかをね」
「なるほどな。じゃが、結婚式に新居と言葉はめでたいのに、おぬし、あまり嬉しそうではないのう」
「……!」
 驚いて、とっさに声が出なかった。桜子の口調はゆったりしたものだったが、確信を持って言っているのは分かった。ごまかすのを良くないだろうと、彼女は小さく息をついた。

「嬉しいし、すごく楽しみなんだよ。本当に。でも、環境が大きく変わるからかな、やっぱり不安もあるの。ちゃんと出来るのかなーとか」
「ふむ、そういうものか」
 彼女の不安を滲ませた笑顔を見て、桜子は理解したような、していないような絶妙な返事をした。いつの間にか空になっているカップを置いて、桜子はストンと椅子から降りた。

「まあ、依頼の本はもうすぐ出来上がる。そのときは店に来るのじゃぞ。では、またな」
 軽やかに駆けていく桜子の後ろ姿に、彼女は小さく手を振って見送った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

烏の王と宵の花嫁

水川サキ
キャラ文芸
吸血鬼の末裔として生まれた華族の娘、月夜は家族から虐げられ孤独に生きていた。 唯一の慰めは、年に一度届く〈からす〉からの手紙。 その送り主は太陽の化身と称される上級華族、縁樹だった。 ある日、姉の縁談相手を誤って傷つけた月夜は、父に遊郭へ売られそうになり屋敷を脱出するが、陽の下で倒れてしまう。 死を覚悟した瞬間〈からす〉の正体である縁樹が現れ、互いの思惑から契約結婚を結ぶことになる。 ※初出2024年7月

皇太后(おかあ)様におまかせ!〜皇帝陛下の純愛探し〜

菰野るり
キャラ文芸
皇帝陛下はお年頃。 まわりは縁談を持ってくるが、どんな美人にもなびかない。 なんでも、3年前に一度だけ出逢った忘れられない女性がいるのだとか。手がかりはなし。そんな中、皇太后は自ら街に出て息子の嫁探しをすることに! この物語の皇太后の名は雲泪(ユンレイ)、皇帝の名は堯舜(ヤオシュン)です。つまり【後宮物語〜身代わり宮女は皇帝陛下に溺愛されます⁉︎〜】の続編です。しかし、こちらから読んでも楽しめます‼︎どちらから読んでも違う感覚で楽しめる⁉︎こちらはポジティブなラブコメです。

一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました

しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

後宮なりきり夫婦録

石田空
キャラ文芸
「月鈴、ちょっと嫁に来るか?」 「はあ……?」 雲仙国では、皇帝が三代続いて謎の昏睡状態に陥る事態が続いていた。 あまりにも不可解なために、新しい皇帝を立てる訳にもいかない国は、急遽皇帝の「影武者」として跡継ぎ騒動を防ぐために寺院に入れられていた皇子の空燕を呼び戻すことに決める。 空燕の国の声に応える条件は、同じく寺院で方士修行をしていた方士の月鈴を妃として後宮に入れること。 かくしてふたりは片や皇帝の影武者として、片や皇帝の偽りの愛妃として、後宮と言う名の魔窟に潜入捜査をすることとなった。 影武者夫婦は、後宮内で起こる事件の謎を解けるのか。そしてふたりの想いの行方はいったい。 サイトより転載になります。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

竜華族の愛に囚われて

澤谷弥(さわたに わたる)
キャラ文芸
近代化が進む中、竜華族が竜結界を築き魑魅魍魎から守る世界。 五芒星の中心に朝廷を据え、木竜、火竜、土竜、金竜、水竜という五柱が結界を維持し続けている。 これらの竜を世話する役割を担う一族が竜華族である。 赤沼泉美は、異能を持たない竜華族であるため、赤沼伯爵家で虐げられ、女中以下の生活を送っていた。 新月の夜、異能の暴走で苦しむ姉、百合を助けるため、母、雅代の命令で月光草を求めて竜尾山に入ったが、魔魅に襲われ絶体絶命。しかし、火宮公爵子息の臣哉に救われた。 そんな泉美が気になる臣哉は、彼女の出自について調べ始めるのだが――。 ※某サイトの短編コン用に書いたやつ。

耽溺愛ークールな准教授に拾われましたー

汐埼ゆたか
キャラ文芸
准教授の藤波怜(ふじなみ れい)が一人静かに暮らす一軒家。 そこに迷い猫のように住み着いた女の子。 名前はミネ。 どこから来たのか分からない彼女は、“女性”と呼ぶにはあどけなく、“少女”と呼ぶには美しい ゆるりと始まった二人暮らし。 クールなのに優しい怜と天然で素直なミネ。 そんな二人の間に、目には見えない特別な何かが、静かに、穏やかに降り積もっていくのだった。 ***** ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。 ※他サイト掲載

処理中です...