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三冊目 赤い記憶

赤い記憶―3

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 柳を部屋に押し込めたあと、桜子は店内で一人、顎に手を当てて考えていた。

「やはり、情報が必要じゃな」
 表にかけてあるプレートを『閉店』に変えて、桜子は店をあとにした。ひとまず、人が多いところを目指して歩き出した。しばらくして、近所のおばちゃん集団につかまってしまった。赤い着物のおかげでよく目立つのだ。彼女らの照準から逃れることは出来ない。

「あらー、桜子ちゃん! 今日も小さくて可愛いー」
「小さくないのじゃ!」
「飴あるんだけど、いる?」
「いるのじゃ」
 すぐに囲まれて、ちやほやされる。声は大きいが、特に不快なわけではないので、桜子はそのまま飴を頂戴して、おしゃべりの中に加わる。

「ねえ、聞いた? すぐそこのパン屋さんの新商品、美味しいらしいわよ」
「あ、それ私も気になってた。ショートケーキパンだったかしら」
「そうそう」
「それは、食べてみたいのう。ちょっと行ってみるか」
「あのイケメンのお兄ちゃんにも買っていってあげたら? あ、でも」
 彼女たちにしては、声のトーンを下げて、眉をひそめて話を続けた。それでも道の向こう側まで聞こえる声の大きさなのだが。

「最近、変質者がうろついてるって噂があるのよ」
「私も聞いた。桜子ちゃん可愛いから気をつけてね。知らない人についていったら駄目よ」
「うむ」
 桜子が素直に頷くと、今度はキャラメルが渡された。桜子は、キャラメルを口の中で転がしながら、考え続けていた。

「そうそう、昨日、すごい怪我をした人が病院に運ばれたんだって」
「事件かしら。やだわー。変質者、早く捕まってほしいわねー」
「最近物騒ね、本当。桜子ちゃん、送っていこうか?」
 親切心で言っているのは分かるが、これ以上は不要だった。桜子は、ふるふると首を横に振った。

「大丈夫じゃ。すぐに帰る」
「そう? 気をつけてねー」




 彼女たちと別れてから、パン屋を通り過ぎ、どこかを目指すわけでもなく、歩みを進めていた。歩きながら、考え込んでいたのだ。顎に手を当て、ぶつぶつと呟きながら。
「……あれと何か関係があるのか。じゃが、そうなれば。うむー」
 ずいぶん長い間、考えていたようだ。そのせいで、すぐ傍まで来ていた男の存在に気づけなかった。

「ねえ、お嬢ちゃん」
「む!?」
 突然、思考の中から引っぱり出されて、桜子は驚いて声の主を見上げる。逆光になっていて、顔はよく見えなかったが、スーツを着て、こちらを見下ろしていることは分かった。

「お嬢ちゃん、可愛いね。お菓子がいっぱいあるから、家に来ない?」
「お菓子じゃと!」
 反射的に声が嬉しさを表してしまったが、すぐに我に返って、そっけなく答えた。

「見知らぬ者に乞うほど、困ってはおらぬ」
 そのまま立ち去ろうとした桜子の前に、男は立ちはだかって、ためらいがちに口を開いた。もっとも、男はマスクをしていたから、口は見えないのだが。

「驚かせないようにと思ってたんだけど。実は、お嬢ちゃんの家の人が、大怪我して病院に運ばれたんだ」
「何!? 柳が?」
 男の言葉に、桜子は目を見開いて、焦りを露わにした。その様子を見た男は、小動物を愛でるようにニヤリと薄く笑った。

「そう、柳さんから、車を運転していて事故に遭ったから、病院に来るよう伝えてほしいって頼まれたんだ」
「車、か」
 桜子が眉を上げて、ぽつりと呟いた一言は、男には聞こえていなかった。男は今、笑みをこらえて深刻そうな顔をするので精いっぱいなようだった。

「柳さん、すごく痛そうだったよ。お見舞いに行って、元気付けてあげよう。そうだ、お菓子も買って行こうか」
「……」
「さあ、急がないと。一緒に行こう。ほら」
 急かした声とともに、男は桜子の腕に手を伸ばした。

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