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五冊目 時は進む、あなたと共に

時は進む、あなたと共に―4

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「帰ったのじゃー。おーい、柳ー。おーい」
「おかえりなさい。何を買ってきたんですか?」
「エクレアじゃ」
 桜子は買ってきたエクレアを柳に見せびらかす。いいですね、と言って柳は一旦ケーキを受け取る。その横を灯がすっと通った。

「道具、借りるぞ」
 柳が用意しておいた、コーヒーを淹れる道具たちに手を伸ばす。が、届かない。柳が使いやすい高さになっているのだ。灯にとっては、高い。

「うぅー」
「あ、すみません。気づかなくて」
 柳は慌てて、灯が作業のしやすい高さの台に置き直した。灯はふてくされながらも、ああ、と呟いた。そして、道具を使いやすいように並べ、コーヒー豆を取り出した。

「よし、今からコーヒーの淹れ方を教えるから、よく見ておけ」
「はい。よろしくお願いします」
 灯は手際よくミルにコーヒー豆を入れて、ゆっくりと取っ手を回していく。

「これは、ミルと言って、コーヒー豆を挽いて粉にする道具だ。動作としては回すだけだから単純ではあるな。やってみるか?」
「はい」
 灯からミルを引き継ぐと、柳はそっと取っ手を握り、回していく。カリカリと軽やかな音が響き、彩やかな香りが一気に広がる。

「ああ、いい感じだ。ゆっくりと、一定のペースでするのがコツだな。そうそう、いい音だ」
 灯は満足そうに笑顔を浮かべた。柳は有望な生徒のようだ。あらかた挽き終わったとき、あらかじめ火にかけていたポットが湯気を吐き出し始めた。

「せっかく道具は揃っているし、ネルドリップも捨てがたいが、初心者だからな、ペーパードリップでいこうと思う」
「分かりました。確か、ここに紙をセットするんでしたっけ」
 ドリッパーと呼ばれるフィルターの役割を果たす容器に、台形型のペーパーを広げて入れる。

「ああ、よく知ってるな」
「知識として少しだけ、です」
 小さく肩をすくめた柳は、ポットを持った灯に場所を譲る。ミトンが灯の手にはぶかぶかで、そのサイズ感が可愛らしく見えるが、柳はそれを口には出さずにぐっと飲み込む。

「粉をそこに入れてくれ。一杯分がだいたい十二グラムだ」
「はい」
 柳はさっと粉を計り、ペーパーの中へと入れて、お湯を待ち構える。

「こう、全体にお湯がいきわたるようにして一旦止める。と、膨らんでくる」
「わあ、すごいですね」
 柳の口調はいつもと変わらないが、新しいおもちゃを発見した子どものように、目が見開かれ、輝いている。

「だろう?」
 灯は、新たな仲間を見つけられたことで、自然と口角が上がっている。今度は、うずまきを描くようにして、お湯を注いでいく。膨らんだら止めて、またうずまき、を繰り返していく。

「コーヒー豆は、お湯を吸収してそれを出して、コーヒーになるんだ。いわば、呼吸しているような状態なんだ」
「なるほど、その考え方は面白いですね。紅茶にも通じるかもしれません」
「まあ、この言葉は受け売りなんだがな」
 ポットでうずまきを描く手を止めないまま、灯は話を続ける。少し照れた表情にも見える。

「偉そうに教えてやる、とか言ったが、俺もコーヒーの基本は専門家から教えてもらったんだ。元々コーヒーは好きだったが、自分で淹れるとなるとまた別だからな」
「専門家の方ですか。私にとっては、先生の先生ってことになりますね」
「そのうち紹介してやるさ。よし、ポットもやってみるか」
 灯は、柳にポットを渡し、うずまきを描くように指示をしつつ、横で見守った。

「よし、こんな感じだな」
 出来上がった、濁りのない深い色のコーヒーを、灯はカップに注いでいく。柳はエクレアを皿に移して三人分のコーヒーと一緒にトレーに乗せた。
 店の方に戻ると、店内全体がコーヒーの香りに包まれていた。その中で桜子は、顎をテーブルの上に乗せて、いかにも暇そうに腕をぷらぷらと脱力させていた。

「む、やっと出来たか。待ちくたびれたのじゃ」
 口を尖らせながらテーブルを指先でトントンと叩き、二人を急かす。
「すみません、お待たせしました」
「短気か、お前は」
「ふんっ」
 テーブルにコーヒーとエクレアが並び、本日二回目のお菓子タイムが始まった。柳は早速コーヒーに口をつけた。

「美味しいです。特有の苦味はありますが、香りもあっさりしていて飲みやすいです。香りもいいですね」
「うむ。エクレアにも合うのう」
 そう言いながらも、桜子は砂糖とミルクを入れてくるくるとかき混ぜている。ブラックはあまり好きではないのだ、仕方がない。灯は、一口飲んで、うんうんと何度か頷いた。きちんと満足のいく味が出せたのだろう。

「買ってきたやつは置いていくから、お前たちもたまにはコーヒーを飲むといい」
「ありがとうございます。慣れてきたら、今度はネルドリップも教えていただいてもいいですか?」
「もちろんだ」
 コーヒーを半分ほど飲んだころ、灯がおもむろに口を開いた。口元には不敵な笑みを浮かべながら。

「なあ、柳。お前、本部に来ないか?」
 桜子の纏う空気が不機嫌さを醸し出したことは、柳も気がついていたが、何も聞かないことにした。それよりもある言葉が気になった。

「本部、とは……?」
「おい、桜子、それすら教えてないのか!?」
「ふんっ! 別によいじゃろう」
 残っていたエクレアを頬張り、それ以上話す意思がないことを示した。灯は、苦笑してそれを流し、柳に向き直った。コーヒーカップに映る顔が揺れる。

「じゃあ、説明の前に、二回目の自己紹介をしておくか。――俺は、付喪神統括本部・管理課の灯だ」
「付喪神統括本部、ですか」
「お前、こういうの聞いたことあるか?」


『陰陽雑記に云、器物百年を経て、化して精霊を得てより人の心を誑す。これを付喪神と号すといへり』


 すらすらと灯の口から紡ぎ出される文言には聞き覚えがなく、柳は首を左右に振る。
「これは、昔の人間が俺たちについて記した書物の冒頭だ。その内容をざっくり言うと、心を得た物、付喪神が自分たちを捨てた人間に仕返しとして、町を破壊しつくした。そして格上の神によって退治されたって感じだな」
「あ、それなら少し聞いたことがあります」
「で、再びそうならないための機関が、付喪神統括本部だ。俺の所属する管理課は、付喪神はもちろん、九十九年に近い物の情報を管理している」
 そこまで聞いて柳は、ああ、と呟いた。

「トキさんが言っていたお仕事ってそういうことだったんですね」
「ん? トキが何か言ってたか?」
「ええ、灯さんの仕事の手伝いをしていると、一番に教えてくれました」
「そうか」
 一言だけ答えた灯の口元が、嬉しそうに緩んでいたのを、柳は見逃さなかった。わざわざそれを口にはしなかったが。

「それで、話を戻すが、本部に来ないか? その能力をこっちで使ってみる気はないか」
 灯が、本気で言っているであろうことは、その声音からよく分かる。しかし、柳は首を縦には振らなかった。

「すみません、私には物書き屋がありますので」
「ま、そう言うとは思ったがな。残念だ」
 柳は、頭を下げて感謝を示した。灯は、片手を上げて受け取ると、慣れた仕草で胸ポケットに手を入れた。いつもそこにあるはずの懐中時計は、今はなく、ハッとして店にある時計を見た。

「おっと、そろそろ行かないとな」
「おー、帰れ帰れ」
 それまで話の蚊帳の外にいた桜子が、そっけなく灯に言った。追い払うようなジェスチャー付きで。

「じゃあ、依頼の方は頼んだ」
「はい」
 柳に声をかけると、灯は急いだ様子で帰っていった。本部での仕事があるのだろう。柳は、灯の話を聞いて、抱いた疑問を桜子に投げてみた。

「桜子さんは、本部に行かなくていいんですか? 桜子さんほどの年数になれば、声がかかるんじゃないですか?」
「あんな面倒なことせぬ。それよりもお菓子と本じゃ」
「そうですか」

 桜子らしい答えに、柳はほっとして微笑みを浮かべた。
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