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五冊目 時は進む、あなたと共に

時は進む、あなたと共に―6

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 約束の時間よりも少し早く、灯は物書き屋に姿を見せた。

「本が出来上がったと聞いたが」
「はい。お待ちしておりました」
 柳は、その手に持っていたものを灯に丁寧に渡した。

「こちらが、ご依頼の本と、お預かりしていた懐中時計、トキさんです」
柳の隣でその様子を見ていた桜子が、ふいに笑い出した。

「どうしたんですか?」
「いやなあ、こいつが心底嬉しそうに飛び跳ねておるからのう。よっぽど灯に会いたかったんじゃろう」
 言われてトキを見てみると、外ハネの髪をぴょこぴょこさせて、灯に笑いかけている。柳は灯の持つ本を示しながら、言った。

「本は、またゆっくりと読んでみてください。ですが、これだけは先にお伝えしておきますね。トキさんは、灯さんのことを慕っています。無理やり働かされているなんて、思っていません」
 灯は息を飲んで、懐中時計を見つめた。トキは、弾けるようなあの笑顔で頷いたのだろう。灯は、今まで桜子でも見たことがない、慈愛に満ちた優しい表情で、そうか、と呟いた。

「灯さんとトキさんの物語の続きが、笑顔あふれるものであると願っています」
「ああ。ありがとう」
 ゆっくりと、灯は物書き屋店主に頭を下げた。その横から、大家がニヤリと笑って顔を出す。

「うむ、感謝するがよいぞ」
「お前は何もしてないだろう」
「何をー!」
 桜子と灯の言い合いが始まりそうになって、柳はわざとらしく、ぽんっと手を打った。

「そういえば、聞いてみたかったんですけど、灯さんの好みの女性の方ってどんな感じですか?」
「なっ!? なんでそんなこと」
「本部で色々な付喪神を見ている、経験豊富な灯さんの御眼鏡にかなうのはどんな方なのか、興味がありまして」
 すらすらと言葉を紡ぎ出した。語り、騙ることは、柳の本分なのだ。

「……」
「だめですか?」
 追い打ちをかける柳に、灯は渋い顔をしていたが、小さく頷いた。

「耳を貸せ」
 そう言って柳をしゃがみこませて、柳にだけ聞こえる音量で質問に答えてくれた。が、聞き終わった柳の悪戯っ子のような顔を見て、灯は一瞬にして後悔することになる。

「なるほど。灯さんは、頭が良くて、時間をきちんと守る、白セーラーが似合う方が好みなんですね」
「うわーーーーーーー」
 叫んでいる灯をよそに、柳はトキに向かってウインクを飛ばした。健気な彼女の将来に役立ててもらえれば、と。トキは一瞬驚いた顔をしたが、笑顔になって両手をぱたぱたさせている。

「ほう、おぬしは頭が良く、時間を守る、白セーラーのやつが好きなのかー、へぇー、ほぉー」
 桜子がニヤニヤとした笑みを浮かべながら、灯の周りを一歩ずつゆっくりゆっくり歩く。煽り体勢全開だった。

「あーーーーー、もう最悪だ! 柳! お前は! どんなやつがいいんだ!!」
 羞恥と怒りとその他諸々で顔を真っ赤にした灯が、仕返しとばかりに荒い語気で聞いてきた。

「そうですねー」
 案外素直に答えそうな様子の柳を見て、桜子が動きを止め、柳が何と言うか聞き耳を立てている。

「背が高くて、大人っぽくて、ブラックコーヒーが飲める方、でしょうか」
「なっ」
 思わず声をあげた桜子に、柳と灯の二人分の視線が注がれる。

「なっ、なっ、何をーーーー」
 柳に桜子からの蹴りが飛んでくるが、冷静でない桜子の狙いは定まっておらず、柳はひらりとそれをかわした。バランスを崩した桜子は、片足で数歩進んだあと、尻餅をついた。

「はっはは。桜子、お前、あははは」
 灯は、声をあげて笑っている。普段ならあり得ない桜子の姿に、ここぞとばかりに大笑いである。キッと鋭い目つきで灯を睨むと、低い体勢から蹴りを繰り出した。

「むっ!」
 しかし、それもかわされてしまう。動揺した桜子の蹴りはやはり狙いが甘くなる。

「もう! なんなんじゃー! なんなのじゃー」
「まあまあまあ」
「まあまあまあ」

 柳も灯も、なだめようと近づくが、駄々をこねる桜子に笑いをこらえきれず、さらに桜子の頬を膨らます結果となった。

「むー! もう知らぬ! 出てけー出てけー」
 大家権限で追い出そうとする桜子を、説得し、甘いものを献上して、なんとか落ち着かせた。桜子の機嫌を直すために、一週間分のお菓子が犠牲になった。
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