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皮肉
しおりを挟む私はバルコニーへ出る。
何故バルコニーへ出なければならないのかは、この際問わないで頂きたい。
「青空の下、風に吹かれながら飲むダージリンが最高なのだ。」
そういう事にしておこう。
それ以外に理由も思いつかないしね。
私には信条がある、
『人は考える葦であれ』
だから私は午後一番のワイドショーにて片隅で流れるハツラツとした女子アナの『考えは口にださなくてはダメですよね』
この一言を実践する事にしたのだ。
これが出来る男とやらへの一歩らしいからね。
「では、振り返ろうか、宗次郎よ。」
そうしてさっそく言葉に詰まる。
私という奴は本当にダメな奴の様だ。
振り返ると言葉を発した端から顧みる程の過去さえない。
それどころか語る『現在』さえまともに存在しないではないか。
齢27にして職にも就かず、ぼんやりと、日が登っては沈むサイクルに身をまかせるだけの日々。
何故こんな事になってしまったのだろうか、
思えば高校時代、相対的に見れば友と呼べる者に囲まれ
真っ直ぐで実直な教師、クラスメイトにも恵まれた。
たった一度とはいえ、同級生マリとの惚れた腫れたの恋事も無事大円団を迎えた。
今思えば幸せとはああいう事を呼ぶのだろう。
「おっと、いい調子だ。顧りみれてるぞ宗次郎。」
「口に出すべきはそこではないが…」
そうだ、
これこの様に私という奴はどうしようもなく間も要領も悪いのだ。
小学生などという発展半ばの幼子時代に多少虐められたからと言い、
せっかくできた辺りを取り囲む程の友人達にさえ、心を開けなかった。
テストがあるとなればロクに対策もしないものだから望まぬ羨望から至らぬ誤解を招き必要以上に教師陣から責められた。
その様な紆余曲折が私を本来あるべき社会の姿から
遠く距離を置いてしまった今に至るのではないかと思うと、やはりやりきれないな。
そして歳月は経ち、気がつけばこの有様だ。
どうしようもないな。
わかってはいるのに変えるに至らぬ未熟さにホトホト嫌気が差す。
「…ダメな奴だな。」
ボソリと口を割って出る言葉に間髪入れず思考が廻る。
(ホラ、コレだ。)
つい先ほど、今日は己の半生を振り返り口に出し明日を変えると心に決めた端から、忘れている。
それが私のダメたる所以なのだ。
こんな事だから、1年留年をしてまで勝ち得た内定先さえ、
ロクでもない会社を選んでしまったのだ
「…今更嘆いてもどうしようもないが」
アレは入社して1年半が経とうとした時の事
違う部署の同僚、エリカにディナーを一緒に如何かと誘われた。
それはそれは凄く気分の良い出来事だ。
鬱蒼とした、梅雨明けの湿気た香りが漂う午後だと言うのに
それまでとんと姿を隠した恋心は、急に脈を打ち始め自己主張を始めた。
今までどこに居たんだ、と問おうとも返事がないソイツは、ここぞとばかりにドクドク跳ね上げるばかり
その日の私は浮かれ上がっていた。
取引先の食事の誘いを無碍に断るや否や、そそくさと残業に苛まれる上司や同僚を捨て置き
会社を飛び出た。
それからの時間は相対性理論の幸福の定義に漏れず目まぐるしく夢半ばに
時が過ぎた。
待ち合わせ場所へと走る
ゲリラ豪雨がなんだと言うのだ。
一心不乱に駆け抜ける。
面白おかしく、思うが侭に進む情景。
呼応する様に、その晩は
日頃気立てのいいエリカからは想像もつかない淫猥な夜を駆け抜けた。
これから全てがうまく行くと思った。
卒業アルバムと同時にしまいこまれた恋心に火もつき、
安月給だが、常に働きを求められ続ける職場
この生き甲斐の真っ只中で大往生する老いた自分さえ想像できた。
事は週明けに起きる。
先日とは打って変わってカラリと晴れた気持ちの良い午後
目を丸く引ん剝いた上司から何をやっているんだ、と怒鳴りつけられる。
なんでも、
先日の取引先との食事、所謂接待を無碍に断った事に先方の気を害したらしく、
今後一切の取引先を断るとの事だ…。
「…ふぅ」
漏れる溜息が全てを代弁する。
思い返せば涙が滲む。
何かが始まると期待したエリカは、その翌月には寿退社にて社を去った。
と言うのが ヨソヨソしくなった同期曰くの言い分だ。
つまり、
あのひと夜はマリッジブルーの捌け口に過ぎなかったのだ。
そうと知ろうとも浮かれ舞い上がった心の納めどころはどこにも見当たらない。
理想の人生プランとはおおよそ反転した数月を彷徨った。
今も耳に余韻を残す、
見当違いも甚だしい惚けた一言。
『予想被害総額は2000万だぞ!』
それっぽっちがどうしたと言うのだ。
お金の損害ならばやり様はいくらでもある。
しかし心の損害はそうはいかないのではなかろうか?
甚だ惚けた上司の明後日な怒鳴り文句などもはや聞くに絶えない。
貴様ごときに社内ヒエラルキーの如何を左右させる程に心を預けた覚えはない。
下らぬ上司を目の当たりにし、
それまで原動力として大いに私へ貢献し続けた熱意は
見る影もないほどに覚め上げてしまった。
気が付けば、済し崩し的に自主退社をし
陽が登っては沈む
現在、このサイクルに
身を投じ今に至る。
私の生きる意味とはなんなのだろうか。
「…。」
つまりはそういう事だ。
今日もつい先程決めた心の取り決めを忘れ去り
夢想の世界であれやこれやと思考遊びをする間に
世界は夜を告げかけている。
いっそ、沈む夕陽と共に、
「あの彼方コンクリートへと沈んでやるのもいいかもな。」
バルコニー
一際強い風が吹く。
天国には遠く及ばず、
されど地獄へは一歩、
地上30階。
何かが変わればと高くへ住居を設けたが
気の赴きは一向に地を這う凡人と変わらない。
今も見下ろせば数人は私と似た背格好、面持ちの青年が歩くでは…
「ッッ!!」
ハッ、とするには手遅れた。
落ちる夕陽にばかり見惚れていた己の不甲斐なさに全てが吹き飛ぶ。
ノスタルジーな朱さの末端には
買い物を終えた妻のマリと娘のユリは影が伸びている。
ついでと言うには些か申し訳ないが
数少ないよもや親類にさえ価する
私の唯一の友と呼べる者達も到着に差し掛かっている。
そう、
これが私のダメたる所以。
今夜のホームパーティーの設営準備はまだ整っていないのだ。
夢想に呆気を取られていたとしか言いようがない…。
きっと項垂れ謝る私をマリも友も笑って許すだろう。
だがしかし
こんな事さえままならない私は、
例えどれ程、
個人資産を有していようとも
どれ程、高層マンションから下界を見下ろそうとも、
働かざるとも生きていける現状に甘え続ける今日は
「人間失格なのだ」
私の辞書には幸福の定義は空欄だ。
この思考の森で、
無くした何かと、得難い何かを
明日こそは見つけようと思う。
小綺麗に整頓され、花瓶に新しい花が活けられた見慣れたリビングを横目に
娘を抱きかかえる妻と、談笑に花を咲かす級友達の声が鳴る、
何気ない玄関へ宗次郎は歩を速める。
ガチャ。
「おかえり…そして、いらっしゃい…。良い報せと悪い報らせ、どちらを先に聞きたい?」
『皮肉』
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